【 「板挟み」になる壱岐島 】
壱岐島がヤマト王権との関係性を、更に深める「キッカケ」になったのが、527年に九州で起こった磐井の乱です。
これは、九州の豪族がヤマト王権に「反旗」を翻(ひるがえ)した、古墳時代最大の内戦です。
一方、同じ頃には新羅が朝鮮半島の統一を目指し、近隣諸国に侵攻する勢力争いが起こりました。
近隣諸国から救援を求められたヤマト王権の継体天皇は、新羅に「対抗」する為に、朝鮮半島に援軍を送り込みました。

しかし、救援を妨害したのが、新羅と「手を組んだ」九州の豪族の筑紫君磐井でした。
その結果、1年半を掛けてヤマト王権は磐井を鎮圧し、更に新羅に対抗した人物に壱岐島を「統治」させました。
そして、ヤマト王権は、
外交を中央(本土)に「一元化」し・・・
新羅との交流を禁止する・・・
という措置を取りました。
この結果、長年に渡り新羅を含む中国大陸や朝鮮半島の渡来人と「独自の交流」を築き上げて来た壱岐島は、
板挟みになる
という「ジレンマ」に陥りました。

しかし、壱岐島(統治者)はどちらにも「与(くみ)する」事なく、
ヤマト王権と新羅の「仲介役」を果たす
という「選択と決断」を取りました。
勿論、この選択と決断の背景にあるのは、「美談」の性質ではなく、ヤマト王権と新羅の「双方の思惑」も関係していると言われます。
ところで、TOPICSでは、
全ての崩壊は内部から生じる
と伝えています。
そして、その理由として、
「協力する」事と「群れる」事は全く違うのに加え・・・
「孤高」と「孤独」も大きな違いがあり・・・
誰もが「一人切り」では生きられない・・・
という視点が当てはまります。

【 意に沿わぬ「矢面(やおもて)」は現代にも通じる 】
その後、663年の白村江の戦いで、ヤマト王権は唐・新羅軍に敗北しました。
すると、「防人(さきもり)」が配置され、「狼煙(のろし)台」も設置されるなど、壱岐島は「前線基地」に変わりました。
更に、鎌倉時代には二度の蒙古襲来に遭遇しました。
言わば、
壱岐島は日本の「矢面」に立たされた
という事です。
現在の沖縄県を含め、それ以南の離島にも、
同じように当てはまる・・・
と感じませんか、、、

では、番組の紹介は終了し、一点だけコメントします!
壱岐島を「自分(あなた)」に見立てると、ヤマト王権や渡来人などの関係性から、
親(保護者)と子ども
教師と生徒
会社と社員
国と国民
宇宙と地球
など、様々に「思いを馳せる」事が可能になります。
では、ここ迄の内容で、
いつの時代の壱岐島が「幸せ」だったのか???
「何が」壱岐島を変えたのか???
あるいは、壱岐島は自らの意思に反して、「変えさせ」られたのか???
などを、あなたのパーソナルスペースに「重ね合わせて」考えて下さい(笑)

では、視点をガラッと変えます!
イソップ物語の一つに、『 よくばりな犬 』があります。
この物語は、多くの人が「子ども」の頃に、読み聞かせて貰った経験があるでしょう(笑)
つまり、
「既に」知って学んでいるはず
という事です、、、
では、『 頭のいい子を育てるおはなし366 』(主婦の友社)から、メタファー(物語や比喩・暗喩)として「今一度」紹介します!