ポジティブに開き直る方法 ~幕末の「ええじゃないか」を参考に(笑)~

第585回:『 ポジティブに開き直る方法 ~幕末の「ええじゃないか」を参考に(笑)~ 』

【 その他参照ワード:禁門の変、阿波踊り 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

迷いや悩みなどの「渦中」では、

 

せめて「言葉」だけでもポジティブにと考えても・・・

「思い」との葛藤が始まり・・・

なかなか至難の業!!!

 

という傾向が高いです!

勿論、これは私も同じです(笑)

 

なぜなら、私達は、

 

《 思い → 言葉 → 行動 》

 

というパターン(流れ)に慣れ親しんでいるからです!

 

 

そして、言葉足らずや、表現力が拙いケースもあるものの、

 

「言葉」の端々には・・・

本当の「思い」が見え隠れする・・・

 

つまり、裏を返すと、

 

「思って」いない事は・・・

「言葉」に出来ない・・・

 

という事です、、、

 

 

では、番組『 歴史探偵 』(NHK)から「 幕末ミステリー ええじゃないか 」の回を少し眺めます!

 

【 「ええじゃないか」とは 】

慶応3年(1867年)の7月から12月に掛けて、

 

日本各地で「ええじゃないか」と踊りながら歌う事が流行!!!

 

しました!

この年は、「今から」158年前の事であり、

 

江戸時代最後の年

 

となりました。

 

 

 

そして、「ええじゃないか」には、

 

男性が女性に扮し、女性が男性に扮する「異性装」で踊る

 

という特徴がありました。

場所によっては、激しい踊りもあれば、穏やかな踊りもあり、歌詞も地域によって若干の「違い」がありました。

 

特に京都では、祇園祭とも「比較」にならない狂騒狂乱の様相を見せました。

そして、京都の公家の岩倉具視の『 岩倉公実記 』には、歌詞が記録されています。

 

《 ヨイジャナイカ。 ヱイジャナイカ。 クサイモノニ紙ヲハレ。 ヤブレタラ又ハレ。 》

 

 

【 キッカケは何??? 】

「ええじゃないか」の発祥は、愛知県豊橋市と言われます。

当時は三河国渥美郡牟呂(むろ)村と呼ばれ、漁村として栄えていました。

そして、牟呂八幡宮の神主の記録によると、

 

『 慶応3年7月14日、伊勢神宮外宮のお祓いが降臨した。 』

 

つまり、

 

御札(おふだ)が空から降って来た!!!

 

と書かれています(笑)

そして、住民が起床すると、家の周りの生け垣などに御札が引っ掛かっていました。

そして、御札である事から、

 

何か良い事が起こるのでは???

 

と捉えられました。

 

 

そのように、御札を有り難いものと捉えた村では、

 

祭りを開催!!!

 

しました!

牟呂村では、3日間に渡り酒や食事が振る舞われました。

そして、同じく神主の記録によると、

 

『 村人が我を忘れて踊り始めた。 』

 

と書かれています。

そして、4日後の7月18日には、近隣の吉田村にも御札が降って来ました。

 

こうして、「ええじゃないか」は、

 

僅か半年で江戸から広島まで広がりを見せた!!!

 

という流れになりました!

 

ちなみに、日本を訪れていたイギリスの外交官の証言も残っています。

外交官アーネスト・サトウ:
『 燃えるような赤い服を着て、「イイジャナイカ」と繰り返し叫びながら踊り続ける群衆の中を進むのは、かなり大変だった。 』

 

 

【 時代が違えどデマやフェイクが拡散 】

同じく神主の記録によると、

 

『 鶴よりも小さい鳥が、御札をくわえ空中から落とした。 』

 

と書かれています。

しかも、

 

瓦版(新聞)でも絵図入りで取り上げられた!!!

 

という事で、更なる拡散を見せました!

 

しかし、空から御札が降って来る事は考え辛く、ましてや、鳥がくわえて運んで来る事は、ほぼ不可能です!

しかも、名古屋では2ケ月で3400枚以上の御札が降り続けた!!!との記録があります(笑)

 

 

そこで、史料『 天降神仏御記録 』が調査されました。

この史料には、愛知県の稲沢市周辺に降って来た御札が、1日の内のどの時刻に発見されたかが記録されています。

すると、卯の刻に当たる午前5時から7時の早朝に、多くの御札の発見が相次いでいました。

つまり、

 

夜中に人の手で置かれた御札を・・・

住人が起きてから発見した!!!

 

と考えられています(笑)