人間関係における距離感と恋愛 ~人間関係にタブー!?な数字を敢えて当てはめてみる~

あなたが「見返り」を求めている(かもしれない)割合

 

とも言えるかもしれません。
勿論、「見返り」などを求めず、自分に出来ることは全て行うという方もいらっしゃることでしょう。

 

このように、職場の人、あるいは、お知り合いやお友達などの場合には、「0%」ということもなければ、「100%」ということもほとんどないでしょう。
言わば「0%から100%」の間のどこかの基準をあなた自身が設定していることになります。

 

では、親子や家族の場合はどうでしょうか?
親子や家族というケースには、養親と養子、あるいは、何らかの事情で施設などで暮らしている方も、その施設内での役割ということで当てはまります。

親子や家族の場合は、

 

0%から100%までの全てを含んでいる

 

という傾向が強いと思います。
親子や家族というのは、社会における人間関係の基礎・土台になっていきます。
故に、何があっても裏切れらることはないという信頼感や、逆に、身近であるが故に意固地になってしまいがちなケースもあります。

 

小さい子どもは100%親や家族に依存しなければ生きていけません
裏を返せば、親や家族は小さい子どものうちは、手をかけてあげる必要性が生じます。
そのように、親子や家族の場合は、

 

子どもは100%の依存から、0%の依存へ向けて自立・自律を目指す

 

また、親や家族の側は、

 

子どもが100%の自立・自律が出来るよう、手をかけることから寄り添いへ向かっていく

 

とも言えます。
言わば、親や家族の側の自立・自律も同時並行で進んで行くということでしょう。

 

子どもは受動から能動、そして、親や家族は能動から受動

 

ということかもしれません。
そして、一つ大切な点は、

 

「依存」と「支え合い」は違う

 

ということです。
簡単な表現では、「依存は、自分で出来ることまでして貰う」、そして、「支え合いは、自分では出来ないことをして貰う」という違いがあります。
そして、「支え合い」の中には「見返り」というものは本来存在していません。
なお、職場で働いて給料を頂く、サービスや商品を提供してお金を頂くというのは「見返り」ではありません。
これは、労働の対価、言わば「対価の交換」という行為になります。

 

そして、最後に「恋愛」です。
先に述べた私が見ているトレンディードラマにおいても、これでもか!という位、すれ違い、誤解、優柔不断さなどが登場してきます。
このような状況をハラハラして見る方もいれば、イライラして見る方もいらっしゃることでしょう。

あくまで極端な個人的見解ですが、「恋愛」は、

 

「0%」か「100%」のどちらかでしか成立し得ない

 

と考えます。
なぜなら、「恋愛」における「好き」という感情

 

理屈ではない

 

からです。
あなたが好意を寄せている人のことを思い浮かべてみて下さい。
おそらく、あなたはその方の素敵な点を幾つか、あるいは、幾つも思い浮かべることが出来ることと思います。

 

では、それらの素敵な点が一定程度を上回ったから好意を寄せるようになったのでしょうか?

あるいは、

もともと好意的な気持ちがあったから、素敵な点をより見つめるようになったのでしょうか?