目標に至る道は人それぞれ様々あります。
また、手段も様々です。
山に向かうに際して、車で向かう人もいれば自転車で向かう人もいるでしょうし、徒歩で向かう人もいます。
当然、歩みの幅も速度も人それぞれ違います。
それではここで、このTOPICSでも幾度か取り上げている、稀代の催眠療法家と言われているエリクソンが扱った一つの症例を簡単にご紹介します。
そして、これは実際に起こった出来事、つまり、実話です。
(なお、このお話は「ミルトン・エリクソン心理療法〈レジリエンス〉を育てる」(著:ダン・ショート、ベティ・アリス・エリクソン、ロキサンナ・エリクソンークライン 訳:浅田仁子 (株)春秋社)から引用しておりますが、これ以外の症例も多数掲載されています。
また、2019年6月15日の第258回目のTOPICS『 最近注目?の「レジリエンス」について 』では別の視点からもご紹介しております。)
『 11年間もの長い間、激痛を伴う関節炎で麻痺に苦しむ男性がいました。
この男性は麻痺のため車いすの生活を送っていましたが、頭だけは動かせました。
あとは、片方の親指をわずかに動かせるだけの状態でした。
そして、この男性はその間ずっと自分の不幸な人生を呪って日々を過ごしてきました。
そのような状況のもと、この男性はエリクソンに会いにきました。
すると、エリクソンはこの男性に対して、あなたは運動不足だと叱責しました。
「動かせる親指があるのだから、それを動かさなくてはいけません!毎日その親指を動かす練習をして、時間をやり過ごすんです!」
当然のことながら、男性はこのようなエリクソンの言葉に頭に来てしまいました。
そこで、親指を動かし続けることくらい簡単なことだが、それで何の解決にもならないことをエリクソンに証明してやろうと決意して、以後、親指を動かし続けていました。
ところが、親指を動かし続けているうちに、ふと、人差し指もかすかに動くことにこの男性は気づきました。
そして、その後も親指を動かし続けていたところ、他の指まで動かせるようになり、この男性はそのことに興味を持ち、この運動を続けていきました。
すると、やがて手首が動かせるようになり、腕まで動かせるようになりました。
このような、エリクソンとの対面から1年後に、エリクソンはこの男性にペンキを塗る仕事をするよう指示しました。
ここでもこの男性は、以前よりは動かせる範囲も広がったとは言え、そのような仕事を指示するとは!?と憤慨しました。
しかし、当初の何の解決にもならないことを証明してやろうとの決意の元、男性はペンキ塗りの仕事を3週間かけてやり終えました。
そして、ペンキ塗りをやり続けているうちに、仕事のスピードが速くなってきたことに気づきました。
そして、ペンキ塗りをやり遂げると、トラック運転手の仕事がこの男性の元に舞い込んできました。
そして、運転をしているうちに、運転手の組合に加入することになり、ほどなくして、その組合の長に選ばれました。
その後もエリクソンとの対面は続いていましたが、この男性は自分には教育も必要だと考え、大学に通うことにもなりました。
この男性の関節炎の重い症状は幾つかはまだ残ったままでした。
梅雨時期になると関節が痛み、1週間ほど仕事は休まざるを得ない状態でした。
しかし、この男性にとっては、残っている関節炎の症状は、再発として捉えられたのではなく、仕事の骨休めとして「良い休暇」を生みだしてくれるものとみなされるようにまでなりました。 』
以上がこの男性に本当に起こった出来事です。
そして、このような男性に起こった実際の出来事に対してエリクソンは以下の通りお話しています。
『 私が思ったのは、もし親指を動かせるなら、それに繋がっている関節も動かせるだろうし、その関節を動かせるのなら、それに繋がっている隣の指も動かせるだろうということ、そして、そのように少しずつ動かせる部分を増やしていけるだろうということだった。 』
そして、この男性の未来に関してはよく分からなかったことを認めつつ、
『 1年後に彼が車いすを降りて、トラックを運転出来るようになっているかどうか、私には全く分からなかった。しかし、彼はそれまで悪態をつくことに無駄に費やしてきたエネルギーを全て、親指を動かす練習、その他の指、腕を動かす練習、しまいには体を動かす練習に注いだのだ。 』
この男性は何も目標を持たずに、ただ、親指を動かす練習をし、次第に他にも動くようになった指や腕へと、出来る範囲の練習を続けていっただけです。
当然、運転手になろう、大学に通おうという「大きな目標」は頭にはありませんでした。
エリクソンは未来に関してはよく分からなかったとコメントしていますが、本音の所は分かりません・・・
最初の対面で車いすの生活を送っている彼に対して「運動不足だ!」と叱責した所から、エリクソン自身は社会復帰は可能という「大きな目標」をすでに見定めていたのでは?と個人的には思いますが・・・
そして、この男性が行ってきたこと、そして、エリクソンが指示してきたことは、
出来ることを行うという「小さな歩み」
だけです。
よく、目標が大きすぎて何をして良いのか分からない、あるいは、目標が遠すぎて途中で挫折してしまう、というお話をよく聞きます。
しかし、ここでの「大きすぎて」「遠すぎて」というのは、おそらく、
「目標」ではなく「歩みの幅」
のように感じます。
つまり目指しているのが大きく遠い所ではなく、そこに近づいていくために「今」出来ることの設定に無理があるからかもしれません。
100メートル走などでも、以前は10秒を切るのは夢のまた夢と言われていました。
しかし、現在ではトップ走者は10秒を切るのが当たり前になっています。
靴の改良や練習方法などの進歩も寄与していることと思いますが、おそらく、そこで練習を積み上げてきたアスリートは、