ポジティブに開き直る方法 ~幕末の「ええじゃないか」を参考に(笑)~

【 仕掛け人は誰??? 】

そうなると、

 

仕掛け人は誰???

 

という点がクローズアップされます!

そこで、一般的に考えられているのが、

 

御札が降って来る事で、得をする人

 

という説です。

 

 

ある村では、御札が発見された事で、7日間の祭りを開催しました。

しかし、祭りの終盤になると新たな御札が発見され、更に祭りは延長されました。

結果、2ヶ月も祭りが続くケースもありました!

 

そして、祭り期間中は仕事も休みになります。

更に、御利益があるとの理由で、酒や食事の用意は御札が降って来た家の役目でした。

そして、次の記録も残っています。

 

『 御札は金持ちの家に多く降り、貧しい家には降らなかった。 』

 

このような事から、仕掛け人は、

 

働き詰めで貧しかった庶民!?

 

との一説もあります!

 

 

【 現代と似通う世情 】

当時の風刺画の中に、米や油や木綿などを題材にした、

 

物価高騰を批判する絵

 

が多数描かれています。

 

物価高騰を引き起こしたのが、幕府の金融政策でした。

幕府は小判を小さくし、金の含有量を減らした事で、

 

貨幣としての価値が下がる・・・

インフレを招いた!!!

 

という事です!

ちなみに、大阪の米価は1862年から1867年の5年間で、

 

9.7倍に膨れ上がった!!!

 

という記録が残っています!

 

 

更に、天災(地震・台風・凶作)と疫病(コレラ)が相次いで起こりました。

生活苦に喘ぐ民衆は、一揆や打ち壊しを起こすものの、幕府から厳しい取り締まりを受けました。

つまり、

 

閉塞感が充満していた世の中や社会

 

という事情や背景がありました。

 

そして、「ええじゃないか」は、

 

非暴力による民衆運動の側面を持ち・・・

しかも、祭礼という宗教行為に該当したので・・・

幕府も弾圧出来なかった・・・

 

と分析されています。

これらを総合して、「ええじゃないか」は、

 

富の再分配としての・・・

《 世直し・世均(なら)し 》の民衆運動!!!

 

と呼ばれる事もあります!

 

 

【 何故、京都??? 】

日本各地で広まりを見せた「ええじゃないか」も、

 

特に政治の中心地である京都で・・・

大きな変貌を遂げ・・・

歴史を動かす・・・

 

という事態となりました。

 

京都で流行したのが、始まりから3ヶ月後の10月でした。

当時の瓦版には、「ええじゃないか」が発生した62ヶ所の住所が、2週間分記録されています。

すると、「ええじゃないか」の発生は、

 

僅か2キロ四方の狭い範囲

 

という事が分かりました。

そして、この範囲は、

 

商家が多い商業地帯で・・・

経済的にも豊かな地域・・・

 

でした。

先ほどと同じく、酒や食事を振る舞うのは、御札が降りて来た家の役目です(笑)

 

 

そして、京都の「ええじゃないか」はヒートアップし、

 

権力批判

 

へ向かいました。

 

政治の中心地の京都で、実権を握っていたのが将軍を頂点とする幕府です。

一方、京都には倒幕派も数多く存在していました。

故に、幕府は会津藩や新撰組に、京都の警備を強化させました。

 

そして、倒幕派は人が集まる商業地帯に潜伏するケースが多かったので、警備の目も商業地帯に強く向けられました。

そして、警備の目が光る商業地帯で、敢えて「ええじゃないか」が数多く発生した理由が、

 

不満を持つ民衆が・・・

幕府への嫌がらせをした・・・

 

と考えられています。

つまり、繰り返しですが、祭礼という宗教行為であるが故に、

 

幕府は弾圧出来ないと同時に・・・

倒幕派は人混みの中に紛れる事で・・・

見つかり辛くなる・・・

 

という事です。

 

 

【 積み重なるエネルギーが歴史を動かす 】

「ええじゃないか」が起こる3年前の元治元年(1864年)、京都では禁門の変が勃発しました。

京都に攻め寄せた長州藩を幕府が撃退したものの、

 

京都は大火に見舞われる

 

という事態になりました。

祇園祭の山鉾(山車)も被害を受け、

 

民衆の不満が積み重なる

 

という状況になりました。

 

ある日、「ええじゃないか」が流行する京都の町中を、会津藩主・京都守護職の松平容保(かたもり)が籠に乗って移動していました。

ちなみに、松平の役職は、今で言う所の警察権力のトップです!

 

そして、松平の護衛が道を空けさせようとするものの、民衆は「ええじゃないか」と踊り歌いながら拒否します。

このように、

 

京都の町中は取り締まり上手くいかなくなり・・・

警察機能も警備も麻痺していく・・・

 

という事態になりました。

 

 

すると、11月23日に倒幕派の薩摩藩の兵が京都に入りました。

京都の都市機能が壊滅している中、

 

倒幕派はクーデターを起こしやすい状況

 

でした。

そして、12月9日の朝、倒幕派は王政復古を掲げクーデターを決行し、

 

徳川幕府が倒れる!!!

 

という歴史の節目となりました!

 

そして、先ほどの岩倉具視は倒幕派でした。

そして、同じく『 岩倉公実記 』には、

 

江戸幕府が倒れたこの日・・・

「ええじゃないか」は京都から忽然と消えた・・・

 

と書かれています。

 

更に、幕臣だった福地源一郎の記録によると、次の通り書かれています。

 

『 御札降りは、倒幕派の者が社会を混乱させるため仕組んだ計略ではないか。 』

 

勿論、「未だに」事実も真相も分かりません(笑)

 

 

では、番組の紹介は終了し、締め括りです!