セルフ(自己) セラピーで人生の転機と目的を探す ー 作詞家 阿久悠さんから ー

『 また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは 話したくない
  なぜか さみしいだけ
  なぜか むなしいだけ
  たがいに傷つき すべてをなくすから
  ふたりでドアをしめて
  ふたりで名前消して
  その時心は何かを話すだろう 』

 

この歌にも「心」が入っているので取り上げたの?と思われるかもしれませんが、そのような点も若干はありますが、そこが核心ではありません(笑)
この歌は私が産まれる2年以上前の歌です。
勿論、産まれた後の赤ん坊や幼い頃にテレビなどを通して私の耳に入って来ていた事は事実かと思います。
ただ、この歌の歌詞の内容がそのまま幼い私の中に入って来たとは申しませんが、

 

この歌は幼い私の心の中にスッ~と入って来た

 

という、「記憶」ではなく「感触」が私の中にはずっとあります・・・
先程のドラマ内でも紹介されていましたが、この歌の歌詞は、恋人との別れを題材にしているものです。
当時は今よりも男尊女卑の傾向が強く、阿久悠さんはそのような当時の状況を変えたいとの思いで、別れの際でも男性のみが強いという事ではなく、女性も自らの意思で訣別を行える強さを持っているという事を描きたかった、との趣旨があったとの事です。

 

このような事からも、少なくとも幼い私の中に、このような恋愛の別れの歌詞が心の中に入ってくることは無いだろうと自分でも思います(笑)
では、なぜ、この歌が今でも私の中で残り、生き続けているかと言うと、私は、

 

この歌詞そのものが魂の世界を描いている

 

との「感触」が残り続け、生き続けているからです。
勿論、幼い私に魂などの事が分かる訳ではありませんし、そのような理屈という意味でも、幼い私が反応するのは不可能なようにも思えます。
実は、本来の私は懐疑主義、つまり、疑り深い、容易には信じない、という所があります。
なので、今でこそスピリチュアルな内容も取り扱っていますが、20代の頃などは、そのようなものはイカガワシイとすら思っていました(笑)
故に、ここでお伝えしている内容についても、自分なりに科学などの視点も取り入れ、それなりに納得出来る題材をお届けしております(笑)

少し話しが逸れましたが、この歌に私が魂の世界を感じるというのは、

 

別れのそのわけは話したくない・・・たがいに傷つきすべてをなくすから・・・

 

という所です。
この別れというのは、言わば、この世とあの世との別れ、と私は幼心から今まで同じ「感触」を感じ続けています。
先程は私の母の他界の事もコメントしましたが、この世では、病気にも様々な点もあるかと感じますが、なぜ?なぜ?なぜ?という事故や事件、そして、時には自然災害による別れというものが存在しています。

そして、スピリチュアルな視点では、時にはこのような事が、

 

業・カルマのせい、あるいは、前世の報い・・・
などと言われたりしますが、
私はこのような解釈は、あまり好きではありません・・・

 

確かに、そのような、この世の人間の理解が及ばない理由などが存在するケースがある事は真実の部分もあり、そのような理由が反映されている事象がある事は、時には理解出来るケースもあります。
しかし、それを前世の報い、などと全てを解釈してしまっては身も蓋も無くなるでしょうし、仮にそのような理由や原因があったにせよ、この世の私達ではそれを伝えられても理解出来ない事と思いますし、「今これから」は変えていく事が出来るからです
そして、もし仮に、全ての事が全ての人に明らかになって行く過程においては、

 

別れのそのわけは話したくない・・・たがいに傷つきすべてをなくすから・・・

 

という状況が、それなりの確立で起こってしまう・・・とも感じます。
私自身も、

 

真実を知りたい、近づきたい・・・
との思いを常々持ってはいますが、しかし・・・
「今は」全てを明らかにする必要性がない場合もある・・・

 

との「感触」を受ける事もあります。
この世の事は全てこの世で解決可能ですが、あの世でしか解決出来ない事もあるのかもしれません・・・
何か、ここ迄でネガティブな方面に捉えらている方々もいらっしゃるかもしれませんが、それは今回のテーマではありません(笑)

私がこの「また逢う日まで」を取り上げた最大の理由は、あくまで私自身として、私事として感じている事ですが、それは、