人生はあなたを「通して」現れる ~人生が途切れた経験はあるか!?~

あなたの人生は一瞬でも途切れた事はなく・・・

それは、今までも・・・これからも・・・

変わる事なく続いていくから・・・

 

です(笑)
では、このように、人生における様々な出来事が、あなたを「通して」現れている、あるいは、あなた自身が「創り上げている」という点が、多少なりとも理解出来たと仮定した際に、

 

でも・・・やはり人生における出来事には・・・分からない事も多々ある

 

という「思い」を持たれるのも自然な事でもあります(笑)
つまり、

 

人生には様々な「質問(や疑問)」も存在している

あるいは、

人生において様々に起こる出来事に、どのような「理由や意味」があるのか分からない

 

というのと、似たような感覚かもしれません。
そこで、このような点に関しては、次のような見方も存在しています。

 

「答え」があるから「質問」が存在する

つまり、これを別な表現で例えると、

「質問」には必ず「答え」が存在する

また、

「答え」のない「質問」は、そもそも存在し得ない

 

とも。
ところで、私は最近、アメリカのTVドラマの「SUPERNATURAL(スーパーナチュラル)」というのを借りてきて観ています。
これは、二人の兄弟と悪魔との対決を描いた物語ですが、ある放映回は次のような内容でした。

 

『 二人の兄弟と他3人の方が悪魔の集団に取り囲まれて警察署内から脱出出来ない状態に追い込まれてしまいました。

  そして、この窮地を脱するには、他3人のうちのAさんを殺せば(犠牲として差し出せば)、警察署を取り囲んでいる悪魔の集団は消失する、という提案をされます。

  しかし、Aさんを犠牲として差し出すという事は出来ず、もう一つの選択肢として、取り囲んでいる悪魔と対決する方法を選びました。

  そして、結果的にほとんどの悪魔を消失(浄化)させ、その警察署から脱出する事が出来たのですが、兄弟が警察署から帰った後に、警察署に残っていたAさんを含めた他の3人は、生き残った悪魔に殺されてしまいました・・・ 』

 

Aさんを犠牲として差し出せば、残りの悪魔が消失すると共に、他の2人は生き残れたのかもしれません。
しかし、対決する事を選択した事により、Aさんも、そして、他の2人も殺されてしまいました。
結果のみで考えると、どちらを選択しても、Aさんは犠牲に成らざるを得なかった・・・という内容です。
これはあくまでドラマでもあり、極端なケースですが、ここで一つの視点として考えられるのは、

 

本当に二者択一という「質問」なのか?

 

という点です。
「質問」には「答え」が必ず用意されている、という観点からすると、このドラマの内容においては、多くの方がどちらを選択しても望ましい「結果」にはならないと思われる事と感じます。
そして、

 

望まない「答え」というのも・・・「質問」に対する本当に用意された「答え」なのか・・・?

 

との「新たな質問」も出て来る事でしょう。
ドラマの内容はともかくとしまして、やはりここで思い出して頂きたい視点というのは、

 

第3、第4、第5・・・という選択肢を探し出す(事も出来る)

という姿勢と共に、この、別の選択肢を探し出す際に役立ってくれるのが、

イマジネーション(想像力)

 

になります。
また、それのみならず、仮にある選択をした際の「答え(結果)」は「一つ」であったとしても、同様にイマジネーションを活用する事により、

 

「答え(結果)」へ向かう方法や道のりは「無数(複数)」に見つけ出す事も出来、かつ、自分の望む方法や道のりを選択する事が出来る

 

という所にも繋がっていきます。
では、ここで今回のテーマに戻ります。