最近の社会の傾向を見ていると・・・
多くの人が「怖れ」から・・・
「自分自身を表現する」事を(極度に)抑えている・・・
と、とても強く感じてもいます。
そして、「自分自身を表現する」事を極度に抑えるというのは、「自分自身(の生き方などを含め)を自らで否定する」という事にも繋がりかねません。
勿論、「自分自身を表現する」とは、他者を傷付ける発言などが「許される自由」では全くありません!
では、今回は行き過ぎ?ついでに、余談を付け加えて参ります(笑)
心霊現象や幽霊などの話題では、よく「地縛霊」が恐い、、、という事も耳にします。
「地縛霊」というのは、事件や事故等により、その現場の土地から離れられずにいる存在とも言われたりします。
そこで、まず、幽霊の正体?の多くは、
残留思念(エネルギー)
と言われています。
これは、例えば、
お花を別の所に移動した際に・・・
その前の場所に漂っている・・・
「残り香」・・・
とも同じです。
その残留思念が大きければ大きいほど、長時間残り続ける(傾向がある)のはご理解頂けるかと思います。
そして、こんな表現は大変失礼ですが、
残りの幽霊の大半は・・・
(単に)「(自分が死んだ事に)気づけていない」・・・
から、とも言われています。
この場合では、(心の中で)語りかけてあげるなどのご供養などで「気づき」をもたらせてあげる事が出来ます。
そして、
そのまた残りの・・・
(過度な)執着や未練を残しているが故に・・・
その場に留まってしまう・・・
というのが、いわゆる「地縛霊」と言われます。
そして、この未練や執着というのは、何かの「物」である事もありますし、怒りや恨みなどの「感情」である事もあります。
また、幼い子どもさんなどを残して、他界後に気になって、なかなか先に進めないというケースも心情的には理解出来ますし、このような場合を地縛霊と言ってしまうのは、少なくとも私には出来ませんし、徐々に理解した上で、少しの間は、この世でお子さんなどを見守るというのがあっても構わないとも個人的には思います。
そして、「物」への未練や執着は、表現を変えれば「欲(望)」とも言えますが、私もお金も欲しいですし、他にも欲しい物はそれなりにあります(笑)
なので、お金や「物」などへの興味や関心を持つのが悪いというものでは決してありません!
そして、実は、地縛霊の元々の定義?では、