放射線被曝の実態 ~喉元過ぎれば熱さを忘れる末路とは~

【 大内さんの悲痛な叫び 】

細胞移植から1週間を過ぎる頃、放射線障害が体の表面にも現れ始めました。

更に、治療の為に貼っているガーゼのテープを剥がすと、テープの「跡」が体から消えなくなりました。

つまり、テープを剥がすと、

 

皮膚も一緒に剥がれてしまう

 

という状態でした。

故に、テープは一切使えなくなりました。

 

つまり、大内さんの体では、

 

古い皮膚細胞が剥がれ続ける一方・・・

新しい皮膚細胞は作られなくなっていた・・・

 

という事です。

そして、大内さんはガーゼ交換の度に、

 

激痛に見舞われると同時に・・・

剥がれた皮膚から入り込む感染症との戦い・・・

 

が始まりました。

 

 

しかし、次第に肺に水が溜まり始め、時折、呼吸困難に陥るケースが増えていきました。

この頃の看護記録に残されている、大内さんの言葉の中には、

 

もう嫌だ!

家に帰る!

やめてくれ!

おふくろ・・・

 

などの、悲痛な叫びが記録されています、、、

 

 

【 言葉を失う 】

呼吸困難が頻繁に起こるようになり、人工呼吸器を装着する検討が始まりました。

しかし、器官に管を挿入する事から、

 

会話が出来なくなる

 

という事を意味します。

 

看護師によると、体の怠(だる)さも顕著に出始めていて、既に会話をするだけでも辛かったであろうと推察されました。

しかし、大内さんは笑いながら、奥さんに『 愛しているよ 』などの優しい言葉を掛け、口調も穏やかでした。

医療従事者の間では、大内さんの容態は悪くなる一方である事が容易に予想される中、大内さんも更に悪化し始めている自覚がある模様でした。

 

 

被爆11日目、再び呼吸困難に陥った事で、人工呼吸器を装着せざるを得なくなりました。

これにより、大内さんは、

 

痛みや辛さなどの訴えは然り・・・

家族や医療従事者への感謝の言葉も含め・・・

伝える術を失った・・・

 

という事態になりました。

 

しかし、大内さんの奥さんと息子、そして、大内さんの両親と兄弟は、毎日面会に訪れました。

そして、快復の願いを込め、家族皆で折り鶴を作るものの、衛生面で無菌室に持ち込む事は叶わず、大内さんに届ける事は出来ませんでした。

それでも、家族は鶴を「織り続け」ました、、、

 

 

【 光明が差し始めたと思われたが 】

被爆18日目、細胞移植の結果が出ました。

すると、大内さんの血液の中で、

 

妹の細胞は息づいていた!!!

 

という喜ばしい結果が出ました!

勿論、前川さんを含め医療従事者は、一時的な快復かもしれないとの思いを抱きつつも、最初の難関が突破出来た事で、「希望」も生まれ始めました。

そして、

 

被爆治療での細胞移植が成功したのは・・・

これが史上初!!!

 

の出来事になりました!

 

 

その後、白血球は順調に増え続け、健康な時と同じ数値にまで快復しました。

そして、大内さんは言葉を発する事は出来ないものの、

 

家族の呼び掛けに・・・

体全体を動かし答えていた・・・

 

という「姿」が見られました。

 

しかし、それから1週間後、血液の細胞に微妙な変化が見つかりました。

検査をした所、大内さんの血液に根付いたはずの、妹の細胞の染色体の一部に傷が付く異常が見られました。

つまり、妹の染色体は正常そのものであるにも関わらず、大内さんの体を貫通した放射線の影響で、

 

体内の物質が変化し・・・

細胞自らが放射線を発し始め・・・

妹の染色体を傷付けている・・・

 

と考えられました、、、

 

 

【 臓器に広がる影響 】

被爆27日目、更なる放射線障害が「続発」し始めました。

そして、病状の悪化は血液と皮膚に留まらず、腸内の粘膜も死滅し始めていました。

家族の同意も得て、臨床試験中の薬も投与したものの、下痢は治まるどころか、日に日に増え続け、1日で3リットルを超えるようになりました。

 

更に3週間後、腸内では死滅した粘膜が剥がれ、出血が見られるようになり、多量の輸血処置が始まりました。

この時、前川さんにとっても「溺れる者は藁をもすがる」の如くの心境を話します、、、

 

前川さん:
『 高い線量の被爆をされた患者さんの治療で、科学的な根拠を作る事は、ほとんど不可能ですから、良いだろうと思われる治療、我々の持っている薬、全てを投入していましたので。 今から思っても消化管出血に対しては、打つ手はなかなか無かっただろうと思います。 』

 

 

【 悩み葛藤する医療従事者 】

大内さんは重症患者用の、55度の角度にまで傾け可能なベッドに移されました。

この処置は体の循環を良くし、皮膚に負担を与えない事が目的でしたが、容態は更に悪化していきました。

 

そして、皮膚が剥がれて失われた箇所から、血液や水分(体液)が染み出すようになりました。

故に、ほぼ体の全身をガーゼで覆う必要性が生じました。

そして、感染症を防ぎ、清潔に保つ為にはガーゼ交換が欠かせないものの、筆舌に尽くしがたい痛みを伴い、半日掛かりの処置でした。

 

更に、放射線障害は全身に広がり、皮膚や腸を含め、1日10リットル前後の水分が失われるようになりました。

故に、常に同じ量の水分補給も必要になりました。

 

そこで、皮膚の移植を試す事になりました。

これは、人の皮膚を試験管で培養して作った培養皮膚を活用するが故に、毎日、少しずつ行われました。

しかし、大内さんの皮膚は、ほぼ失われた状態なので、培養皮膚も定着しませんでした。

 

このように、試行錯誤で色々な治療や処置を試みるものの、成果が見えない日々が続きました。

懸命に取り組む医療従事者の間でも、《 助からない・助けられない 》と感じていました。

 

 

しかし、

 

そのような「思い」を「言葉」にしてしまうと・・・

全てのモチベーションが失わる・・・

 

と感じ、誰もが口には出さずに、出来る事に取り組みました、、、

 

看護師:
『 ここにいる人(大内さん)は、何なんだろう???って、誰なんだろう???とかじゃなくて、何なんだろう???って言うぐらい酷い状態なんですね、、、 (破壊され続ける体を維持する為だけの処置になり)自分は何の為に(処置を)やっているのだろう???ってばっかりだったんですね、、、 大内さんを守る為に(処置を)やっているんだと思わないと、耐えられないケアばかりでした、、、 』