改めて魂(の年齢)という視点 ~想像力で手詰まり感を打破する~

自分で自分の内面を見つめることを疎(おろそ)かにしている

 

ということです。
そして、このようなことが何故大切かというと、どれほど周囲の人から叱られようと、

 

自分の言動や行動を律することが出来るのは自分自身でしかない

 

という大原則があるからです。
この大原則とは「自由意思」「自己責任」のように、形を変えて表現されることもあります。
このような幼すぎる魂(の年齢)のケースでは、教え諭すということも勿論必要ではありますが、時には転んでいるのを辛抱強く見守るということが必要なケ-スも出てきます。
勿論、転んでいるという状況が他の人を傷付けたりするような場合には、未然にそのような言動や行動を抑えることも必要になるケースもあることと思います。

 

そして、今回のケースのような社会的にも良くも悪くも影響力を持っている幼い魂の場合に、私達自身として気づいておかねばならないポイントがあります。
それは、

 

自分の中の幼い点が共鳴するのを防ぐ

 

ということです。
これを分かりやすく言うと、どのような暴言や言動を取ってもこれ位のことで許されるならば、

 

自分もその位のことを行ってもそれほど批判されないだろう(許されるだろう)

 

と、自分の感性がドンドン鈍っていく怖れがあるという所です。
この感性がドンドン鈍っていくということが、

 

さらにエスカレートした言動や行動に繋がってしまう

 

という状況を創り出してしまいます。
このようなことは、先ほどのパワハラセクハラなどに当てはめて想像してみると容易に理解出来ることと思います。
人間関係などでは様々なトラブルが起こりがちではありますが、そのような際は、

 

相手の(肉体上の)年齢ではなく、魂(の年齢)を捉える

 

という視点を持ってみて下さい。
そして、相手の(肉体上の)年齢に関わらず、毅然とした態度を取ることが大切になってきます。
なお、毅然とした態度とは、相手を威圧することや萎縮させることではありません。
あなた自身の魂(の年齢)に沿った言動や行動を取るという意味合いです。

 

そして、魂(の年齢)から導かれるもう一つの視点には、やはり「前世」の意味ということが挙げられます。
一般的な前世における説明とは、

 

私達は何度も何度も生まれ変わり、幾多もの経験を経て学んでいく

 

という視点です。
そして、何度も何度も生まれ変わるというのは、

 

様々な時代における様々な地域や国、文化や習慣、宗教観などの大半を既に経験している

 

という意味合いです。
勿論、より深く学ぶために同じ地域や国などを幾度も経験する魂もあることと思います。
一方では、二度と生まれ変わりたくない経験をした時代や習慣などの思いを持っている魂も存在していることもあるかと思われます。
そして、このように様々な経験をしてきている魂という存在にとっては、

 

解決出来ない状況などは本来存在しない

 

ということを知っているとも言われています。
そして、幾度か前の人生においてあなたが経験して学んできたことを、

 

「今」初めて経験し学んでいる魂も存在する

 

という視点を持つことが、様々な解決には必要になってくるかと思います。
と言うのも、仮にあなたが幾度か前の人生において経験したことを、二度と繰り返してはならない、と思っている場合など、

 

「今」経験している魂に対して、より良い変化への智恵を授けてあげることが出来る

という点と、

あなたが二度と繰り返してはいけないと思っている状況の経験などを、破壊や奪い取ってしまうような言動や行動では解決にならないと知っている

 

という視点を既に持っているということです。
なぜなら、そのような破壊や奪い取るということは、