第638回:『 「見方」を変えれば「味方」になる ~「妬み・嫉み・僻み」から~ 』
【 その他参照ワード:喜界島、源平伝説、俊寛 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
TOPICSでは、不幸に陥る3つの落とし穴として、
自己憐憫 & (共)依存 & 責任転嫁
との視点を、幾度も伝えています!
そして、この3つの落とし穴に関し、
背後で操っているのが・・・
妬(ねた)み & 嫉(そね)み & 僻(ひが)み
です!

そして、私も含め、誰もがこれらの感情を兼ね備えています(笑)
ただ、これらの感情に関し、あくまで一例に過ぎませんが、
ネガティブな行動に移せば・・・
誹謗中傷に陥るが・・・
ポジティブな実践に移せば・・・
憧れの目標になる!!!
という事です!
では、番組『 英雄たちの選択 』(NHK)から、「 シリーズ 知られざる島の歴史旅 喜界島 ~周縁から見えたニッポン~ 」の回を少し眺めます!
そして、特に今回は島の「存在と名前」をメタファー(物語や比喩・暗喩)として意識して下さい、、、

【 喜界島とは 】
鹿児島県の南に位置するのが、奄美大島です。
そして、その隣に浮かぶ、周囲50キロに満たない小さな島が、
喜界島(きかいじま)
です!
ところで、過去の日本列島には2つの王朝が存在しました。
一つが、
京都にある天皇の王朝
です。
そして、もう一つが、
琉球にある尚氏の王朝
です。
そして、喜界島は2つの王朝の境目にあるが故に、日本史の縁(ふち)と捉えられています。

そして、喜界島の歴史は古く、約8千年前に遡る、
縄文時代の早期から人が定住していた
という事実が判明しています。
そして、この頃に使われたのが縄文土器と呼ばれ、本土の各地でも出土しています。
ただ、喜界島でも同じく縄文土器は出土するものの、
本土の土器とは紋様などに違いがあり・・・
喜界島独自の文化が根付いていた・・・
と、考えられています。
ちなみに、喜界島はサンゴ礁が隆起して出来た島であるが故に、土壌にはカルシウム分がたくさん含まれています。
そして、このカルシウム分のお陰で、人骨が腐らずに残りやすく、近年は発掘により様々な発見が相次いでいます。
そして、現在も喜界島は年間平均2ミリの隆起を続けており、
世界地質遺産に認定!!!
されています!

【 本土には窺い知れない繋がり 】
喜界島には約13万平米の広さを誇る、城久(ぐすく)遺跡が存在します。
そして、この遺跡から約500棟の住居跡が見つかり、11世紀の平安時代に島内で最も栄えていた場所と判明しました。
しかも、これらの住居は、
当時の最新技術で作られた上に・・・
本土と同じ建築様式だった・・・
という事も判明しました。
更に、本土で使われていた滑石製の石鍋や、土師器の甕形土器なども出土しました。
そして、特に当時の北九州の富裕層の間で鍋物が流行していた事から、
島外から持ち込まれた技術で作られた土器(石鍋)
という事も判明しました。
つまり、
喜界島には他の地域から多くの人が到来し・・・
仕事や暮らしを営んでいた・・・
という事を意味します。

また、
本来であれば国の役所跡地などのように・・・
特別な場所でしか出土しないはずの・・・
中国産・高麗産(韓国)・朝鮮(北朝鮮)の焼き物も多数出土する・・・
という貴重な発見も相次ぎました。
ただ、奄美地方で使われていた在地(その土地に根ざす)の土器は、
不思議な事に・・・
ほとんど出土していない・・・
という実態もあります。
そして、九州北部の遺跡と似たものばかりが出土する事から、
喜界島には太宰府と関連のある・・・
役所のような場所と機能があった可能性が高い・・・
と、考えられています。

【 名付けの由来 】
太宰府(福岡県)とは、7世紀後半に設置された行政機関であり、
古代日本の西の都であると同時に・・・
東アジアとの外交と貿易を担った役所・・・
です。
そして、当時は日宋貿易(中国との交易)が一番盛んな時期であった事から、
喜界島は物資の調達や流通をコントロールする為の・・・
中枢の機関や施設が開設された土地・・・
と、考えられています。

ところで、平安時代の貴族である藤原実資(さねすけ)の日記《 小右記 》には、次の記述があります。
それは、10世紀末、奄美地方に住む海賊の如きの集団が九州を襲い、殺害や放火などを犯した挙げ句、多くの人を連れ去ったという内容です。
そして、歴史書《 日本紀略 》には、次の記述があります。
それは、
太宰府が「貴駕島」に対し・・・
略奪者を捕らえるよう命じた・・・
という内容です。
そして、この「貴駕島」の記述が、現在の喜界島と考えられています。
更に、遺跡から稲や小麦などの種子も見つかり、
他の南の島々に先駆けて・・・
農耕が行われていた・・・
という事も判明しました。
そして、農耕が行われるとは、
水も豊富だった!!!
という事です!

他にも、琉球王国周辺の島々では最古となる製鉄炉跡地も見つかり、鉄の生産と加工も行われていた事が判明しました。
このように、この頃の喜界島は自然環境も含め豊かであった事から、
「名は体を表す」の如く・・・
「貴海島」と呼ばれていた!!!
という由来がありました!