ニアミスという疑似体験を通して学び切る:後編 ~9.11事件から~

第632回:『 ニアミスという疑似体験を通して学び切る:後編 ~9.11事件から~ 』

【 その他参照ワード:アメリカ同時多発テロ事件、地下鉄サリン事件 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

前回の前編では、最近の私の線状降水帯による冠水体験を交えつつ、気候変動に焦点を当てました!

そして、締め括りの箇所では、気候変動対策が急がれる中、

 

出来ない言い訳は無意味であり・・・

実践しなければ・・・

手遅れになる!!!

 

と、コメントしました!

そして、テーマにある疑似体験を通すとは、

 

想像力を活用する事であり・・・

その為には知る事が必須であり・・・

知った事を昇華させるのが考えるという事!!!

 

と、コメントしました!

 

 

【 地下鉄サリン事件から 】

1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生しました。

当時の私は大学1年生で、東京都の中野に住んでいました。

中野(駅)はJR線を含め、地下鉄の東西線が乗り入れていたり、近くには地下鉄の丸ノ内線が走っていたりなど、私も頻繁に利用していました。

 

そして、大学では野球サークルに所属し、この日は合宿で千葉県に向かう予定でした。

ただ、当初は電車で向かう予定だった所、急遽、近くに住む先輩の車に同乗させて貰える事になりました。

そして、車で千葉県へ向かい始めた所、地下鉄沿線の駅前はパトカーは然り、消防車や救急車でごった返しており、道路も大渋滞でした。

 

しかし、当時はスマフォはおろか、携帯も今ほど普及しておらず、何が起こっているかも不明のままでした。

そして、昼過ぎに宿に到着すると、テレビでは地下鉄沿線のニュースで持ち切りでした。

ただ、この時点でも詳細は不明で、何かの毒物が撒かれた可能性が指摘されると同時に、多数の被害者を含め、死者も出始めている状況でした。

 

これが、地下鉄サリン事件に関する、私のニアミス体験です、、、

 

 

そして、先輩の車に同乗させて貰っていなければ、

 

直接か否かはともかく・・・

地下鉄を含む電車で向かったのは間違いないので・・・

少なくとも間接の影響は受けたはず・・・

 

です。

そして、

 

《 知らぬが仏 》でもなく・・・

《 後の祭り 》でもなく・・・

果たして・・・

 

そして、今年はアメリカ同時多発テロ事件、いわゆる、9.11事件から25年が経過します、、、

 

 

では、番組『 アナザーストーリーズ 』(NHK BS)から、「 アメリカ同時多発テロ ~ホワイトハウス知られざる戦い~ 」の回を少し眺めます!

そして、全くの荒唐無稽な陰謀論の類はともかく、

 

未だに事件の全貌が・・・

解明されている訳ではない・・・

 

というのが事実であり真実です、、、

 

 

【 未だに尾を引く負の影響 】

2001年9月11日、4機の航空機がハイジャックされました。

そして、その内の2機が、ニューヨークにあるワールドトレードセンターに衝突しました。

更に、ホワイトハウスから僅か3キロの所にあるペンタゴン(国防総省)にも、1機が衝突しました。

そして、残りの1機も進路を変えて、ワシントンへ向かっていました。

 

ところで、当時のアメリカ大統領は第43代のジョージ・W・ブッシュです。

しかし、ブッシュはテロ発生時には、フロリダにいました。

そして、事件を聞き付けエアフォースワン(大統領専用機)に乗り込むものの、ワシントンにも危険が及んでいたが故に、ひとまず別の地へ向け飛行しました。

 

しかし、エアフォースワンも標的になっているとの情報が入り、飛び立った後の空中でも、軍の戦闘機が護衛していました。

そして、機内でワールドトレードセンター崩壊などのニュースを眺めていたブッシュは、自身の著作「決断のとき」(訳:伏見威蕃)で、以下の通り回想しています、、、

 

ブッシュ:
『 途切れ途切れの映像を観ている内に、アメリカ国民がどんな恐ろしい光景を眺めているかが、分かり始めた。 彼等の苦しみと絶望がまざまざと感じられた。 私は世界一強大な国の大統領なのに、彼等を助けられない無力さを味わっていた。 』

 

 

そして、ホワイトハウスに戻ったブッシュは、

 

テロとの戦いを宣言

 

しました。

そして、その後のアフガニスタン紛争やイラク戦争などに繋がり、

 

現在の戦争の原因の一端も担うなど・・・

未だに負の影響の尾を引いている・・・

 

と、分析されています、、、

 

 

【 ホワイトハウスも大混乱 】

ブッシュが不在の中、ホワイトハウスも大混乱に陥っていました。

そして、ホワイトハウスには政府関連職員に加え、執事やメイドや料理人や大工など、約90名の一般職員も働いていました。

しかし、当時のホワイトハウスには、

 

緊急事態が生じた際の・・・

避難計画は一切作られていなかった・・・

 

というのが実態でした。

 

更に、この日の午後、大統領が主催する年に1度の野外食事会が開催される予定でした。

この食事会には連邦議会の与野党を含む、全ての政治家と家族が参加する事になっており、参加予定者は2000人以上に上っていました。

そして、ホワイトハウスの職員が避難を始める一方、食事会の準備をする為に、事情を知らない外部スタッフが集まり始めた事で、更なる混乱の様相を呈し始めました。

 

 

また、ホワイトハウスの北側は2階部分しか建物が見えず、周囲には建物も多いが故に、航空機は衝突し辛い状況でした。

しかし、南側は視界が開けている事に加え、ホワイトハウスも3階部分まで目視出来ます。

故に、航空機がホワイトハウスに衝突するとすれば、南側から飛来する可能性がありました。

 

しかし、同じく混乱している警官達は、北側の公園に避難誘導を始めました。

仮に、南側から航空機がホワイトハウスに衝突すると、残骸などが北側の公園に飛び散り、甚大な被害が出る事が容易に予測出来ました。

このように、ホワイトハウスの「外側」も大混乱に陥っていました、、、

 

 

【 苛立つ政権幹部達 】

ホワイトハウスも航空機の衝突の危険性に包まれる中、副大統領を筆頭に、政権中枢の幹部達は大統領危機管理センターに集まりました。

このセンターは第二次世界大戦を機に、緊急事態に備えて整備された、地下にある極秘の部屋です。

更に、核攻撃にも耐えられる強固な作りで、シェルターとしての役割も兼ねています。

 

しかし、最新の通信機能が備わっておらず、電話も途切れ途切れになるなど、充分なコミュニケーションが出来ないが故に、幹部達は苛立つ状態が続いていました。

このように、大統領の不在は然り、軍を指揮するペンタゴン(国防総省)の長官も不在など、ホワイトハウスの「内側」も同じく混乱の極みに陥っていました、、、