言葉の力とカルマ(業) ~関心とバランスを保つという良き種蒔きを~

今回の東京都知事の件は、「自ら蒔いた悪い種を、頭が垂れるほど実る前に自らが刈り取った」という結果に過ぎないのかもしれません。
自らの体裁を整えるために「言葉を裏切った」結果としての「言葉の力」、そして、「自らが行ったことが自らに反ってきた」結果としての「カルマ(業)」、、、、、

 

そして、この「カルマ(業)」というのは、個人のみならず、家族、地域、職場、日本などのように、それぞれの「カルマ(業)」があると言われたりもしています。

 

家族の中でも意見や考え方が違うというのは当然あります。
また、そのような意見や考え方というのは、地域、職場、日本などのように、規模が大きくなればなるほど、その違いも鮮明になっていきます。
そして、それぞれの「カルマ(業)」があるとすると、例えば、

 

少数派の意見や考え方をしている私は、多数派の意見や考え方の「カルマ(業)」を受けることになるのか?

 

と、不安?に感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、そのようなことはありません。
では、どのようにすれば良いのかというと、

 

常に関心を保つ

 

ということです。
これは、実現出来ようが出来まいが、私には関係ない、私一人の意見など言っても無駄だ、というような「無関心」を装わないということです。
「無関心」ということは「自分の人生を他人に預けている」ことと同じことになってしまいます。

 

世の中の全てが多数派の意見や考え方で動いている訳ではありませんし、それが正しいとも限りません。
これは、少数派の意見や考え方が正しくも間違っているという訳でもないのと同様です。

 

「関心を保つ」というそのこと自体が「良き種を蒔いている」

 

という思いが「無関心」を装うことを回避することに繋がっていきます。
そして、「カルマ(業)」の本質の一つとして、

 

バランスを保つ

 

ということがあります。
バランスを保つというのは、良いことをしたから、それと同じ程度の悪さが許されるという意味ではありません。
私達の中で決して間違いを犯さない、ミスをしない、失敗をしないという人は一人もいません。
間違っていたと思ったら謝り、そして、二度と同じことを繰り返さないという心掛けをし、それを実行していくということがバランスを保つという意味合いです。

 

今回の東京都知事の件では、悪い部分ばかりが取り沙汰されていますが、社会の現実的な部分では光が射した側面もあります。
今回の件の発端の一つには「政治資金規正法」という法律が関係しています。
これもニュースなどで取り上げられたことで、初めてその内容を知った方々も多いと思います。

 

東京都知事の説明に納得出来ない、あるいは、あまりにも一般の感覚から掛け離れているという意見は98%にも及んでいるとされています。
そして、この意見は裏を返せば、

 

今のままの政治資金規正法の内容ではおかしいのでは?

 

という意見と本来は「=(イコール)」の割合になるはずです。
そして、私は今回の東京都知事を「吊し上げよう」という思いもありません。
残念ながらマスコミなどでは、お祭り騒ぎのように単に糾弾のみを行っているように見受けられる部分もあります。
このような時、感情のみで判断するのではなく、理性的な部分を働かせていくことが必要になります。
そのような意味からも、辞職をしたとしても、やはり事実かどうかを明らかにしていく必要性はあると思います。

 

例えば、皆さんのお子さんや、あるいは、身近なお子さんなどが仮に万引きをしたとします。
その際、万引きした品物を返したからそれで良い、あるいは、その商品の代金を後日支払ったからそれで良い、、、、、となるでしょうか?
やはり、まずは謝り、そして、なぜ万引きをしたのか、そして、今後二度と同じようなことをしないということを本人に気づかせることが今後のためにもなるのではないのでしょうか?

 

もし、今回の東京都知事の今までの発言の中に、仮に「嘘」があるのであれば、、、、、同じことと思います。
「最初に謝っておけばこのような結果にならなかったのでは?」などの論調もありますが、私個人としては今回の経緯も大いに意味があったと思っています。
そして、もしそうであるならば、世間に公表されようとされまいと、結局はそのような事実と反した発言をした当人が「カルマ(業)」のバランスを取る、という状況に取り組まざるを得なくなるでしょう。
そのような意味でも、全てを明らかにした方が、今後の本人のためにもなるのでは、、、、、
そして、調査をしたとされる第三者たる弁護士も同様なのでは、、、、、
立つ鳥後を濁さず、、、、、と個人的には思っています。