こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、早速ですが、今回は「アドラーは心理学?スピリチュアル? ~ソーシャルディスタンス(社会的距離)と広場恐怖症も含め~」というテーマをお届けして参りますが、また、後ほど少しご紹介もしていきますが、A(アルフレッド)・アドラーとは心理学者です。
では、今回のテーマの「心理学?スピリチュアル?」という設定は何なの???と思われるかもしれませんね(笑)

 

このアドラーという人をご存知の方もいらっしゃれば、ご存じ無い方もいらっしゃるかと思います。
日本でも数年前に、一時、このアドラーに注目が集まった時期もあります。
そして、書店などでも多くの書籍も発売されており、特設コーナーなどが設けられたりもしておりました。

私は数十年前にこのアドラーの本を読んだ時期がありましたが、その時はチンプンカンプン?と言うより、その中に自分の望んでいる「答え」が見つからない?見つけられない?という感じで、遠ざかっておりました。
また、現在におきましても、色々と調べたり、書籍を読んでいるという訳ではありません(笑)

 

ただ、私はこのTOPICSにおきまして、時折「魂の視点」と称してお伝えしているものもあります。
そこには、心理学・文学・科学・(精神含め)医学・哲学・天文学など、更に、それこそ、スピリチュアルな視点、また、漫画やTV番組、映画や歌なども含めてですが、そのような、自分に興味や関心のある事柄の中から、自分なりに「共通点」を見出しているものも含め、「魂の視点」としてお伝えしております。

何か偉そう!?上から目線!?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このような分野の全てを詳細に知って理解している訳では当然ありません!!!
平たく言えば、「つまみ食い」のように、「繋げて」「重ねて」という事も勿論あります(笑)
そのような私なりの今までの背景を振り返って見た時に、今回のテーマが何か役に立つかもしれない!?と感じたのが、今回のTOPICSに繋がっております(笑)

 

では、前置きが長くなってしまい申し訳ございませんが、先に進めて参ります!
そして、今回は、アドラーに興味や関心のある方の入門編としても活用出来ますし、また、特に心理学の分野やアドラーに興味や関心の無い方でも、一つの素材として活用出来る内容にしております!

そこで、今回素材として活用するのは、2016年にEテレで放映された『 100分 de 名著 アドラー「人生の意味の心理学」(全4回放送) 』からお届けして参ります。
そして、この番組に解説として出演されていた、哲学者・カウンセラーの岸見 一郎 氏(この方はアドラー心理学の第一人者と言われ、数多くのアドラーの書籍を翻訳している方でもあります)は、このアドラーの様々な視点(を理解し、実践する事が出来れば)について、

 

『 個人の人生はもとより世界が変わる 』

 

と番組の冒頭で述べておられました。
では、そのようなアドラーの世界の体験に進む前に、少しだけ、この番組からアドラーの「人となり」をご紹介して参ります!

アドラー(1870年~1937年)は、当時、フロイトとユングと並ぶ、心理学の三大巨頭の一人と称されていました。
そして、このアドラーの視点というのが、第一次世界大戦後のヨーロッパやアメリカで多くの反響を呼び起こしました。

 

アドラーは幼い頃「くる病(ビタミンDの欠乏などにより、特に子ども時代において骨の成長が上手く進まず、骨が通常よりも柔らかくなってしまう病気)」を患っていた事により、体の自由が利かない時代を過ごしていました。
ちなみに、これは余談ですが、このTOPICSでも幾度かご紹介しております、20世紀最大の催眠療法家と言われております、ミルトン・エリクソンも小児麻痺により体が不自由でしたが、この幼少期において、体が不自由な点を逆に活用し、多くの人々の観察に当てていた事は有名な話でもあります(笑)

 

そして、アドラーは大人になってからは内科医として開業し、その後「劣等感(の持つ力)」をテーマに据え、精神医学の道に進んで行きます。
そのような中、1914年の第一次世界大戦で精神科医として従軍し、傷付いた兵士が再び兵役に就けるのかを判断していました。
そして、ここでの体験を基に、「闘わない為には何をすべきか?」を理想として掲げ、独自の視点(心理学)を築いていきます、、、

 

では、退屈?に思われたかもしれない「人となり」のご紹介はここ迄に致しまして、内容に入って行きますが、まず、先ほどの岸見 氏は、これも番組の冒頭において次のよう(な趣旨を)述べておりました。

 

『 (今でもそうだが)多くの心理学では(人を)「タイプ分け」する。

  しかし、アドラー心理学は「個人」心理学であり、「実践」心理学である。

  故に、(理解し、実践するには)「勇気」が要る。 』

 

と。
ちなみに、「タイプ分け」とは「分割出来る」という視点であり、アドラーの「個人」というのは「分割出来ない」という視点です、、、
それでは、ここからが本題となっていきますが、「「勇気」が要る」との部分、、、準備は宜しいでしょうか???
冗談です!!!大丈夫ですよ(笑)

 

では、この全4回の番組内において、各回に短い寸劇?のようなものが行われておりました。
ここでは、アドラーを模する「安土羅先生」が、訪ねて来る人に対して「言葉掛け」をしていきますが、ここからは気楽な感じで、この寸劇で行われていた内容を、私なりに整理し、少しアレンジして、「安土羅先生」の発言を主としてご紹介して参りますので、皆さんは、是非、自由に「考えて」みて下さい!

 

第1回目:『 人生を変える「逆転の発想」 』から
ある女子高生が「人は変われる 世界はシンプルである 誰もが幸福になれる」という安土羅先生のチラシを目にしました。
そこで、この女子高生は、そんな訳ないじゃん!と疑問を持ち、安土羅先生の元に訪れてきました、、、

安土羅先生:
『 世界が複雑なんじゃなくて、あなたが世界を複雑にしているのだとしたら、どうかな?
  問題は世界がどうかではなく、あなた自身がどうか?なんだがね、、、 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人は客観的な世界ではなく主観的な世界に住んでいる

 

と。
では続いていきます。

安土羅先生:
『 だから、今この瞬間からでも人は変われるんです。
  もし、変われないとすると、残念ながらそれは、あなたが変わりたくないからに他ならない。

  あらゆる結果の前に原因があるという考え方が、既におかしいんだよ。
  過去の原因からではなく、今の目的から考える事だよ。

  (例えば、過去のいじめなどのトラウマで)不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないから、不安という感情を作り出しているんじゃないのかな、、、

  いつも(私達は)過去に原因を求めている。
  でも、原因に捕らわれていては、一歩も前に進めませんよ。
  原因ではなく、目的に目を向けなくてはいけません。
  人生は全てあなたが決めているんですから、、、 』

と。
そして、この番組内では、ここ迄の視点を、

 

① 意味付けを変えれば未来は変えられる
② (その為には)原因ではなく目的に目を向けよ

 

と整理しておりました。
そして、アドラーはこの意味付けを「ライフスタイル」と呼んでいました。
これを踏まえた上で、

安土羅先生:
『 未知の世界に踏み出す事を、人は無意識に恐れているという事さ。
  色々不満はあっても、このままの私でいる事の方が楽だからね。
  あなただって、変わりたかったら、いつだって変われるのに、敢えて変わろうともしない。

  むしろ、あなたは変わらない決心をしてしまっているんだよ、、、
  あとは、その決心を変える勇気があるかどうか、、、 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人生が困難なのではない

あなたが人生を困難にしているのだ

人生は極めてシンプルである

 

と。
そして、番組内ではこの「ライフスタイル」という視点を、次のように整理しておりました。

 

〇 自分の事を自分がどう見ているか(自己概念)
〇 他者を含む世界の現状についてどう思っているか(世界像)
〇 自分および世界についてどのような理想を抱いているか(自己理想)

 

そして、この視点の理解と実践の帰結として、アドラーは次のように表現しています。

 

3日あれば人間は変われる

 

と。
では、第1回目はここで終了ですが、「「勇気」が要る」という意味が、薄々?分かりかけてきた頃合いでしょうか?(笑)

 

第2回目:『 自分を苦しめているものの正体 』から
ある男性が、自分の容姿も性格にも劣等感が一杯で、それで彼女が出来ない、との悩みで、安土羅先生の元に訪れてきました、、、
そこで「優越性の追求」というテーマの基に、、、

安土羅先生:
『 もし、あなたのその顔が好きだ!という女性が現れたら?

  (そして、この男性が、それならばもの凄く嬉しいです!との返答に対し)
  だったら、その外見は劣等性では無かったという事になりますね。
  あなたの言う劣等感は、ただの思い込みかもしれない、、、

  何かが劣っているのではなく、問題は、その顔や肉体について、あなたがどんな価値を与えるかなんだ。

  身長や年収だって、あくまで他者との比較の中で生まれた主観でしょ。
  あなたは本当に彼女が欲しいと思っているのかな?
  本当は彼女なんて欲しくないのに、自分で自分を騙しているのではないか?
  (例えば、身長が180㎝あれば、などの自分の理想の)可能性の中に生きていたいが為に、、、 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人間であるという事は劣等感を持っているという事

 

と。
そして、番組内では「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」という視点を、次のように整理しておりました。

 

「劣等コンプレックス」:
・ AであるからBできない
・ AでないからBできない
→ 本当は因果性が無いのに、そのように自分で思い込んでいる(見かけの因果性)

 

「優越コンプレックス」:
・ 自分を実際よりも優れているように見せようとする
・ 他者からどう見られているかを非常に気にする
・ 自分で自分についての理想を高くしようとする
→ 他人を貶(おとし)める、いじめ、差別、自己憐憫(不幸の自慢話等)などで、自分を相対的に優位に立たせる人(価値低減傾向)

 

そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

我々の文化においては弱さは非常に強くて権力がある

 

と。
これはポジティブな視点では「赤ちゃん」なども当てはまりますが、当然ながら、別にそれが悪いという訳ではありません(笑)
ちなみに、この「劣等コンプレックス」と「優越コンプレックス」というのは、あくまで私個人の視点から眺めてみますと、現在の「(様々な)格差や分断(分離)」という現象に炙り出されているように思えてしまいます。
そして、

安土羅先生:
『 (この男性が、どんなコンプレックスも受け入れるので、どうすれば彼女が出来ますか?との問いに対し)
  あなたは彼女がいる男やモテる男に負けてると思っているだろう?
  競争や勝ち負けで生きていると、必然的に劣等感が生まれてくる。

  常に自分を誰かと比べて、あの人には勝った、あの人には負けた、、、そう考える事になるから。
  だからあなたは、一方で誰かを羨(うらや)み、一方で誰かを見下(くだ)す、そういう生き方をしているんだ。

  必要以上に自分を大きく見せる必要はないんだよ。
  もっと普通である事の勇気を持つんだ。 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

そのままの自分を認めよ

 

と。
ちなみに、ここでも私の個人的視点ですが、「普通」に生きたいと願う際には、「普通」の意味付けを自分で自分自身に与える事が必要になります。
しかし、世間一般での「普通(という見方)」で自分自身に意味付けをしようと思っても、それは「不可能」にもなります。

なぜなら、これも「比較(の対象)」となり、どこまで行っても「堂々巡り」になるからです(笑)
アドラー(安土羅先生)が「普通である事の勇気」とコメントした真意には、これを理解した上での「逆もまた真なり」という真意が込められているように私には感じますが、皆さんは如何でしょうか???

 

第3回目:『 対人関係を転換する 』から
1回目に出てきた女子高生が、自分は絵が好きだから本当は美大に進みたいが、親が普通の大学へ入り、普通に就職を望んでいるので、自分の夢を諦めた方がいいのか?との悩みから、安土羅先生の元に訪れてきました、、、

そして、アドラーは次のような事を言っています、、、

 

人間の悩みは全て対人関係の悩みである

 

と。
そして、「承認欲求」というテーマの基に、、、

安土羅先生:
『 それは承認欲求の為せる技だ。
  (親や誰かに)褒められたい、認められたいという欲求が、自分が良い子でいたいから、両親から認めて欲しいから、あなたは自分の夢を諦めようとしている。
  あなたに次の言葉を伝えておこう。

  「 人間は自分自身の人生を描く画家である 」

  それがどんな絵になろうと、全て自分自身で引き受けるしかないんだよ。 』

と。
すると、お決まり?の如く、この女子高生の母親が、娘が美大に進みたいと反抗(?)してきたと、娘に何を吹き込んだんだ?と安土羅先生に文句をつけにやって来ました(笑)

安土羅先生:
『 娘さんが自分で自分の道を選んだ事が、何か問題ですか?
  (母親に向けて)課題の分離が出来ていませんね、、、 』

と。
では、この「課題の分離」に関し、この番組内で放映されていた内容を先にご紹介致します!

 

「課題の分離」:
《 降っている雨を傘で防ぐ事は出来ても、雨が降る事を止める事は出来ない。

  他者の感情も雨と同じで、いくら力で押さえ込もうとしても、それを変える事は出来ない。

  つまり、他人の課題に無理に踏み込まず、課題の分離をすべきである。 》

 

このような事は、私達の身の周りでもよく見かけますし、よく起こっています(笑)
他人の人生を背負い込む、子どもは親の所有物ではない、などの表現もあります。

例えば、あなたがお腹が空いていたとして、他の誰かに代わりに食べて貰っても、あなたの空腹は満たされませんよね!?
なおかつ、誰かの代わりに食べて上げたとしても、(それをしている)その人は常に満腹状態で、空腹という休まる時が無くなってしまいますし、そこに「双方の満足感」が生まれないのと同じ事です。

また、先ほどの「逆もまた真なり」で、変な例えですが、これはオシッコでも同じです!
代わりにオシッコをして貰う事も出来ませんし、して上げる事も出来ません(笑)

 

そして、
安土羅先生:
『 彼女(娘さん)の課題に土足で踏み込まず、信じて見守って上げて下さい。
  さもなくば、彼女が人生の選択に失敗したと思った時、それをきっとお母さんのせい(責任)にするでしょう、、、もしかしたら、恨んだり、復讐しようとしたり(笑顔)、、、自分の人生の責任は、自分で取るしかないんです。 』

と。
そして、母親が帰った後、安土羅先生は皮肉?を込めた独り言で、『 まぁ、あなた方が、どう変わるかは、私の課題ではありませんけどね、、、(笑顔) 』とも(笑)
そして、再び女子高生がやって来て、

安土羅先生:
『 もし、親の期待に応えて、喜ばせたとして、それでは、他人の人生を生きている事になるからね。

  (自分の人生を生きるのは勇気が要るが)でも、それは幸せになる勇気であるんじゃないのかな!? 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人間は自分の運命の主人公である

 

と。
そして、このような「課題の分離」というのは、「無関心」を装う、あるいは、「(誤った意味での)自己責任」などの意味では無い事はご理解頂けるかと思います。

最後に余談でも少し触れますが、ソーシャルディスタンス(社会的距離)なども含め、「人間関係の距離感」というのは確かに存在します。
「君子の交わりは淡きこと水の如し」という言葉もありますし、先ほどのお腹に例えると「腹八分目」という言葉もあります(笑)

 

そして、これは決して揶揄しての表現ではありませんが、「真面目」な人の中には、この人間関係の距離感を、一度自分で決めてしまったら、何時、如何なる状況であろうとも、「それを維持し続け、頑なに守ろうとする(変えようとしない)」という傾向も見受けられます。
「臨機応変」に変えて良いのです(笑)
では、最後に進んで参ります!

 

第4回目:『 「自分」と「他者」を勇気づける 』から
そこで、ここでは、まず始めに「共同体感覚」というのが基になっておりますので、ここでも先に番組内からの説明をご紹介致します!

 

共同体感覚とは、他者を仲間と見なし、そこに自分の居場所があると感じられる事

ひいては

人は全体の一部であり、全体と共に生きている

 

という視点であり、その要素として、

 

① 自己受容
② 他者貢献
③ 他者信頼

 

が挙げられております。
そして、2回目に出てきた男性が、仕事で失敗し、上司に怒られ、生きていくのが嫌になった、との悩みで、安土羅先生の元に訪れてきました、、、
そこで、ここでは、「勇気づけ」と「勇気くじき」というテーマの基に、、、

安土羅先生:
『 仕事の失敗なんて誰にでもあるじゃないか。
  (その男性が同僚や後輩の目の前で怒られた事に対し)それは、勇気くじきってやつをやられたんだよ、きっと。

  全ての人間関係が縦の関係に基づいてるから起こる事だ。
  横の関係に基づけば勇気づけになるはずなんだけど。

  堂々と言いたい事を意見すればいいんだ。
  あなたは人に嫌われる事や、関係が壊れる事ばかり気にしてるだろ。
  自分に価値が無いなんて思わずに、もっと嫌われる勇気を持つんだ。 』

そして、そこに3回目で幸せになる勇気を教えて貰った女子高生もやって来て、

安土羅先生:
『 幸せになる勇気と嫌われる勇気は同じなんだよ。 』

と。
そして、ここで「勇気づけ」に関して、これも番組内での整理をご紹介致します。

 

勇気づけとは

共同体への貢献感を感じられる

自分に価値があると感じられる

勇気が持てる

これらのステップを援助する事

 

とされておりました。

そして、その女子高生は美大受験を決意し、両親も賛成してくれている、という状況である一方、その男性は全てが上手くいかず、誰にも必要とされていない自分の人生だ、、、との嘆きに対し、

安土羅先生:
『 おいおいおいおい、会社が全てだと思っているようだが、あなたがいるのはもっと広い世界だよ。
  (手を斜め上に広げたジェスチャーをして)見たまえ!!!

  とにかく、会社なんて一つの共同体に過ぎない。
  悩んだ時は、より大きな共同体の声を聴け!!!だ(笑顔)
  この世界には、もっと別の人間関係が無限に広がっているはずだよ。

  (女子高生と男性に向け)あなた達は、あなた達の人生の主人公なんだから、思い通りに生きればいいんだよ!!! 』

と。
そして、この視点をアドラーは次のように表現しています。

 

人生の意味はあなたが自分自身に与えるものだ

 

と。
では、この番組からの素材の提供はここで終了です!
如何でしたでしょうか?

そして、ここ迄ご紹介してきた内容に関しまして、今回は私がとやかくコメントする必要もありません(笑)
いつも通り、皆さんの「自由」に捉えて下さい!

 

そして、今回のテーマとして取り上げた、「心理学?スピリチュアル?」ですが、もうお気づきになっている方もいらっしゃるかもしれませんが、

 

心理学であろうと・・・スピリチュアルであろうと・・・

肩書きやラベルはどうでもよく・・・

要は・・・

自分なりに如何に活用(実践)出来るのか!?

 

という所が最大のポイントである事と感じます。
そして、敢えて、今回のテーマを「心理学」と「スピリチュアル」という視点に区分けしたとしても、どちらにも「共通」しているのは、

 

自分という存在を知り・・・

自分という存在を理解し・・・

その為には・・・

(自分なりに)「考える」という事が大切になる

 

という「源」です。
そして、この「共通」や「源」を、特に昨年からこのTOPICSで頻繁に活用している言葉に置き換えると、それが、

 

「繋がり」と「重なり」

 

になります(笑)
そして、私が「繋がり」と「重なり」という表現を活用している理由の一つには、

 

「共通」や「源」という響きからは・・・

「(ある)一点」を探し出そうという焦点に繋がりやすくなり・・・

この「ピンポイント」での視点に陥り過ぎてしまうと・・・

苦しく辛くなってくる・・・

 

からです(笑)
しかし、

 

「繋がり」や「重なり」では・・・

「幅」や「奥行き」や「高さ」なども自由であり・・・

「余裕」が生まれてくる

 

からです(笑)
そして、これと同じ事が、これも幾度もTOPICSで活用している「グラデーション(濃淡)」にも当てはまります(笑)

 

そして、始めの方でご紹介致しました「このアドラーの視点というのが、第一次世界大戦後のヨーロッパやアメリカで多くの反響を呼び起こしました。」という点を歴史的に鑑みてみると、ヨーロッパ、特にイギリスにおいてはスピリチュアルという視点が社会や文化に多分に組み込まれており、アメリカにおいても、20世紀後半の一時に、ニューエイジ(運動)が盛んに行われていたのも、アドラーの視点と(深く)結び付いているのかもしれません、、、

 

では、長くなってしまい大変申し訳ございませんが、余談として一つだけお伝えさせて頂きます!
現在の新型コロナウイルスの影響により、「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」という事がよく言われるようになりました。
確かに、今少しの間、全て一律ではなく、それぞれの状況に応じて、これらを活用するのも大切であり、効果もある事と感じます。
ただ、

 

「物理的」な距離感は・・・

「心理的」な距離感にも・・・

必ず影響を与えている(与えてくる)

 

という側面があります。
今の状況が長引けば長引くほど、この「距離感」というものを捉え辛くなったり、終息した暁でも、この「距離感」を取り戻す(想い出す)事が難しく感じられたり、上手く出来ないと感じる方は、今後増えてくる事と感じます。

そして、これらの事は、例えば、

 

広場恐怖症(他人の目が恐くなって家から出られなくなるなどの、一種の(強迫)神経症とされているもの)

 

などとも繋がりやすくなっていく可能性もあります。
ちなみに、先日あるニュースを見ていたら、コロナの影響によりお店を閉じざるを得なくなった事により、婚約破棄に至った事例が取り上げられておりましたが、中には、コロナに感染するのが恐いから!という理由で婚約を破棄された、とのケースもあるそうです。
ここまで来ると、開いた口が塞がらない感が満載のように感じますが、逆に、そのような人と結婚前に気づいて別れる事が出来て良かった!と、個人的には思ってしまいますし、きっとアドラーも同じ事を言うようにも感じます(笑)

 

また、聴覚が不自由な方などにおかれましては、相手がマスクをしている事で、口元が判別出来ずに、何を聞かれているのか分からず、スーパーなどでの買い物でも苦労しているというケースも起こっておりますが、現在の状況では致し方ない面もあるのも事実ですが、このような事象に関しても、「想像力」をより活用していく必要があるという視点も忘れてはならないものです。

 

少し話が逸れてしまいましたが、今回の番組では、この「広場恐怖症」についても少しだけ触れられておりましたので、締め括りとして、アドラーがこの「広場恐怖症」をどのように捉えていたのか?をお伝え致します!

 

広場恐怖症という(心の)現象は・・・

(一見すると)他人の目を恐がっているように見えるが・・・

 

実は・・・

皆の注目を集め・・・

自分が世界の中心にいたい!

と思っている事によるもの

 

との見解を取っているとの事です。
つまり、自分の思い通りに他人が応えてくれない事に「失望」していく事から、それが更に症状として結び付いていくと説明されておりました。
しかし、

 

この問いに対する答えも・・・

既にここ迄の内容において・・・

出て来ている!!!

 

という点も含め、宜しければ探し出してみて下さい(笑)

そして、最後に、ソーシャルディスタンスも含め、「距離感」を感じ取るには、「君」「あなた」などの自分なりの定義も必要になります。
そこで、2020年1月11日の、本年最初のTOPICS『 「君」、、、「あなた」、、、とは「誰」???・・・ 』におきましては、そのような視点もご紹介しておりますのに加え、その中で、私は次のようなコメントもしております。

 

『 2020年とは、ある種の、分岐点・瀬戸際など、どのような表現を用いても構いませんが、何かしらの「岐路」に立っているのは間違いありません。 』

 

と、、、
もし宜しければ、今一度(改めて)目を通してみて下さい!