認知の歪みを正し、タガを外さない為には ~13日間のキューバ危機から学ぶ~

【 第1日目:1962.10.16(火) 】

この時のアメリカ大統領は、ジョン・F・ケネディです!

 

キューバの警戒を強め、偵察機を飛ばしていた所、ケネディに「情報」が届きます。

それは、偵察機から撮影した写真に、核弾頭が搭載可能なミサイルの発射基地が映っているとの内容でした。

これにより、キューバ国内で、ソ連が密かにミサイル基地建設を進めていた事が「判明」します、、、

 

ケネディは最高幹部を招集し、「ExComm エクスコム(国家安全保障会議 執行委員会)」と呼ばれる会議を開きます。

そして、ソ連の「目論見」を見破る事が出来たのは、実は、アメリカと内通していた一人の「スパイ」がいたからです。

 

 

そのスパイが、ソ連軍参謀本部情報総局の大佐の、オレグ・ペンコフスキーでした。

キューバ危機の約1年前から、ソ連の軍事に関する最高機密をアメリカに流していました。

なぜなら、当時のソ連はスターリン率いる共産党一党独裁の「恐怖政治」が敷かれ、ペンコフスキーは父を殺され、ソ連に「失望」していたからです。

 

そして、会議では多くの閣僚から「先制攻撃論」が噴出します。

ケネディの弟で、司法長官だったロバート・ケネディも先制攻撃論を支持します。

そして、会議後のケネディは、危機を国民に「悟られない」為に、予定通りに公務をこなします、、、

 

【 第2日目 】

ケネディは、キューバに面しているフロリダの基地の軍備増強を命じ、先制攻撃の「準備」を進めます、、、

 

【 第3日目 】

ホワイトハウスでは先制攻撃を仕掛けた際に、起こり得る事態が話し合われます。

 

当時、西ドイツはアメリカ陣営で、東ドイツはソビエト陣営に「分断」されていました。

そこでケネディは、ドイツを舞台にして、ソ連が反撃に出ると考えます。

 

 

それと同時に、アメリカを含む「NATO(北大西洋条約機構)」と、ソ連を含む「ワルシャワ条約機構」との、大規模な対決に繋がる怖れもあり、アメリカはNATO加盟国に配備していたミサイル発射の態勢を整えます。

これが、核による第三次世界大戦の「引き金」となる可能性を高めます、、、

 

【 第4日目 】

先制攻撃の準備を命じたものの、ケネディには「躊躇(ためら)い」がありました。

しかし、「軍部首脳」は変わらず先制攻撃論を主張し、仮に西ドイツが攻撃されたら、「反撃あるのみ!!!」とケネディに強く迫ります。

 

この時、軍部首脳は1938年の「ミュンヘン会談の失敗」を、ケネディの「説得材料」に使います。

この失敗とは、イギリスとフランスがナチスドイツの領土拡大を認め、ヒトラーに譲歩した会談です。

少しでもヒトラーの野望を抑えるのが狙いであったにも関わらず、結果として第二次世界大戦の「火種」となりました。

 

この時、「駐英アメリカ大使」を務めていたのが、ケネディの父のジョセフ・P・ケネディでした。

つまり、軍部首脳は「ケネディ家の汚点」を突いて、先制攻撃を認めさせようとします、、、

 

 

【 第5日目 】

ケネディは遊説でシカゴを訪れていました。

しかし、風邪の為に、急遽ホワイトハウスに戻ると発表します。

 

実は、この日の朝、キューバのミサイル基地が「更に拡大した」との情報が入ります。

つまり、ケネディは仮病を使い、遊説を取り止めました。

 

しかし、大事な中間選挙が目前だった事から、メデイアはケネディの「行動」に不審を抱きます。

そして、ホワイトハウスはメディアに対し、風邪が理由を「押し通し」ます。

 

ケネディがシカゴから戻ると、国防長官のロバート・マクナマラから、「一つの提案」が出されます。

その提案が「海上封鎖」でした!!!

 

 

キューバ周辺の海上に封鎖ラインを設け、ソ連の貨物船に検査を実施するというものです。

しかし、海上封鎖は「国際法上は戦争行為」と見做される可能性を含むものでした。

つまり、ソ連との衝突を避けつつも、アメリカの「主張を強く訴える」為に、アメリカにとっても「苦肉の策」となります、、、