時には「行動」があなたを導き救う ~弁解や言い訳&完璧主義を防ぐ~ 

あなたはお友達との待ち合わせ場所に向かっていますが、どうも時間ギリギリの状況にいるとします。
その場所に向かっている時に、あなたは、ある年配の人から道を聞かれました
その道は詳しくは知らないし、時間もギリギリなので、あなたは分からなくて申し訳ないと伝え、待ち合わせ場所に急ぎました

そして、あなたは待ち合わせ場所に何とか間に合って到着しました。
すると、お友達から30分遅れるとの連絡が入りました。
フッと余裕が出来たあなたは、先ほどの出来事を振り返ります。

 

『 人助けになるんだから、その事情を話せば若干遅れたとしてもお友達は理解してくれただろうし、少し調べて教えてあげれば良かったかも・・・? 』と。

 

では、このケースで皆さんはどのように考えますでしょうか?
実は、このお話には抜け落ちている出来事が一つあります。
それは、あなたはその年配の人に、

 

『 この先にコンビニがあるので、そこで教えて貰ってみたらどうですか? 』

 

との言葉を掛けていたという事実です。
このお話の結末としては、その年配の人は、あなたに教えて貰った通りにコンビニに行き、そして、無事に目的地に到着しました。
そこで、「弁解と言い訳」と「導き救う」との違いに気づきましたでしょうか?(笑)

このお話に「弁解と言い訳」の視点を当てはめてみると、あなたは、

 

『 急いでいるし・・・
  その道もよくは知らないし・・・
  コンビニを教えたとしても、そこで知っている人がいるかどうかも分からないし・・・ 』

 

だから、分からなくて申し訳ないとだけ伝えておこう、という風になります。
つまり、コンビニで教えて貰えるかは分からないから・・・その情報すら伝えないでおこう・・・との、

 

自分の「行動」に制限をかけた

 

という結果になります。
この事により、やはり役立つかどうかは別にして、コンビニの場所は伝えておけば良かったかな?・・・あるいは・・・コンビニの場所を伝えたとしても、知っているかは分からないし逆に遠回りさせていたかも?・・・などの「堂々巡り」に陥ってしまうかもしれません。

そして、「行動」が導き救うとは、あなたがコンビニの場所を伝えるという「行動」(このケースでは言葉掛け)をしたという事は、

 

それが、無意識の上であれ、意識した上であれ・・・

その時に(咄嗟に)取った「行動」に・・・

全て現れている・・・

 

という事になり、後にその「行動」を振り返った時に、このケースでは言葉掛けをしていたという「行動」に、

 

あなた自身が気づけるかどうか!

 

という一点に集約されていきます。
そして、この一点に集約されていくという意味は、

 

その時には気づいていなかった自分自身の「行動」の内容に改めて気づく

 

という、

 

新たな視点に気づき

その「行動」に新たな意味を付加する

 

という点が「弁解や言い訳」と一線を異にする「導きと救い」に繋がっていきます。
では、ここまでは如何でしょうか?
おそらく、あまり理解し辛い、あるいは、イメージが湧かないという感じる方が多いかと思われます(笑)
大丈夫です!
実は、このモヤモヤ感?を感じて貰う事も、ここまでの狙いの一つです(笑)