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竜飛岬(龍飛崎)と義経伝説

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日、天気が良く、そして時間があったので、ドライブがてら竜飛岬に行ってきました。
竜飛には小さい頃におそらく行ったことはあるとは思うのですが、ほとんど記憶になかったので行ってみたいと思っていた場所でもありました。

 

岬の5km程手前にある「眺瞰台(ちょうかんだい)」からの眺望は絶景でした!
太陽に照らされ、はるか日本海の海原が眼前に広がり、前方には北海道の大地、右手には下北半島、そして斜め後方には岩木山が望める素晴らしい眺望です。
また、今さら子供地味ていますが、海原の水平線を見て、改めて地球は丸いんだ~!と、久しぶりに実感も出来ました。

 

向かう道中では、猿と蛇も出迎え?てくれて、自然も肌で感じることが出来ました。
ちなみに猿には餌を与えないよう注意看板が出ておりますので、ル-ルは守りましょう。

 

そして、この竜飛岬の辺りでは、源 義経の「北行伝説」というお話が語り継がれています。

 

鎌倉時代に、兄である源 頼朝から命を狙われ、その難を逃れるために義経は竜飛の辺りに辿り着きます。
そして前方に見える蝦夷(北海道)の地へ向かおうとした所、津軽海峡が大変に荒れていたため、
義経は自ら携えていた観音像に三日三晩祈り続けました。

すると、白髪の翁が現れ、3頭の竜馬(羽根がある馬)を義経に授けました。
そして、津軽海峡の波も穏やかになり、無事、義経は蝦夷への上陸を遂げたというお話です。

 

現在の常識からすると、とてもあり得ないお話のようにも思えます。
しかし、このようなお話が現に語り継がれてきたということに思いを馳せると、
語り継いできた人々の純真さやロマンを感じてしまう一面もあります。
また、お話の内容を裏付ける、何らかの信憑性を当時の人々は感じていたのかもしれません。

 

ちなみに、この伝説の概要は、津軽藩の記録では、1680年代(江戸時代)の文献に実際に残っているそうです。
また、「3頭の馬」を発見したのが「馬廐」であったことから、今の「三厩」という地名の由来となっているというお話もあります。

 

そして、この伝説が仮に事実とすると、
眼前の海を渡るという困難や恐怖に直面しながらも、義経は臆することなく、生き抜くために津軽海峡を渡って行ったことでしょう、、、、、
そして、義経が渡った海峡を、仮に生き抜くための「光の道」とでも称すると、
現在はその「光の道」として青函トンネルが通じています。
かつては青函連絡船も通じていました。
そして、来年には新幹線が「光の道」を通ることになります。

 

このような伝説を頭に置きながら、竜飛岬からの絶景を見ていて、
もし、今、義経が生きていたら、この「光の道」たる青函トンネルなどを、
どのように思っているのかなぁ?
当時にトンネルがあったら楽だったろうなぁ~! とか思うのかなぁ、など、
義経とお話してみたいなぁ~と想像しながら帰路に着きました、、、、、

 

そして、帰路に着き、その晩ある映画を観ていました。
その映画のある場面ですが、敵から逃れるために、ある川に掛かっている、一本の綱だけで出来た吊り橋を渡らなければならないシ-ンが出てきました。
二人で逃げているのですが、そのうちの一人は、恐怖でその吊り橋を渡ることが出来ません。
そこでもう一人の方が声を掛けます。

 

「敵に捕まりたいのなら、そこにいなさい。
しかし、いずれは恐怖より、生への執着が強くなるから、、、、、」

 

もしかしたら、これが義経の本音であったのかな? などと勝手に妄想してました、、、、、

 

今週末からシルバ- ウィ-クも始まります。
私の住んでいる五所川原から竜飛までも70km程で、片道2時間程で到着出来ます。
その道中には金木の斜陽館であったり、しじみで有名な十三湖もあります。
皆さんのお住まいの近場でも、実際に足を運んでみると、新たな、そして色々な発見が出来るかもしれません。
どうぞ連休の方は楽しい時間をお過ごし下さい!

2015年9月16日 02:09

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