魂の視点の実体験???(笑)

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

令和元年も始まった2019年もちょうど半分に差し掛かりましたが、少しお疲れモードの方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
そこで今回は、どうでも良いと言えば、どうでも良く、、、意味のある?と言えば、意味もあるのかもしれない?、、、という「魂の視点の実体験???(笑)」というテーマをお届け致しますので、肩肘を張る必要性も全くございませんし、どのように思われようと、あるいは、どのように捉えようとも皆さんのご自由ですので、お気軽に読み進めてみて下さい!

 

ところで、今回の実体験???というのは、私個人の体験もお伝えして参りますが、私の他界した母は、どちらかと言えば感受性が鋭い方でしたので、私も小さい頃から色々な話しを耳にしていたり、時には同じ場に居合わせていたりと、色々振り返ってみると面白い?ような体験談を想い出しておりました(笑)

まぁ、このような魂の視点の実体験???というのは、世間では不可思議な事象、または、心霊現象?はたまた幽霊?などと言われるケースが多いのでしょうが、そこでまず、

 

魂の視点においては・・・

心霊現象や幽霊というのは・・・

その視点の、ごくごく一部に過ぎない・・・

 

という側面があります(笑)
また、

 

以前であれば心霊現象や幽霊などの「物理現象」であっても・・・

魂の視点の「本質」を「受け身的」に学ぶ意味では役立つ面もあったが・・・

 

「現在」ではそのような「物理現象」においては・・・

「学ぶ」という「積極的」な姿勢から「本質」を捉えないと・・・

振り回されてしまうケースも出て来る・・・

 

という側面も含まれます。
そう言えば、つい先日のニュースで、悪霊が憑いていると言われて、除霊?をしている最中に、カバンから現金数百万円が盗まれた!という事件が報道されておりました(苦笑)
未だに後を絶たない、このような霊感商法や悪徳商法では、

 

あなたの中の・・・

「怖れ」を巧みに突いてくる・・・

 

という「本質」がありますので、どうぞ、今回のテーマからも、また、どのような「物理現象」であっても、特段「怖れ」る必要性もなく、自分なりの「本質を見抜く目」を養ってみる?という観点でも、宜しければ、ご自由に参考なり活用してみて下さい(笑)
では、まずは、私の母の実体験???をご紹介して参ります!

 

そこで、手始め?(笑)として、それは、私が幼稚園か小学校低学年の頃だったと思います。
母の妹らと一緒に旅館に泊まる事になりました。
そして、その旅館の部屋に入ると私の母が「何か嫌な感じがする」と話しました。

それで、色々眺めていた所、座布団などを閉まっている小さな押し入れのようなものがありました。
そして、座布団などを全部出した所、その押し入れの中に紐?のようなものがあり、それを母が引っ張った所、祭壇?みたいなものが現れました!

その部屋で事件?事故?があったのかどうかは分かりませんし、旅館の人が何かの宗教儀式?に使っていたのかも全く分かりませんが、その後に部屋を変えて貰ったのを覚えています(笑)

 

次は、私が小学校の高学年か中学生くらいの頃合いだったかと思います。
お盆の時期に、父方の親戚の家に遊びに行きました。
その家は新築でもあり、当日はその家に泊めてもらう事になりました。

この時は、母の妹の娘さんも一緒に遊びに行ったのですが、その娘さんが夜中にトイレに行こうと起きて、トイレが分からず?階段を昇って行こうとしていた模様です。
そこで私の母がその娘さんに「そっちじゃないよ!トイレは向こうだよ!」と話して、娘さんはトイレに向かった?そうです、、、

それで翌朝に母がその娘さんに昨夜のトイレの話しをした所、その娘さんは「それは絶対に私じゃない!」と言ってました。
父は岩手県出身なので、その親戚の家も岩手県にありますが、どちらかが寝ぼけて記憶違いをしていないとしたら、夜中に起きてトイレ?に行ったのは座敷童さん?なのでしょうか(笑)

 

そして、この類の話しは、まだまだあります(笑)
先ほどの、母の妹の娘さんは私も産まれた頃からの付き合いですので、妹のような感覚でもあり、よく私の家族と一緒に旅行にも行ってました。
旅行先のホテルなどでは、私は父と同部屋で、母はその娘さんと同部屋である事がほとんどでした。

そして、そのように宿泊をしていると、翌朝に母がその娘さんに「〇〇ちゃん、昨夜、洗面所で何してたの?」とか、「寝てる時に(母の)腕を引っ張ってたけど、何だったの?」とかの話しは結構頻繁に?起こっていました、、、
勿論?先ほどと同様に、その娘さんは「全く身に覚えが無い!そもそも、そんな夜中にそんな事はしていない!」というのが毎回でした(笑)

 

こんな事もありました。
確か法事か葬式かは覚えていませんが、どなたかがお亡くなりになって、母がその法事か葬式に出席しました。
そして、終わった後に母が一人で車を運転して帰る道中の事です。
交差点で止まっていたら誰もいないはずなのに、車の窓をコンコンと叩く音が何度か聞こえたそうです。

と、実は、さっきこんな事があってと、母と親戚の人が話しており、私もその場にいて話しを聞いていました。
すると、その時連絡が入り、知り合いの人が先ほど交通事故でお亡くなりになられたと、、、

どうでしょうか?
「恐い」でしょうか?(笑)

 

では、時計の針を進め、私も大人になっていた時のお話しです。
ここでも先ほどの娘さんと私の家族とグァム旅行に行った時の事です。
泊まったのはコテージ?とまではいきませんが、離れのような建物であり、他の宿泊客との接点もあまりない部屋でした。

その時も同じく、私と父が同部屋で、母とその娘さんが同部屋でした。
そして、その当時の私は父とお酒を飲んでいてもほとんど話しをする訳でもなく、TVをつけながら淡々と?お互いに飲んでいるような感じでした(笑)

そして、これも翌朝に母が「昨夜は二人(私と父)で何を騒いでたの?」と話し始めました。
そして、それとは別に「夜中に爆弾?のようなものが落ちたような大きい音がして起きたけど、気づいた?」と母が話しました、、、

私と父は爆弾?のような大きな音も聞いてませんでしたし、そもそも、ほとんど会話をする事もなく淡々と?二人で飲んでいただけですので、二人で騒ぐなどもあろうはずがなく(笑)
グァムは戦禍の地でもありましたね、、、

 

まぁ、このように母に関しては色々な話しが他にもありますが、最後の一つは私の実体験???でもありますので、ここからは私個人の実体験をお伝えして参ります!

まず、私は母のように感受性が鋭い?という訳では全くありません!
小さい頃はお化けや幽霊などは恐かったですし、そのような話しにも全く興味も関心もありませんでした(笑)
別に今でも特段の興味がある訳ではありません(笑)
それで、確か私が小学校の4年生の時だったと思いますが、母方の祖父が他界しました。

 

当時は、母の妹と弟が同じアパートに隣同士で住んでおりましたので、祖父のご遺体は弟の部屋に安置していました。
当日は線香を絶やさぬようにと、大人は交代でその夜を過ごしておりましたが、私は子どもでしたので、隣の妹の部屋で眠りました。
そして、朝起きて、その部屋で一人で歯を磨いていました。
すると、

 

瑞之(みずゆき)~

 

と私を呼ぶ低い声が聴こえました、、、(ちなみに、「瑞之」とは私の名前です(笑))
それで、私はビックリして!恐くなって!隣の弟の部屋に駆け込んでいったのを今でも鮮明に覚えております。
勿論、これが祖父であったのかどうかは知る由もありませんが、「空耳」でなかった事だけは確かです(笑)

 

また、自宅の部屋で寝ていた時の事です。
朝方、私が寝ている側で、ドン!という、床を足で踏みつけたような大きな音で目が覚めました。
この時も恐くなって、両親が寝ている部屋へ駆け込んでいったのを覚えていますが(笑)、これが起こった時期は、正確には記憶しておりませんが、先ほどの祖父が他界した「前後」の頃合いであるのは確かです、、、

ちなみに、祖父が他界した原因は病気や事故などではなく、食事中に食べ物を喉に詰まらせたのが原因ですので、もし、先ほどのドン!という大きな音が祖父と関係していると仮定すると、「他界後」では何となく分かる気もしますが、「他界前」であったとしたら、皆さんでしたらどのように解釈をするでしょうか、、、?
とは言っても、私の記憶の中では、今もって「前後」の判断はつきませんし、これからも出来ない事でしょうから、そのような体験もありました!という感じです(笑)

 

ちなみに、このような現象は、よく「ラップ音」などとも言われますが、大きなラップ音の時には、(必ずしも)悪い事が起こるという意味ではなく、少し慎重に進めましょう!などの「メッセージ」となっているとも言われたりします。

また、小さなラップ音は、そもそもさほど気にする必要性もありませんし、実は、自らの(意識の)エネルギーが放出されている事で、ラップ音となっている事もあります。
このような(無意識の上ではありますが)自らの発しているラップ音にビクビクするというのは、ゲップやオナラにビクビクするのと同じ事でもあります(笑)
勿論、乾燥による木の収縮などでラップ音?と勘違いしているケースも結構ありますので!

 

では、次の体験ですが、先ほどの娘さんが結婚するという事で、母方の親戚などがお祝いも兼ねて、秋田に集まって飲食をする事になりました。
その夜は、私と父と母とでホテルの同部屋に寝ておりました。

そのように寝ていると、窓の辺りからカサカサという音がしてきました。
その夜は特段の風などもなかったのですが、一端音が止んでは、また、カサカサするので、私は心の中で「うるさい!静かにしなさい!」とつぶやきました。
そうしていると、少しの間はカサカサ音は止むのですが、気づくと、また始まっての繰り返しで、面倒になって眠ってしまいました(笑)

そして、翌朝に母が私に「昨夜、何か色々な音がしてたのに気づいた?」と話してきたので、私は先ほどの「うるさい!静かにしなさい!」を母に伝えました。
すると母は、寝ている時に手を触られている?ような感触を覚えた話しも私に伝えてきました。
そして、ホテルでそうこうしている時に、秋田に住んでいる知り合いの人が他界されたとの一報が入ってきました、、、

 

これもよく言われる、「虫の知らせ」なのか、あるいは「ご挨拶(にお越しになられた)」なのかどうかも分かりませんが、先ほど、私は感受性は鋭い方ではない、ともお伝え致しました。
台風などで外が騒がしい時でも、私は気になって眠れないという事はほとんどありませんし、ましてや、自然現象を相手に「うるさい!静かにしなさい!」などと伝えても意味のない?こと位の分別は持ち合わせております(笑)

ただ、この時は、頭の中という表現は適切ではありませんが、何か気にかかる?引っかかる?ような、周波数の高い?ような音であったので、鈍感な私でも気になったのかもしれません(笑)
これが、最初にお伝え致しました、「時には同じ場に居合わせていたり」との、私と母と同じ時空間で共有(経験)した実体験???であります!

 

それと、余談として少し話しは逸れますが、感受性の鋭い方ではない私の体験においても、「心や意識の状態」により、このような一時的に感受性が鋭くなる事は、日常生活においても、誰にでも起こり得る?というお話を補足します。

 

私は高校3年生の時に、自然気胸という病気で入退院を繰り返していました。
そして、何度も入退院を繰り返している中で、やはり相当自分なりに気が滅入っていた心や意識の状態も加え、一人部屋に入院されていた方がお亡くなりになったとの事で、1日の間をおいてその一人部屋に移る事になりました。

一人部屋ですので、ナースステーションの近くという事もあるのでしょうが、ある晩の夜中、看護師さん達の会話が凄く「耳に入って」きたのを覚えており、その話しぶりも「小声」である事もよく理解出来ていながらも、とても「近く」で聴こえている?ような感じを受けました。
まぁ、その話しの内容というのが、妊娠中絶薬の「ピル」の話題でしたので、多感な高校生の私の意識が敏感に反応しただけなのかもしれませんが(笑)

 

ただ、このように「心や意識の状態」により、「五感」が研ぎ澄まされる?という事は結構起こりがちでもありますし、もしかしたら、皆さんもご自身の経験としてあるかもしれませんね。
ちなみに、この一連の入院時に経験したプチ臨死体験?のような出来事は、「今にして」振り返ってみると、「今の私」を形作ってくれている大切な体験ともなっておりますので、興味のある方は、2014年9月10日のTOPICS「臨死体験&前世療法≒個人的体験」も宜しければ覗いてみて下さい(笑)

 

と、まあ、今回は特に色々と書き連ねてきましたが、どの体験も私が証明する事も出来ませんし、偶然や気のせいとして片付ける事も出来ますし、そもそも、個人の内面(体験の仕方)の事なので、説得や納得を試みるような性質のものでも全くありません。
母の話にせよ、当時、そのような体験を私や誰かに伝えた所で、母には何のメリットも得もありません。
また、私の母は、どちらかと言えば、宗教的なものは毛嫌いしていた傾向もありましたし、今でいうスピリチュアルなものにも、全く関心も興味も持っておりませんでした。
他界した「今」では、どう思い感じているのかは分かりませんが(笑)

 

そして、時には、このようなテーマをお伝えする事に関しては、頭がオカシイのでは?信頼の置けない人だ!怪し過ぎる!などと捉えられるケースもあるかもしれませんし、そのような意味では、私自身の仕事などにおいても、もしかしたらデメリット?などもあるのかもしれません(苦笑)
ただ、

 

最近の社会の傾向を見ていると・・・

多くの人が「怖れ」から・・・

「自分自身を表現する」事を(極度に)抑えている・・・

 

と、とても強く感じてもいます。
そして、「自分自身を表現する」事を極度に抑えるというのは、「自分自身(の生き方などを含め)を自らで否定する」という事にも繋がりかねません。
勿論、「自分自身を表現する」とは、他者を傷付ける発言などが「許される自由」では全くありません!
では、今回は行き過ぎ?ついでに、余談を付け加えて参ります(笑)

 

心霊現象や幽霊などの話題では、よく「地縛霊」が恐い、、、という事も耳にします。
「地縛霊」というのは、事件や事故等により、その現場の土地から離れられずにいる存在とも言われたりします。
そこで、まず、幽霊の正体?の多くは、

 

残留思念(エネルギー)

 

と言われています。
これは、例えば、

 

お花を別の所に移動した際に・・・

その前の場所に漂っている・・・

「残り香」・・・

 

とも同じです。
その残留思念が大きければ大きいほど、長時間残り続ける(傾向がある)のはご理解頂けるかと思います。
そして、こんな表現は大変失礼ですが、

 

残りの幽霊の大半は・・・

(単に)「(自分が死んだ事に)気づけていない」・・・

 

から、とも言われています。
この場合では、(心の中で)語りかけてあげるなどのご供養などで「気づき」をもたらせてあげる事が出来ます。
そして、

 

そのまた残りの・・・

(過度な)執着や未練を残しているが故に・・・

その場に留まってしまう・・・

 

というのが、いわゆる「地縛霊」と言われます。
そして、この未練や執着というのは、何かの「物」である事もありますし、怒りや恨みなどの「感情」である事もあります。

また、幼い子どもさんなどを残して、他界後に気になって、なかなか先に進めないというケースも心情的には理解出来ますし、このような場合を地縛霊と言ってしまうのは、少なくとも私には出来ませんし、徐々に理解した上で、少しの間は、この世でお子さんなどを見守るというのがあっても構わないとも個人的には思います。

 

そして、「物」への未練や執着は、表現を変えれば「欲(望)」とも言えますが、私もお金も欲しいですし、他にも欲しい物はそれなりにあります(笑)
なので、お金や「物」などへの興味や関心を持つのが悪いというものでは決してありません!
そして、実は、地縛霊の元々の定義?では、

 

「地球圏」に縛れられている存在・・・

 

という意味です。
これは、宇宙における無数の様々な星々は、それぞれ特有の「振動数や波長」というものを兼ね備えております。
そして、私達の「身体」は勿論、「意識(や心)」においても、振動や波長に加え、ある種の「磁気性」なども帯びているのは、既に科学的にも証明されております。
つまり、

 

「地球圏」を創り出し・・・

そこに縛られる(振動や波長を合わせる)「選択と決断」をしているのも・・・

私達自身の「心と意識」に依る所が大きい・・・

 

と言える事になります。
では、

 

「今、この瞬間」に・・・

地球が消滅したとしたら・・・

あなたは「地球圏」を離れて・・・

向かうべき所へ・・・

進む事が出来るでしょうか・・・???(笑)

2019年6月29日 04:06

お一人様〇〇という雑談(笑)

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

全国的に梅雨に入り、お出かけや旅行などの予定も、なかなか立てにくい季節でもあるかもしれませんね。
そこで?今回は「お一人様〇〇という雑談(笑)」というテーマをお届け致します!

 

ところで、このような「雑談」というテーマからも、普段とは少し趣向やテイストを変えまして、何となく、取り留めがないなぁ~!?という雰囲気を敢えて醸し出しながら進めて参ります。
なので、今回は「なぜなら(because)~」という点も、あまり活用せずに、日記や独り言のような感覚で、他人の私生活を垣間見る?ような感じで気軽に読み進めて頂いても全く大丈夫です(笑)

勿論、ツイッター等での「つぶやき」と同じであれば、あまりお届けする意味もなくなりますので、このTOPICSでも何度か活用しております、ヒプノセラピー(催眠療法)における「メタファー(比喩・物語)」と「多重装填」という手法を応用しながらお伝えして参ります!

 

ところで、今、このTOPICSをお読みになって頂いている皆さんの年代層は様々かもしれませんが、以前と比較すると、特に女性の方々におかれましては、色々な所に「お一人様」で出向く機会や、それが自然とナチュラルに受け入れられるような雰囲気も、社会の中にかなり浸透してきている時代でもあります。
私は独身ですので、それこそ、何をするにも自分でやらなければならないという前提がありますので、お一人様というのは、あまり気にした事はありませんが、それでも、まだ「一人焼き肉」は経験しておりませんので、近い内に達成してみたいという願望?は持っています(笑)

 

ちなみに、最近の東京では「お一人様焼き肉」のお店も随分と出来てきたと聞いておりますが、私が住んでいるのは青森県五所川原市という所ですので、悪く言えば?田舎とも称される地域でもあり、そのようなお店がまだ無い!という点も関係しているのかもしれませんが!?

という、今回のTOPICSでは、取り留めもないなぁ~!?という雰囲気に、そろそろ馴れてきた頃合いでしょうか?(笑)
ところで、先日、夕方のあるニュース番組を観ておりました。
そこで取り上げられていたのは、

 

最近急拡大を遂げている・・・

「お一人様ビジネス」!

 

というものでした。
ここでは、私もヒプノセラピスト認定講座や、レイキ ヒーリング認定講座に参加下さった皆さんとの親睦を深める意味でも、昼食などに活用しているファミレスのガストが取り上げられており、最近のガストではパソコン等で作業をしながらも昼食を取れるように、広めのテーブルを活用し、仕切りも取り入れた「お一人様専用」のボックス席が人気だそうです。
これには、一人で多人数用の席を使っていると、罪悪感を感じるケースもある事から、

 

「他のお客様の目」を気にせずに

 

活用して貰えるように、との思いがあるそうです。
また、今迄の多くのジムでは、広い所に様々な筋トレ道具を置いたり、あるいは、複数人でのダンスやヨガなどが主流でしたが、

 

最近ではお一人様専用の「個ジム」

 

というのも人気があるそうです。
これは、特に女性の方においては、汗を掻いている姿を他の人(特に異性)に見られたくないとの要望もある事から増えつつあるそうです。
他にも、「ソロキャンプ」や「ソロウエディング(写真)」なども結構な人気が出てきているそうです!
そして、このような「お一人様ビジネス」が流行してきている背景には、

 

他の人に見られたくない・・・

他の人に気を遣わなくて済む・・・

一人の方が(気)楽・・・

 

などの理由が多いそうですが、これは私自身も含め、皆さんも何かしらの似たような感想や経験はお持ちかもしれませんね(笑)
ちなみに、「気」の合わない人との食事(飲食)の場が苦痛に感じるという人も多いかもしれませんが、これは、私の行っているレイキ ヒーリング認定講座でもお伝えしているのですが、

 

エネルギー(「気」)の流れにおいては・・・

「口」はとても重要で大切である!

 

というのがありますが、やはり、「気」の合わない人との食事においては、なかなか箸が進まないというのは、無意識ながらも、ちゃんとその場のエネルギーを(自分なりに)感知しているという証にもなっております(笑)
おそらく、このような食事の場においては、職場などでは全てを断るのも難しい面もある事でしょうが、気が合わないけど一度だけ試しに食事をしてみたら、やっぱり合わなかった!というケースでは、その人と食事をする機会はその後にはほとんど無い事と思われますので、

 

割り勘であれば、なおさら・・・

相手の奢り(会社持ち)であれば・・・

チャンス!!!

と捉える「割り切り」を活用

 

してみるのも一助?になるかもしれません(笑)
会社の飲み会などでは、時には、片手にタッパー(保存容器)を抱えているだけでも、プレッシャー!?を掛けられるかもしれませんね(笑)
では、次もこのニュース内において、ある調査会社が発表していたデータをご紹介致します。
まず、

 

『 お一人様で「行動」するのに抵抗を感じるか? 』

 

という質問ですが、これに関しては、「全く問題ない」と「問題ない」という解答を合わせますと、

 

男性では83.2%(が、お一人様でも大丈夫)

女性では75.7%(が、お一人様でも大丈夫)

 

との結果になったそうです。
そして、次の質問では、男女共に同じ解答と順位になったのですが、それが、

 

『 お一人様で最も難しいと感じる「行動」は何か? 』

 

という質問ですが、これは男女共に、

 

1位 : 高級レストラン
2位 : 遊園地
3位 : (一人)旅
4位 : バイキング(食べ放題)

 

との事でした。
そして、最後に、

 

「男性」から見て「女性」にお一人様でして欲しくない「行動」・・・

「女性」から見て「男性」にお一人様でして欲しくない「行動」・・・

 

が調査されたそうですが、

 

「男性」から見て「女性」にして欲しくない「行動」の、1位が高級レストラン、2位が遊園地

「女性」から見て「男性」にして欲しくない「行動」の、1位が遊園地、2位が高級レストラン

 

となり、1位と2位は、ほぼ、男女共通と言っても良いのかもしれませんが、その次の、

 

「男性」から見て「女性」にして欲しくない「行動」の、第3位・・・一人ボウリング

「女性」から見て「男性」にして欲しくない「行動」の、第3位・・・一人海水浴(プール)

 

との事でした。
これには、趣味や運動という側面もあり、男女双方から、「余計なお世話!」というご意見も出て来る事もあるかもしれませんね(笑)

、、、取り留めの無さには、もう馴れましたよね!?(笑)
勿論、人それぞれの興味や関心(好奇心)は違いますし、ある人にとっては何でもない「行動」が、他の人にとっては「駄目!出来ない!」という「行動」である事も多々存在しているのも事実でもありますし、自然な事でもあります。

 

では、先ほど男女共にお一人様での「行動」が難しいと感じている第3位に「(一人)旅」がランクしているのをご紹介致しましたが、皆さんは一人旅は如何でしょうか?
大好き!という方もいらっしゃれば、とてもとても一人旅なんて出来ない!という方もいらっしゃる事でしょう(笑)

私も数は多くはありませんが、何度か一人旅をした事があります。
その中でも次の3つの一人旅が印象に残っています。

 

一つ目は大学院を卒業する際に訪れた神戸の旅です。
おそらく、これが人生初めての一人旅と記憶しておりますが、ちょうど大学1年生の時に、阪神・淡路大震災が起こり、その衝撃が印象に強く残っていたのと、私はジャッキ-・チェンが大好きなので、香港に似たような街並みで神戸が思い浮かんだのかもしれません(笑)

 

当然ながら一人旅ですので、特に夜はお酒を飲む場所を探して色々歩き回りました。
そして、一軒のお店に入りましたが、そこはカウンター席のお店で、お酒も進むに従い、そのお店の年配の常連客の方とお話したりしながら、一杯(沢山という意味ではありません(笑))ご馳走になったり、また、お店の人も、仕入れが限られているので、予約をした上での常連客にしか出さない、金魚?とかいう名前の唐辛子入りのお酒を特別にご馳走してくれたのを覚えております。

 

また、ホテルのバーで飲んでいた際には、そのお店のマスターが他にお客さんがいなかったにも関わらず、電話で満員です!と断っていたのを見て、その辺りの話しから、大阪と神戸(兵庫)の文化圏の見方や、兵庫県内でも尼崎を起点とした色々な違いなどの話しもしてくれました。
勿論、今にして思えば、地域における多少の差別的な要素?も含まれた価値観の違いと分かりますが、何となく自分が大人になった感じを受けたのも覚えております(笑)

 

二つ目は新潟への旅でした。
ちょうど初めての車を購入して、朝起きて何となく車で旅行したい気分になり、ホテルだけ予約を入れて出発したと記憶しております。
その時は、新潟県中越沖地震から、少なくとも半年以上は経過していたと思いますが、高速道路は仮設のデコボコ道であったのも覚えています。

 

また、私はトンネル内の車の運転は好きではないのですが、新潟に向かう関越自動車道には、約11㎞という当時は日本一(現在は第2位)の長さのトンネルに入る時に、少し緊張した感覚も未だに覚えておりますし、そのトンネルをやっとの事で抜けたら豪雨で雷が頻発していて怖さを感じた場面も鮮明に今でも想い出す事が出来ます(笑)

 

と、このように当時の事をちょうど想い出していた数時間後に、先日の新潟と山形での地震が起こりましたが(苦笑)、少なくとも人命の被害が無かった事は何よりの事です。
ちなみに、神戸と言い、新潟と言い、私は震災などの跡地を一人旅している訳では決してありませんので(笑)

 

そして、三つ目は、青森に戻ったら今の仕事をしようと決めた際に、まだ東京にいるうちに行ってみよう!と思い立ち、伊勢神宮に行ったのが、直近の一人旅の想い出です。
このように私自身の一人旅を振り返ってみると、

 

何かしらの変化の起こる前後に「行動」に移している・・・という

それまでの(無意識での)「自分のパターン」に気づいた

 

という発見も出来ました!

さあ、もう少しだけ、取り留めの無さは続きますよ~(笑)
つい先日の6月17日の月曜日の夜の事です。
その晩は、過去に何十回も繰り返し観ている、ジャッキ-・チェンの「THE MYTH 神話」のDVDをお酒を飲みながら観ておりました。
ちなみに、この映画は「前世」との関連性をテーマとしておりますが、2015年8月5日のTOPICS「神話/THE MYTH」でも取り上げております(笑)

 

そのように映画を見終わった後、映画の影響もあったせいか、何となくノスタルジック?ロマンチック?な感情が湧き、その日の晩が、ストロベリームーンである事に気づきました。
そこで、午前0時頃から1時位まで、部屋の電気を全て消し、窓を開け放って、外の月を眺めながら、引き続きお酒を飲んでいました。
ストロベリームーンは満月でもあるのですが、眺めていると、

 

月は太陽の光を「反射」しているだけなのに・・・

もの凄い、月明かり!!!

 

でした。
私の住んでいるアパートの裏は、畑?のような感じなので、普段の夜は、先はおろか、足下もほとんど暗くて見えません。
しかし、その夜は、足下の小石も判別出来る程の明るさでした、、、

なるほど!!!

「人目を忍んで」活動する忍者が、月明かりの元では日中と変わらずに「行動」出来るという意味が、この時ようやく「実感」として理解出来ました(笑)

 

そして、眺めている月の左右には、普段はほとんど見える事のない、木星と土星も「肉眼」で確認する事が出来ました。
ちなみに、「肉眼」では土星の「環(わ)」までは観えませんので(笑)
そのように観察していると、段々と木星が月に寄り添っていき、土星は段々と月と同じ高さまで昇っていくのが分かりました。
そして、

 

このようにお酒を飲んで月を眺めている自分のいる場所は「今、この現在」も自転で回転しており・・・

そもそもが自分のいる場所はもの凄いスピードで「今、この現在」も太陽の周りを廻っており・・・

でも・・・

自分は、自分が存在している地球を(外から)眺めた事は一度もないなぁ・・・

 

など、至極当然?の事などをぼんやりと考えておりました(笑)
そして、先ほどの新潟への一人旅においてコメントした、それは初めて自分で買った車でもあり、当然ながら?外見重視で気に入った車でもありますが、

 

それを運転している自分の車の姿は・・・

決して自分で眺める事は出来ない・・・

 

そもそも・・・

 

私を含め、誰しもが・・・

自分の本当の姿(外見)を・・・

自分で観る事は出来ない・・・

 

と。
そして、「他の人の目」には「自分として」映っているのに、、、と。

では、取り留めの無さは、ここで終了です!

 

そこで、「お一人様〇〇」についての、私からの一つの「提案」です!
とは言っても、経験と年齢を重ねるに連れ、今迄であればお一人様で出来なかった「行動」が出来るようになった事もあれば、逆に、経験と年齢を重ねたが故に、今まで出来ていた「行動」が出来なくなってきたというケースもある事と思います。

なので、何でもかんでもお一人様で「行動」出来るようになる事が「自立・自律」という訳ではありませんし、お一人様として何に「行動」が移せて、何に「行動」が移せないかは人それぞれ違って当然の事でもありますので、そこを気にする必要性も全くありません。

その上での一つの「提案」です。
それは、

 

(1日の内に)5分で良いので・・・

自分で自分を観察する・・・

お一人様の時間を持つ・・・

 

という事です。
これは、「1日の内に」とコメント致しましたが、別に毎日でなくても構いません。
3日に一回としても、「121日☓5分」で605分、つまり、1年の内に10時間程のお一人様の時間は誰でも持つ事が可能であるかもしれません。
どんなに愛情深い?ご夫婦やカップルにおいても、四六時中一緒という事も無いかと思いますので(笑)

 

そして、この5分というお一人様の時間では、ご家族と一緒に暮らしている方であれば、必ずしも外部と完全に遮断された5分である必要はありません。
また、電気を消すなども全く必要ありません。
あるいは、お一人暮らしの方であれば、常にお一人様の時間であるかと言えば、そのような意味でも全くありません。

 

そして、この「自分で自分を観察する」という「行動」では、皆さんそれぞれの好きなやり方で大丈夫です!
決められた絶対的な方法はそもそもありませんし、目を瞑っても瞑らなくても良いですし、瞑想や頭を無にするような方法が好みであれば、それも構いません。
また、毎回毎回、その方法が変わっても全く大丈夫です!

そして、ご家族などがいらっしゃる方でも、寝る時はお一人様だから出来るだろう、、、と思われるかもしれませんが、ここがポイントです!
それは、

 

この5分の時間の「後」に・・・

日常(生活)に戻る(という「行動」を取る)事が効果を更に発揮していく!

 

という点です(笑)
この日常(生活)に戻る(という「行動」)とは、そのまま寝入ったり、1日を終えるのではない、という意味合いであり、(5分の時間を過ごした)「その後」にトイレに行ったり、水を飲む、TVを観る、お食事をする、お風呂に入る、などのように「今の自分に戻る」作業であり、これ以外でも何でも大丈夫です!
つまり、

 

5分の時間を取る「前」と「後」とで・・・

自分の中でのフィーリングや心の落ち着きの度合いなどの・・・

「違いや変化」を感じる!

 

というのが、とても自分自身の心身においてプラスとなっていきます!
このような「提案」のお一人様の時間というのは、他の誰かを連れて行く事は不可能ですし、自らが進んで入って行かない事には、これも不可能な時間となります。

つまり・・・それだけ貴重!?

という意味も含まれております(笑)
今回は「お一人様〇〇」というテーマでしたが、気の合う人でも勿論良いですし、他の人との「交流」の時間も楽しめ、自分との「お一人様」の時間も楽しめるというのは、もしかしたら、人生の達人!?の域なのかもしれませんね(笑)

2019年6月22日 02:06

最近注目?の「レジリエンス」について

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は「最近注目?の「レジリエンス」について」というテーマですが、皆さんの中でも、この「レジリエンス」という言葉を最近よく耳や目にするようになった?と感じている方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
書店などでもレジリエンスと銘打った書籍は数多く見受けられるようになってきましたし、国立がん研究センターにおいては「レジリエンス外来」も開設されております。

 

そこで、まず、このレジリエンスという言葉をご存じの方もいらっしゃれば、初めて聞いたという方もいらっしゃるかと思いますので、簡単なご説明から進めて参ります!

この「レジリエンス(resilience)」という言葉は、元々は「ストレス」と共に、物理学などで「現象」を説明する為に活用されてきた言葉です。
そして、物理学などにおける「現象」の説明として、

 

レジリエンスとは・・・

跳ね返す力(弾力性)・・・

 

と意味していたものが、心理学などにおいても「心の現象」に当てはめられ、現在に活用されるように至っています。
そして、心理学などでは、「回復(快復)力」「復元力」「逆境力」「折れない心」「立ちなおる力」などと様々に表現されており、

 

レジリエンスにおいては・・・

絶対的に決められた(決まった)定義はない・・・

 

というのが現状でもあり、私個人としてもそのように理解し捉えておりますので、皆さんも、何がレジリエンスなの?という定義などに捕らわれる必要性は全くなく、ここから先は、皆さん自身の中に湧き出て来るイメージや、レジリエンスという言葉が醸し出す響きや雰囲気などを、それぞれ皆さんの自由に任せて味わうように読み進めてみて下さい!

 

ところで、このTOPICSにおいても、幾度も取り上げております、魔術師と称され、20世紀最大の催眠療法家と言われているミルトン・エリクソンですが、彼の物事の捉え方やセラピーでの手法などは、現代のヒプノセラピー(催眠療法)においても、その多くの部分が取り入れられ活用されております。

そして、エリクソン自身はレジリエンスという言葉を活用(多用)していた訳ではありませんが、彼のセラピーやセッションの中核を成しているのはレジリエンスと全く同じです。
そして、彼が活用していた言葉は、これも、このTOPICSにおいて繰り返しお伝えしております、

 

ユーティライゼーション

 

です。
このユーティライゼーションとは、

 

(クライアントなど)その人なりに、活用出来そうなものは、何でも活用する

 

という点に「主眼」が置かれているものです。
ちなみに、このユーティライゼーションにおける「何でも活用する」というのは、「目的のためには手段を選ばず」とは、全く意味も性質も違いますので、くれぐれも、誤解の無きよう、その点を正しくご理解頂ければ幸いです(笑)
そして、例えば、この「主眼」の捉え方においては、

 

仮に、私(瀬川)が99%の(クライアントなど)誰にでも効果を発揮する手法やアドバイスを持っているとします・・・

しかし、もし「あなた」が、その他の1%に該当しているとすれば・・・

 

私(瀬川)の99%の人に当てはまる手法やアドバイスは・・・

「あなた」にとっては何の意味もなさない・・・

 

それどころか・・・

私(瀬川)がその手法やアドバイスを「あなた」に(無理矢理にでも)適用させようとすれば・・・

「あなた」は間違いなく、落胆を感じ、希望を失っていく・・・

 

のが目に見えています。

ちなみに、私もカウンセリングなどを行っている中で、クライアントの方から、以前に他のカウンセリングやセラピーなどを受けた時に、その人から「怒られた?」、また、「私の言う通りにやらないから良くならないんですよ!」などと言われた、とのお話を頻繁?にお聞きしますし、それが元でカウンセリングなどを受けるのが「恐くなってしまった、、、」との感想も頂きますが、その原因は今お伝えしたものに存在する事と、他にもこの先で紹介して参りますので、そのような経験をされた方も、どうぞ安心して読み進めてみて下さい(笑)

では、話しを本題に戻しますが、つまり、ここに先ほどの、

 

レジリエンスにおいては・・・

絶対的に決められた(決まった)定義はない・・・

 

という点が当てはまってきます。
そして、エリクソンは、別の表現を使って、クライアントに寄り添うに当たって、セラピスト等に対して次の言葉を繰り返し伝えていました。
それが、

 

治療に「抵抗」するクライアントなどいない・・・

(治療に抵抗するクライアントが存在するように感じるのならば、それは・・・)

「柔軟性」に欠けるセラピストがいるだけだ・・・

 

と(笑)
そして、ここ迄においては、レジリエンスにおいても、エリクソンの手法にしても、

 

その根本に共通して存在しているのは・・・

「自分」の事は・・・

やはり「自分自身」が一番よく知っている・・・

 

という点を、まずは、頭の片隅にでも置いて頂いて、更にこの先をお読み進めてみて下さい!

そして、このように、クライアント毎に異なる、様々なアプローチを活用していたエリクソンですが、クライアント一人一人は育って来た環境や背景も異なり、その人自身の個性も最大限に尊重するという点からも、自らの手法などを体系化したり、マニュアル化するのを拒んでおりました。

 

ただ、やはり、その手法のエッセンスだけでも知る事で、役立つ部分が大きいのではないかと、エリクソン関連の書籍は多数出版もされております。
その中で、エリクソンの身近な関係者が著した『ミルトン・エリクソン心理療法 〈レジリエンス〉を育てる』(著:ダン・ショート、ベティ・アリス・エリクソン、ロキサンナ・エリクソン-クライン、訳:浅田仁子、発行:春秋社)という書籍があります。
これは、S.Light.Mで開催しているヒプノセラピスト認定講座においても、補足資料として活用しており、そのごく一部ではありますが、皆さんが、皆さん自身のレジリエンスを感じ、そして、「考える」手助けになりそうな点を少しご紹介して参ります!

では、まず最初の前提として、ユーティライゼーションにおいても、そして、レジリエンスにおいても共通しているのが、

 

『 心の健康は「標準化」してクライアントに強要出来るものではない 』

 

というエリクソンの一言です。
なお、ここでのクライアントとは、あなたが相談を持ちかけられた「誰か」にも当てはまりますし、勿論、「あなた自身」にも当てはまるものです。
これは、皆さん自身においても、自分の悩みでも然り、他の人から悩みを相談された時にも然り、

 

まずは、違って当然という・・・

「多様性」へと目を向けさせる・・・

 

という所がポイントです。
例えば、誰かから、あなたにとっては何でもないと感じる事を相談された時に、仮にあなたが「そんなのは悩みでも何でもないでしょ!」と答えたとすると、その後のコミュニケーションは継続しなくなる事でご理解頂けるかと思います(笑)
勿論、あなたの「内心」においては、どのように思おうと自由ですが、、、(笑)

そして、これを具体的なレジリエンスという現象に活用してみますと、

 

他の人が行っているレジリエンスを参考にするのも(大いに)役立つが・・・

「自分」と「他の人」とを比較しない!

 

という視点を保つのが大切になります。
つまり、「自分」に役立つレジリエンスが「他の人」に当てはまるとは限らないのと、逆もまた同様に、「他の人」に役立っているレジリエンスが必ずしも「自分」にとって功を奏すとも限らない、という意味です。

これは、少し冷めた?表現を用いますと「(過度な)期待をしない」とも言えますが、「他の人」から教えて貰って「自分」に試してみたけれど、「自分」にはあまり効果が感じられなかった、、、と落胆を感じる人も多くなっておりますので、そのような「本末転倒」にはならぬよう、少しこの点を心掛けてみて下さい!

 

では、ここからは、この書籍において、実際にあった2つの症例を元に考える素材を提供して参ります。
エリクソンの元に、関節炎による麻痺により、体が動かせなくなってしまい、車イス生活を送っていた男性が訪れてきました。
そして、エリクソンはその男性の話を色々聞いていた所、その男性は「親指だけは少し動かせる」という事が分かってきました。
そこで、エリクソンはその男性に次のように話し(指示・暗示し)ました。

 

『 親指「しか」動かないのであれば・・・

親指「だけ」を動かし続けて下さい・・・

そして、もし、「他の指」を動かしたくなったら、そうしても(動かしても)構いません・・・ 』

 

と。
すると、次第に、その男性の指の動きは、親指から人差し指へと、さらに他の指へと広がって(繋がって)いき、その状況を観察していたエリクソンはこの男性にペンキ塗りの仕事を与え、その後はトラックの運転手の仕事も任されるようになり、それと同時に、大学へも通えるようになっていきました。

理想論や空想と思われるかもしれませんが、実話です(笑)
このケースにおいては、全ての関節炎が全快(治癒)した訳ではありませんが、梅雨などの痛みの増す時期は良い休暇と思って休息を取りながら、日々の生活を送れようになっていきました。

では、このケースにおける、エリクソンからのレジリエンスの「提案」の言葉です!

 

『 全てを正す事が出来ない時には、修正出来るものを持つと良い 』

 

『 「癒し」は、オール・オア・ナッシング(all or nothing)という思考から、何が達成可能か?という考え方に「シフト」した時に、最もよく発生しやすい 』

 

と。
この「オール・オア・ナッシング(all or nothing)」とは、特にここ最近のTOPICSでも取り上げております、「本当に「二者択一」しかないのか?」あるいは「是か非か?」という思考パターンに陥るのと同じ意味です。

また、別の表現を用いると「可能な事と、不可能な事を分離する」と言えますが、何故、これがレジリエンスになるのかと言いますと、

 

このように分離する事により・・・

自分自身でもコントロール出来る部分が生まれてきて(それに「気づけて」)・・・

それが、その後の「自信」へと繋がっていく!

 

からです。
ちなみに、この「二者択一」問題?は、今回のTOPICSの最後の方でも、おそらく皆さんが「今、最も関心を持っている!?」と思われる話題に当てはめて考えていきますので(笑)

 

では、2つ目のケースです。
エリクソンの元に、「自分はイエス・キリストの生まれ変わりだ!」と称する患者さんがいました。
その患者さんは、キリストの生まれ変わりと思い込んでいるが故に、良かれと感じて他の患者さんに対して布教活動を行っていました。
しかし、その手法も強引なものであり、そもそものキリストの生まれ変わり?などの言動も相まって、周囲の人々は困惑していました。
すると、エリクソンはその患者さんについて、次のように考えました。

 

『 この患者さんに、「自分はキリストの生まれ変わりである!」と思わせておいたら、どんな良い事があるのだろう? 』

 

と(笑)
そして、その患者さんに次のように「質問」という「提案」をしました。

 

『 キリストという神の存在であれば、他に(布教活動以外に)どんな奉仕活動を進んで行うのでしょうか? 』

 

と。
すると、この患者さんは、進んで大工仕事などのボランティアを積極的に行うようになっていきました。
なぜなら、キリストは「大工」でもあったと聖書などでは言われているからです(笑)
皆さんはこの2つの実際の症例から、どのようなレジリエンスという「提案」を受け取りましたでしょうか?(笑)

 

では、レジリエンスとは、人それぞれに違っており、「自由」なものであるという点は、薄々?お分かりになってきた頃合いかもしれませんので、「え~っ! こんなのもレジリエンスになるの!?」というケースを2つ簡単にご紹介致します。

 

ある医師が、数年前に妻を亡くして以来、ひどい鬱状態に苦しんでいました。
そこで、次のような言葉が「提案」として使われました。

 

『 もし、あなた(医師)が先に亡くなり、奥さんが後に残されたとしたら、奥さんはどうなっていたでしょうか・・・(あなたと同じく苦しんでいたかもしれない、、、)?

あなたは、(ある面からの見方としては)そんなに恐ろしい苦しみから奥さんを救ったのですよ・・・

あなたのお陰で、奥さんは苦しみを味わわずに済んだのです・・・ 』

 

如何でしょうか?
人によっては激怒!?する方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
しかし、実際にこの医師は救われたのも事実です、、、

このような「提案」は、

 

新たな考えと新たな解釈を提示し・・・

それらを議論の余地のない何らかのやり方で・・・

遠い未来に関連付けるという・・・

「オリエンテーション(新たな方向付け)」!

 

というものです。
そして、このオリエンテーションのもう一つのケースが、トラウマを抱えている人に向けて贈った次の言葉です。

 

『 その位の症状で治まっているなんて、あなたの心と体は強いのですね!!! 』

 

と。
これがオリエンテーションの中で行われている、

 

「癒し」の大半は、当人の中にある「肯定的」な属性を強調し、それらを徐々に「増強」させていくプロセスである

 

という仕組みが活用されています。
これも、人によっては、「私のトラウマの苦しみをちっとも分かってくれていないじゃないの!」との反応が出る事も考えられますよね(笑)

 

では、ここ迄において、私が「提案」する一つのレジリエンスにおける捉え方です。
最初の方で、

 

「自分」の事は・・・

やはり「自分自身」が一番よく知っている・・・

 

とお伝え致しました。
そして、その後は、エリクソンとクライアント(患者さん)という関係を通して、幾つかのケースをご紹介して参りました。

繰り返しになりますが、何がレジリエンスになるかは「人それぞれ違う」という点は多少ご理解頂けたかもしれません。
そして、「それで良い!」という点も、、、
つまり、

 

レジリエンスとは・・・

「提案」でもあり・・・

「自分」というセラピストが・・・

「自分」というクライアントに対して・・・

様々な「提案」を行う事・・・

 

という側面が成り立ち、

 

「自分」が「自分」に対して行う様々な「提案」を・・・

「取捨選択」をし・・・

「決断」する・・・という

「自由」を有しているのが「自分自身」である!

 

というレジリエンスの「根本と源」です。
そして、このようなレジリエンスの捉え方においては、もしかしたら、多くの人から、次のような嘆き?や感想?が出て来るかもしれません。

 

レジリエンスに絶対的に決められたものはない・・・

というのは「頭」では理解出来るが・・・

その「自由」と言うのが・・・

逆に、私を悩ませる新たな種となるんだ!!!

 

と(笑)
このような(思考の)堂々巡り?に対する「答え」が、先ほどお伝えした、

 

『 全てを正す事が出来ない時には、修正出来るものを持つと良い 』

 

になっております。
つまり、レジリエンスという様々な「提案」が沢山ある中で、

 

もし「行動」してみたが、それが合わなかったり、上手くいかないと感じる時には・・・

「新たな提案」への「行動」へ移しても良い!

との「許可」を、前もって「自分」に与えてあげる!

 

という心の「柔軟性」と「余裕」を予め意識に入れて置く事で、自分にとって何が最適なレジリエンスになるのか?という迷いから脱却する事が可能になります。
勿論、複数のレジリエンスを持っていても良いですし、それを時と場合によって使い分けるのも大丈夫です!

 

では、先ほどコメント致しました、皆さんが最も関心を持っている!?タイムリー?な出来事にレジリエンスを当てはめてみます!

まず、これも、このTOPICSにおいて繰り返しお伝えしております「物事は大なり小なり、それぞれを反映している」という視点からですが、その当てはめる出来事というのは、「年金2,000万円不足!」問題です!
そして、もうお分かりかもしれませんが、結論から申しますと、

 

この大変身近で切実な出来事(話題)におていも・・・

相も変わらず・・・

(日本は)「自助」なのか?それとも、「公助」なのか?・・・

という「二者択一」(という思考)から逃れられないでいる・・・

 

という面が反映されております。
そこで、これも繰り返しお伝えしております、このような社会に当てはめられるレジリエンス、、、それが、、、

 

統合(融合)であり・・・

それを現している(体現している)一つの言葉が・・・

「情けは人の為ならず」・・・

 

です。
この言葉の本当の「真意」を、よくよく考えれば、その先に「光」が見えくるはずです(笑)
というより、このような「光」は、そもそも既に存在しており、その「真意」を汲み取って貰える事を待っている!とも言えます。

これは、皆さんお一人お一人が「考える」事がとても大切な問題ですので、その「真意」は皆さんお一人お一人のご判断にお任せ致しますが、ヒントとしては、よく誤解されている?ここでの「情け」とは、「哀れみ」や「同情」、また、「(自己)犠牲」という意味とは全く違う!という点を手掛かりとしてみて下さい。

また、この「真意」は年金問題に限らず、ここでの「情け」を、「別の怖れ」を煽る事で「真意」から目を背けさせるような手法が、残念ながら現在の社会の構造(会社組織も含め)に組み込まれてもおりますので、どうぞ、出来れば早い段階で皆さんも「考え」、そして、「気づいて」みて下さい!

 

そして、今回はその他の「現象」には敢えて触れませんが、これも現在の世の中や社会においては、先程から繰り返しお伝えしております、何でもかんでも「二者択一」に当てはめようとする発想?が様々な弊害を生みだし、もう、ほとんど破綻の状態にまで行き着いていると私個人としては感じておりますが、

 

世の中や社会に当てはめられるレジリエンスの本質となり得るのは・・・

私達一人一人が感じ入るレジリエンスの統合(融合)の中に存在しており・・・

それが、その先への「導き手」としての役割を果たしてくれる・・・

 

という意味にもなります。
そして、個人個人のレジリエンスとは、

 

既に私達の「中」に存在しているものであり・・・

私達の身の周りに様々なレジリエンスが反映されている(反映という形で「見せて」くれている)・・・

それに・・・どう「気づく」のか・・・?

 

という点が最大のポイントとなっています!
また、身近な反映というのは、これも繰り返しお伝えしております通り、人との縁であったり、本や映画や音楽であったり、ペットとの出逢いであったり、あるいは、チョコレートやケーキなど、それこそ何でも良いです(笑)

また、誤解の無きようお伝え致しますが、このようなテーマを社会や日常に当てはめた時に、では、変化を起こす為には、大規模なデモなどが必要なの?などと曲解される方もいらっしゃいますが、そのような趣旨では当然ありませんし、私を含め、お一人お一人が、出来る範囲内で大丈夫ですので、「無関心」を「少しの関心を保つ」にシフトさせる事への「提案」であり、それが、先ほど来お伝えしてきた「真意」を汲み取る手掛かりともなっております(笑)

まずは、自分なりのレジリエンスを考える際には「自由(な発想)」を意識してみて下さい!
では、今回のテーマの締め括りとして、先ほどご紹介した書籍から、2つの言葉と、あなたへの1つの質問を取り上げます。

まず一つ目はエリクソンの言葉、、、

『 あらゆる問題解決は、変化は可能だという考えから始まる 』

 

そして、二つ目はレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉、、、

『 最後(大きな問題)より最初(小さな問題)の方が抵抗しやすい 』

 

そして、あなたへの質問とは、、、

『 ある朝、目覚めたら、奇跡が起こっていて、あなたの問題が解決していたら・・・

あなたの「行動」は・・・どう変わりますか? 』

 

です(笑)

2019年6月15日 03:06

変化を起こすにはアプローチの仕方にも!? ~音楽療法や脳機能などから~

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は「変化を起こすにはアプローチの仕方にも!? ~音楽療法や脳機能などから~」というテーマをお届け致しますが、今回は幾度か、このTOPICSでも取り上げております『フランケンシュタインの誘惑E+ 人を操る恐怖の脳チップ』と、『サイエンスZERO 音楽が脳にもたらすうれしい効果が科学的にわかってきた!』という両番組からの素材を踏まえて進めて参ります!

 

では、最初は『フランケンシュタインの誘惑E+』から、スペイン生まれの脳科学者「ホセ・デルガード(1915~2011)」を取り上げますが、実は、この人物に関しては、2018年1月20日のTOPICS「様々な感情(心)はあなたの味方です! ~映画「インサイド・ヘッド」より~」の中での余談として以前にも取り上げておりますが、今回は加筆も踏まえ、改めてご紹介して参ります。

そこで、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております通り、私個人的には、

 

私達の意識は脳に依拠(依存)してはいない!

が、しかし・・・

脳はとても大切で素晴らしい機能を持っている!

 

という前提を改めてお伝えした上で、この先を進めて参ります!
ちなみに、この前提を創り上げている、ほんのごく一部分ではありますが、私個人が感じているのは「 「意識」 > 「感情 + 理性」など 」と捉えているからでもあります(笑)

 

では、このデルガードという人物は、約60年前に、脳に小さな電極チップを埋め込み、リモコンで電波を送る事で、感情を制御しようとの様々な実験を手掛けた人です。
ちなみに、他界されたのは2011年ですので、そう考えると、かなり身近な感触を覚えませんか?(笑)

 

そこで、まず結論?として、デルガードの脳チップにより感情を制御するという研究は、最終的には「政府やエリート層や独裁者などが、一般大衆をコントロールする手段としても使えてしまう」との非難から、晩年においては、研究拠点にしていたアメリカから追いやられてしまう事になります。

では、何故、デルガードが、このような研究に邁進して行ったのかを番組での紹介を踏まえて、その足跡を少し辿ってみたいと思います。

 

若かりし日の彼は、父と同じ眼科医を目指し、医学部に入学しておりました。

しかし、1936年に、スペインにおいて内戦が勃発してしまいます。
これは、将軍フランシスコ・フランコが指揮する軍部がクーデターを起こしたもので、反フランコ側である共和国軍の医療部隊にデルガードは参加していました。

そして、翌1937年には、彼の故郷のすぐそばの町で、フランコの軍により、市民5千人にも及ぶ大量虐殺が行われてしまいました。

 

そして、1939年にマドリードを陥落させ、独裁者と化したフランコは、共和国軍の兵士等30万人以上を強制収容所送りにします。
この際に、共和国軍の医療部隊であったデルガードも強制収容所送りにされます。
この強制収容所では、処刑や虐殺や暴力が日常茶飯事に行われていました・・・

 

ここで、晩年に彼を取材したジャーナリストが、デルガードから次のような話しを聞いたとコメントしておりました。
「(暴力と処刑が絶えない)強制収容所での体験が、自分に大きな影響を与えた・・・」と。

 

このような状況の中、5ケ月後に解放されたデルガードは、眼科医を目指すのではなく、脳に関する研究を始めるようになっていきました・・・

 

このように、脳の研究に舵を切り始めたデルガードが注目したのが、スイスの生理学者ヴァルターヘスが1920年代に行った、脳に関する、ある実験でした。

ここで行われた実験は、猫の脳に電極を移植し、電気刺激を与えると猫は興奮し、相手を威嚇するような仕草を取るようになり、これが、感情が脳の働きで起こる事を示した、世界で初めての実験と言われているものでした。

このような経緯から、デルガードは1946年にアメリカに渡り、大学で脳の研究に没頭していく事になります・・・

 

こうしてアメリカに渡ったデルガードですが、当時のアメリカでは、精神科医のウォルター・フリーマンが開発した、

 

脳の一部を切断して・・・

精神疾患を治療しようという・・・

「ロボトミー」手術が全盛となっていた・・・

 

という背景が存在していました。
ちなみに、この「ロボトミー」手術を受けた多くの患者さんは、、、その後、、、廃人となっていった、、、と報告されています。

そこで、デルガードは、脳を切断するのではなく、脳に電極チップを埋め込んで治療する事を考えていきました。
これが、脳への電気刺激装置としての、

 

「刺激 = Stimulation」 + 「受信機 = Receiver」

を組み合わせた、

「スティモシーバー = Stimoceiver」

 

の発明に至ります。
そして、このスティモシーバーは、リモート(遠隔)コントロールだった事から、動物の脳に直接電極を植え込む事が可能な為に、動物を鎖で繋いだりする必要がなく、動物の行動を制限せずに自由に実験を行えるようになっていきました。
そして、様々な実験を行っていく中で、

 

動物の行動に・・・変化が見られた(現れた)・・・(ように思えた)

 

との流れ?に乗っていきます。
そして、このような流れ?において、デルガードは1952年に、回復の見込み無しと判断された統合失調症やてんかん等の患者さん25名に対し、改良を重ねたスティモシーバーでの人体実験に取りかかっていきます、、、

このように人体実験を開始していった所、

 

手を握ったり開いたりなどの「体」のコントロールは出来た・・・

患者さんにギターを弾かせていた際に電気刺激を与えたら、「怒り」の感情で、その患者さんはギターを投げつけて壊してしまった・・・

控えめな性格の女性に電気刺激を与えたら、その女性はセラピストに突如抱きつき、「喜び」を表現した・・・

 

というように、実験は成功?したかに見えました、、、
そして、デルガードは、この実験の対象を動物に始まり、そこから人体へ、そして、

 

「社会そのもの」へ・・・

 

と向けていくようになっていきます。
この根底には、デルガード自身の内戦での悲惨な体験を基に、一般大衆が(虐殺性などのある)独裁者をコントロール出来るのではないか、、、との発想が強くあったとも言われております。

そして、猿の集団(猿の社会)への実験などを行っていきますが、これも一見すると成功?したように見えていましたが、、、この実験が世間の注目を浴びる事もなく、、、その理由は、この頃の精神疾患へのアプローチにおいては、

 

「ロボトミー」手術は行われなくなっており・・・

「薬物治療」が主流となり始めていた・・・

 

という背景がありました。
このように、デルガード自身に脚光が浴びせられる事がない状況で、彼は闘牛場で荒れ狂う牛を制御する公開実験などを行うなどして、(一部の)新聞では見事に実証!などと取り上げられたりもしましたが、、、

 

すると、意外な所?からのオファーがあり、デルガードに莫大な研究資金を与えるとの連絡が入り、彼は研究を続けていきました。
そのオファーをしたのが、アメリカ海軍と空軍でした、、、
その「動機」は、わざわざ私がコメントするまでもない事と思います(笑)

 

しかし、このように研究を続けているデルガードへの世間の風当たりは、日増しに強くなっていきました。
その理由は、デルガードの元共同研究者が、この研究により「(これで白人の意のままに)黒人の行動をコントロール出来るようになる!」と発言した事もあり、、、

 

また、別の精神科医が、男性同性愛者に娼婦(なお、この表現は同番組内で使われていたものですのでご了承下さい)と無理矢理に性行為をさせ、その最中に喜びを司る脳の部分に電気刺激を送り、性的嗜好を変えさせる実験を行った、、、というものでした。

 

こうして、研究の始祖であるデルガードに対して、世間の反発は一層強まり、彼は研究の場を次第に追われていく事になりますが、このような時でも、デルガードは「(私の研究の真意は)人間の感情をコントロールする事で、理想の社会を創り上げる!」との理念を持っていたそうですが、それはあくまでデルガードの考える「理想」であって、他の人の「理想」とは違うなどの反発もあったそうですが、今で言う「多様性」とも大きく繋がる面が見出されそうですね?(笑)

 

このように追われるようになったデルガードは、故郷のスペインに戻り、さらに研究を続けていきましたが、最終的には、科学の力で人間の行動や感情をコントロールしようとする研究は、電磁波によるマインドコントロールの問題にまで行き着き、彼は、一線を退いていく事になりました、、、

なお、このスペイン当時に行っていた研究は、現在の「TMS(経頭蓋磁気刺激法)」と同じ発想と言われており、このTMSによる鬱病などへの治療は、まだ少数ではありますが、現在の日本においても実際に行われております。

 

そして、デルガードの他界後の2016年に、ニューズウィークにおいて、米軍の新兵器は「サイボーグ兵士」との記事が掲載され、これは兵士の脳に電極チップを埋めてコンピューターと接続させ、デジタル音声や映像を兵士の脳に直接送る技術が開発されていると報じられました。

それを主導していると言われている、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の国防高等研究計画局(通称「DARPA(ダーパ)」)は否定しているそうですが、、、

 

また、別の観点では、このように脳にチップを埋め込み、特定の「記憶を消去」する事を目的としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療へ応用されている面もあるのと、パーキンソン病などの患者さんの脳にチップを埋め込む手術をして、体の震えや不必要な動きが抑えられたり、また、(各種)症状が和らぐ事が判明し、2002年にアメリカでは治療法として認可され、現在まで日本を含め、全世界で15万人以上の患者さんがこの手術を受け、日常生活を送れるようになったとの現状もあるそうです。

 

ここまでは、ポジティブなアプローチなのか?それとも、ネガティブなアプローチなのか?と頭(脳)が混乱しているかもしれませんね?(笑)
それでは、ここからは『サイエンスZERO』を元にして先に進めて参ります!

 

2011年にアメリカで銃乱射事件が起こりました。
その時、議員のガブリエル・ギフォース氏が頭部を撃たれ、一命は取り留めましたが、事件から1ヶ月後の彼女の姿は、何を聞かれても「スプーン」としか話せなくなっていました。
これが、

 

失語症

 

と判断され、言語を話す機能のある「左脳」に銃弾が当たった為と考えられました。
そして、その後に様々なリハビリを行っていた中で、目を見張る効果をもたらしたのが、音楽の要素を取り入れたリハビリでした。

このリハビリ法は、1970年代にアメリカで開発された訓練法で、音楽の節回しとリズムを話し言葉に応用するのが特徴的であり、

 

メロディック・イントネーション・セラピー

 

と呼ばれているものであり、慢性期でも急性期でも、どちらにも効果が上がると言われているそうです。
このリハビリを経て、ギフォース氏は、2年後には公聴会に出席し演説出来るようにまで回復を遂げました。
そして、この番組内に出演していた医師の見解においては、

 

『 脳の神経細胞は産まれた時が一番多く、その後は、減る事はあっても増えることは無い。

そこ(脳の神経細胞)に損傷を受けると機能も戻らない。

なので、損傷を受けた(脳の)周りの場所、あるいは、脳の違う場所が失われた機能を代償して(補って)きたのではないか?

歌ったり演奏するなどは「右脳」が使われると言われているので、音楽的な要素を使った訓練で、「右脳」に「バイパス」が出来たと考えている。 』

 

とコメントしておりました。
では、ここで、この番組内で紹介されておりました、この訓練法を簡単にご説明致します!

 

① 患者さんの「左手」を握り、上下に動かす。( ← なぜなら、「左手」は「右脳」に繋がっている為 )

② ①と同時に、患者さんにハミング(鼻歌など)をして貰う。

③ ここ迄で「右脳」が活性化してきているので、音に合わせて(乗せて)単語などを話す訓練をしていく。( ← なぜなら、この段階では同時に、話す機能を司る「左脳」をも活性化させていく為 )

 

この①から③までを行う事で、「左脳」が担う話す機能を「右脳」に肩代わりさせる訓練となるそうです。
勿論、「繰り返し」行う事が大切とも紹介されておりました!

 

そして、アメリカのハーバード大学の研究においては、この訓練により、「発話」と「理解」を繋げている「弓状束」という脳の神経繊維の束が太くなっていく画像が撮影出来た事により、より積極的に治療として実践されているそうです。
では、両番組からの紹介はここで終了です!

 

今回は?私の方であまりコメントする事なく、皆さんの自由な発想で様々に捉えて頂ければと思いますが、少しだけ?私なりのコメントを申し添えて参ります(笑)
ここまでの内容においては、

 

脳への治療というアプローチにおいて・・・

(手術やTMSなどの)外側からのアプローチが効果を上げている側面もあり・・・

(音楽療法のように)元々の脳に備わっている内面の仕組みや力を活用して効果を上げている側面もあり・・・

 

と言えるのかもしれません。
勿論、脳の内面へのアプローチにおいては、これまでに積み重ねてきた様々な検証も役に立っているのは間違いありません。
そこで、私達の日常生活におけるアプローチという側面では、

 

人間関係であったり・・・

目標を達成する為のものであったり・・・

様々な面に反映されていく・・・

 

ものでもあります。
そして、人間関係にせよ、目標の達成にせよ、

 

仮に(今は)上手くいっていない(と感じられる)場合においても・・・

それまでのアプローチの仕方が全然駄目・・・

という事では全くない!

 

という視点は頭に入れて置いて損は無いと感じます(笑)
つまり、

 

そのような今迄のアプローチの仕方も・・・

決して無駄にはなっていない!

 

という事です。
しかし、何かを変えたい、あるいは、変化を加速させたいなどと思う際には、アプローチの仕方を少しだけ変えてみるというのも、より効果を発揮させていくのに、一理あるのかもしれません。
そして、このような際には、

 

今までのアプローチの仕方・・・

これからのアプローチの仕方・・・

という・・・あれか・・・これか・・・の二者択一ではなく・・・

 

これも・・・あれも・・・という

重なりや統合というアプローチを試してみる!

 

という方向性が、「自分の中」の葛藤や抵抗を減らしてくれるようにも感じます。
なぜなら、

 

デルガードの様々な実験に現れているように・・・

そこには、多大な負の側面があったのも事実ではあるが・・・

部分的には現代の医学に役立てられている側面も存在する・・・

 

という「反映」を見て取る事もでき、

 

音楽療法のように・・・

既に目の前にあった(存在していた)ものに・・・

改めて「気づく」という事によって・・・

新たな活用法に繋げていく事も出来る!

 

という、ここでも「反映」を見て取る事ができるからです。
楽器や演奏はかなり後の世の発明であるのかもしれませんが、もしかしたら、人類は「言葉」の発明以前に、鼻歌?のような「音(楽)」を奏でていた可能性も高いからです(あくまで根拠の無い、私個人の勝手な推測ですが(笑))。
そして、先ほどの「自分の中」の葛藤や抵抗を減らしてくれるというのは、

 

七転び八起き・・・のように・・・

あらゆる面を活用してしていく事で・・・

結果的には「自信」を増やし続ける事が出来る!

 

からでもあります。
昨今の社会状況や経済なども見渡すと、巧みに?「怖れ」や「自己責任」をつつかれ、多くの人が「自信」を失いかけているのも、その要因の一つにあると感じています。

 

勿論、「傲慢の極み」や「人の意見に耳を全く傾けない」のは頂けない面もありますが、あなたは「今の自分」に「自信」を持っておりますでしょうか?

そして、もし「自信」を失いかけているかも?と感じる際には、今までのアプローチの仕方のある部分においては、それを大切にしつつ、ほんの少しアプローチの仕方を「変えて」みたり、「増やして」みたり、あるいは、時には「減らして」みたりといったように、「既に今あるもの」を、あなた自身の「智慧」の助けも享受しながら活用してみて下さい(笑)

2019年6月8日 02:06

自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

皆さんもご存じの通り、先日、多くの小学生の方や、その親御さんなどが殺傷されるという、大変に傷ましい事件が起こってしまいました。
そして、その加害者の人がその場で自殺(自死)をした事により、様々な動機の解明にも支障が出るのでは?などの見解も多く出されています。
勿論、このような動機の解明というのは、もう二度と同じ事件を引き起こしてはならない!という観点からのものでもありますが、今回は「自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、今回のTOPICSを書くのが良いのか、書かない方が好ましいのか、あるいは、これを書く事でどこかで誰かを傷付ける事にはならないか、、、など、今まで多くのTOPICSをお伝えしてきた中においても、今回は一番悩みました。
正直、、、これを書いている「今」においても悩んでいるというのが正直な所でもあります。
ここには、私も同じ一人の人間ですので、「感情」というものも深く関与してくるからです。

 

ただ、やはり、自分の中における、少しでも役立つ面が見い出せる視点が含まれているのであれば、それをお伝えせずにやり過ごすような事は、それこそ、今回に限らず今までのテーマにおいても活用してきた魂の視点に反する事にもなりますし、また、今までもこのTOPICSをお読みになって頂いている方々に対しましても、私が逃げのような姿勢を持つ(見せる)事は、ある意味の裏切り?のような側面にも繋がってしまいますので、「今」の私自身が感じている面を、今回も正直にお伝えして参ります。

 

そして、今回のような悲惨な事件などにおいて、魂の視点を活用するというのは、現在の世の中や社会においては、一蹴に付される面もあるでしょうし、失笑を買う面があるのも事実でしょうし、また、ご遺族や被害者の方々は勿論、その身の周りの方々への「二次被害」を生み出すのでは?などのご意見も当然ながら存在する事と思いますし、その点も私自身は重々理解している趣旨でコメントもして参ります。

 

なので、そのような観点からも、今回の内容に関しましては不(愉)快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんし、不謹慎との誹(そし)りもあるかもしれませんし、今回お伝えする内容におきましては、それこそ著名人や有名人の方が似たようなコメントをしたとすると、SNSなどでは間違いなく?大炎上という状況にもなり得るものでもあるかもしれませんし、また、あくまで私個人の勝手な視点であるという前提を踏まえまして、ここから先は読み進めないという選択肢もありますし、まずは、自分の中で少し考えを整理した上で、あくまで参照としての視点という意味で、その後にお読み進めてみるというのも選択肢の一つです。

また、お読み進めて頂く際には、特に今回のようなテーマに関しましては、多角的(多方面的)な視点が必要となり、理路整然とは進めにくい点もある事から、多少の読み辛さを感じる面がある事と、やはり誤解を生じさせてはいけない!との思いが強くある事から、かなり長めの内容になっております点を、重々ご理解頂ければ幸いです。

では、進めて参りますが、今回の事件に限らず、このような大変に傷ましい出来事などにおいては、

 

その全体像というのは・・・

私自身も当然の事ながら・・・

この世の、ほぼ誰もが理解する事は出来ない・・・

 

という点を大前提として踏まえる必要性があります。
しかし、

 

理解出来ない事と・・・

そこから目を背ける(見ないようにやり過ごす)事とは・・・

全く違う・・・

 

という視点も同時にとても大切なものになります。
そこで、まず、今回の事件に関して、

 

自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

 

という見解がある一方で、

 

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・

 

という見解が色々と醸し出されています。
私自身は、このどちらの意見も分かるような部分もありますし、ある意味においてはどちらも「正論」とも感じますが、これに関しては後ほどコメントして参ります。
そして、今回のような事件は、加害者自身の自殺(自死)という面では、銃の乱射事件や自爆テロなどとも確かに重なって見える部分もあります。

 

また、これも繰り返し引き起こされている、様々な無差別などの殺傷事件においても、自らで自殺(自死)をしなくとも、心の内面においては、そのような事件を引き起こす事によって、司法の場における死刑制度を自殺(自死)の助けとして活用している側面があるのでは、、、などの見解もあります。

 

そして、ここは誤解の無きように改めてお伝え致しますが、どのような理由があるにせよ、他の人を傷付けてはならないのはその通りであり、また、このTOPICSにおいても自殺(自死)はしてはいけないとお伝えしておりますが、今回のような事件における自殺(自死)と、例えばご病気などでとても苦しんでいる最中に行動に移してしまった自殺(自死)などを同列に論じる事は、当然の事ながら出来ません。
また、このようなご病気などに限らず、何かしらの人間関係や経済状況などを理由に自殺(自死)を選択してしまうケースでも同様です。

そして、今回の事件のような自殺(自死)は、ひとまず脇に置いて考えてみると、ご病気や他の理由における自殺(自死)の心の内面においては、

 

四方八方、手を尽くしたが・・・

他に自らを救える道が・・・

見つからなかった・・・

 

という心境である事が多くにあるとも感じます。
では、不謹慎な例えを敢えて活用致しますが、100階建ての超高層ビルから身投げをすると、ほぼほぼ100%の確率で自殺(自死)を遂げる事は可能です。
また、これは、この高層ビルのように多くの人が往来する場所ではなく、山中の深くにおける断崖絶壁などでも、ほぼ当てはまる事と思います。
しかし、他意も悪意もありませんが、自殺の名所?と呼ばれているような、富士の樹海や東尋坊などでは、

 

絶対的に100%自殺(自死)が出来るという可能性は・・・・低い・・・

 

という矛盾した現象や傾向が見て取れる側面があります。
にも関わらず、そのような自殺の名所?に赴く人もいれば、そのように呼ばれている場所に引き付けられてしまうという現象や傾向の高さが見受けられます。
そして、このような現象や傾向における魂の視点においては、

 

魂とは殺す事も出来なければ消滅させる事も出来ない・・・が故に・・・

そのような場で実際に自殺(自死)を実行した人(魂)においては・・・

 

自らが未だに自殺(自死)を遂げていない(と思い込んでいる)・・・が故に・・・

(似たような心境の他の人に)憑依をして何度も同じ事を繰り返している・・・

 

という点が当てはまります。
つまり、当人においては自らが既に、いわゆる死後という状態にあるのに「気づけていない」という事です。
そして、

 

心の内面が苦悩などで一杯一杯となっている状態の人が・・・

そのような心境で自殺の名所?などのような地に赴いてしまうと・・・

憑依を受けやすくなってしまう・・・

 

という現象と傾向です。
なお、東尋坊などは景勝としての素敵な観光地でもありますし、私も何度も訪れた事がある場所ですので、そのような苦悩に満ちた心境でなければ、(強固な)憑依などは決して起こりませんし、怖れる必要性も全くございません。
そして、

 

このような自殺の名所?と呼ばれるような地においては・・・

憑依が更なる憑依を生み続けている・・・

 

という循環にもなってしまっています。
つまり、自殺(自死)を試みるかどうかの迷いにある最中に、そこに他の魂からの憑依の影響で自殺(自死)を実行してしまったが、その本人の魂においては死に気づいていないが故に、未だに生きていると思い込んでおり、同じような心境の人に自らが憑依して自殺(自死)を遂げようとする、、、それに気づくまでは、、、延々と繰り返されている、、、という現象です。

 

なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、自殺(自死)をした魂の全てがこのような状態になるのではなく、その割合とは低いものでもあり、また、そのような魂のご本人は悪気なども一切なく、ただ、「気づけていない」が故に繰り返しているという状況であり、、、それに「気づかせて」あげるのが、、、本当のご供養の本質となります。

 

また、今回のテーマとは直接の関わりは少ないですが、ご家族や愛する人を殺されたりする事件などにおいては、ご遺族などが断罪を求める!などの心情も私も理解出来る面もありますが、このような魂の視点においては、死刑を実行したからといって、その加害者が無になってしまう訳でもなく、逆に、(死刑後に)自らの行為を更に正当化し、自分に死刑を科した世の中や社会への恨み辛みや悪意や未練や執着を糧として増幅させ、憑依(という事件)が更なる憑依(という事件)へと連なってしまう危険性もあるという視点が成り立ちます。

 

そして、今回のような事件と憑依とを安直に結び付ける事には、勿論、反論も成り立ちますし、様々な思いや見解が出て来るのが当然でもあります。
ただ、このような憑依現象に関しては、昔から医学(精神学)や科学、心理学、人類学、哲学、宗教学などにおいても多数の論文が存在しているのも事実でもありますし、科学などの観点では(実証を試みる)研究なども行われてきているのも事実でもあります。

憑依という言葉はオカルトに分類されるのがほとんどですが、憑依を科学的観点から言い換えると、「(私達)人間の意識はエネルギーの一種であり、あらゆるエネルギーの性質は、高い所から低い所に流れる」という基本原理として既に証明されているものでもあります。
なので、今回お伝えしている内容というものは、時に見受けられるような、上っ面をなぞったような、現世利益のみを追求するかのような、フワフワした「一部」のスピリチュアルの視点とは違います。

 

しかし、このような研究が実証に至ってしまうと、世の中や社会においては不都合に感じる人が(多く)いるが故に、そのほとんどが、こちら(関心を抱いている人)からアプローチをしない限りは、日の目を見ぬような状況に置かれているのも、また事実でもあり真実でもあります。

そして、このような事件と憑依との関係性においては、

 

仮に、事件を引き起こしているのが憑依であるのならば、防ぎようがないのではないか?

 

との問いが数多く出てきますが、

 

それは間違い!

 

です。
なぜなら、

 

憑依というのは・・・

憑依をする側の原因や理由だけではなく・・・

必ず憑依をされる側にも原因や理由がある・・・

 

からです。
というのも、

 

私達の誰もが(私自身も含め)・・・

程度の差はあれ・・・

そして無自覚において・・・

日常的に憑依を受けている・・・

 

からでもあります。
そして、

 

(特に強固な)憑依とは・・・

一足飛びに、また、瞬間的に起こり得るものではなく・・・

それなりの時間を掛けて影響が及ぼされていく・・・

 

という側面があります。
そして、これが本当に意味する所は、

 

どのような事であれ、決して憑依を言い訳にしたり、責任をなすりつけてはならない!

 

という所が本質になります。
では、皆さんも考えてみて下さい。

 

まず、誰しもが、感情にはムラ(というバイオリズム)がある

 

のはご承知の通りであり、経験のある事でもあります。
そして、

 

(最近)妙にイライラする・・・

(肉体面ではなく心の状態において)何となく・・・気分が晴れない・・・優れない・・・よく眠れない・・・

 

なども、誰しもが程度の差はあれ、どれかは(これ以外でも)経験した事がある事と感じます。
そして、このような状態の時には、

 

「過去」の何かに引っかかっていたり・・・

「将来」の何かに漠然としたもの(不安など)を感じていたり・・・

 

といった、

 

自分の心の内面に原因や理由が見つかる

 

という点が当てはまります。
勿論、そのような心の内面の引っかかりを生みだした出来事などにおいては、自分に非がないにも関わらず、、、といったケースも確かに存在しておりますし、特に近頃の社会状況を見渡すと、このようなケースが増え続けているようにも感じます。
そして、

 

自分の心の内面を放置しっ放しにしておくと・・・

そこに、「隙間(魔という隙)」が広がっていき・・・

その「隙間(隙魔)」に「同調」してくるのが憑依現象・・・

 

であります。
なので、自分に持っていないものや、理解済みの事柄(既に気づいている事など)においては憑依現象は起こりようがないのが事実です。
そして、

 

先ほどのような気分や感情のムラというのは・・・

誰しもが持っているものであり・・・それは私自身も同様であり・・・

感情に揺れ動きが生ずるのは、自然で当たり前な事でもある・・・

 

という点を、まずは、しっかりと理解する事が必要になってきます。
そして、これと同じ事は、

 

キリスト教(等)においては・・・自分の中の悪魔と闘いなさい・・・

仏教においては・・・地獄絵図として(見やすいように)視覚化し・・・自らの今の境地を見つめるように促している・・・

 

という心の内面を問うているのが共通項でもあります。
勿論、「闘う」というのは「比喩」として用いられているものですが、この「比喩」の解釈を間違っているために、宗教間での争いが絶えないのは言うまでもありません。
そして、医学や科学が目覚ましいほどの発展を遂げている現代において、

 

このような残虐な事件が後を絶たない・・・

いえ、以前にも増して増え続けているのは・・・

どこかに「見落とし(欠落している視点)」があるから・・・

 

と私自身は強く感じております。
そして、最初にご紹介した、

 

「自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

という見解がある一方で、

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・(という見解もある)」

 

という部分において、私はどちらもある意味においては「正論」と感じる部分もあるとお伝え致しましたが、ただ、

 

この両者を繋げてくれる視点が・・・

欠落している・・・

 

とも感じております。
それは、

 

他人を巻き込んで自殺(自死)をしようとも・・・

ただ一人で自殺(自死)をしようとも・・・

どちらも・・・

自らの救いの道を見つけられなくなっているから・・・

 

という点は共通している所です。
そして、更に欠落している視点の内の一つとしては、

 

ただ一人で自殺(自死)をしたとしても・・・

必ず他の誰かや何かに影響を与えている・・・

 

という点です。
勿論、共通しているからといって、誰かを傷付けるという巻き込み方と、影響を与えているという巻き込み方においては、大きな違いが生じているのも事実です。
そして、最も欠落している視点の一つが、どちらの意見においても、二度と同じ事を繰り返させてはならない!という点は共通しているように感じますが、

 

なぜ・・・それが論争という争いになるのか・・・?

なぜ・・・同じ方向を向いているのであれば・・・共に「考える」というスタンスにならないのか・・・?

 

そして、このような争いの姿を社会が見せる事こそ・・・

もしかしたら・・・被害者のご遺族などにおいても、辛く感じる部分もあるかもしれないし・・・

 

今、何かしらの苦悩の最中で自暴自棄になりそうな怖れを抱えている人が・・・

このような争いの社会の姿を見て、どのように感じるのか・・・?

 

という部分です。
このように論争という現象を生みだしているのも「隙間(隙魔)」の現れであり、私達の心の内面は社会に反映され、反映された社会の状況が更に心の内面に影響を及ぼしてくるという循環になって、これが、現在の不健全な「格差」を生みだしている一つの要因でもあります。

 

ちなみに、これも否定や非難などでは全く無いという点をご理解頂いた上での事ですが、このようなニュアンスは、何か、薬物に手を出してしまった後は病気であるのでと見守られるが、その薬物に手を出してしまいそうになる迄の間の状況や状態に対しては、あまり目を向けられていない現状において、勿論、人を傷つけてしまう事と、自らに薬物を取り込むのでは、その両者には大きな違いが存在するのもその通りではありますが、何か、この両者に向けられる社会の目のベクトル(方向)が、上手く伝えづらいのですが、自己矛盾?のような重なりが見えるように感じる面も、個人的には思うような部分もあります。

このどちらもが、二度と同じ事を繰り返させてはならない!との方向性は一致しているはずなのですが、、、

話しが少し逸れましたので戻しますが、このような様々な見解がある事も含め、

 

私達の誰しもが・・・

この世や社会で・・・

一人きりという事はありませんし・・・

一人きりでは生存(存在)出来ない・・・

 

のが真実です。
そして、このTOPICSでも幾度かお伝えしておりますが、

 

この世でたった一人きりしか存在しないのであれば・・・

その人は自分を自分として認識出来ない・・・

 

という点に加え、

 

そのような一人きりでの存在であるのであれば・・・

誰かを傷付けたり・・・

自殺(自死)を試みたり・・・

といった発想や考えも存在し得ない・・・

勿論、憑依現象なども起こりようがない・・・

 

という事です。
そして、矛盾して聞こえるかもしれませんが、

 

憑依を防ぐ・防げるのも他者が存在しているから・・・

 

という側面に光を当てる必要性が出てきます。
これが、

 

自分が一杯一杯と感じている時には・・・

他者の助力や援助を快く享受しても良い・・・

 

という面と、

 

助力や支援を求められた時には・・・

自分に出来る範囲内で構わないので・・・

一緒に「考える」・・・

 

という事が大切になるという事です。
とても当たり前と思われるかもしれませんが、魂の視点とは現実的でもあり、ごく自然なものとして現れているものです。
そして、

 

憑依の種子というのは・・・

私自身も同様に・・・

ほぼ誰しもが・・・

自らの内に抱えている・・・

 

というのは、ここまでにおいて、ご自身の内面にほんの少し目を向けてみるだけでも実感として伴う事と思います。
例えば、「死ね!」とまでは思わずとも、また、「行動」には移さずとも、「(私の)目の前から消えてくれ!」「顔も見たくない!」と誰かに対して「思った」経験は、ほぼ誰しもがある事でしょうし、私も同様に思った事は勿論あります。
そして、表現は不適切ではありますが、

 

このような憑依の種子に水や肥料を与えない・・・

 

という事が大切になりますが、これが、

 

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という自らの心の姿勢を保ち続ける事です。
勿論、正すべき所が相手にあれば、それを「理性」でもって伝える事も必要になりますし、また、誰かや何かの責任(せい)にしない!というのは、責められるべき非が自分にあると、自分を責める事では全くありません!

そこで、ここはとても大切な部分ですので、一つの仮のケースで考えてみます。
繰り返しますが、喜怒哀楽などの「感情」は自然で当たり前のものであり、これを否定や拒否をする事はしてはいけません。
では、何か悲しい出来事があったと仮定します。

 

① 悲しみを感じ・・・

② その悲しみを引き起こしたのは自分の責任だと自己憐憫に陥っていき・・・

③ そのような哀れな姿の自分にしたのは世の中や社会の責任だ!との怒りに支配され・・・

 

とのように、①においては自然で当たり前の感情が、②の段階で次第に自分を責めるようになり、③の段階では既に自らの感情のコントロールが、自らの手から離れてしまう、、、これが憑依です。
つまり、このケースにおいては、

 

①から②の段階では自然な範囲のものであるのが・・・

②と③の段階のどこかに「隙間(隙魔)」が生まれ・・・

③の状態に自分では気づかずに移行してしまう・・・

 

という流れです。
そして、

 

このような流れに無自覚に進んでしまわない為に・・・

それを防いでくれる視点というのが・・・

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という本当の意味です。
なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、ここでの何か悲しい出来事というのは、今回の事件のような被害者の方々などの心情を指している訳では全くありません!
それが、当然の事ながら、このような事件においては、被害者の方々などに非がある訳ではないからです、、、
そして、

 

このような憑依を防いでくれる一連のプロセスにおいては・・・

無自覚であろうが自覚を持ってであろうが・・・

必ず、自分の心の内面と向き合うという作業が行われている!

 

という事です。
そして、これもとても誤解の多い所ですのでお伝え致しますが、

 

自分の心の内面と向き合うというのは・・・

自分の「主観」に入り込む事ではなく・・・

自分を「客観視」してみる事・・・

 

です。
その結果として、何かの出来事においては、自分には非がない!と思える事にも気づいていく事が出来るようになります。
そして、何故、このような視点が必要になるのかと言いますと、今現在の全世界を見渡してみても、特に最近の日本の世の中や社会においては、

 

三歩進んで二歩下がる・・・という成長ではなく・・・

二歩進んで三歩下がる・・・という劣化に進んでいる・・・

 

からです。
例えば、先ほどの誰かや何かの責任(せい)にしない!という視点一つを取ってみても、先頃発覚した医学部の不正入試などや、身近な人間関係や職場環境でも数多(あまた)見られるように、自分に非がないにも関わらず、誰かや何かの責任(せい)にしない!という心の姿勢を保つのが(かなり)難しくなっているという傾向が高くなっており、それを引き起こしている大きな原因や理由として、

 

社会そのもの(仕組み)が・・・

憑依の種子へ水や肥料をやっている・・・

 

というのがとても顕著に見て取れます。
これを現しているのが、

 

解釈を間違(魔違)えた・・・

自己責任論や・・・

〇〇ファースト・・・

 

であり、なおかつ、更なる拍車を掛けています。
そして、今回のようなテーマをお伝えしたからと言って、これが事件などに巻き込まれたご遺族や被害に遭われた皆様方の癒しにも慰めにもならないのは、私も百も承知です。
しかし、被害に遭われたご当人様においては、もしかしたら、

 

他の人には同じような経験をさせてはならない!

 

との思いも個人的には強く感じる面がありますし、このような事は、事件の被害などに関わらず、理不尽な仕打ちや、不本意ながらも自らの表現を抑えられてしまうといった兆候は、おそらく、皆さんの身の周りでも頻繁に起こっている事と感じます。
そして、

 

その為には・・・

欠落している部分を補い・・・

ほんの少しでも役立てそうな部分があるのであれば・・・

やはり活用していくという姿勢を保ち・・・

この活用という本当の意味は・・・

誰しもがその人なりのやり方を「考えて」みる・・・

 

という事であり、一番の近道でもあり早道であるようにも感じます。
そして、憑依に関する魂の視点の活用という意味では、皆さんも周囲の人を見渡してみた際に、

 

以前とは・・・違う印象を受ける・・・

 

という人は思い当たらないでしょうか?
勿論、これにも、まずは、相手が変わったのかを見る前に、自分の内面が変わった?との視点を先に活用する事も必要にはなりますが、しかし、このTOPICSでも色々と取り上げております、イジメやセクハラやパワハラや、(匿名も含め)感情優位のSNSなどでの誹謗中傷、あまりにも心(善意や良心)を置き去りにしてしまった社会や世の中での出来事、そして、不作為という無関心においても、

 

その本質は同じであり・・・

全ては自らの心の内面の・・・

「隙間(隙魔)」を自らで広げている・・・

 

からです。
そして、繰り返しですが、

 

どうぞこれだけは覚えておいて下さい・・・

誰しもが一人きりではなく・・・

必ずあなたの支えになってくれる他者(人)が存在しており・・・

一杯一杯の時には、支えを求めて下さい・・・

 

そして、そのような支えは、他者(人)に限らずとも、小説や映画などの文学でも、音楽でもスポーツでも、あらゆる面に反映されております。
どうぞ、何かに心折れそうな時には、ほんの少しでも立ち止まって、ほんの少しで構いませんので、視野を広げて自分を客観視してみて下さい。

 

その先には・・・

必ず、あなたにとっての「気づき」が・・・

待ってくれています・・・

 

そして、今回は傷ましい事件からの自殺(自死)と憑依(心の内面)との関係性を取り上げましたが、また、今回の内容でお伝え出来ているのは、ほんの僅かの一部分ではありますが、2017年11月11日のTOPICS「「自殺」が頭を掠(かす)める時には・・・読んでみて下さい」でも、少し別の視点からも触れておりますので、宜しければご参照してみて下さい。

 

そして、重たく長いTOPICSにも関わらず、ある種の忍耐と勇気?を持ってここまでお読み頂いた皆さんにおかれましては、先ほど、憑依とは程度の差はあれ、誰しもが日常的に受けているものとお伝え致しましたが、怖れる必要性は全くありません!
逆に怖れを抱くと、それがつけ込まれる「隙間(隙魔)」になってしまいます。
そして、

 

(好ましからぬ)憑依を防ぎ・剥がす為には・・・

時折で構わないので、自らの心の内面を見つめ・・・

出来る範囲内で構わないので、自らを律しようとの思いを保つ・・・

 

という、ここまで繰り返しお伝えしてきた事だけで、充分に対処していく事が可能です。
そして、その際には、宜しければ、このTOPICSでお伝えしている魂の視点というものも、部分的にでも構いませんので、活用してみて下さい!

そして、有り難くもここまでお読みになって頂いた皆さんへの特典?という訳ではございませんが、前々回の2019年5月18日のTOPICS「モテる要素は・・・魂(心)に?それとも、容姿(外見)に?」において、

 

魂には「親和力」というパワーが備わっている!

 

とお伝え致しましたが、実は、

 

憑依現象というのは・・・

この「親和力」のごく一面の現れに過ぎない・・・

 

というのが当てはまりますが、この事からも、

 

どのような力やパワーや(自然)法則であろうとも・・・

それを、どのように活用していくかは・・・

その人の心の内面に全て掛かっている!

 

という事がご理解頂けるかと思われますし、今回のような傷ましい出来事におけるテーマにおいても、モテる要素?などの気軽なテーマにおいても、この「親和力」のように、どちらにでも共通に当てはまり、同じ水脈として流れているのが魂の視点というものでもあります(笑)

2019年6月1日 03:06

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