第114回:『 ゴースト・幽霊も暗示にかかる? 』

こんにちは、レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

残暑が続いており、相次ぐ台風などの被害も出ておりますが、皆さんもそれぞれのお住まいの地域においてもお気をつけ下さい。
ところで先日、映画「ゴーストバスターズ」を観に行ってきました。
この映画の初期のものは私が小学生の頃に公開されましたが、当時は今のようなCGもない中で、かなり衝撃的な映像であったと記憶しています。
また、映画は観ていなくとも、ゴーストバスターズの音楽は一度は耳にされた方も多いと思います。

 

そこで今回のテーマ「ゴースト・幽霊も暗示にかかる?」をお届けします。
なお、今回のテーマに関しては、一般的なスピリチュアルの見解と私の想像?空想?を加味した内容ですので、特段根拠はありませんし、証明されているものでは当然ありません。
なので、単なる私が創作したフィクションの雑談のような感じで、興味のある方はお気軽に目を通してみて下さい。

そこで、このテーマを進めるに当たり、一般的なスピリチュアルな見解としての、

 

私達は死後も魂として存続する

 

というのが大前提となります。
なぜなら、死後も魂として存続しないとなると、今回のテーマの主人公であるゴースト・幽霊も脳の産み出した産物ということで話が片付けられてしまうからです。
まずは、この点をご了承の上、読み進めてみて下さい。

 

ところで、幽霊とゴーストという表現においては、かなりイメージにおける違いが感じられるかと思います。
一般的に幽霊とは日本における存在であり、ゴーストとは西洋における存在と理解されているかと思います。

 

日本における幽霊という存在は、日本昔話などの怪談話に出て来るケースや、掛け軸やお寺にある絵などで認められるように、白装束を着て、両手が胸の前で垂れ下がっている印象だと思います。
また、登場?する時の音楽もヒュ~ドロドロのような、何か背筋を凍らせるようなイメージもあるかもしれません。
言わば、白黒という印象がとても強く感じられます。
また、勝手な個人的解釈ですが、幽霊の両手が垂れ下がっているのは、幽霊とは言わば仏教における地獄に存在するような見方から、仏さんに祈る際の両手を失ったイメージ・象徴として描かれているのでは?と感じています。

 

一方の西洋におけるゴーストの印象はどうでしょうか?
先ほどご紹介したゴーストバスターズに出て来るゴーストや、東京ディズニーランドのアトラクションにあるホーンテッドマンションに登場するゴーストなどは、とにかく色がカラフルです。
また、ホーンテッドマンションなどでは中世の時代そのままに、未だに舞踏会で華やかに踊っているゴーストが紹介されたりしています。
そして、机の引き出しが飛び出したり、カップが宙を舞うなどのポルターガイスト現象が「騒がしい霊」と表現されているように、とかくゴーストは派手なイメージもあるかもしれません。

 

ここまで一般的な幽霊とゴーストのイメージの違いを見てきましたが、それでは、そもそも、

なぜ、幽霊やゴーストは存在するのでしょうか?

ここで第1の暗示です。
その暗示とは、

 

死後も未練や執着があると幽霊やゴーストになる
あるいは、
死後は全てが無になる

 

という生前からの暗示です。
日本においては仏教が主流ですが、ここでは生前に悪い行いをすると地獄に落ちるなどの教訓が語られています。
勿論、これは生きている今を大切にするための教訓ですが、自分は悪いことをしたので地獄に落ちるかも?と死後に思ってしまうのもある意味当然かもしれません。
私達の中で生前に(程度の差はあれ)全く悪い行いをしなかった人など皆無でしょうし、死後すぐにこの世の未練や執着もなく飛び立っていく人もかなり少ないことでしょう。

 

仏教では49日として生前にお世話になった方々へのお礼や未練や執着を断ち切る期間が設けられていますが、この50日前後というのは、世界各国、そして、宗教や文化が違えどおおむねこの日数は共通しています。

このような暗示により、死後に未練や執着を断ち切ろうとしながらも、(あの世に時間はありませんが)何となく50日前後経たのに未だに未練や執着がある私は幽霊になるのかしら?と思ってしまうのかもしれません。

 

また、死後は全てが無になる、と思っていた人が、実は未だに生きているという自覚を持った場合も混乱をきたすかもしれません。
生前に思っていた状況と違う、あるいは、私はまだ生きている、と思って答えを探そうとして色々彷徨ってしまうのも無理からぬことかもしれません。

ここまでが幽霊やゴーストの存在の第1の暗示です。

 

では、日本と西洋の幽霊やゴーストの違いはどこから生じてくるのでしょうか?