憎悪という負の連鎖を断ち切る2つの視点:後半 ~「グループソウル(類魂)」編~

【 歴史と記憶の意識が変わる 】

1963年、西ドイツでアウシュヴィッツ裁判が始まりました。

そして、

 

ホロコースト(大量虐殺)に関与した・・・

強制収容所の関係者21名が裁かれる・・・

 

という結果になりました。

そして、この頃の西ドイツは、

 

経済復興も順調に進む中・・・

ナチ・ドイツの時代は過去の記憶であり・・・

もう忘れ去ろうとの空気が強かった・・・

 

という渦中の裁判でした。

 

 

しかし、裁判が開かれた事で、

 

多くのドイツ国民が初めて・・・

ユダヤ人へのホロコーストの実態を知る・・・

 

というキッカケになったと言われます、、、

 

裁判傍聴者:
『 とにかく、私達一人ひとりに責任があると思います。 ドイツで起きた事で、私達はドイツ人だから、きちんと歴史として伝えるべきです。 』

 

このような裁判を機に、西ドイツの空気は、更に大きく変わり始めました。

例えば、アウシュヴィッツの展示会も開催され、

 

ホロコーストの歴史と記憶は・・・

国民全体で共有し・・・

受け継いでいくものと位置付けられる・・・

 

という転換期になりました。

そして、1970年12月、西ドイツ第4代首相ヴィリー・ブラントがポーランドを訪れ、多くのユダヤ人を閉じ込めた跡地で、謝罪をしました、、、

 

ブラント:
『 私は我が国民の名において、ドイツの名において行われた何百万もの犯罪に対しての謝罪をしたかった。 我々が新たなスタート地点に立ち、過去の恐怖の繰り返しを排除しようというのであれば、これは必要な事なのです。 』

 

 

【 思いとは裏腹な反応 】

その後も国際社会の信頼を取り戻す為に、西ドイツの首相は加害責任を語り続けました。

そして、決定的と言われるのが1985年5月8日、西ドイツ戦争終結四十周年記念式典で、西ドイツ第6代大統領リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーの言葉です、、、

 

ヴァイツゼッカー:
『 私達は今日、あの戦争と暴力の支配の中で、命を失った全ての人の悲しみを思い浮かべています。 ことに、ドイツの強制収容所で命を奪われた600万人のユダヤ人を思い浮かべます。 戦いに苦しんだ全ての民族、特にソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。 過去に目を閉ざす者は、結局の所、現在にも盲目となります。 非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。 』

 

ただ、国民全体で加害責任を負う事を認める空気の中、追放されたドイツ人の孤独は、益々深まりました、、、

 

追放されたドイツ人の言葉:
『 私達は逃亡と追放に苦しめられただけでなく、同胞の冷酷さにも苦しんだ。 ドイツ人の多くは、追放された者に対して偏見の眼差しを向けていたのだ。 おびだたしい数の追放者の到来は、ドイツの戦後社会を根本的に変えたのだが、その事すら、人々の記憶には残らなかった。 』

 

 

【 統一が被害者の立場に変える 】

1990年10月3日、東西ドイツが統一を果たしました。

そして、統一が意図した訳では無いものの、

 

ドイツ人の被害者としての歴史に・・・

光を当てるキッカケ・・・

 

となりました。

つまり、

 

もはや過去を語っても・・・

許される空気になった・・・

 

と解釈されました。

 

 

統一の同年の3月、先のヴァイツゼッカーがチェコスロバキアを訪れました。

出迎えたチェコスロバキア大統領ヴァーツラフ・ハヴェルは、かつて、チェコスロバキアの国民がドイツ人に行った復讐について認めました、、、

 

ハヴェル:
『 祖国チェコスロバキアを蹂躙したドイツ人を適切に裁く代わりに、私達は彼らをこの国から追放し、法の秩序とは相容れない罰を与えた。 それは罰でなく復讐である。 歴史上で正義を貫いているつもりでも、私達は多くの無実の人達、特に女性と子ども達を傷付けた。 歴史は繰り返され、彼らに傷を残したように、私達自身にも傷を残したのである。 』

 

一方、ポーランド政府も戦争犯罪を調査する為に、国の機関として《 国民記憶院 》を創設し、ドイツ人虐殺を行ったポーランド人を訴追しました。

そして、訴追された一人には、前回紹介したズゴダ強制収容所の所長で、ユダヤ人のモレルも含まれました。

しかし、モレルはイスラエルに逃亡し、法の裁きから逃れ続けました、、、

 

 

【 歴史は繰り返すのか 】

近年になると、ドイツ人は被害者だと、

 

正面切って訴える政治家が現れる

 

という流れになりました。

その急先鋒の政治家が、追放されたドイツ人が作る一部の連盟の代表を兼務する、エリカ・シュタインバッハです。

 

エリカも生まれてすぐ、ポーランドから追放された過去がありました。

故に、追放されたドイツ人の歴史を伝える展示会を、ドイツ各地で開催しました。

そして、エリカが特に強調したのが、

 

追放時に受けた暴力と・・・

故郷を失った悲しみ・・・

 

でした。

つまり、

 

第二次世界大戦が終了すると同時に・・・

追放問題が始まった・・・

 

と主張しました。

しかし、エリカの思惑に反し、ドイツ国内では批判の声が、数多く上がりました、、、

 

批判の声:
《 被害者としての歴史を強調する事は、ホロコーストの加害責任を軽くしてしまう。 》

 

そして、同じ声は、ナチ・ドイツによる被害国でも上がりました、、、

 

 

【 板挟みという二重苦の現在 】

このように、近年のドイツは、

 

加害と被害の板挟み

 

という二重苦に置かれています。

そこで、2021年6月、ドイツ政府は《 逃亡・追放・和解のための資料センター 》を設立しました。

そして、センター内では、

 

ホロコーストの罪と追放の苦難の両方を・・・

同時に同じ空間で伝える・・・

 

という試みが取られました。

 

そして、センター創設のキッカケの一つには、エリカの言動も関与していたものの、エリカは途中でセンター創設の検討メンバーを、自らの意思で辞職しました。

そして、2022年、右派政党と称される《 AfD 》に入党し、国境を閉鎖し、移民排斥を訴える事に力を入れています。

ただ、これ迄のドイツ政府は、

 

ナチ・ドイツの反省から・・・

積極的に難民や移民を受け入れる・・・

 

という姿勢を取り続けて来ました。

 

 

しかし、同じく最近では、エリカや右派に象徴されるかの如く、

 

様々な犯罪の多くは・・・

移民が引き起こしている・・・

 

と、主張する声が大きくなっています。

そして、2024年の選挙ではAfDが躍進しました、、、