普通や当たり前を見つめ直すと変化を起こせる ~やってる感を遠ざける~

第583回:『 普通や当たり前を見つめ直すと変化を起こせる ~やってる感を遠ざける~ 』

【 その他参照ワード:翼賛選挙、東条英機、女性参政権、市川房枝 】

S.Light.M(カウンセリング・ヒプノセラピー・レイキヒーリング・各種セミナー&認定講座)の瀬川です!

まず最初に、問い掛けます、、、

 

あなたにとって、普通や当たり前と感じる・・・

出来事や物事は何ですか???

 

それらは、いつから普通や当たり前になりましたか???

普通や当たり前になる為に、努力や頑張りが必要でしたか???

 

それらは、今やあなたにとって、空気のようなものですか???

それらが無くとも、日常生活に支障は無いですか???

 

 

何かが思い浮かんでも、何も思い浮かばなくとも、先に進みます(笑)

 

では、番組『 歴史探偵 』(NHK)から「 日本人と選挙 」の回を少し眺めます!

 

【 普通でも当たり前でも無かった選挙制度 】

本年(2025年)は、

 

男子普通選挙の「実現」から100年

 

です!

しかし、それ以前は、

 

制限選挙

 

という制度でした。

そして、制限選挙とは、

 

《 直接国税を一定額以上納めた、満25歳以上の男子のみ 》

 

が選挙権を有する制度でした。

この制度下では、選挙権を有する人は国民の僅か「5.5%」でした。

故に、選挙で選ばれた国会議員は「少数国民」の代表という事でした。

 

 

しかし、1925年に法律が改正され、「男子」普通選挙が実現しました。

 

そして、男子普通選挙とは、

 

《 納税条件が無くなり、満25歳以上の男子の全て 》

 

が選挙権を有する制度でした。

 

【 ヤジロベエも真っ青の大接戦 】

3年後の1928年2月20日、

 

日本初の男子普通選挙が「実施」

 

されました!

この選挙から、有権者は300万人から1200万人に増え、

 

投票率は、何と「80.33%」!!!

 

でした!

「今では」全く持って信じられず、到底実現不可能に思える投票率かもしれません(笑)

ちなみに、世界で初めて「点字」による投票も認められ、約5000票が投じられました!

 

 

ところで、この時の「与党」は立憲政友会で、第26代内閣総理大臣が陸軍出身の田中義一でした。

しかし、与党が政治資金問題を起こし、「国民」から強い批判に晒されていました。

一方、「野党」は浜口雄幸が率いる立憲民政党で、この2つの政党が選挙で激しく対立しました!

 

選挙ポスターも初めて導入され、枚数に制限も無く、全国で3480万枚以上貼られるなど、町中に溢れました。

ちなみに、2021年の選挙時のポスターが約160万枚です(笑)

また、当時は他党を批判する「ネガティブキャンペーン」のポスター掲載もOKでした。

 

そして、選挙戦が白熱する中、「選挙違反」で検挙される候補者が相次ぎました。

その内訳が以下の通りです、、、

 

与党の立憲政友会が「164人」

野党の立憲民政党が「1701人」

 

実は、当時は政府(与党)が知事と警察部長の「人事権」を握っていました。

故に、立憲政友会は知事と警察部長という行政(機関)を、

 

自らに都合良く恣意的に利用し・・・

敵である立憲民政党の多くの候補者を逮捕した・・・

 

という事で、選挙戦を有利に展開しました。

 

 

しかし、立憲民政党も「指をくわえて」黙っている訳にはいかず、新聞広告で立憲政友会の「選挙干渉」を世間に訴えました。

そして、選挙の結果、次の議席数となりました、、、

 

立憲政友会「217議席」

立憲民政党「216議席」

 

!!!(笑)

 

【 戦時中の翼賛選挙 】

1942年4月30日、 太平洋戦争の最中(さなか)に行われた選挙が、

 

翼賛選挙

 

と呼ばれるものです。

そして、翼賛とは、

 

天皇や国家(政府)を助ける

 

という意味です。

つまり、

 

国民は眼中に無い選挙制度

 

という事です。

 

 

そして、翼賛選挙で特徴となるのが、

 

推薦候補と非推薦候補が争う

 

という点です。

そして、推薦候補とは、

 

実質上、政府が推薦する候補

 

です。

つまり、

 

政府が主導して作らせた政治団体が・・・

戦争を押し進める為に・・・

政府に都合の良い人物を推薦する・・・

 

という選挙制度でした。

 

 

なぜなら、翼賛選挙が行われる数年前、1937年に勃発した中国との戦争が泥沼化していました。

更に、1941年にはアメリカとも開戦しました。

そして、戦時中との理由で、

 

全ての政党は解散され存在しなかった

 

という状況でした。

 

この時の第40代内閣総理大臣が、現役の陸軍大将も兼ねていた東条英機です。

そして、政府は「特秘扱い」の衆議院議員調査表を作成しました。

ちなみに、この調査表の存在は、戦後になって「初めて明らか」になりました。

 

調査表作成の為に、日本各地の警察が「組織的」に情報を収集しました。

そして、その情報を元に議員430人に対し、3段階「評価」を付けました、、、

 

「甲」 : 国策の遂行の為に、職務を完遂出来る人物

「乙」 : 積極的活動はないが、反政府的言動ない人物

「丙」 : 反国策的・反政府的言動があり、政府にとって不適当な人物

 

 

このようにして、

 

政府による恣意的な「判断」で・・・

推薦候補の「選別」がされた・・・

 

というのが「歴史が証明」する事実です。