過去の自分との訣別 ~「先生」をシンボルや象徴として眺めてみる~

私がカウンセリングなどを行っているケースにおいても、心療内科などに通院されている方、過去に通院されていた方、あるいは、行ってはみたが合わずに別の方法を探してきた方、また、今飲んでいる薬の量を何とか減らすために他に出来ることを試みて来られる方など様々いらっしゃいます。
実は、私の父も医師であるのと、私自身も行政書士をしていた時は医療法人などの仕事も多少行っていましたので、自分なりには医師を取り巻く環境なども理解しているつもりです。

 

ところで、ここ数十年の状況を考えてみると、明らかな誤診や医療ミスなどは論外として、医師に任せていたのに治らなかったなどの理由で訴訟になるケースがあります。
あるいは、治ると言ったのに治らなかったなど。
そして、このような風潮により、ますます医師の側が訴訟を怖れ、特に若い医師の間では訴えられるのではないか?と戦々恐々と萎縮してしまったり、あるいは、患者さんと目を合わせずパソコンのデータのみを見て話をするケースなどもあると見聞きします。

 

このような昔とは違ってきた状況などから、確かに安易に患者さんに言葉掛けを出来ないケースや事情というのも理解出来ます。
ただ、またまた先程来からの、

 

「先生」とは勇気やパワーを与える人

 

という視点からは、目の前の患者さんに希望を与えることが出来るのも医師の役目と言えるのかもしれません。
そして、医師の口から患者さんに対して、

 

大丈夫だよ!

 

という言葉掛けが自然と行える風潮になっていければ、「希望や諦めない心」を産み出してあげることが出来、かつ、その後の経過なども良好になっていくケースも増えてくるのではないかと個人的には感じます。
そして、世の中には実際に奇跡的治癒という表現がなされるケ-スもあります。
医学の進歩発展がこのようなケースに寄与している面も多々あるとは思いますが、私自身が特に感じる部分は、

 

大丈夫だよ!という言葉掛けが 希望 = 諦めない心 を産み出し
そして、
その 希望 = 諦めない心 が本来誰にでも備わっている内在する力を引き出す

 

のではと思っています、
全くの医学的、あるいは、科学的根拠はありませんが、私自身が見知る範囲内においては、

 

自分の内在する力を引き出す・引き出してもらう

 

というのは、多くの場合において善後策にもなっているケースが多いと感じます。
勿論このようなケースでも薬や外科的処置なども有効に働いていることと思います。
血が出ていたら止める必要もありますし、強い痛みなどでは緩和することや、あるいは今目の前の症状を和らげることにより内在する力を引き出すキッカケにもなることと思います。
また、このような、

 

大丈夫だよ! という言葉掛けは暗示でも構わない

 

という点も大切になってきます。
暗示とは幻想でも気休めでもありません。

 

暗示には実体が伴っている

 

という点も大きなポイントです。
なぜなら、暗示というのは私達の潜在意識に直接届きます。
そして、無意識でありながらも、潜在意識は私達の呼吸や脈拍などの身体上の生理機能もコントロールしてくれています。
つまり、潜在意識において大丈夫だよ!という暗示が定着するにつれ、身体もその暗示に従っていく傾向が出てくるということになります。

そして、このようなケースは身体上のことのみならず、心のことにも当てはまります。
そして、特に心のことに関して言うと、