認知の歪みを正し、タガを外さない為には ~13日間のキューバ危機から学ぶ~

【 第6日目 】

この日は日曜日なので、ケネディは妻を伴い、「いつも通り」教会のミサに出席します。

しかし、この時のケネディは「既に最悪の事態を覚悟」し、妻と子ども達にワシントンを離れるよう話していました。

しかし、妻は一緒にいると、頑なに拒否します、、、

 

【 第7日目 】

この日の朝刊で、国家の緊急事態に関し、今夜ケネディが会見する事をアメリカ国民は「知る」事になりました。

 

 

午後7時に会見の生中継が始まり、ケネディはキューバのミサイル基地の現状を伝えつつ、海上封鎖との言葉は用いず、ソ連の貨物船を「隔離する」と発表します。

そして、隔離の開始は2日後からと、、、

 

しかし、この日、スパイのペンコフスキーがソ連当局に「逮捕」されます。

以前から、ソ連当局はペンコフスキーを不審に思い、監視していました。

 

しかし、ペンコフスキーも既に監視に「気づいて」いました。

それでもスパイを「続けて」いました。

こうして、アメリカにもたらされるはずだったソ連の情報が、「途絶える」事になります、、、

 

【 第8日目 】

ソ連首相のフルシチョフは、ワルシャワ条約機構軍に緊急動員の発令を出します。

こうして、ワルシャワ条約機構の全軍が、いつでもミサイル発射可能な「臨戦態勢」に入りました。

 

更に、キューバ国内でも、海上封鎖を「事実上の宣戦布告」と捉え、カストロもミサイル配置を押し進めるよう命じます。

キューバ国民も兵士の負傷に備え、「献血をする人」で病院は溢れ返ります。

 

一方のアメリカ国内でも、国民の間で「パニック」が拡大し、戦争に備え大規模な買い占めが起こります。

それと同時に、全米各地で核シェルターの準備が進められるものの、核シェルターで守られる国民は半数にも満たないのが「実態」でした。

 

 

この日の夜、ケネディが弟のロバートに「心情を吐露」した音声が残っています、、、

 

ケネディ:
『 地獄みたいな状況だと思わないか? だが、他に道は無かったのだ。 フルシチョフがここまでやる以上、他に選択肢は無かった。 』

 

【 第9日目 】

午前10時、海上封鎖が始まります。

アメリカ国防総省は、アメリカ史上初めて、戦争への準備態勢を示す「ディフェンスコンディション」をレベル2に引き上げます。

そして、20隻以上のソ連の貨物船を停船させます、、、

 

【 第10日目 】

ニューヨークの国際連合本部で、安全保障理事会が開かれました。

アメリカはこの場で、ソ連に「揺さぶり」を掛けます。

 

しかし、ソ連は答えを「はぐらかし」ます。

そしてアメリカは、以前にペンコフスキーからもたらされた情報を元に、キューバのミサイル基地の航空写真を「全世界」に突き付けました。

これで国際世論は、「一気にアメリカ寄り」に傾きます。

 

 

ちなみに、この日、モスクワでバレーボル女子世界選手権大会の最終日が開かれていて、「東洋の魔女」と呼ばれた日本が初優勝を飾りました、、、

 

【 第11日目 】

午後1時半、一人のアメリカ人記者の元に、ソビエト大使館の職員から電話が入ります。

その記者とは、ABCニュースの海外特派員のジョン・スカリでした。

 

スカリは米ソ双方に「豊富な人脈」を有し、ケネディとも親しい仲でした。

そして、ソビエト大使館の職員とスカリは、「直接会って話す」段取りになります、、、

 

ソビエト大使館の職員:
『 アメリカ政府に伝えて欲しい。 キューバに侵攻しない事を約束するなら、ソ連はキューバからミサイルを撤去する意思があると。 』

 

 

その情報は、すぐにケネディに届けられます。

それと同時に、ケネディの元には、フルシチョフからの「書簡」が届いていました。

その内容は、スカリの情報と「合致」するものでした。

フルシチョフは手を引きたがっていると、ケネディは「確信」します、、、