【 試行錯誤の末に辿り着く 】
青年時代の土井さんは、料理の本場のフランスで修業しました。
そして、帰国後は和食の名店で腕を振るいました。
そして、この頃には、
食材を寸分違わぬように切り揃え・・・
均一に整え、器に盛り付けるのが美しい料理・・・
と考えていました。

しかし、20代後半になると、同じく著名な料理研究家である父の土井勝 氏の手伝いで、家庭料理を教える事になりました。
そして、当初は調味料の分量などを、
レシピ通りに細かく指示しつつも・・・
家庭料理を教える事に、自分の居場所や役割があるのか???
という、戸惑いや悩みを感じていました。
勿論、土井さんもレシピを活用する事で、自分一人で料理を習う事が可能になり、それにより日本の食卓が豊かになり、味も良くなった事実は認めています。
ただ、
レシピに頼る事に慣れ過ぎたあまりに・・・
自分の感性や勘を鈍らせる原因になった・・・
とも話します。

そして、土井さんは家庭料理を教える戸惑いや悩みを抱える中、
名も無き職人の手で作られた・・・
日常品の生活道具としての民藝(みんげい)に出逢う!!!
という事になりました!
そして、民藝の「本質」が、
素材(材料)を活かすと同時に・・・
それを使う人を想って作られる道具!!!
という点にある事を「見抜き」ました!
つまり、民藝の中に、
真の美しさを見出し・・・
心を打たれた!!!
と話します!

このように、
「ええかげん」という、今に至る境地を・・・
自分のものにする迄には時間も掛かり、簡単ではなかった・・・
と、心情を吐露します。
つまり、
試行錯誤を積み重ね続けた結果
として、辿り着いたという事です!
【 人それぞれの「ええかげん」 】
土井さんの座談会に参加した事がある、共働きで3人の子どもを育てた女性の感想です。
この女性は、完璧な料理を作る母の元で育ったが故に、理想の母親を目指す事に縛られて来たと話します。

女性:
『 土井さんが「 お母さんが料理の責任を背負い過ぎている 」って。 あ!もっと手放していいんだな。 目からうろこ。 母の料理はかっちりレシピがあった。 その食卓、人が喜んでいる姿に凄いなと憧れもあった。 自分の中で完璧、理想と思っているものを作らなきゃいけない。 出さなきゃいけない。 出してあげたい。 自分を追い込んでいた、知らず知らずの内に。 』
そして、その後は自分が「心地いい」と感じるものに目を向け、「まあ、いっか」の毎日を過ごしている事に関し、次のように話します。
女性:
『 自分に合う “ ちょうどいい ” を、このくらいかな? こっちかな?とか探りながら、自分が穏やかで出来るように整える事が大事だな。 いい意味での無責任になれた。 そしたら、すごい楽になった。 』

そして、料理とは「全く別の世界」に生きる経済思想家の斎藤幸平 氏は、食事を作る事を重視しなくなっている社会風潮に危機感を抱き、次のように話します。
斎藤 氏:
『 時間を削減したり、手間を削減する事こそ望ましいと考えるのは、人間にとって本質的なものを切り詰めて、無駄だと捨てていく社会になっていく。 誰もが料理というものを通じて自然との繋がりを感じたり、食を作る、味わう事の楽しさを取り戻していこう。 マネーとか利益とかに反映されないものを再評価していく為の、日々の実践を再構築していこうという革命的な提案。 』
【 「ええかげん」の真意 】
そして、土井さんなりの「ええかげん」の真意が、以下のものです。
土井さん:
『 “ ええかげん ” とは、自分で考えろという事。 自分で考えるとは、今日はこのぐらいでいいのかな、どこまでしてもいいのかなと、自分で判断する事。 自分で判断する所に、初めて自由がある。 自由とは選択する事、どこか見つける事。 失敗であっても経験になって、次に役に立つ。 自分で “ ええかげん ” に考える事が、幸せになる力だと思ってます。 』

では、番組の紹介は終了し、一点だけコメントします!
それは、
「いいかげん」と「手抜き」は全く違う!!!
という事です(笑)
なぜなら、
私達は「思い・言葉・行動」の総体
として存在するからです、、、

では、漫画本『 美味しんぼ 』(作:雁屋 哲、画:花咲アキラ、小学館)から、第48巻掲載の「 家庭の味 」をメタファー(物語や比喩・暗喩)として少し眺めます!