【 最先端を可能にした「出入り口」という個性 】
壱岐島には、弥生時代の原(はる)の辻遺跡があります。
この遺跡では、弥生時代に一般的だった竪穴住居もあれば、中国大陸や朝鮮半島の「渡来人」が作った、外壁を持つ平地住居も見つかっています。
また、重要な儀式を行った主祭殿では、同じく渡来人からもたらされた、当時の「最先端」の木造建築技術が使われました。
更に、「国際色豊か」な土器や貨幣など、様々な遺物も数多く見つかっています。
ちなみに、人の顔を型取った人面石も発掘され、国内ではこの遺跡でしか見つかっていません!
このように、壱岐島では日本「最古」の遺物が数多く見つかる事から、
交易の場
という事が分かりました。
つまり、壱岐島は、
外国から様々な文物(文化や品物)が「入って来る」場所であると同時に・・・
国内に様々な文物を「運び出す」場所でもあった・・・
という、「出入り口」の両面を兼ね備えていました。

ところで、私達の誰もが、
個性を兼ね備えている
というのは理解出来るでしょう(笑)
ただ、例えば双子として生まれ、同じ環境で育てられても、
同一の個性にはならない
というのが自然です。
また、双子という「比較対象」がいない赤ちゃんでも、
生まれながらの個性
を見て取る事は容易に出来ます(笑)
そして、
生まれた後に、身に付く個性もあれば・・・
大人になるにつれ、失う個性もある・・・
というのは、誰もが自らを「振り返れば」分かります、、、

【 「適材適所」という地に足を着けた生き方 】
実は、壱岐島の北部の海には、数倍大きい離島の対馬があります。
しかし、『 魏志倭人伝 』には、対馬は「良田無し」との記載があり、これが故に繁栄に結び付かなかったと考えられています。
一方、壱岐島には広い平野が存在し、土壌は水も豊富に含み、気候も温暖である事から、弥生時代には米や穀物の栽培が盛んに行われていました。
その証として、同じく『 魏志倭人伝 』には、壱岐島は稲作に適した「有田地」との記載があります。
そして、収穫した米や穀物は、交易品として取引されました。
そして、何と言っても、壱岐島で行われた稲作が、
現在の日本の農業の「基盤」として受け継がれている
という事です。
つまり、人間が生きる上で欠かせない「衣食住」の一つである、
食を豊富に生み出せる・・・
地に足を着けた生き方をしていた・・・
という事です。

ところで、仕事に限らず、チームで行うスポーツでも、
適材適所
という事が言われます。
ここには、
自らで「自分を知る」側面と・・・
他者が「評価し判断する」側面の・・・
「両面」が含まれる・・・
という事です。

【 言霊を活用したコミュニケーション 】
原の辻遺跡の近くでは、広大な船着き場の跡地も発見されました。
この岸壁の築造には、当時の中国大陸の最新技術が使われると同時に、言わば、
日本の玄関口
という「役割」を果たしていました。
ところで、外国の人が日本の空港に降り立つと、醤油や味噌の「香り」がすると、よく話します(笑)
同じ事は、日本人が外国の地に降り立った際にも、「味わう」ケースは多いでしょう。
言わば、
文化や風習を、嗅覚で認知し感じている
と言えます。

そして、TOPICSでは、嗅覚と「魂(の視点)」は密接な繋がりがあると伝えています。
故に、玄関では、
外出する人は、いってきます & ただいま
送り出す人は、いってらっしゃい & おかえりなさい
という「言霊」を活用する事で、
お互いがお互いを守り合う!!!
という効果が生まれます(笑)
