人生の舵取りに役立つ人脈と人財 ~大黒屋光太夫に学ぶ羅針盤と地図~

と言うのも、ロシアは1613年にロマノフ朝が成立以降、ロシア帝国として急激に領土を拡大していました。

そして、ロシア人はこの地でラッコの毛皮を収奪していたからです。

 

光太夫が挨拶を試みるものの、やはり言葉は通じません。

そこで、ロシア人には最初に握り飯をあげた所、美味しいと大喜びしました(笑)

こうして、光太夫達はロシア人に無事に保護される事になりました!

 

ところで、コミュニケーションでは意見が真っ向からぶつかり合う事も多々あります!

しかも、どちらの意見も「正しい」場合もザラにあります(笑)

 

 

先ほどの、神様への究極の責任転嫁が出来れば良いですが、これは「伝家の宝刀!?」のように、そうそう活用出来るものではありません(笑)

そこで、このような場合には、

 

ひとまず「押して駄目なら引いてみろ」「損して得取れ」などを・・・

「最初に」あなたが試してみる!

 

という事で、功を奏すケースがあります!

勿論、これは相手の言い分を「丸飲みする」という意味ではありません(笑)

場を「落ち着かせ」、相手が「理性」を発動し始める機会を設けてあげるという事です!

 

【 落胆に次ぐ落胆に一つの光明が救う 】

上陸した翌朝、神昌丸は強風で岩礁に叩き付けられ沈没してしまいました。

これで、帰国の途(希望)が断たれてしまいます。

更に、上陸から18日後に三五郎が病死し、光太夫は右腕を失ってしまいました、、、

 

 

落胆している中、ロシア人が紙に「○」を24個と「半月」を書き、更に手の「ジェスチャー」も交え何か伝えようとします。

光太夫はそれが救助船を指している事に気づきますが、24個の○は「24ヶ月後に来る」という意味でした。

こうして、光太夫達は極北の極寒の地で生活せざるを得なくなり、1年で6人が他界し、生き残りは9人となります。

 

ある日の事、仲間の若い磯吉がロシア人と一緒にいました。

ロシア人は磯吉の「腹巻き」を指差し「エトチョワ」という言葉を連発します!

磯吉は閃き、ロシア人を真似て「鍋」を指差し「エトチョワ」と聞き返します。

すると、ロシア人から「コチョウ(鍋)」という言葉が返って来ました。

つまり、磯吉はエトチョワは「何ぞ?(それは何ですか?)」という意味であると理解出来ました(笑)

 

磯吉の閃きと発見により、光太夫達はエトチョワの「1語」からロシア語をドンドン習得していきます!

そして、会話も出来るようになり、意思疎通も「更に深まって」いきました。

そして、ロシア人と一緒に漁に出るようになっていきます!

 

ところで、コミュニケーションは「作為」だけではなく、

 

時には、そっとしておくなどの「不作為」もある

 

のが事実です。

 

 

そして、

 

不作為というコミュニケーションですら、相手を想った上での事

 

というのが前提となります。

つまり、

 

コミュニケーションでも、最も問われているのは真の動機!!!

 

になります!