ギリギリの所まで来ている・・・現代(という私達)

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日来の相次ぐ台風により甚大な被害が出ておりますが、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に、お怪我をされた方やお家が損壊された方、また、避難所でお過ごしになられている方なども含めまして、心よりお見舞い申し上げます。

そこで、今回は「ギリギリの所まで来ている・・・現代(という私達)」というテーマをお届け致しますが、不謹慎の誹(そし)りを免れないなどのご批判もある事も承知の上で、かつ、そのようなご意見もちゃんと受け止めた上で、私自身が「今」必要と感じている面を、率直にお伝えして参ります。

 

では、まず最初に、お聞きになった事がある方も多いかと思いますが、中島みゆき さんの「時代」という歌の前半部分の歌詞をご紹介致します。

 

『 今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて
  もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

  そんな時代もあったねと
  いつか話せる日が来るわ

  あんな時代もあったねと
  きっと笑って話せるわ

  だから今日はくよくよしないで
  今日の風に吹かれましょう

  まわるまわるよ時代は回る
  喜び悲しみくり返し
  今日は別れた恋人たちも
  生まれ変わってめぐり逢うよ 』

 

では、皆さんに問い掛けます、、、

 

「今」起こっている・・・

自然災害にしても・・・

人為的な様々な出来事にしても・・・

 

「いつか話せる日が来るわ」・・・

「きっと笑って話せるわ」・・・

と、「今」、本当にそのように思い、感じる事が出来るでしょうか・・・

 

ところで、次のような言葉があります。

 

国破れて山河あり

 

これは「戦乱などで国が滅びても、山や川などの自然は元のままの変わらない姿で存在していること」を表していると言われておりますが、この言葉を自然災害に当てはめるのは「誤用」である事を敢えて承知の上で、

 

「今まで」のように何も変わらずに進んで行った時に・・・

「これから先」の光景(景色)に・・・

この言葉は、当てはまるのでしょうか・・・

 

逆に、あくまで私個人としては、仮に国がかろうじて存続出来たとしても、そこに、山や川は既に存在していないかもしれず、、、ひいては、そこ(国)に人々(国民)は存在し得るのだろうか、、、という事を、とても強く考えてしまいます。

では、このTOPICSでも何度か繰り返しお伝えして来ておりますが、少し表現を変えて、改めてお伝え致します。

 

私達(人間)は自然(界)をコントロールする事は出来ない・・・

が、しかし・・・

私達(人間)の「意識」は・・・

自然(界)に(多くの)影響を与えている・・・

 

というものですが、今回は敢えて率直にお伝えするという趣旨から、これは間違いありません。

では、ここで、今までのTOPICSにおいても自然災害に関してお伝えして来ておりますが、その幾つかの、ごく一部を抜粋して、再度ここに掲載致します。

 

まず、2015年9月11日のTOPICS「見る・聞く出来事には意味があるのか?」からです。
この時は、栃木県、茨城県、宮城県での大規模な「川の氾濫」が引き起こされ、そこから「溢れ出す」という現象をキーワードとしてお伝えしたものであります。

『 大変な困難な中でも、そこから活路・意味を見い出し、同じ事が起こらないよう出来る事は何か? 』

『 このように「溢れ出す」というテーマに対し、そこから見い出せる一つの活路・意味としては、「受け入れる力(受容力・包容力)」ということが考えられます。 』

 

次は、2016年4月16日のTOPICS「急遽:今、見つめ・気付けることを・・・」からです。
この時は、熊本で発生した大地震を取り上げました。

『 私達の意識というものは、正の面も負の面も含めて、それが多数集まることにより膨大なエネルギーが産み出されることが量子力学における数万人の実験から明らかになっています。

  その実験では、その集合した意識のエネルギーが、まずもって狂わされる可能性のない機器に影響を及ぼし、変化させていることが実証されています。 』

 

では、最後は2018年7月14日のTOPICS「自然(災害)と人間の意識(波動)」からです。
この時は、これも甚大な被害が出てしまった西日本での豪雨災害を取り上げました。

『 最新の科学の分野においては、次のような研究もなされています。

  それは、自然災害が引き起こされる際には、人間の意識(波動)が深く関与しているのではないか・・・との一説です。 』

『 良かれ悪かれ、私達人間における意識の波動を乱す元となるのは、行き過ぎた感情の波です。 』

『 自然災害が発生した場所の人間の意識(波動)が問題なのではなく・・・私達がどこの場所にいようと、自然災害がどこの場所で起ころうと・・・全ては私達一人一人の意識(波動)が関わっている・・・ 』

 

昨今の台風や大雨などに関しては、温暖化(気候変動)が理由として挙げられていますが、確かにそれも大きな要因の一つです。
ただ、このような温暖化(気候変動)を引き起こしたのも、私達(人間)です。
そして、その中には、当然ながら「私自身」も含まれておりますし、「あなた自身」も含まれております。

 

そして、先ほど『 良かれ悪かれ、私達人間における意識の波動を乱す元となるのは、行き過ぎた感情の波です。 』とのコメントをご紹介致しましたが、この「意識」そして「感情」の乱れは、現在では残念ながら「溢れんばかり」の雑多なものが存在しているのが事実ですが、その中でも、ここ最近、特に私が危惧している(気に掛けている)のが、

 

世界各国でも・・・

勿論、日本国内でも・・・

「冷笑」という空気感(雰囲気)が蔓延してしまっている・・・

 

というものです。

そこで、「ひろしま」(昭和28年上映)という映画があります。
これは文字通り、広島に投下された原爆の実態を描いた物語です。

 

そして、そのワンシーンで、戦後少し経過した後の、学校での場面があります。
そこでは、先生が生徒に、原爆を受けた人は手を挙げて下さいとの場面があります。
ちなみに、そこで手を挙げた生徒の人数は3分の1として紹介されています。

 

そして、手を挙げた中の、一人の女子生徒が次のように発言します。

『 記憶力が悪くなって、、、チョットの傷が膿んだり、、、とても目も体も疲れやすいんです。

  夏なんか、とても体がだるくて、起きていられないくらいなんです。 』

 

すると、ある男子生徒が次のように発言します。

『 夏は誰だってだるいですわ! ねぇ~ 』

 

そして、そのクラスの中で「(冷)笑い」が湧き起こり、その女子生徒は何も言えなくなり、うつむいてしまいます。
それを見た、先ほど手を挙げた中の、一人の男子生徒が席を立ち上がって言葉を発します。

『 何がおかしいんだ!

  これだから、何も言いたく無くなるんだ!

  〇〇君(先の女子生徒)の言った事は、程度の違いはあっても、原爆を受けた者が皆、苦しんでいる事なんだ。

  それに、口では言わないが、いつ原爆症に命を取られるかと思って、毎日ビクビクして生きてるんだ。

  そんな事を言えば、君達はすぐ、原爆を鼻に掛けてるとか、原爆に甘えてるとか言って笑うんだ。 』

 

そして、これを聞いた先生が発言します。

『 〇〇(先の男子生徒)にそう言われると、僕は全く弁解のしようが無いんだ。

  (中 略)

  広島に来て、原爆の事を勉強しなかったって事は、全く僕自身の怠慢で、その点、諸君にはすまないと思っている。 』

 

これを受けて、先ほどの男子生徒が更に言葉を続けていきます。

『 それは先生だけではありません。

  広島市民の大部分の人が知らないんです。

  今、新聞なんかが、原爆と平和問題を結び付けて、盛んに世界の人達に呼びかけていますが、僕は、原爆の恐ろしさと、あの非人道的な事を、世界の人達に叫ぶ前に、まず、日本人に分かって貰いたいんです。

  いえ、それよりか、広島の人達に知って貰いたい。

  もっとハッキリ言えば、ここにいる、このクラスの人達に、先生によく知って貰いたいんです。 』

 

では、この映画のワンシーンから、皆さんは先ほどの「冷笑」という空気感(雰囲気)を、どのように捉え、どのように感じますでしょうか、、、

確かに、原爆(人為的)と自然災害に差異はあるかもしれませんが、ここには、私達の「意識」、ひいては「感情」が「炙り出されて」います。

そして、繰り返しの問い掛けですが、

 

「今」起こっている・・・

自然災害にしても・・・

人為的な様々な出来事にしても・・・

 

という事に関して、

 

どうぞ皆さん・・・

「関心」を持って・・・

そして「知って」・・・

そして「気づいて」下さい・・・

 

そして、特にここ最近の風潮から「気づいて」欲しいのは、

 

「言葉」とは「裏腹」の思い(詭弁、時には嘘)

 

です。
なぜなら、

 

これらの全ても・・・

私達(人間)の「意識」の現れ・・・

 

であるからです。
そして、

 

このような「意識」の現れが・・・

私達(人間)全ての・・・

「思い」「言葉」「行動」に繋がっている・・・

 

という事に。

では、今回のTOPICSの締め括りと致しまして、冒頭にご紹介した、これもご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、同じく中島みゆき さんの「糸」という歌から、サビの有名な歌詞の一部をお伝え致します。

 

『 縦の糸はあなた

  横の糸は私

  織りなす布は

  いつか「誰か」を

  暖めうるかもしれない 』

 

自然災害にしても、、、人為的な様々な出来事にしても、、、「全て」は、、、「繋がって」います、、、

2019年10月19日 03:10

魂の視点から見る、お葬式と結婚式の共通点

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「魂の視点から見る、お葬式と結婚式の共通点」というテーマをお届け致しますが、この内容は、いわゆるスピリチュアルの雑学のような感じで進めて参りますので、全く肩肘を張る必要も無く、ただ、リラックスして、へぇ~そんな事もあるのかな?本当かな?などのように、疑問を感じても全く構いませんし、あるいは、そうだったのか~!などのように、気軽な感じで読み進めて頂ければ幸いです!
なので、今回のTOPICSでは、得るものがなかったなぁ~!?のようなご感想を抱かれても大丈夫ですので(笑)

 

ところで、人生における大きな儀式?と致しましては、お葬式や結婚式というイメージを抱かれる方も多いかと感じます。
勿論、「今、この時」に、このTOPICSをお読み頂いている皆さんにおかれましては、自らのお葬式を(まだ)体験されていないのは当たり前の事でもありますし、また、ご結婚をされている方におかれましても、結婚式はしていないという方もいらっしゃる事でしょう。

 

では、皆さんは、今まで、お葬式と結婚式に共通点はある?という事を考えてみた事はありますでしょうか?(笑)
おそらく、、、ほとんど、無いですよね(笑)
まず、誰もが思いつく共通点と致しましては、

 

(人数に関わらず)人が集まる(集まりやすくなる)場

 

という点が挙げられるかもしれません。
私のように40代の中盤にもなりますと、結婚式にお招き頂く機会は(かなり)少なくなりますが、逆にお葬式などに参列させて頂く機会は増えていく傾向があるのは、皆さんも似たような感じかもしれませんね!?

 

ところで、先日、私の父のお姉さんが他界された事で、父は身体が一部不自由な面もある為、私が父の代理も兼ね、また、私自身もご挨拶をしたいとの思いから、岩手県でのお葬式に参列させて頂きました。
結婚式でも、もしかしたら似たような側面があるのかもしれませんが、特にお葬式では、

 

所変われば品変わる

 

との言葉のように、地域性による風習の違いなどが顕著に現れてくる側面もあります。
勿論、宗派による違いもあるでしょうし、仏式とそうではない宗教での違い、また、そもそもお葬式には決められた規則やルールなどは本来ありませんので、現在では家族葬などのように、(無宗教で)自由な雰囲気で執り行う方々も増えてきております。

また、結婚式と同様に、お葬式も必ず行わなければならないなどの決まり事も全くありません。
かつ、結婚式では「当事者」がもろもろの意向や趣向などを考えて執り行うでしょうが、お葬式の場合では、他界されたご本人様のご意向が反映されるケースは、まだ少数派でもあるかもしれません。

 

では、まず最初に、魂の視点から見て、お葬式にどのような意味合いがあるのか?を少しご紹介致します。
まず、一つ目としては、

 

他界されたご本人様に向けて、死を気づかせてあげる

 

という視点があります。
これは、頭のオカシイ?オカルト風?な話に聞こえる方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、突発的な事故などの場合や、意識の無い状態での入院生活が長期間続いていた場合などでは、

 

ご本人様そのものが、他界した事に気づいていない

 

というケースが(よく)あると言われております。
そのような視点からは、ご本人様が気づかぬままに、少しの混乱や困惑した状態で自らのお葬式に参加しているケースもあれば、ご本人様は他界された事に(充分に)自覚を持った上で、ご挨拶の思いを持って参加しているケースもあります。

なお、「参加」という言葉は少し変?に私も感じますが、なかなか適切な言葉が浮かびませんでしたので、ご容赦下さい(笑)
では、二つ目としては、

 

ご遺族などの心の整理(区切り)の為

 

という意味合いがあります。
これに関しては、私がこれ以上コメントするようなものでもありませんので、皆さんもご自身の経験から考えてみて下さい!
そして、これが一番大切になる三つ目として、

 

感謝であろうと・・・謝罪であろうと・・・

他界された方・・・この世にご存命の方・・・

「双方」における「思い」の交流の為に!

 

という意味合いです。
ところで、近頃の何かと慌ただしく気忙しい現代においては、お葬式と同時に、49日や100日法要なども済ませるケースがとても多くなっております。
勿論、これも否定や非難されるような性質のものではありませんので、それで良いものでもあります。
ちなみに、このような観点から、お葬式などを執り行わなかったからと言って、「浮かばれない」などのような事も決してありません(笑)

 

そこで、先ほどの私が参列させて頂いたお葬式のお話です。
なお、誤解の無きように先に申し伝えておきますが、これも否定や非難などでは決してなく、「所変われば品変わる」、つまり、仏式などでも、それを執り行うお坊さんや葬儀会社などによって違いがあるという趣旨でご紹介致します。

 

では、まず最初に、私がお葬式に参列させて頂く時の、私の「思い(スタンスや姿勢)」を少しお話致します。
私が経験した多くの場合では、お葬式の場では2~3回ほどのご焼香の機会が設けられているケースが多いように感じます。
勿論、1回のケースもありますので、そのような時には、私は帰りがけに再度、ご祭壇の前に出向いてご挨拶をさせて頂いたりしています。

 

そして、1回目のご焼香時は、感謝の念を伝えたり、よく頑張って生き抜かれましたね!などの「思い」を伝えるようにしています。
また、ご病気などの場合では、もう(肉体が無いが故に)楽になって良いんですよ、などの言葉掛けをする事もあります。
そして、お葬式の最中に、自分の中で湧き出てきた「想い出」などを2回目のご焼香時において伝え、それと同時に、

 

これからも・・・

共に「叱咤激励」しながら・・・

生きて行きましょう!

 

との「思い」を乗せる(運ぶ)ように心掛けております。
そして、これは余談ですが、お葬式の場などでは、どうしても悲しみなどの空気感(雰囲気)が存するのは自然で致し方ない事でもありますが、それが強いと感じる際には、お葬式の最中に、私は「その場(の人々も含め)」に向けてヒーリングを行ったりしている事もあります。
勿論、あくまで、自分の中の「イメージ」を活用してでありますので、立ち上がって何かをするようなものでは決してありません(笑)

 

そこで、まず、「思い」を伝える(運ぶ)際にはご焼香である必要性もありませんし、どこでも、いつでも、伝える事が出来るものでもありますし、伝わるものでもあります。
そこで、先日のお葬式においては、ご焼香の機会が6回ほど設けられておりました。

 

先ほどご紹介致しましたように、あくまで私個人としては、2~3回ほどの「思い」を伝える(運ぶ)事を心掛けておりますが、例えば、それが、より増えた機会を設けられた際には、「ご遺族などの方に、私に出来る事があれば教えて下さいね」なども伝えたりします。
ただ、

 

お葬式という限られた時間の中で・・・

(あくまで良い意味での)6回ほどのご焼香の場を設けて頂いても・・・

他の人々(参列されている方々)は、何を伝えて(運んで)いるのだろう・・・???

 

と考えてしまいました(笑)
勿論、6回でも足りない!という方々もいらっしゃる事でしょうし、それが、先ほどの「どこでも、いつでも、伝える事が出来る」という事にも繋がっております。
ただ、

 

おそらく(ですが)・・・

3回以上のご焼香の場を設けられると・・・

ほとんどの人は・・・

「儀式(形式的)」に執り行っているだけ・・・なのかも???

 

などのように、「思い」からではなく、「見た目(外見)」を重視せざるを得ない?という方々は、結構いらっしゃるようにも感じます(笑)
例えば、ご焼香をしている際に、何か急かされている?ような感じを持った事はありませんでしょうか?(笑)
勿論、このような事も、良し悪しや是非という問題ではありませんが、皆さんは今までのお葬式という場において、どのような体験や感じ方をされた事がありますでしょうか???

 

そして、魂の視点においては、他界された方々の多くは、ご自身のお葬式などにちゃんと参加しており、そして、参列している私達の「思い」もちゃんと届いているという観点からは、

 

お葬式の場などにおいては・・・

(あまり)「儀式(形式的)」に捕らわれ過ぎる必要もなく・・・

逆に・・・

お坊さんや葬儀会社などが、その趣旨(魂の視点)を汲み取り・・・

(これからは)「創意工夫」を込めていく・・・

 

事も必要なのでは?と個人的に思ったりもしていました(笑)
なぜなら、

 

(何度も繰り返される)ご焼香の場などにおいて・・・

何の「思い」も込められていないのであれば・・・

他界された方が、どう思い、どう感じているのか・・・???

 

に「思いを馳せる」と、自分が送られる側であれば何を素敵に感じるかな?という点は、薄々お気づきになるかとも思われます。
そして、おそらく?率直に言って、

 

仮に、「思い」が(全く)込められていない・・・

(何度も繰り返される)ご焼香の場などにおいては・・・

参加している他界されたご本人様も・・・

(もしかしたら)「苦笑」しているかもしれない・・・

 

という現象が起こっているのかもしれません(笑)
つまり、お葬式などの場においては、

 

「思い」「言葉」「行動」の一貫性

 

を考える機会となるかもしれません!
ちなみに繰り返しですが、私はご焼香の回数などに文句を付けてる訳でも、お坊さんや葬儀会社を非難している訳でも決してありませんので、重々誤解の無き用にお願い致します(笑)

 

では、お葬式では、他界された「当事者たる」ご本人様も(多くは)参加されているとお伝え致しましたが、そうは言っても「見えない」「聞こえない」「感じられない」というケースが圧倒的でもある事と思います。
しかし、結婚式においては、それこそ、もろに、結婚をされる「当事者」は存在し、目の前に見え、お話も出来、一緒に写真を撮るなど触れる事も出来ますよね(笑)

 

ところで、スピリチュアルなものが好きな方はご存じの方も多いでしょうが、「アカシックレコード」という概念?が存在しています。
では、簡単にご説明致します!

 

アカシックレコードとは・・・

この宇宙での全ての出来事・・・

「私達の全て」を記録(保存)しているもの・・・

 

と言われております。
つまり、

 

私達の瞬間瞬間、全ての・・・

「思い」「言葉」「行動」の・・・

データベース・・・

 

とも呼べるものでもあります。
ちなみに、これもご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、エドガー・ケイシーという人が存在しておりましたが、この人は、カウンセリングやガンなどの病気への対処法を知りアドバイスをする為に、このアカシックレコードにアクセスして情報等を得ていたと言われております。

これも、俄(にわか)には信じられない!という方も多いかと思いますが、少なくとも、量子力学などの最先端科学においても、意識は貯蔵され、その情報がどこかに存在しており、それにアクセスする事も(理論上は)可能であるとの方向性を既に示しております(笑)

 

では、結婚式には皆さんも出席された事が少なからずあるかと思われます。
そして、多くの場合では、おめでとう!などの祝福の「思い」を抱いての事かとも思われます。
ただ、中には、

 

チクショー! 羨ましいじゃないか!

 

などの、ポジティブとも?ネガティブとも?取れるような「思い」を抱く方もいらっしゃるでしょうし、子どもさんなどの結婚に対して、はらわたが煮えくり返る!?ような「(結婚に反対の)思い」を抱いて列席される親御さんなどもいらっしゃるかもしれません。
勿論、「内心は自由」ですので、どのように思おうと構わないものでもあります(笑)
そして、このように、結婚式においては、

 

どのように「思って」いようとも・・・

「言葉」と「行動」には現れない(現れづらい)為・・・

「当事者」に気づかれる事は・・・

ほぼ、無い・・・

 

というのが実情です(笑)
ただ、そうは言っても、

 

(もし、仮に)アカシックレコードなるものが・・・

本当に存在しているとすれば・・・

(そこでの)あなたの「思い」「言葉」「行動」の全てが・・・

記録(保存)されている・・・

 

という事にもなります(笑)
では、少し話は逸れますが、このアカシックレコードというのは、「走馬燈のように想い出が蘇る」という捉え方も出来ますし、「閻魔(えんま)さんから裁きを受ける際の調書(資料)」のようなものと捉える事も可能です。
勿論、閻魔さんは存在しておりませんし、そのような「裁き」を誰かからされる事もありませんが、

 

(魂の視点の上での)真実としては・・・

自らで自らの「思い」「言葉」「行動」を・・・

振り返させられる(省みさせられる)機会が・・・

例外なく、誰にでも、必ず・・・訪れる!!!

 

と言う事が出来ます。
そして、

 

そのような機会を設けているのは・・・

他ならぬ「自分自身」である!!!

 

と言うものでもあります(笑)
そして、結婚式では「(若い)二人の為に、御指導ご鞭撻と共に、何かの折には力になってあげて下さい!」などの祝辞や挨拶なども、よく聞かれるものでもあります。

 

では、ここ迄で、今回のお葬式と結婚式の「共通点」を皆さんなりに見出す事は出来ましたでしょうか?(笑)
では、魂の視点から私なりの「二つの共通点」をお伝え致します!

 

お葬式でも・・・結婚式でも・・・

どちらも「当事者」は(その場に)存在しており・・・

故に・・・

私達の「思い」「言葉」「行動」は・・・

(少なからず)現実(事実)として影響力を持っている!

 

というのが一点目です。
そして、二点目は、

 

お葬式でも・・・結婚式でも・・・

やはり・・・

その先(今後)に向けて・・・

「共に」これからも続いていく人生(や生命活動)における・・・

お互いにとっての「叱咤激励」の場となっている!

 

と言うものです(笑)
先ほどの結婚式における「内心の自由」のように、お葬式の場などでも「この世からいなくなってくれて清々した!」と思う方もいらっしゃるかもしれませんし、そのような内心においても、誰も制限などを掛ける事は出来ません。
そして、これは、結婚式でもお葬式の場でも、何も「崇高な思い」などを持ちましょう、という意味合いでも決してありません(笑)
ただ、

 

私達の「思い」「言葉」「行動」の全ては・・・

必ず「見られて」おり・・・

それを「見ている」のは・・・

他ならぬ「自分自身」でもある・・・

 

という視点を活用してみると、結婚式ではそんなに大差はないのかもしれませんが、少なくともお葬式の場においては、他界されたご本人様は勿論、「あなた自身」においても何かしらの「変化」を感じ取る素敵なキッカケとなるかもしれません!?(笑)

ちなみに、他の事例としては、コンサートや演劇などでは、「チケットのいらないお客様(が今日は多かった)」などという事がよく聞かれるものでもあります(笑)

 

そして、最後に少しの余談ですが、これは今回のテーマとも「源」が繋がっておりますのでコメントさせて頂きます。
現在、関西電力の原発(誘致)を巡る金品等の問題が明らかになりました。
そこで、

 

死んだ人の事を悪く言うものではない・・・

 

との言葉もありますが、これはその通りでもありますし、そのような「スタンスや姿勢」は大切なものでもあります。
ただ、ただ、ただ、

 

自らのした(行った)事に対しては・・・

死に逃げは出来ない・・・

 

と言うのも、魂の視点における真実でもあります。
故に、このような視点というのは「悪口」などのような性質とは一切違うものでもあります。
そして、これが、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております、

 

自らのした事は、自らに反ってくる!

 

というものであり、

 

この反ってくるとは・・・

この世でも・・・あの世でも・・・

全く同じものであります(笑)

2019年10月12日 03:10

「枠」を取り払うと・・・変化を起こしやすくなる!?

こんにちは!
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、早速ながら今回は「「枠」を取り払うと・・・変化を起こしやすくなる!?」というテーマをお届け致しますが、特に今回は私の見解や視点などは幾分かを省き、出来るだけ皆さんにとっての「考える素材」を提供する事を趣旨としたいと思います(笑)
そこで、ある一つの番組の一部と、ある一つの出来事(ニュース)の紹介を交えて進めて参ります!

 

では、まず一つ目の素材は、ウワサの保護者会「校長先生 中学校を変える!」という番組から一部をご紹介して参りますが、この番組内でのコメント等につきましては、読みやすく(理解しやすく)する為に、私なりの補足や簡略化している箇所もございますので、その点は予めご了承頂ければ幸いです!

 

そこで、この番組では「公立」である東京の世田谷区立桜丘中学校が取り上げられておりました。
現在では、この中学校に転入を考える見学者の方が増え続けており、1年生190人の内、半数近くが学区外から通学しているそうです。
そして、この学校では、

 

《 インクルーシブ教育 》:障がい、国籍、性差などに関わらず、様々な子どもが共に学べる環境を整えた教育

 

を方針として運営されているとの事です。
そして、このような方針の実践の現れとして、

 

生徒の自主性を重んじる観点から・・・

校則を無くした(徐々に減らしていった)!

 

という取り組みを行ったそうです。
例えば、

 

・ 茶髪、ピアス、メイク、アクセサリー、サングラスなどもOK!
・ (休憩時間中の)スマフォでのゲームもOK!
・ チャイムを無くした!

 

などなど、色々行っているそうです。

私の中学生時代では、とてもとても考えられない、まるで異世界の出来事のようにも思えますし、このTOPICSをお読みになって頂いている皆さん自身の中学生時代を思い返してみても、校則が無いなんて信じられない!という感想も多いかもしれませんね(笑)

ちなみに、私の通っていた公立の中学校では、男子は原則として皆、坊主の時代でした!
私は野球部でしたので、この点はあまり困りませんでしたが(笑)

 

では、話を本筋に戻しますね!
そこで、この校則を取り払った事に関しての、校長先生とインタビュアーのやり取りの一部をご紹介致します。

 

校長先生:
『 最初に来た(この学校に赴任して来た)時は、当然(ながら)普通の学校で、不良も(いて)、言う事を聞かない生徒もいて、毎日のようにケンカはするし、、、。

  (生徒という子ども達はそのような)パワーを持っているので、抑えつけて(校則を守らせる)はムリだろうなぁ、、、という事で考え出したのが初め(のキッカケ)です。 』

 

インタビュアー:
『 生徒達に任せて不安は無いのですか?

  自由という事は(生徒である子ども達が)どんなデザイン(ある種のルール作り)をしてくるのか分からないという恐さと背中合わせだと思うのですが、、、。 』

 

校長先生:
『 (大人が)待つ事が出来るかどうか。

  何年かかるか分からないけれど、待てれば不安はない。

  待てないから(大人が)不安になる。 』

 

とのやり取りです。
そして、校則を取り払った現状についてのやり取りに進みます。

 

インタビュアー:
『 「校則 = ルール」であるけれども、ルールがある事による安心感もあるので、ルール(という校則)が無いと、(生徒である子ども達は)考えなきゃ、、、となるものですか? 』

 

校長先生:
『 小学校では6年間、皆と同じにしなさいとの教育を受けてくる。

  うち(の中学校)は180度違うので、最初は1年生は大変です。

  どうしていいのか分からない、好きにしていいよって言われても、、、(何をしていいのか分からない)。 』

 

とのものです。
では、ここで、この番組内で紹介されていた、当事者である生徒さんの感想や意見を少しご紹介して参ります!

 

生徒Aさん:
『 時々、チョット自由を勘違いしている人(生徒)達がいて、なんか、そこは自分でちゃんとケジメをつけなきゃいけないと(私は思います)。 』

 

生徒Bさん:
『 むっちゃ(とても)ルール(校則)が厳しい所よりも、ここの方が、僕は厳しいと思う。

  もっと楽に言うと、難しい。 』

 

とのものでした(笑)
そして、この中学校では、校則を無くす以外にも、様々な取り組みをしている事が紹介されておりましたので、少し見て参ります!

 

この中学校では、廊下にたくさんの机とイスを置いて、授業中でも、誰でも使えるようにしているそうです。
これは、元々は学習のスピードが速く、一人で勉強したい人の為に用意したスペースだそうですが、様々な理由や事情で、教室に入りづらい人や、自分の興味や関心のあるものに取り組む際にも活用されているそうです。
そして、このスペースを活用している、前の学校で不登校だった生徒さんが次のようにコメントしておりました。

 

生徒Cさん:
『 前の学校よりも、もっと気楽に(学校に)来れるので、、、

  (前の学校では)結構、一日過ごすと、すごい疲れちゃったりした、、、

  (今は)自分のペースで(色々な事が)出来るので、そこが、いいなぁって、、、 』

 

とのご感想です。
また、別の取り組みとしては、帰国子女の方などの場合では、英語は既に出来るので、英語の授業中は図書館(や先ほどのスペース)などで、自分の関心のある事の自習(や塾の宿題)をしているそうです。
そして、このような自分に関心のある事として、貧しい国の支援をする活動を行っている帰国子女の生徒さんは、次のように述べておりました。

 

生徒Dさん:
『 日本の学校は、目立っている人はダメという雰囲気を感じるけど、(この中学校では、そのようなものが少ないので)活動がしやすい。 』

 

と。
では、ここ迄においても、賛否両論を含め、様々なご意見やご感想が出て来る事と思われます(笑)

自分が中学生の時に(校則が無いという)体験をしたかった!でも、校則が無かったら、果たしてどうなっていたのだろう?などのご感想もあるかもしれませんし、現に今、子どもさんを学校に通わせている親御さんなどにおいては、校則やルールが無いと不安や心配で堪らない!自分の子どもがルールや規範というものを学べずに大人になったらどうしよう?や、中には、子どもを甘やかし過ぎだ!世の中や社会はもっと厳しいんだぞ!などのご意見もあるかもしれません(笑)

 

そして、ここで今一度、想い出して下さいね!
今回は「考える素材」の提供である趣旨を(笑)
なので、ここ迄のご紹介の内容におきましても、「正解や答え」を求めるようなものでは決してありません(笑)
では、ここで、実際に現場を預かっている先生方の感想を少し紹介してみます!

 

別の学校から赴任して来たA先生:
『 大変かと言われたら、たぶん大変です。

  校庭で遊んでいる子たちがいて、私が放送で「雨が降っているから中に入りなさい」ってやったら、すごい怒られたというのがあったりしたんです(笑)。

  そんなの子ども達が考えればいいんだ。そんな考え古い!って(怒られた)。 』

 

この学校が教員として初赴任となったB先生:
『 これは出来たよね。ここはどう思う?っていうような、子どもが前向きになるような考え方をする声掛けは、やっぱり凄く考えますし、そういった所は、もう常々、頭でフル回転してます。 』

 

とのものでした。
そして、このような教員に対する校長先生からの言葉というのが、次のようなものでした。

 

校長先生:
『 自分は教員だとか、自分は大人だとか、自分は男性だとか、そういう考えを全部剥ぎ取って、素の人間で接しなさいと、、、

  そうすると深い人間関係が出来て、それが面白い。

  教員と生徒の関係だけじゃつまらない。

  人と人との関係になるから(面白い)。 』

 

とのコメントでした。
そして、最初にご紹介致しました、《 インクルーシブ教育 》の取り組みの実践としての、校長先生の考えとして、次のように述べておりました。

 

校長先生:
『 違っている方がいいと言う価値観。

  自分は何で出来ないんだって考える必要はない。

  私は私、これが私って言える(環境)。

  出来ない事を出来るようにするのではなく、出来る事、好きな事を伸ばしていく。 』

 

では、一つ目の素材の紹介はここで終了ですが、繰り返しになりますが、今回ご紹介した内容は「私の意見」という趣旨でもなく、肯定否定などのどちらかのスタンスに立つものでもありませんので(笑)

 

では、二つ目の素材の、ある出来事(ニュース)とは、つい先日のものです。
これも、とある市の、「公立」である市立小学校と市立中学校での出来事です。
もしかしたら、既にご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが(笑)

 

その出来事(ニュース)とは、これもご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、この小中校の授業で、スクールカウンセラーの方が、いわゆる「トロッコ問題」を取り上げた事について、このような内容の授業を行う事に対して、保護者から不安などの声が上がった、とのものです。
では、紹介されていた記事から、簡単に「トロッコ問題」をご紹介致します!

 

『 トロッコの向かう先の線路が左右に分岐しています。

  一方の線路には5人、もう一方の線路には1人が縛られて動けなくなっています。

 

  そして、その分岐点の所に、トロッコの行く先を決めるレバーを操る人が存在しています。

  このまま何もせずにトロッコが進めば、その先には5人が線路上に横たわっています。

 

  あなたがレバーを引けば、1人が横たわっているだけの道になります。

  トロッコにはブレーキは付いていません。

  あなたは、、、レバーを引きますか?、、、それとも、、、そのままにしますか? 』

 

とのものであり、この出来事(ニュース)を報じていた記事では、生徒に対し、何もせずに5人が死ぬ運命にするのか?あるいは、自分でレバーを引いて1人が死ぬ運命にするのか?との「選択肢」が問題用紙に書かれていたとの事でした。

 

これは、以前のTOPICSでも取り上げた事がある、言わば私の子ども時分にも流行った「究極の選択」という(遊び)と同じ(似たような)性質の問い掛けでもあります(笑)
なお、ここ最近のTOPICSにおいては「(あまり)二者択一に陥らないように」ともお伝えし続けておりますが、今回はそのような趣旨で素材として取り上げた訳ではありません(笑)

 

では、ここ迄で、皆さんにおかれましては、この二つの素材の内容におきまして、どこに「共通点」があるのか?という点を様々に考えて頂ければ、今回のTOPICSの目的は果たした事になります!
勿論、この「共通点」にも、絶対的に決まった正解や答えがある訳でもありませんし、それを求めている訳でも決してございません(笑)

 

そこで、あくまで「私の視点」(の内の一つ)を少しだけご紹介させて頂きます!
それは、

 

校則という「枠」で「行動」を囲みたがるのも・・・

選択肢という「枠」で「考え」を囲みたがるのも・・・

全ては・・・

大人の恐れ!

 

です。
そして、これは、

 

裏を返すと・・・

大人が子どもを信用していないから!

 

でもあります。
そして、ここには、

 

大人は子どもから学ぶ姿勢を失って(忘れて)しまっている!

 

からでもあります。
なお、「公的」な機関や場などで活躍されているカウンセラーなどの方々におかれましては、どうしても「公的」という「枠」の中で解決を図らねばならず、その「枠」を逸脱してはいけないとの思いから、どうしても、更にその「枠」を狭めざるを得なくなっているのが、おそらく、このようなカウンセラーの方々などは心苦しく感じていらっしゃる方も多いかとも感じます。
また、このようなケースは、もしかしたら、心療内科や精神科などの医師の方々においても、同様に感じている方は(少数ながらも)いらっしゃるかもしれません。

ちなみに、私がこのTOPICSでお伝えしている「魂の視点」などは、「公的」な機関や場などでは、即刻、論外!!!言語道断!!!退場!!!となってしまうのが、この世の風潮でもあります(笑)

そして、毎年毎年、多数の法律や規則が作られたり改訂されたりなどしておりますが、

 

このように多くの規則やルールが無ければ・・・

私達という大人は・・・

自らを律する事が出来ないのか・・・???

 

というのが、現状でもあります。
勿論?中には必要最低限度の法律などもある事とも思いますし、一足飛びに全てを撤廃出来るものでは無い事は、未熟さが多々ある世の中や社会においては、ある意味、「必要悪」という考えも成り立つのかもしれません。

しかし、このような沢山の規則やルールがありながらも、次々と明るみに出て来る、(大)企業や政治家などの不正行為などが後を絶たない状況も嘆かわしい事実です。

そして、このような大人が創り出している世の中や社会の様子や構図などを、

 

子ども達は・・・ちゃんと見ている!

 

のも真実です。
そして、先程からの、

 

恐れ・信用・学ぶ姿勢・自らを律するに「共通」してくるのが・・・

「真の動機」はどこにあるのか・・・???

 

を探し出し「考える」事が必要になってきます。
そして、

 

本当の「真の動機」においては・・・

必ず・・・

「なぜなら~」という理由が説明出来るもの!

 

という性質が備わっています。
ただ、「真の動機」においても、それこそ、そこに存するのは「良し悪し」であったり「清濁」などが含まれており、「真の動機」が必ずしも「汚れの無い清浄なもの」という意味では決してありません(笑)
どちらかと言えば、現在では「汚れの無い清浄なもの」としての「真の動機」は圧倒的に少ない事でしょう、、、

そして、もの凄く過激で極端な?表現を活用しますと、

 

地獄(あるいは、閻魔(えんま)大王)は確かに存在はしていないが・・・

地獄(閻魔大王)が意味(表現)している所を・・・

私達という大人は今一度・・・

胸に手を当てて「考えて」みる必要がある・・・

 

と、個人的にはもの凄く強く感じております!

今回の二つの素材におきましても、様々な校則がある中で、仮にその校則が必要なのであれば、その「理由」を大人がちゃんと説明出来ているのでしょうか?また、トロッコ問題にしても、仮に選択という「決定」を促すものであるとしたら、なぜ「その選択」をしたのかを大人が「理由」や「是非」を付して説明出来るものなのでしょうか?もしかしたら、大人であってもトロッコ問題においては「決定」は出来ないのではないのでしょうか?

 

そのような「考える」という姿勢や、発想や想像力を刺激するという「理由」からも、私個人的には、小学校であろうと、幼稚園や保育園であろうと、トロッコ問題などのような問い掛けを「考える」事は、とても大切で役立つものと感じております!

なぜなら、、、「肉体の年齢」と「魂の年齢」は違う、、、からでもあります(笑)

そして、今回の出来事(ニュース)に様々な声が上がったのは、おそらく、スクールカウンセラーの方に悪気などがあった訳ではなく、どちらかを選ぶという選択肢に焦点を当ててしまった事が、少し配慮を欠いていたのかも?という面があるようにも個人的には感じております(笑)

 

今回の素材のように、(無意識ながらも)自分自身に設けている「枠」というのは、確かに自分では気づき辛いものでもあります。
それは、私自身も同様です(笑)
なお、この「枠」というのは、「普通」「常識」「思い込み」あるいは「(自分の)軸」のように捉えて頂いても大差はありません。

このように、「自分の内面」にあるものに関しては、なかなか気づき辛いが故に、「自分の外側」とでも呼べる世の中や社会で起こっている様々な出来事について、出来る範囲内で構いませんので、自分の事であったらどうするだろう?などのように、宜しければ、少しだけでも「関心」を持ってみるようにしてみて下さい!

 

ちなみに、警察官による発砲により重傷者まで出てしまっている、香港におけるデモにおいても、自身の将来を見据えて、多くの中学生の方々が参加されているとの事でもあります。
別に私はデモを勧奨している訳でもありませんし、暴徒化(取り締まる側も含め)するのは全く本末転倒の別次元の、行ってはいけない行動であるのは間違いありませんが、ただ、「今の日本の大人」は「考える」という事を、残念ながら放棄してしまっているような感を、、、私個人としては、とても強く感じております、、、

 

それと、「真の動機」に関するほんの少しの余談ですが、消費増税も実施になり、その「理由」として社会保障費の増大なども挙げられておりますが、その全てが「嘘」とまでは申しませんが、やはり、増税の「真の動機(目的)」は別にある点と、(各企業の独自の取り組みなどは別ですが)私個人的には不公平感満載!?と感じている、キャッシュレス決済による還元制度を行う「真の動機(目的)」も別にある点などは、皆さんも、よくよく「考えて」みて下さい、、、

ちなみに、S.Light.Mでは今回の増税に際し、(今の所は)料金変更をせずに、据え置きにしておりますので!(笑)

2019年10月5日 03:10

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