コップの中の「水」を増やす!
という視点の捉え方も同時に成り立つことも真実です。
「水」を増やすというのは今回の問いにおいてはルール違反だ!との反論もある事でしょう(笑)
しかし、
そのようなルールを暗に設けているのは他ならぬ自分自身である
という点はとても大切な事のように思います。
なぜなら、
そのようなルールが自らの可能性を制限している点はないのか?
という自分自身への問いかけを行えないようにしてしまっているケースが多々あるからです。
勿論、スーパーに行ってお金を出してお水を買ってくるという発想であれば行き過ぎかとは思いますが(笑)
そして、最初にお断り致しましたように、
可能性を広げるためにルールを変える際には、何かや誰かのせいにせず、何かや誰かを傷付けてはいけない
という所が出発点ともなります。
お金を出してお水を買うという発想と同様に、お水を増やすために誰かから奪ったり、あるいは、あなたのせいで喉が渇いて一杯お水を飲んでしまったから減ってしまった、などのような解釈や意味付けをする事は出来ないという事です。
そして、コップの中の水というのが、
「可能性」であるならば増やす事も出来るし、時には(自分のせいで)減らしてしまう場合もある
という事です。
夢や目標があっても、それに向けてじっとして、自らかが何も動き出さない限りでは、太陽に照らされる水のように自然蒸発してしまう怖れもあります。
しかし、一方で水を増やす事も出来ます。
例えば、あなたが夜寝ている時に、植物やお花などの元にコップを置いておくと、
朝露が滴(したた)り、コップを少しずつ満たしてくれる
という事も可能です。
なぜなら、
それが当たり前の自然現象
だからです。
そして、時には、
甘露・・・のように、水に味付けや香り付けをしてくれる
という風に、あなた自身の可能性に素敵な変化を及ぼしてくれる事もあります。
そして、この朝露や甘露というのは・・・
人との縁
である事がとても多いです。
そして、人との縁というのは直接的な出逢いもあれば、本や音楽や映画などのような間接的な出逢いも含まれます。
そして、ここまでがコップの中の水から導かれる二つ目の視点という味付けです。
そして、この味付けは無数に考えられ、無数の可能性があります。
それは、人それぞれ違いますし、どれが良い悪いという問題でも決してありません。
では、コップの中の水が何であるのか?という視点を獲得した事から次に進めて行きます。
まず、先ほどから1,000ml、500ml、350mlなどの容器という例えを挙げてきましたが、
このような容器はあなた自身ではありません・・・あなた自身という器ではありません・・・
なぜなら、
容器を見る事が出来ている時点で、それは、あなた自身ではない
からであり、
容器を見るという事が、客観的視点を獲得出来ている
という証になっているからです。
繰り返しですが、コップの中の水が可能性であるならば、それは増やす事も出来るし、減らしてしまう場合もあり得ます。
容器というのは、
「今」のあなた自身が、自分自身をどのように見ているのか・・・
という客観的視点の事です。
1,000mlでも500mlでも、プール一杯分の水でも、湖一杯分の水でも、本来はどのような器や量(という可能性の範囲)であっても構わないはずです。
そして、まず、