竜飛岬(龍飛崎)と義経伝説 ~時代の変遷と共に変わる光の道~

第63回:『 竜飛岬(龍飛崎)と義経伝説 ~時代の変遷と共に変わる光の道~ 』

【 その他参照ワード:北行伝説、三厩、青函トンネル、青函連絡船、シンクロニシティ、津軽藩 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

先日ドライブがてら竜飛岬に行ってきました。

竜飛には小さい頃に行ったことはあると思うのですが、ほとんど記憶になかったので行ってみたいと思っていた場所でした。

 

岬の5km程手前にある「眺瞰台(ちょうかんだい)」からの眺望は絶景でした!!!

太陽に照らされ、はるか日本海の海原が眼前に広がり、前方には北海道の大地、右手には下北半島、そして斜め後方には岩木山が望める素晴らしい眺望です!

また、今さら子ども地味ていますが、海原の水平線を見て改めて地球は丸いんだ~!と久しぶりに実感も出来ました(笑)

 

向かう道中では猿と蛇も出迎えてくれて!?自然も肌で感じることが出来ました(笑)

ちなみに猿には餌を与えないよう注意看板が出ていますので、ルールは守りましょう!

 

 

ところで、竜飛岬の辺りでは源 義経「北行伝説」という話が語り継がれています。

 

【 北行伝説とは 】

時は鎌倉時代、兄である源 頼朝から命を狙われ、その難を逃れるために義経は竜飛の辺りに辿り着きます。

そして前方に見える蝦夷(北海道)の地へ向かおうとした所、津軽海峡が大変に荒れていたため、義経は自ら携えていた観音像に三日三晩祈り続けます、、、

 

すると、白髪の翁が現れ3頭の竜馬(羽根がある馬)を義経に授けました!!!

津軽海峡の波も穏やかになり、無事、義経は蝦夷への上陸を遂げたという話です、、、

 

【 三厩(という地名)の由来 】

現在の常識からすると、とてもあり得ない話のようにも思えます。

しかし、このような話が現に語り継がれてきたということに思いを馳せると、語り継いできた人々の純真さやロマンを感じてしまう一面もあります。

また、話の内容を裏付ける何らかの信憑性を当時の人々は感じていたのかもしれません。

 

ちなみに、この伝説の概要は津軽藩の記録として1680年代(江戸時代)の文献に実際に残っているそうです。

また、3頭の馬」を発見したのが「馬廐」であったことから、今の「三厩」という地名の由来になっていると言われます。

 

 

【 義経の思いは如何に 】

この伝説が仮に事実とすると、眼前の海を渡るという困難や恐怖に直面しながらも、義経は臆することなく、生き抜くために津軽海峡を渡って行ったのでしょう、、、、、

そして義経が渡った海峡を、仮に生き抜くための「光の道」とでも称すると、現在は「光の道」として青函トンネルが通じています。

かつては青函連絡船も通じていました。

そして、来年には新幹線が「光の道」を通ることになります。

 

このような伝説を頭に浮かべながら竜飛岬からの絶景を見ていて、もし、今、義経が生きていたら、この「光の道」たる青函トンネルを見て、どのように思っているのかなぁ~???

当時にトンネルがあったら楽だったろうなぁ~!!!とか思うのかなぁ~!?

そして義経と話してみたいなぁ~!!!と想像しながら帰路に着きました(笑)

 

そして、その晩ある映画を観ていました、、、