この世だけの問題に留まらない旧 優生保護法の罪 ~常にベールは開かれている~

【 声が上がっていたにも関わらず 】

この頃、一人の手術に携わった後に、法律へ批判の声を上げたのが精神科医の岡田靖雄さんです。

 

岡田さん:
『 法律の最初に書いてあるように、不良な子孫を減らし、優良なものを増やし、“選別”っていう点が一番問題な訳ですよね。 ひどい性格異常、てんかんも(遺伝性の)精神病に入っていたんですよね。 法律が精神病は治らないものだと言っていると。 これはまずいという事を僕は指摘したつもりです。 』

 

しかし、医学界は何の反応も示さず、動こうとすらしませんでした、、、

また、当時のカルテを調べている東京都立松沢病院の名誉院長の齋藤正彦さんは、当時は手術は単なる日常の医療措置の一つであったと推測しつつ、

 

齋藤さん:
『 やって患者さんが良くなる訳じゃないし、精神症状が良くなる訳じゃなし。 あまり(手術をする)動機づけが無いですよね。

  だけど、一旦、法律が出来てしまえば、制度が出来てしまえば、自動的に動き出す訳だ。
  
  そうなっちゃうと、これが良い制度であるか悪い制度であるかとか、患者さんの人権に対して、抑圧的なものではないかとかいう反省は働かなくなる。 もう自動的に動き出す。

  一旦、出来てしまった制度が、なかなか踏みとどまれない。 一旦、動き出してしまったものが、とどまれないという事が起こった。 』

 

 

【 見直す機会を見逃す 】

1970年代に入ると、法律を見直す声が高まりました。

しかし、その声は手術に関してではなく、人工妊娠中絶を巡るものでした。

 

この頃は経済成長で人手不足となり、1972年(昭和47年)に国は中絶の要件を変更しようと目論みます。

改正案では「経済的理由」による中絶を禁止し、一方で胎児に障がいが分かった場合に中絶を「新たに認める」ものでした。

しかし、これに障がい者団体と女性団体が強く抗議し、最終的に1974年(昭和49年)に改正案は廃案となりました。

しかし、この時も手術が議論の俎上に上る事はありませんでした。

 

そして、番組では70年~90年代に旧 優生保護法を担当していた(当時の)厚生省の職員にアンケートをした所、多くの職員が法律の問題を「既に認識していた」事実が分かりました。

そして、1996年(平成8年)に法律は廃止されるものの、この理由も「国際的な批判を受けたから」でした、、、

 

【 声を上げ始める 】

2018年(平成30年)に仙台地方裁判所に対し、国に謝罪と補償を求める訴えが初めて起こされます。

しかし、国は「当時は合法」なので、謝罪も補償も必要無いの一点張りを通します。

そして、少しずつ被害者が声を上げ始め、各地の地裁や高裁では国による賠償を命じる判決が相次ぎます。

しかし、「この期に及んでも」国は判決を不服として上訴し、裁判は長期化してしまいます、、、

 

 

そして、先日の2024年7月3日、最高裁で旧 優生保護法は「憲法違反」との、初の判断が下されました!!!

そして、

 

《 法律は国による不当な障がい者差別で、立法時点で一貫して憲法違反だった 》

 

と、「国の罪」を指摘しました。

法の下で不妊手術を強いられた人は、少なくとも25、000人に上ります。

そして、被害を公表し国を訴えたのは、その内の39人です。

 

多くの人が公言したくとも「未だに差別」に晒され、声を上げる事が出来ない状況です。

そして、手術の話に触れられたくない人も数多くいます。

そして、訴えた39人の中にも、最高裁の判決を見届ける事なく6名が他界したなど、

 

声を上げられずに他界した人も数多くいる

 

のが事実です、、、

しかし、「先人達」に勇気づけられた被害者は、「新たな声」を上げ始めているのも事実です、、、

 

 

そして、番組から3名の意見を紹介します。