関東大震災の流言に学ぶ五感と感情 ~デマやフェイクから身を守る方法~

【 最悪の流言が最悪の事態を生む 】

被災2日目の午後3時頃、朝鮮人の放火や襲撃の流言が、西部にいる江馬の耳にも入り始めます。

しかも、朝鮮人が延焼させる為に石油缶を仕掛けているや、爆弾を投げ歩いているなどの「尾ひれ」が付け加わりました。

更に、水や食べ物に毒を入れている、強姦や殺人までも行われているなど、どんどん「エスカレート」していきました。

 

終いには、

 

『 朝鮮人を見たら殺害して良いとの布令(命令や法令)が発出された。 』

 

などの「始末」になりました。

しかし、これらのどれもが「証拠」も全くなく、「事実」でもありませんでした。

 

 

更に江馬の耳には、朝鮮人が暴動を起こしつつ、市街地から山の手に向かっているなどの「偽の情報」が次々と入り出し、近隣住民は「武器」を手に取るようになりました。

そして、東京府下では「自警団」が1、500ほど作られ、検問も敷かれました。

 

しかも、被災3日目になると、「警察の一部」も流言を信じ込むようになり、警察を管轄する内務省警保局は、流言が事実であるかの如くの「通達」を出しました。

そこに、調査をする事もなく、新聞各社も流言に「乗っかり」始めました。

 

江馬には、朝鮮から留学している多数の友人がいたものの、「身を守る」為に家に籠もりました。

すると、江馬の耳に、人々の喊声(かんせい)や銃声が次々と届き始めます、、、

 

それらは、

 

日本人が朝鮮人を殺戮

 

している「現場」からのものでした、、、

そして、殺戮に遭ったのは朝鮮人のみならず、中国人も日本人も含まれます、、、

 

 

【 歴史も他人事ではなく自分事 】

関東大震災が起こる13年前の1910年、日本は韓国を併合し統治下に置きました。

しかし、朝鮮半島では日本の占領に反発する「独立運動」が起こりました。

特に、1919年の三・一運動では、日本は「武力」で鎮圧しました。

 

しかし、日本の新聞各社は(独立)運動を、日本人を狙った「暴動」と報じました。

更に、その後も新聞各社は「差別表現」を使い、朝鮮人を「危険因子」と見做す報道を続けました、、、

 

【 本質を見抜く 】

朝鮮人の放火や襲撃の流言を耳にした際、水島の中学1年生の息子が話しました、、、

 

水島の息子:
『 朝鮮人が火を付けるんですって、、、 そりゃそうかもしれない。 日本人は普段から朝鮮人をイジメ過ぎますよ。 僕、毎日見てるんです。 (中略) 日本人は、どうしてああ野蛮なんだろうって、ポロポロ涙をこぼした友達もあったくらいです。 』

 

そして、水島は次のように書き残しました、、、

 

水島:
『 人が火のない煙を受け入れる時、〝 火 〟は、その人自身が心底の一部に持っている流言と、たまたま共通する脅迫感や疑惑が一般の人心に潜在している事が、流言の基礎たる訳だ。 』

 

 

では、締め括りに入ります!