第636回:『 人間関係の指針は「どんぐりの背比べ」:後編 ~叱咤激励&切磋琢磨が鍵~ 』
【 その他参照ワード:スピリチュアル、グループソウル、類魂 】
S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!
前回の前編の締め括りでは、以下の流れと視点が後編のキーワードになると伝えました、、、
戦争は愚かな行為の最たるものでありながら・・・
戦争の心は・・・
地続きで歩み継がれており・・・
現在の人間関係にも・・・
影響を及ぼしている・・・
では、まず最初に前編のポイントを整理します!

【 前編のポイント 】
戦中の陸軍では、中国大陸に侵攻する思惑で、ソ連を仮想敵国と見做しました。
一方の海軍では、太平洋に侵攻する思惑で、アメリカを仮想敵国と見做しました。
1905年(明治38年)、日露戦争に勝利した事で、陸軍では乃木希典が功労者となり、海軍では東郷平八郎が功労者となりました。
そして、この2人の影響もあり、陸軍では徴兵制が敷かれる中、平等が謳われると同時に、精神論が主流になりました。
一方、海軍では志願兵の制度が採用され、少数精鋭を誇るものの、階級が重んじられるエリート主義が貫かれました。
しかし、第一次世界大戦後の1922年(大正11年)、ワシントン海軍軍縮条約が締結されると、陸海軍双方が軍縮を強いられる事になりました。
そして、特に陸軍では不満の鬱積が噴出した1931年(昭和6年)9月、自作自演の嘘で満州事変を勃発させ、傀儡国家の満州国を建国しました。
そして、陸軍は満州国の防衛を方便として使い、多額の予算を獲得しました。
これがキッカケとなり、海軍は陸軍への対抗心を燃やし始めました。
故に、その後の陸海軍は犬猿の仲に拍車が掛かりました。

しかし、1937年(昭和12年)に勃発した日中戦争を機に、陸海軍双方の思惑が一致し、手を結ぶ事になりました。
すると、アメリカは日本による東南アジア侵略の第一歩と見做し、日本への石油の輸出を禁止しました。
このアメリカの措置に対し、陸軍大臣の東条英機を筆頭に、陸軍は猛反発しました。
一方の海軍は、アメリカと開戦しても日本の勝算は乏しい事を理解していたにも関わらず、反対する事は出来ませんでした。
そして、陸海軍双方が、
組織の論理に自らで囚われ・・・
身動きが取れなくなる自縄自縛に陥る・・・
という状態になりました。
そして、海軍による真珠湾攻撃を皮切りに、アメリカとの開戦が始まると同時に、陸軍も独自の作戦を開始しました。
すると、開戦当初の陸海軍は進撃を続けたが故に、大本営発表のマスメディアと共に、国民も狂騒の渦に飲まれ始めました。
しかし、この頃には陸海軍双方の思惑は、別の方向を向き始めていました。

そして、1942年(昭和17年)6月、海軍はミッドウェー島の戦いで敗北を喫するものの、国民には敗北が隠蔽され、海軍では箝口令が敷かれ、陸軍でも同じく隠蔽されました。
このように、
負のスパイラルに陥り始めると同時に・・・
一寸先は闇の道に・・・
足を踏み入れ始めた・・・
という流れになりました、、、

では、同じく番組『 映像の世紀バタフライエフェクト 』(NHK)から、「 陸軍 VS. 海軍 」の続きを少し眺めます!
【 回避出来たはずの死 】
アメリカ軍はガダルカナル島に上陸し、海軍が建設した飛行場を占拠しました。
すると、海軍は飛行場の奪還には陸軍の力が必要と判断し、陸軍に支援を求めました。
そして、開戦後は連戦連勝という陸軍の驕(おご)りも昂ぶる中、
陸海軍双方にとって初となる・・・
本格的な共同作戦が始まる・・・
という流れになりました。
当初の計画では、陸軍はガダルカナル島で上陸戦を展開する予定でした。
そして、その為に海軍は陸軍をガダルカナル島へ送り届けると同時に、海と空から陸軍を援護する役割分担でした。
しかし、
陸海軍双方の足並みは・・・
この期に及んでも・・・
揃わなかった・・・
というのが実態でした。

なぜなら、
海軍は当初の計画に反して・・・
アメリカ艦隊との戦いを優先し始め・・・
陸軍の援護を後回しにした・・・
という行動を取ったからです。
一方、ガダルカナル島に上陸を果たした陸軍も、
無謀な突撃を繰り返したが故に・・・
甚大かつ深刻な被害に陥った・・・
という、火を見るより明らかな状況になりました。
更に、
追加の陸軍の兵士と食料を搭載した・・・
海軍の輸送船も続々と沈没させられた・・・
という状況でした。

こうして、ガダルカナル島はアメリカ軍に再び占拠され、陸軍は捕虜になりました。
故に、当初の計画通りの行動を取らなかった海軍に対し、
陸軍は疑念を募らせ・・・
非難を浴びせる・・・
という声を上げました。
しかし、
海軍は自らの責任を棚上げし・・・
陸軍の見通しの甘さを・・・
逆に非難する・・・
という応酬になりました。
更に、陸海軍双方の幹部達は、
敗北の責任を問われる事を恐れ・・・
お互いに撤退の決断を・・・
先送りにした・・・
という末路を辿りました。

そして、ガダルカナル島の陸軍の死者は2万人に膨れ上がるものの、
その多くが戦死ではなく・・・
餓死だった・・・
というのが実態でした。
故に、ガダルカナル島の戦い以降、陸軍は独自で輸送潜水艦の建造に着手するなど、
海軍への不信感を・・・
更に募らせた・・・
という遺恨を残しました。

【 全てが地獄 】
1944年(昭和19年)7月、今度は国防の要のサイパン島が陥落しました。
そして、日本の本土にもアメリカ軍が迫りつつある状況に一変しました。
しかし、同年10月、
またしても大本営は・・・
台湾沖でアメリカ軍を敗北させたと嘘を付いた・・・
という過ちを繰り返しました。
ただ、
この嘘の大元は海軍の報告だった
という背景もありました。
故に、海軍は大本営発表が間違いである事実を、事前に把握していました。
しかし、今回も敗北の事実が、陸軍に伝えられる事はありませんでした。
そして、大本営発表を信じた陸軍は、レイテ島の戦いに際し増援部隊を送り込み、アメリカ軍へ攻勢を仕掛けました。
しかし、大本営発表は嘘だった事から、
健在な状態のアメリカ軍の反撃により・・・
為す術無く敗北を喫した・・・
という結果に終わりました。
そして、この時の戦いに関し、次の証言が残っています、、、
陸軍情報参謀の堀栄三の言葉:
『 海軍航空戦の戦果の発表は、地獄への引導のようなものであった。 陸軍も海軍も、何の連絡もなく、勝手に戦果を発表していた。 陸軍は海軍の発表を鵜呑みにする以外になかった。 』
