見る・聞く出来事には意味があるのか? ~溢れ出す何かを受け入れる力~

「受け入れる力(受容力・包容力)」

 

ということが考えられます。

 

「川」であれば、川幅を拡大する、堤防を強固なものに改善するといった現実的な対応も必要かと思います。
昔であれば頻繁に氾濫していた「川」も、現在の科学や技術の力で整備されている例もあるかと思います。
そこには昔からの智慧や工夫も活用されています。
そして、先人達が一生懸命開発してきた科学や技術の力も併せて活用出来ます。

 

「難民」に対しては一時的であるにせよ、「思いやり」で受け入れることも可能です。
自分が「難民」の立場であればという想像力も活用出来ますし、何より命からがら逃げてきた段階では、まず「心の余裕」を取り戻すことも必要かと思います。
切羽詰まった状況で次の段階を考えることには無理も生じかねません。

 

「火山」については観光地化されている所もあり、先が見えない中での避難は生活面などでの苦労も計り知れません。
しかし、現状では噴火を予知出来ないことも現実です。
一旦噴火してしまえば、どのようなことになるかは御嶽山での災害も大きな教訓になっていることと思います。
少なくとも「マグマ」の噴出に限れば、火口から一定の距離を保てば被害に遭う確率は低くなります。
国内や国外の観光客から多くの利益を得ている国・県・市町村などは、火山周辺でおもてなしをしてきた旅館やお土産店など、そして地域住民の生活面でも、税金や補助金を活用し、動向を把握しながら先のことを考える余裕は作れることと思います。

 

ここまで色々見てきましたが、あくまで私の個人的な見解です。
これが正解でもありません。
また、多くの考え方・見方、そして改善策も多数あるかと思います。

 

そこで、前回のTOPICS「お金と人工知能」でも触れたように、この3つのケースでは「お金」という道具も大いに有効に活用されることと思います。
ここでは支援金や義援金、人道支援など呼び方は様々でしょうが、まさに「税金」という道具の本来の活用のされ方が発揮されるケースであると思います。

 

「受け入れる力(受容力・包容力)」という意味では、差し入れをする、何か言葉を掛けてあげるなど、それぞれの出来る範囲で実行出来ることも多々あります。
政治的・経済的・社会的・人道的側面などからも無数に考えられることでしょう。
そして、「見る・聞く出来事には意味があるのか?」というテーマは、「対岸の火事」ではなく、「自分のこと」であればどのように考えるか?ということでもあります。

 

全ての出来事を逐一考えるのは難しい面も勿論あります。
全てに焦点を合わせる必要もありません。
そのような中で、自分の中に感じる出来事があれば、それを考えてみて下さい。
大きな出来事でも、日常の些細な出来事でも、もしかしたら、その出来事の中に共通点が見い出せるかもしれません。
そして、それが活路・意味となって、それから先の道を切り開く道具になってくれるかもしれません。

 

なお、災害をいたずらに怖れる必要もありませんが、不安や心配を感じるような時には、隣近所や行政でも構いませんので、頼れる範囲で、そして出来る範囲で早めの行動を起こすことも大きな助けになると思います。
避難が空振りに終われば「幸い」とし、周りの方々も「大げさな」などと思わず、包容力で安心感を提供出来れば素敵なことかもしれません。

 

ちなみに、今回と関連したテーマと致しましては2015年4月1日の第39回目のTOPICS『 信じることは見ること VS 見る事は信じること 』などもございます。

 

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