語るに落ちる・・・ではなく・・・語らずとも落ちている ~無関心が生む不作為という行動~

誰かや何かのせい(責任)にしてばかりでは・・・何も変わらない・・・

 

というのも真実であり、大切な視点でもあります!

そして、今回は「毒舌」という言葉も活用して参りましたが、私自身は「(感情優位の行き過ぎた)毒舌」はあまり好きではありません(苦笑)
そして、このような「毒舌」と問題点を鋭く指摘する「風刺」などは全く別物です。
ここ数年は、TVにおける芸能人やコメンテーターなどにおいても「毒舌」である事が「重宝」されているようにも見受けられますが、勿論、仕事の上でのキャラクターという意味で演じている側面もある事かと理解もしますが、ただ、

 

言葉を裏切る人は・・・

言葉から見限られ・・・

 

そして、

 

自分でも知らぬ間に、毒が毒である事に気づかずに・・・

 

また、

 

それに(行き過ぎた)同調をする視聴者においても同様の事が当てはまっていき・・・

両者共々に「毒を持って毒を制す」と言われるように・・・

無自覚のままで、誰かや何か(という毒)にコントロール(支配)されてしまい・・・

 

尚かつ、

 

その事にすら「気づけない」状態に陥ってしまう・・・

 

という悪循環の道を辿ってしまう怖れがかなり高くなってしまいます。
ここでも「理性の活用」が出来ていない事の現れとなっています。
では、ここ最近の2つのニュースをご紹介致しますので、「理性の活用」と「愛」という側面を考える素材としてみて下さい。

 

一つ目は繰り返されている悲しい出来事ですが、山口県内の高校生の方が、教師も含めたイジメにより自殺をしてしまったニュースです。
この事例においては、最初の調査ではイジメは認定出来ずとの判断が下されたそうですが、再調査の結果、教師によるイジメが新たに判明し、イジメによる自殺の可能性が認定されたというものです。

 

そして、この事例においては、(あくまで報道ベースですが)調査(方法)の根拠となっている「いじめ防止対策推進法」での、第2条の「児童等」の定義において、この「児童等」とは学校に在籍する児童または生徒をいう、とされている事により、最初の調査においては、「先生や教師」は調査の対象外と判断された事が真相を見誤らせたとの指摘が出ております、、、、、

 

では、二つ目の出来事です。