これは以前のTOPICSでもお伝えした事もありますが、
思考は同時に複数を抱く事が可能であるが・・・
言葉(話し言葉)と文字(書き言葉)は時系列で順番に発する(伝える)事しか出来ない・・・
と。
そして、「最初に言葉ありき」などの言葉もありますが、様々な伝統技術などの継承では「口伝」という事も行われたり、また「一端口から出た言葉は引っ込める事は出来ない」というのも事実です。
そして、
私達は思考を伝える為に言葉や文字を取捨選択し・・・
その取捨選択に対して更に思考する・・・
というのが本来の在り方です。
そして、このような事から私の妄想!?ですが、
文字の前に言葉があり・・・
言葉の前に思考がある!!!
とのものが私の結論です(笑)
先程の植物は文字は持っていないのかもしれませんが(ただ、人間が発見出来ていないだけで、体液などを目には見えない塗料のように活用しているかもしれません)、発するメッセージとしての物質は植物においての言葉と捉える事も充分に可能です。
そして、葉を囓られて身の危険が及んでいると感知しているという事は、これは思考と同じとも言えます。
そして、
コミュニケーションとは思考だけでも可能ではあるが・・・
そこに言葉と文字が加わる事で・・・
より丁寧なコミュニケーションが可能となる!!!
のはお分かりかもしれません。
ここに先程の『 文字の前に言葉があり・・・言葉の前に思考がある!!! 』を「繋げて」「重ねて」みると、
言葉に思考が引きずられ過ぎないように心掛けるのも大切!!!
となります。
なぜなら、
私達は思考した何かを誰かに伝える為に言葉や文字を駆使するが・・・
逆もまた然りで・・・
言葉や文字が不足すれば思考も不足する・・・
からです。
そして、
思考が不足するとは・・・
思考する事が手間と感じ億劫になる・・・
という事を同時に意味しております。
故に、