人生の舵取りに役立つ人脈と人財 ~大黒屋光太夫に学ぶ羅針盤と地図~

一方、フランス人探検家のジャン・レセップスはカムチャツカで光太夫と出逢い、光太夫の人柄について『 旅行日録 』に書き残していました。

著作より:
『 彼が入り込んだ所での自由な振る舞いは、司令官の邸宅でも他の場所でも同様だった。

  それは我々の間では無礼とされ、少なくとも無作法とされるものだった。

  彼は思っている事を隠さず、誰もがそれ以上には出来ないほど率直に説明した。

  仲間の部下達は光太夫に尊敬と愛情を抱き、彼も部下達に不満がないか最大限の注意を払った。 』

 

ところで、TOPICSでは、

 

コミュニケーションでトラブルになりがちなのは・・・

意見や見解の相違である事は少なく・・・

お互いに敢えて避けている「隙間(話題)」に生じやすい・・・

 

と、幾度も伝えています。

 

 

そして、「郷に入れば郷に従う」も大切な姿勢ですが、時にはこれを逆手に取ると、

 

自分の「懐(思い)」を正直に素直に見せる

 

という事も当てはまります。

「懐が寒い(寂しい)」や「懐刀」という言葉もありますが、ここでは「お金」と「人財」を意味しています(笑)

 

そして、最も大切な姿勢が、

 

頼る事も「自律・自立」である!

 

という事です。

なぜなら、

 

出来ない事を自覚出来るのは「自分を知っている」から

 

です!!!

 

「セルフネグレクト」でも一番の原因は「支援を頑なに拒否する」事から始まります。

そして、自分を開けっぴろげにするとは、時に「図太い」や「図々しい」と捉えられがちです(笑)

しかし、

 

この「図」とは「地図」とも言え・・・

地図と(冒頭の)羅針盤は「セット」であり・・・

羅針盤は「人」でもある!

 

のは、ラクスマンが「体現」しています(笑)

 

 

【 時には嘘も方便の活用も 】

光太夫は再びイルクーツクの総督府に嘆願書を提出します。

これに対し総督府は「日本語教師になれば将来の昇進を約束する、商人になるなら資金を与え税金を免除する」との懐柔案を出して来ます。

しかし、光太夫は丁重に断りました。

 

すると、総督府は光太夫達への資金援助を停止し追い詰めようとしますが、既に光太夫は地元の名士や豪商から支援を受けていたので、困る事はありませんでした(笑)

そして、総督府との交渉に「見切りを付けた」ラクスマンは新たな提案をします。

それは、首都に赴き、皇帝に「直訴」するとの内容でした!

 

1791年(寛政3年)、光太夫は首都サンクトペテルブルクに到着します。

直訴には様々な課題が山積みである中、ラクスマンが高熱を発症し1ヶ月経っても快復せず、「待ち」の状況が続きました。

 

ようやく2ヶ月が過ぎた頃、ラクスマンも快復し政府高官達を説得する策略を見出し、ロシア政府の商務大臣に働き掛けます。

それは、ロシアが光太夫を日本に送還する事で、日本と通商交渉するキッカケになるという「入れ智慧」でした。

更に、ロシアが光太夫を見放すと、オランダやイギリスの外交官が光太夫を利用すると大臣の「耳に入れ」ました!

 

 

ところで、もう皆まで言うなですが「嘘も方便」の活用の際も、最も問われるのは真の動機です(笑)

しかし、

 

嘘を見抜けないと嘘も方便の活用は出来ない!

 

のも事実であり真実です。

「逆もまた真なり」という視点は、過度な二者択一に陥るのを防いでくれると同時に、

 

視点を「深掘りする」のに役立つ!

 

ものです(笑)