コロナ禍の障がい者の環境とリトル・アマル ~知る、気づく、想像、経験~

聴覚に障がいを持つ、ある子どもさんのお母様が次のように話しておられました。

お母様:
『 (息子が)「どうして皆マスクを着けているの?」って、「もう、お口が見えないから分からないよ」ってすごく怒ってきて、ショッピングモールなどに行った時は、しゃべらなくなってしまったんです。
  「もう分からないからしゃべらないね」みたいな、それがとても悲しかったですね。 』

 

そして、聴覚障がいをお持ちの子どもさんの発声の訓練などでは、これ迄(コロナ前)であれば口の形や舌の位置などを、時には子どもの口を触りながら形を教えたり、顔を近づけて舌の位置を確認したりなどが出来ていましたが、今(コロナ禍)はそれが出来ない、、、と。
が、しかし、このような支援学校等におきましても、創意工夫をしながら、様々な取り組みも行われている事も紹介されておりました。

 

そして、目からも耳からも情報が得られない、盲ろう(視覚・聴覚の重複障害)の方々も数多くいらっしゃいます。
このような場合では《 触手話 》といって、お互いの手と手などを直接触れ合ってコミュニケーションを取る事もよく行われているそうです。

そして、外出時などには、通訳介助者の支援が必要となるケースもかなり多いそうですが、コロナ禍では通訳介助者の方におきましても、また、利用する側の盲ろうの方におかれましても、双方共に(支援し、支援される)機会が減ってしまいました。
このような状況により、盲ろうの方々には様々な情報がより入って来なくなってしまいました。

特に盲ろうの方の中におかれましては、お一人では買物にも行けず、日々の生活自体が成り立たなくなってしまうケースが多くありますが、通訳介助者へのワクチン優先接種を実施したのは、ほんの一部の自治体のみで、ほとんどの自治体では優先接種の対象外であったそうです。

ちなみに、聴覚障害に関しましては以前のTOPICS『 カウンセリングの心・思い 』でも少し取り上げております。

では、この番組からの紹介はここで終了です!

 

そして、二つ目の素材はごくごくシンプルにご紹介して参りますが、皆さんは《 リトル・アマル 》という言葉をご存じでしょうか???
私も先日に初めて知りましたが、そこで、

 

「知る」までは「知らない」という事が自然で当たり前である!

 

という、大前提があります(笑)
このリトル・アマルとは行方の分からなくなった母親を探し求める(というストーリーの元)シリア難民の9才の女の子をイメージして作られた巨大人形であり、これが今年7月にトルコを出発し、約3ケ月半の間にヨーロッパ各地の8カ国を渡り歩く予定のイベントの事です。
このような紛争に巻き込まれたり、迫害に遭っている約8,240万人の内の4割以上が18才未満という事もあり、

 

《 私たちのことを忘れないで 》

 

というメッセージが込められているものです。
そして、先日のニュースの中で、このイベントのプロデューサーであるデービッド・ラン氏が次のようにインタビューに応えておりました。

デービッド・ラン氏:
『 難民の中で子ども達は最も弱い立場です。
  彼らの存在が知られていないからです。
  最初に必要としているのは、存在しているという事実に人々が気づくことなのです。 』

 

と。
では、ここで二つ目の素材も終了です!
そこで、今回のテーマの趣旨となりますが、それは、