砂上の楼閣という現代社会 ~過去にせよ未来にせよ「その時」は常に「今」~

更に、今回のオリンピックに関しては(実際は今回に限りませんが)、皆さんも報道やニュースでご覧になった方々も多いかもしれませんが、IOCや組織委員会や政府や東京都の姿勢などを見ても、オリンピックファミリーと称される存在やスポンサー枠などは観客ではなく関係者であるとの「詭弁」、また、近代オリンピックはアマチュアのスポーツの祭典と称されてきましたが、いつの間にやらドリームチームと称されるようなプロ選手の参加、そして、プロ選手が参加する事により視聴者数の増加による放映権料と言われる莫大なお金の流れや高騰、それに合わせる為の競技時間の設定、そして、各国のメダル数で国の威信?を見せつけるかの如くの成果(結果)主義など、もはや、

 

オリンピックの意義や精神という「土台」は・・・

とうの昔に・・・

崩れて(失われて)しまっている・・・

 

ように私には感じられます。
勿論、全てのプロ選手の参加が悪い訳でもないでしょうし、当てはまる競技もある事かもしれません。

と、ここ迄オリンピックに視点を移してきましたが、同じような人流の増加による感染拡大の懸念が予想されるのは、昨年の秋のGoToトラベルでも同じ本質です。
GoToトラベルにより感染拡大を招いたとの科学や医学における明確なエビデンス(証拠)は無いなどの見解もある模様ですが、関連があるのは間違いありません。
なぜなら、

 

全ては「繋がって」そして「重なって」いる

 

からです。
このような視点からも、現在は「有事」と称されたりしておりますが、言語的には「有事」の対義語は「平時・無事」とされていますが、

 

現代社会においては・・・

「有事」の反対は「無事」ではない・・・

 

というのは、薄々感じていらっしゃる方々も多くなってきているかもしれません。
そして、

 

「結果」が出ない事は「失敗」ではない・・・

その一方で・・・

新たな「犠牲(など)」が生じてしまう(生み出されてしまう)のは「失敗」に他ならない・・・

 

のも真実です。
そして、

 

「負」の成功体験(の後)は・・・

同じ事を繰り返す事に繋がる以外にも・・・

更に事態を「悪化」させる引き金にもなり得る・・・

 

のは決して忘れてはいけません。
これは「個人」にも当てはまるものです。
そして、今回の砂上の楼閣における、

 

「砂上」という「土台」は現代社会における「真の動機」を表している

 

という事に既にお気づきになっている方もいらっしゃるかもしれません。
そして、