セルフ(自己) セラピーで人生の転機と目的を探す ー 作詞家 阿久悠さんから ー

【 感触を手掛かりにする 】

2つ目の歌は「1971年」発表の、尾崎紀世彦さんの『 また逢う日まで 』です。

 

また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは 話したくない

なぜか さみしいだけ

なぜか むなしいだけ

たがいに傷つき すべてをなくすから

ふたりでドアをしめて

ふたりで名前消して

その時心は何かを話すだろう

 

この歌にも「心」が入っていますが、そこが核心ではありません(笑)

 

そして、私が生まれる「2年以上前」の歌です、、、

 

 

生まれた後に、テレビなどを通して、私の耳に入って来たのは「事実」でしょう、、、

ただ、

 

この歌(歌詞)は、幼い私の心の中にスッ~と入って来た

 

という、「記憶」ではなく「感触」が、私の中にはずっとあります、、、

 

この歌は、「恋人との別れ」を題材にしています。

当時は、今よりも「男尊女卑」の傾向が強くありました。

 

阿久悠さんは、そのような状況を変えたいとの思いを抱いていました。

故に、別れの場面でも、女性も「自らの意思で訣別出来る」強さを持っている事を描きたかったと、後に話しています、、、

 

 

このような背景からも、少なくとも幼い私の心の中に、「恋愛の別れの歌詞」が入って来ることは無い!!!と自分でも思います(笑)

 

では、何故、この歌が今でも私の中で「残り、生き続けている」かと言うと、

 

この歌詞そのものが、魂の世界を描いている

 

という「感触」が残り、生き続けているからです、、、

 

【 本来の私は懐疑主義(笑) 】

勿論、幼い私に魂の事が分かる訳ではありません(笑)

そのような意味でも、幼い私が反応するのは不可能な事と、個人的には感じます。

 

実は、本来の私は、懐疑主義、つまり、疑り深い・容易には信じない面があります(笑)

 

今でこそ、スピリチュアルも取り上げていますが、特に20代の頃はイカガワシイとすら思っていました!

故に、TOPICSでは、科学や医学などの視点も取り入れています!

 

 

【 この世で全てを明らかにする必要もない 】

この歌に、私が魂の世界を感じるのが、

 

『 別れのそのわけは話したくない 』 そして 『 たがいに傷つきすべてをなくすから 』

 

の箇所です。

この別れとは、「この世とあの世での別れ」と、私は幼心から今まで同じ「感触」を受け続けています、、、

 

先ほどは、母の他界のコメントもしましたが、この世では、病気にも様々な面があります。

更に、なぜ???という事故や事件、そして、時には自然災害による別れも存在します。

 

そして、スピリチュアルな視点では、時にこのような事は、

 

業・カルマのせい あるいは 前世の報い

 

などと言われます。

しかし、

 

私は、このような解釈は好きではない

 

のが本心です。

 

 

確かに、この世の人間の理解が及ばない「理由」は、存在します。

また、その理由が「反映」される事象がある事も、理解しています。

 

しかし、それらを、

 

業・カルマや前世の報いという、言い訳にすると身も蓋も無くなる

 

のが事実です。

また、仮に理由があるにせよ、この世の私達では「理解」出来ないでしょう。

 

そして、何よりも、

 

「今ここから」は、変えていく事が出来る!!!

 

という姿勢の方が、大切で必要です!

 

 

そして、もし仮に、

 

この世で「全ての事」が、「全ての人」に明らかになるとすれば・・・

『 別れのそのわけは話したくない 』 そして 『 たがいに傷つきすべてをなくすから 』

 

という状況が、かなりの確率で起こるはずです。

 

私も、真実を知りたい、真実に近づきたいなどの思いは、常々持っていますが、

 

「今は(この世では)」全てを明らかにする必要性がない場合もある

 

という「感触」も受けています、、、

 

 

この世の事は、全てこの世で解決可能です。

しかし、あの世でしか解決出来ない事もあるでしょう、、、

 

ところで、ここ迄の内容をネガティブに捉えていませんよね???(笑)