人間関係の指針は「どんぐりの背比べ」:前編 ~戦中の陸海軍から~

【 嘘で塗り固めた傀儡国家 】

しかし、その後も陸軍では、不満が溜まり続けていました。

そして、1931年(昭和6年)9月、満州に駐留していた関東軍が、

 

日本の鉄道が中国軍に爆破されたと・・・

自作自演の嘘を付き・・・

中国軍を攻撃する満州事変を勃発させ・・・

不満の噴出が現実となる・・・

 

という事態を招きました。

そして、関東軍の思惑は、欧米やソ連の列強に対抗する為に、

 

満州の資源を使って軍拡を押し進める

 

というものでした。

 

 

そして、半年で満州全域を制圧し、

 

傀儡国家たる満州国を建国する

 

という流れになりました。

そして、満州国の防衛を方便に使い、

 

陸軍は前年度の2倍の予算を獲得する

 

という結果になりました。

このように、陸軍が満州事変を企て、予算の獲得にも成功した事で、

 

陸軍に対する海軍の対抗心を・・・

煽り立てる事になった・・・

 

という焦臭さが、くすぶり始めました。

 

 

【 ヒトラーを失笑させる 】

1934年(昭和9年)、陸軍への対抗心を本格的に燃やし始めた海軍は、先ほどの陸軍(関東軍)と同じ方便を使い、

 

軍縮の撤廃が必須であると主張する・・・

プロパガンダ映画を自主制作し・・・

海軍を再び軍拡に向かわせる・・・

 

という行動に出ました。

そして、1936年(昭和11年)、

 

ワシントン海軍軍縮条約から離脱する

 

という、プロパガンダ映画の目論見を成功させました。

 

そして、再軍拡に向けて海軍が力を注いだのが、戦闘機の開発でした。

なぜなら、戦闘機による大規模攻撃が可能になれば、戦艦は無用の長物になり、予算を他の装備等に回せる思惑があったからです。

すると、陸軍でも戦闘機の研究が始まりました。

 

 

しかし、陸海軍双方は戦闘機の開発と研究に関し、

 

それぞれ自前で取り組む事に加え・・・

パイロットの育成も別々に進める・・・

 

という事に固執しました。

このように、双方共に対抗心を剥き出しにする中、ドイツで最先端の航空機用エンジンが開発されました。

そして、同じく陸海軍双方がエンジンに関心を示す中、

 

共同で購入すれば・・・

半額で済むにも関わらず・・・

別々の購入を申し出る・・・

 

という奇天烈な提案をドイツにしました。

そして、

 

この提案を伝え聞いたヒトラーは・・・

日本の陸海軍の仲の悪さに・・・

失笑した・・・

 

と、伝えられています。

 

 

【 手を結んだ思惑 】

1937年(昭和12年)、北京郊外で陸軍と中国軍が衝突し、

 

今度は日中戦争が勃発する中・・・

戦線は止まず泥沼化する・・・

 

という事態に陥りました。

故に、

 

日本全国から兵士が動員されるに留まらず・・・

国民の徴兵も拡大され・・・

最終的に100万人を超える兵力が費やされる・・・

 

という事態を迎えました。

 

 

一方、1939年(昭和14年)、陸軍が中国の北部に進軍を続ける中、

 

陸軍への対抗心を再び燃やし始めた海軍は・・・

南部の海南島に進軍し占領する・・・

 

という行動に出ました。

なぜなら、海南島は良質な鉄鉱石の一大産地であるが故に、海軍は資源基地として使う思惑があったからです。

 

そして、1941年(昭和16年)、海南島を足掛かりにした海軍は、更なる南方に位置する仏(フランス)領のインドシナに進軍しました。

しかし、この時の海軍の進軍に際し、

 

陸軍も協力して大船団を組む

 

という、これ迄には見られない光景になりました。

なぜなら、海軍は対アメリカ戦を見据え、その為の前線基地を獲得する背景があった一方、

 

泥沼化した日中戦争を何としても継続させる為に・・・

陸軍も南方の資源を必要とする・・・

 

という、切羽詰まった事情があったからです。

 

 

【 自縄自縛に陥る 】

陸海軍双方による、南方侵攻の動きを察知したアメリカは、

 

日本による東南アジア侵略の第一歩と見做し・・・

日本への石油の輸出を禁止する・・・

 

という措置を下しました。

この措置に対し、日本は抗議するものの、アメリカは中国と東南アジアから撤退する条件を出しました。

しかし、アメリカの条件を飲むと、

 

日中戦争の敗北を事実上認める事になるが故に・・・

陸軍大臣の東条英機を筆頭に・・・

陸軍は猛反発する・・・

 

という事態になりました。

 

 

一方、アメリカを仮想敵国として研究して来た海軍は、

 

日本とアメリカでは10倍以上の国力差がある事も含め・・・

日本の勝算は乏しい事を理解していた・・・

 

という、陸軍とは相反する姿勢を取りました。

しかし、そのような海軍であっても、アメリカとの開戦に反対する事は出来ませんでした。

なぜなら、

 

これ迄も対アメリカ戦を方便として使い・・・

予算を獲得し続けて来た・・・

 

という負い目があったからです。

つまり、開戦に反対するとは、

 

海軍が自らの存在意義を・・・

自らで否定する・・・

 

という事を意味しました。

更に、その分の海軍の予算が、今後は陸軍に回される事も恐れました。

 

 

このように、陸海軍双方が、

 

組織の論理に・・・

自らで囚われ・・・

身動きが取れなくなる・・・

自縄自縛に陥った・・・

 

という状態になりました。

更に、

 

外交による解決の道も・・・

自らで閉ざした・・・

 

という顛末に向かい始めました。

 

 

そして、同年12月1日、御前会議が開催され、アメリカとの開戦が決定されました。

そして、1週間後の12月8日、海軍は真珠湾攻撃を決行しました。

一方、陸軍もマレー半島に上陸し、東南アジア各地で軍事作戦を開始しました。