【 時には常識を疑う 】
私達は誰もが小さい頃から「常識」という暗示を、繰り返し繰り返しプログラミングされています。
そして、このプログラミングのほとんどが無意識状態で行われています。
社会という集団生活で平和に安全に暮らしていく中では、確かに人を傷つけないなどの一定のルールは必要な部分もあるかもしれません。
しかし、私達が意識している「常識」の中には私達を制限するもの、私達をコントロール下に置くために使われているもの、そして、真実から掛け離れている「常識」というのも多々あります。
「郷に入れば、郷に従え」という言葉があります。
これは、ある社会における「常識」が、別の社会では「非常識」というケースがあることを示唆しています。
私達は「常識」を疑うようにはほとんど教育されていません。
なぜなら、その方が他の人をコントロールしやすくなるからです。
そして、そのコントロールには「怖れ」という感情がよく利用されます。

例えば、
「幸せになるためには苦労しなくてはならない」
「努力は美徳である」
これらの言葉などは確かに分かる部分もありますが、本当に「真実」なのでしょうか???
ある人にとっては「常識」であることが、他の人にとっては「非常識」であるように、人の数ほど「常識」は存在しています。
つまり、大多数の人が「五月病」という「常識」を信じているからこそ、それが更に社会的に強化されていると言えます。
是非、これを機会に皆さんの中にある「常識」を、一度「本当なのかな???」という視点を持って考えてみると、何か新しい発見があるかもしれません、、、
補足ですが、実際に「五月病」なるものに囚われていると感じる時は、「今」に生きる!!!ように意識してみて下さい。
「今」に生きる!!!ということが難しいと感じる場合には、ただ「今」に在る!!!ように心がけてみて下さい。
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