【 戒律を破った真の動機 】
解放後のフランクルは、オーストリア人のキリスト(カトリック)教の女性と知り合い、再婚します。
しかし、ユダヤ教では異教徒と結婚してはならないという戒律があったにも関わらず、それを破ります。
そして、フランクルの孫のアレクサンダー・ヴェセリーは、『 祖父(フランクル)は、宗教は言語のようなものだと言っていました。 』とのコメントと共に、フランクルの話した言葉を教えてくれます、、、
『 他より優れた言語などない。 他より正しい言語などない。
どの言語でも真実を話す事も、嘘を付く事も出来る。
宗教も同じだ。 悪用する事も出来るし、価値を見い出す事も出来る。
そして、それは私達の中にあるものなのだ。 』
そして、ヴェセリーは「自分の言葉」として続けます、、、
『 祖父は常に人間学的な視点に立っていました。
人間の存在とは何か?
それはスピリチュアリティを伴うものなのです。 』
【 一人類主義 】
フランクルは、「敢えて人間を分ける」とすれば、この世には2種類の人間がいる、この2種類だけが存在すると伝えます。
それが、
「品格」のあるしっかりとした人間と、そうでない人間
です。
そして、この「両方」が社会でも、どんなグループにも広まって浸透していると分析し、
どんな社会でもグループでも・・・
どちらか「一方だけ」で成り立つ事はなく・・・
「両方が存在」する事で成り立つ事が出来ている・・・
と伝えます。
これが、
世界は「たった一つの人類」で成り立っている「一人類主義」
と呼ばれるものです。
つまり、
皆、誰もが同じ
という事です、、、
【 フランクルの真意 】
フランクルの他の著作に、『 それでも人生にイエスと言う 』があります。
その中には、次の一節が書かれています、、、
意味という事を根源的に問うならば、この世界の出来事全体に意味があるとは考えられないでしょうか。
全くの無意味か、全てが有意味かという決断は、論理的に考えると、根拠が無い決断です。
人間は、もう論理的な法則から、この決断を下す事が出来ません。
ただ自分自身の存在の深みから、その決断を下す事が出来るのです。
ただ一つの事は、はっきりしています。
究極の意味、存在の超意味を信じようと決断すると、その創造的な結果が現れて来るでしょう。
信じるというのは、ただ「それが」真実だと信じるという事ではありません。
信じる事を、真実の事にするのです。
単に考え方の可能性に過ぎないものを、実現する事なのです。
では、番組を含めた紹介は、ここで終了です!