ジャンケンから無意識(潜在意識)の力を感じ人間関係を知る ~三つ子の魂百まで!?~

① とてもシンプル(勝つという目的
② 小さい頃から行う(日常的に繰り返し行っている)
③ スリリングな状況(多くは損得に関連するような感情を揺さぶる
④ 楽しみながら(勝てばご褒美的な刺激

 

という仕組みが組み込まれています。
そして、無意識(潜在意識)にしっかりと根を張っていることにより、

 

忘れることは、ほぼ無い

 

という状態が創り出されています。
試しに、誰かとこの後出しジャンケンで「負ける」というゲームをしてみて下さい。
なかなかこのゲームにおいて「負ける」ということは難しいと感じるかと思います。
なぜなら、繰り返しになりますが、そもそも教わった内容というのが、

 

「勝つ」ことを目的として、一連の行動が貫かれている

と共に、

小さい頃から繰り返し行われている(刺激を伴う状況を含め)

 

からです。
勿論、個人差や慣れの程度もありますのと、反射神経が良い方などは簡単に「負ける」ということは出来るかもしれません。
そして、後出しでもゆっくり時間を掛ければ「負ける」ことは出来るでしょうが、それでは意味がありません。
なぜなら、

 

私達がとっさに起こす行動は、無意識(潜在意識)から発せられる

 

からです。
つまり、時間を掛けて分析したりといった、顕在意識が介在する余地がほとんどない状況においては、

 

本来の自分自身の行動が出やすい

 

ということです。
そして、ここでの行動というのは、

 

言葉も含まれる

 

ということです。
「売り言葉に買い言葉」という表現もありますが、つい口から出てしまった、などの苦い?経験は皆さんにもあるのではないでしょうか?
勿論、私にもそのような経験はあります。

それでは、人間関係との繋がりを次に見ていきます。
まず、誤解の無いよう最初にお断り致しますが、

 

本来は人間関係において勝ちも負けも存在しない

 

ということを頭に入れておいて下さい。
ところで、先ほどのジャンケンでは、「勝つ」というシンプルな目的、小さい頃に身に付く、スリリングな状況で繰り返し行う、などのキーワードをご紹介しました。
人間関係においては勝ちも負けも存在しませんが、しかしながら、私達の誰もが程度の差こそありながら、

 

勝ち負けという価値判断を持っている

 

という側面は否めないであろうと思います。
良し悪しということはありませんが、このような価値判断も家庭や学校教育などにおいて、小さい頃から繰り返し教わり、また、それぞれの環境や状況に応じ違う内容を教わり、そして、自分に関連する損得という感情から無意識的に身に付いてきています。
そして、勝ち負けの定義というのも本来存在していませんが、人間関係において私達の多くは、

 

負け方を教わっていない
あるいは
負け方を知らない

 

という側面があると思われます。
例えば、ある人を説き伏せたら勝ち、あるいは、ある人の言いなりになってしまうと負け、などの価値判断を皆さんも多少は持ってはいないでしょうか?あるいは、そのように感じた経験はないでしょうか?
別にこのような価値判断を持っていることが悪い訳ではありません。
ジャンケンにおいても、例えば、グーはパーに負けるなどのように「負け」になるパターンは教わりますが、どのようにしたら負けることが出来るのか?という「負け方」は教わっていません(勿論、「負け方」があれば「勝ち方」も存在するということなので、ここでの意味は比喩です)。

 

しかし、先ほどの「売り言葉に買い言葉」という状況の時には、私達は無意識(潜在意識)からの行動や言動をとっさに起こしがちになります。