厄払い ~アファメーション(自己宣誓)を活用して責任転嫁を回避する~

第24回:『 厄払い ~アファメーション(自己宣誓)を活用して責任転嫁を回避する~ 』
【 参照キーワード:厄払い、厄年、暗示、シンクロニシティ、責任転嫁 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング)の瀬川です。

いきなり全くの私事ですが、私は本年「本厄」に当たっており、一足先に「後厄」のお祓いを、本日、岩木山神社で行って貰いました。
そして、これも全くの個人的見解ですが、「厄払い」は、気になるようでしたら行って貰うのも良いでしょうし、気にならなければ行わなくても良いと思います。

 

ただ、「厄払い」を行う一つの意味として、

 

「何かのせい、誰かのせいにしない」

 

という心構えが出来るかと考えます。
皆さんも、

 

「今年色々続いたのは厄年のせいかな」「厄年だったから良い事がなかった」

 

などの言葉を周りの人々から聞いたりしたことはないでしょうか?
私は「良くない事(あるいは、自分にとって都合の悪い事)が起こる」のは「厄年のせい」とは思いません。

 

また同様の意味で、「厄年」の時に、事業を開始したり、引っ越しは避けた方が良い、との言葉も聞かれます。
確かに、長年の智恵や経験から、そのような事もあるのかもしれません。
しかし、私は「本厄」の年にS.Light.Mを開設しました。
私にも現実の生活というものがあります。
それを「厄年」を言い訳に先に遅らすことは私自身にとっては無意味に思えたからです。

 

私自身が考えるポイントは、「厄年」を言い訳にしない事と考えます。
本当に心からやりたい事、あるいは取り組みたい事などがある場合、勿論、取りかかる前に色々熟考もするでしょうが、先延ばしに出来るでしょうか?
「本厄」は終わったけれども「後厄」だからという言い訳で先延ばしに出来るでしょうか?
「前厄」も含めたら「3年」もの時間を費やす事になってしまいます

 

そして、「厄年だから悪い事が起こらなければいいな」「厄年だし悪い事が起こるかもしれないな」

 

などと、「怖れ」を抱えてその年を生きるのであれば、「お祓い」をして貰って、スッキリして生きるのも一つの考えだと思います。
「厄年」を気にするも、気にしないも自由ですし、「お祓い」を行うのも、行わないのも全くの自由です。

 

「何かのせい、誰かのせいにしない」という「責任主体」の生き方を心がけたいと、改めて思った次第です。

 

なお、余録になりますが、神社は、本来「お願い事」をしに行く場所ではありません
神社は、

 

「誓い」や「決断」を伝えに行く場所です

 

例えばお金が欲しいならば、「宝くじが当たりますように」とか、「大金持ちになれますように」という「願い事」をする代わりに、「私は自分の仕事を心を込めて精一杯行う事を決断しました」などのような「誓い」や「決断」をお伝えするのが本来の趣旨になります。
その道中で「最善の方向に行けるよう、必要な時に導きやメッセージ」をお願いするのは構わないと思います。

 

実は、このような「願望」と「誓い・決断」の違いは、以前にもお伝えした「暗示の効果」と、とてもよく似ています
「暗示」は、