最近注目?の「レジリエンス」について

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は「最近注目?の「レジリエンス」について」というテーマですが、皆さんの中でも、この「レジリエンス」という言葉を最近よく耳や目にするようになった?と感じている方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
書店などでもレジリエンスと銘打った書籍は数多く見受けられるようになってきましたし、国立がん研究センターにおいては「レジリエンス外来」も開設されております。

 

そこで、まず、このレジリエンスという言葉をご存じの方もいらっしゃれば、初めて聞いたという方もいらっしゃるかと思いますので、簡単なご説明から進めて参ります!

この「レジリエンス(resilience)」という言葉は、元々は「ストレス」と共に、物理学などで「現象」を説明する為に活用されてきた言葉です。
そして、物理学などにおける「現象」の説明として、

 

レジリエンスとは・・・

跳ね返す力(弾力性)・・・

 

と意味していたものが、心理学などにおいても「心の現象」に当てはめられ、現在に活用されるように至っています。
そして、心理学などでは、「回復(快復)力」「復元力」「逆境力」「折れない心」「立ちなおる力」などと様々に表現されており、

 

レジリエンスにおいては・・・

絶対的に決められた(決まった)定義はない・・・

 

というのが現状でもあり、私個人としてもそのように理解し捉えておりますので、皆さんも、何がレジリエンスなの?という定義などに捕らわれる必要性は全くなく、ここから先は、皆さん自身の中に湧き出て来るイメージや、レジリエンスという言葉が醸し出す響きや雰囲気などを、それぞれ皆さんの自由に任せて味わうように読み進めてみて下さい!

 

ところで、このTOPICSにおいても、幾度も取り上げております、魔術師と称され、20世紀最大の催眠療法家と言われているミルトン・エリクソンですが、彼の物事の捉え方やセラピーでの手法などは、現代のヒプノセラピー(催眠療法)においても、その多くの部分が取り入れられ活用されております。

そして、エリクソン自身はレジリエンスという言葉を活用(多用)していた訳ではありませんが、彼のセラピーやセッションの中核を成しているのはレジリエンスと全く同じです。
そして、彼が活用していた言葉は、これも、このTOPICSにおいて繰り返しお伝えしております、

 

ユーティライゼーション

 

です。
このユーティライゼーションとは、

 

(クライアントなど)その人なりに、活用出来そうなものは、何でも活用する

 

という点に「主眼」が置かれているものです。
ちなみに、このユーティライゼーションにおける「何でも活用する」というのは、「目的のためには手段を選ばず」とは、全く意味も性質も違いますので、くれぐれも、誤解の無きよう、その点を正しくご理解頂ければ幸いです(笑)
そして、例えば、この「主眼」の捉え方においては、

 

仮に、私(瀬川)が99%の(クライアントなど)誰にでも効果を発揮する手法やアドバイスを持っているとします・・・

しかし、もし「あなた」が、その他の1%に該当しているとすれば・・・

 

私(瀬川)の99%の人に当てはまる手法やアドバイスは・・・

「あなた」にとっては何の意味もなさない・・・

 

それどころか・・・

私(瀬川)がその手法やアドバイスを「あなた」に(無理矢理にでも)適用させようとすれば・・・

「あなた」は間違いなく、落胆を感じ、希望を失っていく・・・

 

のが目に見えています。

ちなみに、私もカウンセリングなどを行っている中で、クライアントの方から、以前に他のカウンセリングやセラピーなどを受けた時に、その人から「怒られた?」、また、「私の言う通りにやらないから良くならないんですよ!」などと言われた、とのお話を頻繁?にお聞きしますし、それが元でカウンセリングなどを受けるのが「恐くなってしまった、、、」との感想も頂きますが、その原因は今お伝えしたものに存在する事と、他にもこの先で紹介して参りますので、そのような経験をされた方も、どうぞ安心して読み進めてみて下さい(笑)

では、話しを本題に戻しますが、つまり、ここに先ほどの、

 

レジリエンスにおいては・・・

絶対的に決められた(決まった)定義はない・・・

 

という点が当てはまってきます。
そして、エリクソンは、別の表現を使って、クライアントに寄り添うに当たって、セラピスト等に対して次の言葉を繰り返し伝えていました。
それが、

 

治療に「抵抗」するクライアントなどいない・・・

(治療に抵抗するクライアントが存在するように感じるのならば、それは・・・)

「柔軟性」に欠けるセラピストがいるだけだ・・・

 

と(笑)
そして、ここ迄においては、レジリエンスにおいても、エリクソンの手法にしても、

 

その根本に共通して存在しているのは・・・

「自分」の事は・・・

やはり「自分自身」が一番よく知っている・・・

 

という点を、まずは、頭の片隅にでも置いて頂いて、更にこの先をお読み進めてみて下さい!

そして、このように、クライアント毎に異なる、様々なアプローチを活用していたエリクソンですが、クライアント一人一人は育って来た環境や背景も異なり、その人自身の個性も最大限に尊重するという点からも、自らの手法などを体系化したり、マニュアル化するのを拒んでおりました。

 

ただ、やはり、その手法のエッセンスだけでも知る事で、役立つ部分が大きいのではないかと、エリクソン関連の書籍は多数出版もされております。
その中で、エリクソンの身近な関係者が著した『ミルトン・エリクソン心理療法 〈レジリエンス〉を育てる』(著:ダン・ショート、ベティ・アリス・エリクソン、ロキサンナ・エリクソン-クライン、訳:浅田仁子、発行:春秋社)という書籍があります。
これは、S.Light.Mで開催しているヒプノセラピスト認定講座においても、補足資料として活用しており、そのごく一部ではありますが、皆さんが、皆さん自身のレジリエンスを感じ、そして、「考える」手助けになりそうな点を少しご紹介して参ります!

では、まず最初の前提として、ユーティライゼーションにおいても、そして、レジリエンスにおいても共通しているのが、

 

『 心の健康は「標準化」してクライアントに強要出来るものではない 』

 

というエリクソンの一言です。
なお、ここでのクライアントとは、あなたが相談を持ちかけられた「誰か」にも当てはまりますし、勿論、「あなた自身」にも当てはまるものです。
これは、皆さん自身においても、自分の悩みでも然り、他の人から悩みを相談された時にも然り、

 

まずは、違って当然という・・・

「多様性」へと目を向けさせる・・・

 

という所がポイントです。
例えば、誰かから、あなたにとっては何でもないと感じる事を相談された時に、仮にあなたが「そんなのは悩みでも何でもないでしょ!」と答えたとすると、その後のコミュニケーションは継続しなくなる事でご理解頂けるかと思います(笑)
勿論、あなたの「内心」においては、どのように思おうと自由ですが、、、(笑)

そして、これを具体的なレジリエンスという現象に活用してみますと、

 

他の人が行っているレジリエンスを参考にするのも(大いに)役立つが・・・

「自分」と「他の人」とを比較しない!

 

という視点を保つのが大切になります。
つまり、「自分」に役立つレジリエンスが「他の人」に当てはまるとは限らないのと、逆もまた同様に、「他の人」に役立っているレジリエンスが必ずしも「自分」にとって功を奏すとも限らない、という意味です。

これは、少し冷めた?表現を用いますと「(過度な)期待をしない」とも言えますが、「他の人」から教えて貰って「自分」に試してみたけれど、「自分」にはあまり効果が感じられなかった、、、と落胆を感じる人も多くなっておりますので、そのような「本末転倒」にはならぬよう、少しこの点を心掛けてみて下さい!

 

では、ここからは、この書籍において、実際にあった2つの症例を元に考える素材を提供して参ります。
エリクソンの元に、関節炎による麻痺により、体が動かせなくなってしまい、車イス生活を送っていた男性が訪れてきました。
そして、エリクソンはその男性の話を色々聞いていた所、その男性は「親指だけは少し動かせる」という事が分かってきました。
そこで、エリクソンはその男性に次のように話し(指示・暗示し)ました。

 

『 親指「しか」動かないのであれば・・・

親指「だけ」を動かし続けて下さい・・・

そして、もし、「他の指」を動かしたくなったら、そうしても(動かしても)構いません・・・ 』

 

と。
すると、次第に、その男性の指の動きは、親指から人差し指へと、さらに他の指へと広がって(繋がって)いき、その状況を観察していたエリクソンはこの男性にペンキ塗りの仕事を与え、その後はトラックの運転手の仕事も任されるようになり、それと同時に、大学へも通えるようになっていきました。

理想論や空想と思われるかもしれませんが、実話です(笑)
このケースにおいては、全ての関節炎が全快(治癒)した訳ではありませんが、梅雨などの痛みの増す時期は良い休暇と思って休息を取りながら、日々の生活を送れようになっていきました。

では、このケースにおける、エリクソンからのレジリエンスの「提案」の言葉です!

 

『 全てを正す事が出来ない時には、修正出来るものを持つと良い 』

 

『 「癒し」は、オール・オア・ナッシング(all or nothing)という思考から、何が達成可能か?という考え方に「シフト」した時に、最もよく発生しやすい 』

 

と。
この「オール・オア・ナッシング(all or nothing)」とは、特にここ最近のTOPICSでも取り上げております、「本当に「二者択一」しかないのか?」あるいは「是か非か?」という思考パターンに陥るのと同じ意味です。

また、別の表現を用いると「可能な事と、不可能な事を分離する」と言えますが、何故、これがレジリエンスになるのかと言いますと、

 

このように分離する事により・・・

自分自身でもコントロール出来る部分が生まれてきて(それに「気づけて」)・・・

それが、その後の「自信」へと繋がっていく!

 

からです。
ちなみに、この「二者択一」問題?は、今回のTOPICSの最後の方でも、おそらく皆さんが「今、最も関心を持っている!?」と思われる話題に当てはめて考えていきますので(笑)

 

では、2つ目のケースです。
エリクソンの元に、「自分はイエス・キリストの生まれ変わりだ!」と称する患者さんがいました。
その患者さんは、キリストの生まれ変わりと思い込んでいるが故に、良かれと感じて他の患者さんに対して布教活動を行っていました。
しかし、その手法も強引なものであり、そもそものキリストの生まれ変わり?などの言動も相まって、周囲の人々は困惑していました。
すると、エリクソンはその患者さんについて、次のように考えました。

 

『 この患者さんに、「自分はキリストの生まれ変わりである!」と思わせておいたら、どんな良い事があるのだろう? 』

 

と(笑)
そして、その患者さんに次のように「質問」という「提案」をしました。

 

『 キリストという神の存在であれば、他に(布教活動以外に)どんな奉仕活動を進んで行うのでしょうか? 』

 

と。
すると、この患者さんは、進んで大工仕事などのボランティアを積極的に行うようになっていきました。
なぜなら、キリストは「大工」でもあったと聖書などでは言われているからです(笑)
皆さんはこの2つの実際の症例から、どのようなレジリエンスという「提案」を受け取りましたでしょうか?(笑)

 

では、レジリエンスとは、人それぞれに違っており、「自由」なものであるという点は、薄々?お分かりになってきた頃合いかもしれませんので、「え~っ! こんなのもレジリエンスになるの!?」というケースを2つ簡単にご紹介致します。

 

ある医師が、数年前に妻を亡くして以来、ひどい鬱状態に苦しんでいました。
そこで、次のような言葉が「提案」として使われました。

 

『 もし、あなた(医師)が先に亡くなり、奥さんが後に残されたとしたら、奥さんはどうなっていたでしょうか・・・(あなたと同じく苦しんでいたかもしれない、、、)?

あなたは、(ある面からの見方としては)そんなに恐ろしい苦しみから奥さんを救ったのですよ・・・

あなたのお陰で、奥さんは苦しみを味わわずに済んだのです・・・ 』

 

如何でしょうか?
人によっては激怒!?する方もいらっしゃるかもしれませんね(笑)
しかし、実際にこの医師は救われたのも事実です、、、

このような「提案」は、

 

新たな考えと新たな解釈を提示し・・・

それらを議論の余地のない何らかのやり方で・・・

遠い未来に関連付けるという・・・

「オリエンテーション(新たな方向付け)」!

 

というものです。
そして、このオリエンテーションのもう一つのケースが、トラウマを抱えている人に向けて贈った次の言葉です。

 

『 その位の症状で治まっているなんて、あなたの心と体は強いのですね!!! 』

 

と。
これがオリエンテーションの中で行われている、

 

「癒し」の大半は、当人の中にある「肯定的」な属性を強調し、それらを徐々に「増強」させていくプロセスである

 

という仕組みが活用されています。
これも、人によっては、「私のトラウマの苦しみをちっとも分かってくれていないじゃないの!」との反応が出る事も考えられますよね(笑)

 

では、ここ迄において、私が「提案」する一つのレジリエンスにおける捉え方です。
最初の方で、

 

「自分」の事は・・・

やはり「自分自身」が一番よく知っている・・・

 

とお伝え致しました。
そして、その後は、エリクソンとクライアント(患者さん)という関係を通して、幾つかのケースをご紹介して参りました。

繰り返しになりますが、何がレジリエンスになるかは「人それぞれ違う」という点は多少ご理解頂けたかもしれません。
そして、「それで良い!」という点も、、、
つまり、

 

レジリエンスとは・・・

「提案」でもあり・・・

「自分」というセラピストが・・・

「自分」というクライアントに対して・・・

様々な「提案」を行う事・・・

 

という側面が成り立ち、

 

「自分」が「自分」に対して行う様々な「提案」を・・・

「取捨選択」をし・・・

「決断」する・・・という

「自由」を有しているのが「自分自身」である!

 

というレジリエンスの「根本と源」です。
そして、このようなレジリエンスの捉え方においては、もしかしたら、多くの人から、次のような嘆き?や感想?が出て来るかもしれません。

 

レジリエンスに絶対的に決められたものはない・・・

というのは「頭」では理解出来るが・・・

その「自由」と言うのが・・・

逆に、私を悩ませる新たな種となるんだ!!!

 

と(笑)
このような(思考の)堂々巡り?に対する「答え」が、先ほどお伝えした、

 

『 全てを正す事が出来ない時には、修正出来るものを持つと良い 』

 

になっております。
つまり、レジリエンスという様々な「提案」が沢山ある中で、

 

もし「行動」してみたが、それが合わなかったり、上手くいかないと感じる時には・・・

「新たな提案」への「行動」へ移しても良い!

との「許可」を、前もって「自分」に与えてあげる!

 

という心の「柔軟性」と「余裕」を予め意識に入れて置く事で、自分にとって何が最適なレジリエンスになるのか?という迷いから脱却する事が可能になります。
勿論、複数のレジリエンスを持っていても良いですし、それを時と場合によって使い分けるのも大丈夫です!

 

では、先ほどコメント致しました、皆さんが最も関心を持っている!?タイムリー?な出来事にレジリエンスを当てはめてみます!

まず、これも、このTOPICSにおいて繰り返しお伝えしております「物事は大なり小なり、それぞれを反映している」という視点からですが、その当てはめる出来事というのは、「年金2,000万円不足!」問題です!
そして、もうお分かりかもしれませんが、結論から申しますと、

 

この大変身近で切実な出来事(話題)におていも・・・

相も変わらず・・・

(日本は)「自助」なのか?それとも、「公助」なのか?・・・

という「二者択一」(という思考)から逃れられないでいる・・・

 

という面が反映されております。
そこで、これも繰り返しお伝えしております、このような社会に当てはめられるレジリエンス、、、それが、、、

 

統合(融合)であり・・・

それを現している(体現している)一つの言葉が・・・

「情けは人の為ならず」・・・

 

です。
この言葉の本当の「真意」を、よくよく考えれば、その先に「光」が見えくるはずです(笑)
というより、このような「光」は、そもそも既に存在しており、その「真意」を汲み取って貰える事を待っている!とも言えます。

これは、皆さんお一人お一人が「考える」事がとても大切な問題ですので、その「真意」は皆さんお一人お一人のご判断にお任せ致しますが、ヒントとしては、よく誤解されている?ここでの「情け」とは、「哀れみ」や「同情」、また、「(自己)犠牲」という意味とは全く違う!という点を手掛かりとしてみて下さい。

また、この「真意」は年金問題に限らず、ここでの「情け」を、「別の怖れ」を煽る事で「真意」から目を背けさせるような手法が、残念ながら現在の社会の構造(会社組織も含め)に組み込まれてもおりますので、どうぞ、出来れば早い段階で皆さんも「考え」、そして、「気づいて」みて下さい!

 

そして、今回はその他の「現象」には敢えて触れませんが、これも現在の世の中や社会においては、先程から繰り返しお伝えしております、何でもかんでも「二者択一」に当てはめようとする発想?が様々な弊害を生みだし、もう、ほとんど破綻の状態にまで行き着いていると私個人としては感じておりますが、

 

世の中や社会に当てはめられるレジリエンスの本質となり得るのは・・・

私達一人一人が感じ入るレジリエンスの統合(融合)の中に存在しており・・・

それが、その先への「導き手」としての役割を果たしてくれる・・・

 

という意味にもなります。
そして、個人個人のレジリエンスとは、

 

既に私達の「中」に存在しているものであり・・・

私達の身の周りに様々なレジリエンスが反映されている(反映という形で「見せて」くれている)・・・

それに・・・どう「気づく」のか・・・?

 

という点が最大のポイントとなっています!
また、身近な反映というのは、これも繰り返しお伝えしております通り、人との縁であったり、本や映画や音楽であったり、ペットとの出逢いであったり、あるいは、チョコレートやケーキなど、それこそ何でも良いです(笑)

また、誤解の無きようお伝え致しますが、このようなテーマを社会や日常に当てはめた時に、では、変化を起こす為には、大規模なデモなどが必要なの?などと曲解される方もいらっしゃいますが、そのような趣旨では当然ありませんし、私を含め、お一人お一人が、出来る範囲内で大丈夫ですので、「無関心」を「少しの関心を保つ」にシフトさせる事への「提案」であり、それが、先ほど来お伝えしてきた「真意」を汲み取る手掛かりともなっております(笑)

まずは、自分なりのレジリエンスを考える際には「自由(な発想)」を意識してみて下さい!
では、今回のテーマの締め括りとして、先ほどご紹介した書籍から、2つの言葉と、あなたへの1つの質問を取り上げます。

まず一つ目はエリクソンの言葉、、、

『 あらゆる問題解決は、変化は可能だという考えから始まる 』

 

そして、二つ目はレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉、、、

『 最後(大きな問題)より最初(小さな問題)の方が抵抗しやすい 』

 

そして、あなたへの質問とは、、、

『 ある朝、目覚めたら、奇跡が起こっていて、あなたの問題が解決していたら・・・

あなたの「行動」は・・・どう変わりますか? 』

 

です(笑)

2019年6月15日 03:06

変化を起こすにはアプローチの仕方にも!? ~音楽療法や脳機能などから~

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は「変化を起こすにはアプローチの仕方にも!? ~音楽療法や脳機能などから~」というテーマをお届け致しますが、今回は幾度か、このTOPICSでも取り上げております『フランケンシュタインの誘惑E+ 人を操る恐怖の脳チップ』と、『サイエンスZERO 音楽が脳にもたらすうれしい効果が科学的にわかってきた!』という両番組からの素材を踏まえて進めて参ります!

 

では、最初は『フランケンシュタインの誘惑E+』から、スペイン生まれの脳科学者「ホセ・デルガード(1915~2011)」を取り上げますが、実は、この人物に関しては、2018年1月20日のTOPICS「様々な感情(心)はあなたの味方です! ~映画「インサイド・ヘッド」より~」の中での余談として以前にも取り上げておりますが、今回は加筆も踏まえ、改めてご紹介して参ります。

そこで、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております通り、私個人的には、

 

私達の意識は脳に依拠(依存)してはいない!

が、しかし・・・

脳はとても大切で素晴らしい機能を持っている!

 

という前提を改めてお伝えした上で、この先を進めて参ります!
ちなみに、この前提を創り上げている、ほんのごく一部分ではありますが、私個人が感じているのは「 「意識」 > 「感情 + 理性」など 」と捉えているからでもあります(笑)

 

では、このデルガードという人物は、約60年前に、脳に小さな電極チップを埋め込み、リモコンで電波を送る事で、感情を制御しようとの様々な実験を手掛けた人です。
ちなみに、他界されたのは2011年ですので、そう考えると、かなり身近な感触を覚えませんか?(笑)

 

そこで、まず結論?として、デルガードの脳チップにより感情を制御するという研究は、最終的には「政府やエリート層や独裁者などが、一般大衆をコントロールする手段としても使えてしまう」との非難から、晩年においては、研究拠点にしていたアメリカから追いやられてしまう事になります。

では、何故、デルガードが、このような研究に邁進して行ったのかを番組での紹介を踏まえて、その足跡を少し辿ってみたいと思います。

 

若かりし日の彼は、父と同じ眼科医を目指し、医学部に入学しておりました。

しかし、1936年に、スペインにおいて内戦が勃発してしまいます。
これは、将軍フランシスコ・フランコが指揮する軍部がクーデターを起こしたもので、反フランコ側である共和国軍の医療部隊にデルガードは参加していました。

そして、翌1937年には、彼の故郷のすぐそばの町で、フランコの軍により、市民5千人にも及ぶ大量虐殺が行われてしまいました。

 

そして、1939年にマドリードを陥落させ、独裁者と化したフランコは、共和国軍の兵士等30万人以上を強制収容所送りにします。
この際に、共和国軍の医療部隊であったデルガードも強制収容所送りにされます。
この強制収容所では、処刑や虐殺や暴力が日常茶飯事に行われていました・・・

 

ここで、晩年に彼を取材したジャーナリストが、デルガードから次のような話しを聞いたとコメントしておりました。
「(暴力と処刑が絶えない)強制収容所での体験が、自分に大きな影響を与えた・・・」と。

 

このような状況の中、5ケ月後に解放されたデルガードは、眼科医を目指すのではなく、脳に関する研究を始めるようになっていきました・・・

 

このように、脳の研究に舵を切り始めたデルガードが注目したのが、スイスの生理学者ヴァルターヘスが1920年代に行った、脳に関する、ある実験でした。

ここで行われた実験は、猫の脳に電極を移植し、電気刺激を与えると猫は興奮し、相手を威嚇するような仕草を取るようになり、これが、感情が脳の働きで起こる事を示した、世界で初めての実験と言われているものでした。

このような経緯から、デルガードは1946年にアメリカに渡り、大学で脳の研究に没頭していく事になります・・・

 

こうしてアメリカに渡ったデルガードですが、当時のアメリカでは、精神科医のウォルター・フリーマンが開発した、

 

脳の一部を切断して・・・

精神疾患を治療しようという・・・

「ロボトミー」手術が全盛となっていた・・・

 

という背景が存在していました。
ちなみに、この「ロボトミー」手術を受けた多くの患者さんは、、、その後、、、廃人となっていった、、、と報告されています。

そこで、デルガードは、脳を切断するのではなく、脳に電極チップを埋め込んで治療する事を考えていきました。
これが、脳への電気刺激装置としての、

 

「刺激 = Stimulation」 + 「受信機 = Receiver」

を組み合わせた、

「スティモシーバー = Stimoceiver」

 

の発明に至ります。
そして、このスティモシーバーは、リモート(遠隔)コントロールだった事から、動物の脳に直接電極を植え込む事が可能な為に、動物を鎖で繋いだりする必要がなく、動物の行動を制限せずに自由に実験を行えるようになっていきました。
そして、様々な実験を行っていく中で、

 

動物の行動に・・・変化が見られた(現れた)・・・(ように思えた)

 

との流れ?に乗っていきます。
そして、このような流れ?において、デルガードは1952年に、回復の見込み無しと判断された統合失調症やてんかん等の患者さん25名に対し、改良を重ねたスティモシーバーでの人体実験に取りかかっていきます、、、

このように人体実験を開始していった所、

 

手を握ったり開いたりなどの「体」のコントロールは出来た・・・

患者さんにギターを弾かせていた際に電気刺激を与えたら、「怒り」の感情で、その患者さんはギターを投げつけて壊してしまった・・・

控えめな性格の女性に電気刺激を与えたら、その女性はセラピストに突如抱きつき、「喜び」を表現した・・・

 

というように、実験は成功?したかに見えました、、、
そして、デルガードは、この実験の対象を動物に始まり、そこから人体へ、そして、

 

「社会そのもの」へ・・・

 

と向けていくようになっていきます。
この根底には、デルガード自身の内戦での悲惨な体験を基に、一般大衆が(虐殺性などのある)独裁者をコントロール出来るのではないか、、、との発想が強くあったとも言われております。

そして、猿の集団(猿の社会)への実験などを行っていきますが、これも一見すると成功?したように見えていましたが、、、この実験が世間の注目を浴びる事もなく、、、その理由は、この頃の精神疾患へのアプローチにおいては、

 

「ロボトミー」手術は行われなくなっており・・・

「薬物治療」が主流となり始めていた・・・

 

という背景がありました。
このように、デルガード自身に脚光が浴びせられる事がない状況で、彼は闘牛場で荒れ狂う牛を制御する公開実験などを行うなどして、(一部の)新聞では見事に実証!などと取り上げられたりもしましたが、、、

 

すると、意外な所?からのオファーがあり、デルガードに莫大な研究資金を与えるとの連絡が入り、彼は研究を続けていきました。
そのオファーをしたのが、アメリカ海軍と空軍でした、、、
その「動機」は、わざわざ私がコメントするまでもない事と思います(笑)

 

しかし、このように研究を続けているデルガードへの世間の風当たりは、日増しに強くなっていきました。
その理由は、デルガードの元共同研究者が、この研究により「(これで白人の意のままに)黒人の行動をコントロール出来るようになる!」と発言した事もあり、、、

 

また、別の精神科医が、男性同性愛者に娼婦(なお、この表現は同番組内で使われていたものですのでご了承下さい)と無理矢理に性行為をさせ、その最中に喜びを司る脳の部分に電気刺激を送り、性的嗜好を変えさせる実験を行った、、、というものでした。

 

こうして、研究の始祖であるデルガードに対して、世間の反発は一層強まり、彼は研究の場を次第に追われていく事になりますが、このような時でも、デルガードは「(私の研究の真意は)人間の感情をコントロールする事で、理想の社会を創り上げる!」との理念を持っていたそうですが、それはあくまでデルガードの考える「理想」であって、他の人の「理想」とは違うなどの反発もあったそうですが、今で言う「多様性」とも大きく繋がる面が見出されそうですね?(笑)

 

このように追われるようになったデルガードは、故郷のスペインに戻り、さらに研究を続けていきましたが、最終的には、科学の力で人間の行動や感情をコントロールしようとする研究は、電磁波によるマインドコントロールの問題にまで行き着き、彼は、一線を退いていく事になりました、、、

なお、このスペイン当時に行っていた研究は、現在の「TMS(経頭蓋磁気刺激法)」と同じ発想と言われており、このTMSによる鬱病などへの治療は、まだ少数ではありますが、現在の日本においても実際に行われております。

 

そして、デルガードの他界後の2016年に、ニューズウィークにおいて、米軍の新兵器は「サイボーグ兵士」との記事が掲載され、これは兵士の脳に電極チップを埋めてコンピューターと接続させ、デジタル音声や映像を兵士の脳に直接送る技術が開発されていると報じられました。

それを主導していると言われている、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の国防高等研究計画局(通称「DARPA(ダーパ)」)は否定しているそうですが、、、

 

また、別の観点では、このように脳にチップを埋め込み、特定の「記憶を消去」する事を目的としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療へ応用されている面もあるのと、パーキンソン病などの患者さんの脳にチップを埋め込む手術をして、体の震えや不必要な動きが抑えられたり、また、(各種)症状が和らぐ事が判明し、2002年にアメリカでは治療法として認可され、現在まで日本を含め、全世界で15万人以上の患者さんがこの手術を受け、日常生活を送れるようになったとの現状もあるそうです。

 

ここまでは、ポジティブなアプローチなのか?それとも、ネガティブなアプローチなのか?と頭(脳)が混乱しているかもしれませんね?(笑)
それでは、ここからは『サイエンスZERO』を元にして先に進めて参ります!

 

2011年にアメリカで銃乱射事件が起こりました。
その時、議員のガブリエル・ギフォース氏が頭部を撃たれ、一命は取り留めましたが、事件から1ヶ月後の彼女の姿は、何を聞かれても「スプーン」としか話せなくなっていました。
これが、

 

失語症

 

と判断され、言語を話す機能のある「左脳」に銃弾が当たった為と考えられました。
そして、その後に様々なリハビリを行っていた中で、目を見張る効果をもたらしたのが、音楽の要素を取り入れたリハビリでした。

このリハビリ法は、1970年代にアメリカで開発された訓練法で、音楽の節回しとリズムを話し言葉に応用するのが特徴的であり、

 

メロディック・イントネーション・セラピー

 

と呼ばれているものであり、慢性期でも急性期でも、どちらにも効果が上がると言われているそうです。
このリハビリを経て、ギフォース氏は、2年後には公聴会に出席し演説出来るようにまで回復を遂げました。
そして、この番組内に出演していた医師の見解においては、

 

『 脳の神経細胞は産まれた時が一番多く、その後は、減る事はあっても増えることは無い。

そこ(脳の神経細胞)に損傷を受けると機能も戻らない。

なので、損傷を受けた(脳の)周りの場所、あるいは、脳の違う場所が失われた機能を代償して(補って)きたのではないか?

歌ったり演奏するなどは「右脳」が使われると言われているので、音楽的な要素を使った訓練で、「右脳」に「バイパス」が出来たと考えている。 』

 

とコメントしておりました。
では、ここで、この番組内で紹介されておりました、この訓練法を簡単にご説明致します!

 

① 患者さんの「左手」を握り、上下に動かす。( ← なぜなら、「左手」は「右脳」に繋がっている為 )

② ①と同時に、患者さんにハミング(鼻歌など)をして貰う。

③ ここ迄で「右脳」が活性化してきているので、音に合わせて(乗せて)単語などを話す訓練をしていく。( ← なぜなら、この段階では同時に、話す機能を司る「左脳」をも活性化させていく為 )

 

この①から③までを行う事で、「左脳」が担う話す機能を「右脳」に肩代わりさせる訓練となるそうです。
勿論、「繰り返し」行う事が大切とも紹介されておりました!

 

そして、アメリカのハーバード大学の研究においては、この訓練により、「発話」と「理解」を繋げている「弓状束」という脳の神経繊維の束が太くなっていく画像が撮影出来た事により、より積極的に治療として実践されているそうです。
では、両番組からの紹介はここで終了です!

 

今回は?私の方であまりコメントする事なく、皆さんの自由な発想で様々に捉えて頂ければと思いますが、少しだけ?私なりのコメントを申し添えて参ります(笑)
ここまでの内容においては、

 

脳への治療というアプローチにおいて・・・

(手術やTMSなどの)外側からのアプローチが効果を上げている側面もあり・・・

(音楽療法のように)元々の脳に備わっている内面の仕組みや力を活用して効果を上げている側面もあり・・・

 

と言えるのかもしれません。
勿論、脳の内面へのアプローチにおいては、これまでに積み重ねてきた様々な検証も役に立っているのは間違いありません。
そこで、私達の日常生活におけるアプローチという側面では、

 

人間関係であったり・・・

目標を達成する為のものであったり・・・

様々な面に反映されていく・・・

 

ものでもあります。
そして、人間関係にせよ、目標の達成にせよ、

 

仮に(今は)上手くいっていない(と感じられる)場合においても・・・

それまでのアプローチの仕方が全然駄目・・・

という事では全くない!

 

という視点は頭に入れて置いて損は無いと感じます(笑)
つまり、

 

そのような今迄のアプローチの仕方も・・・

決して無駄にはなっていない!

 

という事です。
しかし、何かを変えたい、あるいは、変化を加速させたいなどと思う際には、アプローチの仕方を少しだけ変えてみるというのも、より効果を発揮させていくのに、一理あるのかもしれません。
そして、このような際には、

 

今までのアプローチの仕方・・・

これからのアプローチの仕方・・・

という・・・あれか・・・これか・・・の二者択一ではなく・・・

 

これも・・・あれも・・・という

重なりや統合というアプローチを試してみる!

 

という方向性が、「自分の中」の葛藤や抵抗を減らしてくれるようにも感じます。
なぜなら、

 

デルガードの様々な実験に現れているように・・・

そこには、多大な負の側面があったのも事実ではあるが・・・

部分的には現代の医学に役立てられている側面も存在する・・・

 

という「反映」を見て取る事もでき、

 

音楽療法のように・・・

既に目の前にあった(存在していた)ものに・・・

改めて「気づく」という事によって・・・

新たな活用法に繋げていく事も出来る!

 

という、ここでも「反映」を見て取る事ができるからです。
楽器や演奏はかなり後の世の発明であるのかもしれませんが、もしかしたら、人類は「言葉」の発明以前に、鼻歌?のような「音(楽)」を奏でていた可能性も高いからです(あくまで根拠の無い、私個人の勝手な推測ですが(笑))。
そして、先ほどの「自分の中」の葛藤や抵抗を減らしてくれるというのは、

 

七転び八起き・・・のように・・・

あらゆる面を活用してしていく事で・・・

結果的には「自信」を増やし続ける事が出来る!

 

からでもあります。
昨今の社会状況や経済なども見渡すと、巧みに?「怖れ」や「自己責任」をつつかれ、多くの人が「自信」を失いかけているのも、その要因の一つにあると感じています。

 

勿論、「傲慢の極み」や「人の意見に耳を全く傾けない」のは頂けない面もありますが、あなたは「今の自分」に「自信」を持っておりますでしょうか?

そして、もし「自信」を失いかけているかも?と感じる際には、今までのアプローチの仕方のある部分においては、それを大切にしつつ、ほんの少しアプローチの仕方を「変えて」みたり、「増やして」みたり、あるいは、時には「減らして」みたりといったように、「既に今あるもの」を、あなた自身の「智慧」の助けも享受しながら活用してみて下さい(笑)

2019年6月8日 02:06

自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

皆さんもご存じの通り、先日、多くの小学生の方や、その親御さんなどが殺傷されるという、大変に傷ましい事件が起こってしまいました。
そして、その加害者の人がその場で自殺(自死)をした事により、様々な動機の解明にも支障が出るのでは?などの見解も多く出されています。
勿論、このような動機の解明というのは、もう二度と同じ事件を引き起こしてはならない!という観点からのものでもありますが、今回は「自殺(自死)と憑依(心の内面)の関係を魂の視点で考えてみます」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、今回のTOPICSを書くのが良いのか、書かない方が好ましいのか、あるいは、これを書く事でどこかで誰かを傷付ける事にはならないか、、、など、今まで多くのTOPICSをお伝えしてきた中においても、今回は一番悩みました。
正直、、、これを書いている「今」においても悩んでいるというのが正直な所でもあります。
ここには、私も同じ一人の人間ですので、「感情」というものも深く関与してくるからです。

 

ただ、やはり、自分の中における、少しでも役立つ面が見い出せる視点が含まれているのであれば、それをお伝えせずにやり過ごすような事は、それこそ、今回に限らず今までのテーマにおいても活用してきた魂の視点に反する事にもなりますし、また、今までもこのTOPICSをお読みになって頂いている方々に対しましても、私が逃げのような姿勢を持つ(見せる)事は、ある意味の裏切り?のような側面にも繋がってしまいますので、「今」の私自身が感じている面を、今回も正直にお伝えして参ります。

 

そして、今回のような悲惨な事件などにおいて、魂の視点を活用するというのは、現在の世の中や社会においては、一蹴に付される面もあるでしょうし、失笑を買う面があるのも事実でしょうし、また、ご遺族や被害者の方々は勿論、その身の周りの方々への「二次被害」を生み出すのでは?などのご意見も当然ながら存在する事と思いますし、その点も私自身は重々理解している趣旨でコメントもして参ります。

 

なので、そのような観点からも、今回の内容に関しましては不(愉)快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんし、不謹慎との誹(そし)りもあるかもしれませんし、今回お伝えする内容におきましては、それこそ著名人や有名人の方が似たようなコメントをしたとすると、SNSなどでは間違いなく?大炎上という状況にもなり得るものでもあるかもしれませんし、また、あくまで私個人の勝手な視点であるという前提を踏まえまして、ここから先は読み進めないという選択肢もありますし、まずは、自分の中で少し考えを整理した上で、あくまで参照としての視点という意味で、その後にお読み進めてみるというのも選択肢の一つです。

また、お読み進めて頂く際には、特に今回のようなテーマに関しましては、多角的(多方面的)な視点が必要となり、理路整然とは進めにくい点もある事から、多少の読み辛さを感じる面がある事と、やはり誤解を生じさせてはいけない!との思いが強くある事から、かなり長めの内容になっております点を、重々ご理解頂ければ幸いです。

では、進めて参りますが、今回の事件に限らず、このような大変に傷ましい出来事などにおいては、

 

その全体像というのは・・・

私自身も当然の事ながら・・・

この世の、ほぼ誰もが理解する事は出来ない・・・

 

という点を大前提として踏まえる必要性があります。
しかし、

 

理解出来ない事と・・・

そこから目を背ける(見ないようにやり過ごす)事とは・・・

全く違う・・・

 

という視点も同時にとても大切なものになります。
そこで、まず、今回の事件に関して、

 

自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

 

という見解がある一方で、

 

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・

 

という見解が色々と醸し出されています。
私自身は、このどちらの意見も分かるような部分もありますし、ある意味においてはどちらも「正論」とも感じますが、これに関しては後ほどコメントして参ります。
そして、今回のような事件は、加害者自身の自殺(自死)という面では、銃の乱射事件や自爆テロなどとも確かに重なって見える部分もあります。

 

また、これも繰り返し引き起こされている、様々な無差別などの殺傷事件においても、自らで自殺(自死)をしなくとも、心の内面においては、そのような事件を引き起こす事によって、司法の場における死刑制度を自殺(自死)の助けとして活用している側面があるのでは、、、などの見解もあります。

 

そして、ここは誤解の無きように改めてお伝え致しますが、どのような理由があるにせよ、他の人を傷付けてはならないのはその通りであり、また、このTOPICSにおいても自殺(自死)はしてはいけないとお伝えしておりますが、今回のような事件における自殺(自死)と、例えばご病気などでとても苦しんでいる最中に行動に移してしまった自殺(自死)などを同列に論じる事は、当然の事ながら出来ません。
また、このようなご病気などに限らず、何かしらの人間関係や経済状況などを理由に自殺(自死)を選択してしまうケースでも同様です。

そして、今回の事件のような自殺(自死)は、ひとまず脇に置いて考えてみると、ご病気や他の理由における自殺(自死)の心の内面においては、

 

四方八方、手を尽くしたが・・・

他に自らを救える道が・・・

見つからなかった・・・

 

という心境である事が多くにあるとも感じます。
では、不謹慎な例えを敢えて活用致しますが、100階建ての超高層ビルから身投げをすると、ほぼほぼ100%の確率で自殺(自死)を遂げる事は可能です。
また、これは、この高層ビルのように多くの人が往来する場所ではなく、山中の深くにおける断崖絶壁などでも、ほぼ当てはまる事と思います。
しかし、他意も悪意もありませんが、自殺の名所?と呼ばれているような、富士の樹海や東尋坊などでは、

 

絶対的に100%自殺(自死)が出来るという可能性は・・・・低い・・・

 

という矛盾した現象や傾向が見て取れる側面があります。
にも関わらず、そのような自殺の名所?に赴く人もいれば、そのように呼ばれている場所に引き付けられてしまうという現象や傾向の高さが見受けられます。
そして、このような現象や傾向における魂の視点においては、

 

魂とは殺す事も出来なければ消滅させる事も出来ない・・・が故に・・・

そのような場で実際に自殺(自死)を実行した人(魂)においては・・・

 

自らが未だに自殺(自死)を遂げていない(と思い込んでいる)・・・が故に・・・

(似たような心境の他の人に)憑依をして何度も同じ事を繰り返している・・・

 

という点が当てはまります。
つまり、当人においては自らが既に、いわゆる死後という状態にあるのに「気づけていない」という事です。
そして、

 

心の内面が苦悩などで一杯一杯となっている状態の人が・・・

そのような心境で自殺の名所?などのような地に赴いてしまうと・・・

憑依を受けやすくなってしまう・・・

 

という現象と傾向です。
なお、東尋坊などは景勝としての素敵な観光地でもありますし、私も何度も訪れた事がある場所ですので、そのような苦悩に満ちた心境でなければ、(強固な)憑依などは決して起こりませんし、怖れる必要性も全くございません。
そして、

 

このような自殺の名所?と呼ばれるような地においては・・・

憑依が更なる憑依を生み続けている・・・

 

という循環にもなってしまっています。
つまり、自殺(自死)を試みるかどうかの迷いにある最中に、そこに他の魂からの憑依の影響で自殺(自死)を実行してしまったが、その本人の魂においては死に気づいていないが故に、未だに生きていると思い込んでおり、同じような心境の人に自らが憑依して自殺(自死)を遂げようとする、、、それに気づくまでは、、、延々と繰り返されている、、、という現象です。

 

なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、自殺(自死)をした魂の全てがこのような状態になるのではなく、その割合とは低いものでもあり、また、そのような魂のご本人は悪気なども一切なく、ただ、「気づけていない」が故に繰り返しているという状況であり、、、それに「気づかせて」あげるのが、、、本当のご供養の本質となります。

 

また、今回のテーマとは直接の関わりは少ないですが、ご家族や愛する人を殺されたりする事件などにおいては、ご遺族などが断罪を求める!などの心情も私も理解出来る面もありますが、このような魂の視点においては、死刑を実行したからといって、その加害者が無になってしまう訳でもなく、逆に、(死刑後に)自らの行為を更に正当化し、自分に死刑を科した世の中や社会への恨み辛みや悪意や未練や執着を糧として増幅させ、憑依(という事件)が更なる憑依(という事件)へと連なってしまう危険性もあるという視点が成り立ちます。

 

そして、今回のような事件と憑依とを安直に結び付ける事には、勿論、反論も成り立ちますし、様々な思いや見解が出て来るのが当然でもあります。
ただ、このような憑依現象に関しては、昔から医学(精神学)や科学、心理学、人類学、哲学、宗教学などにおいても多数の論文が存在しているのも事実でもありますし、科学などの観点では(実証を試みる)研究なども行われてきているのも事実でもあります。

憑依という言葉はオカルトに分類されるのがほとんどですが、憑依を科学的観点から言い換えると、「(私達)人間の意識はエネルギーの一種であり、あらゆるエネルギーの性質は、高い所から低い所に流れる」という基本原理として既に証明されているものでもあります。
なので、今回お伝えしている内容というものは、時に見受けられるような、上っ面をなぞったような、現世利益のみを追求するかのような、フワフワした「一部」のスピリチュアルの視点とは違います。

 

しかし、このような研究が実証に至ってしまうと、世の中や社会においては不都合に感じる人が(多く)いるが故に、そのほとんどが、こちら(関心を抱いている人)からアプローチをしない限りは、日の目を見ぬような状況に置かれているのも、また事実でもあり真実でもあります。

そして、このような事件と憑依との関係性においては、

 

仮に、事件を引き起こしているのが憑依であるのならば、防ぎようがないのではないか?

 

との問いが数多く出てきますが、

 

それは間違い!

 

です。
なぜなら、

 

憑依というのは・・・

憑依をする側の原因や理由だけではなく・・・

必ず憑依をされる側にも原因や理由がある・・・

 

からです。
というのも、

 

私達の誰もが(私自身も含め)・・・

程度の差はあれ・・・

そして無自覚において・・・

日常的に憑依を受けている・・・

 

からでもあります。
そして、

 

(特に強固な)憑依とは・・・

一足飛びに、また、瞬間的に起こり得るものではなく・・・

それなりの時間を掛けて影響が及ぼされていく・・・

 

という側面があります。
そして、これが本当に意味する所は、

 

どのような事であれ、決して憑依を言い訳にしたり、責任をなすりつけてはならない!

 

という所が本質になります。
では、皆さんも考えてみて下さい。

 

まず、誰しもが、感情にはムラ(というバイオリズム)がある

 

のはご承知の通りであり、経験のある事でもあります。
そして、

 

(最近)妙にイライラする・・・

(肉体面ではなく心の状態において)何となく・・・気分が晴れない・・・優れない・・・よく眠れない・・・

 

なども、誰しもが程度の差はあれ、どれかは(これ以外でも)経験した事がある事と感じます。
そして、このような状態の時には、

 

「過去」の何かに引っかかっていたり・・・

「将来」の何かに漠然としたもの(不安など)を感じていたり・・・

 

といった、

 

自分の心の内面に原因や理由が見つかる

 

という点が当てはまります。
勿論、そのような心の内面の引っかかりを生みだした出来事などにおいては、自分に非がないにも関わらず、、、といったケースも確かに存在しておりますし、特に近頃の社会状況を見渡すと、このようなケースが増え続けているようにも感じます。
そして、

 

自分の心の内面を放置しっ放しにしておくと・・・

そこに、「隙間(魔という隙)」が広がっていき・・・

その「隙間(隙魔)」に「同調」してくるのが憑依現象・・・

 

であります。
なので、自分に持っていないものや、理解済みの事柄(既に気づいている事など)においては憑依現象は起こりようがないのが事実です。
そして、

 

先ほどのような気分や感情のムラというのは・・・

誰しもが持っているものであり・・・それは私自身も同様であり・・・

感情に揺れ動きが生ずるのは、自然で当たり前な事でもある・・・

 

という点を、まずは、しっかりと理解する事が必要になってきます。
そして、これと同じ事は、

 

キリスト教(等)においては・・・自分の中の悪魔と闘いなさい・・・

仏教においては・・・地獄絵図として(見やすいように)視覚化し・・・自らの今の境地を見つめるように促している・・・

 

という心の内面を問うているのが共通項でもあります。
勿論、「闘う」というのは「比喩」として用いられているものですが、この「比喩」の解釈を間違っているために、宗教間での争いが絶えないのは言うまでもありません。
そして、医学や科学が目覚ましいほどの発展を遂げている現代において、

 

このような残虐な事件が後を絶たない・・・

いえ、以前にも増して増え続けているのは・・・

どこかに「見落とし(欠落している視点)」があるから・・・

 

と私自身は強く感じております。
そして、最初にご紹介した、

 

「自殺(自死)をするのに他の人を巻き込んではいけない!

という見解がある一方で、

自殺(自死)をするのなら一人でやるべき、、、という意見だけが一人歩きすると・・・

同じような悩みや苦悩を抱えている人を追い込む事になり・・・

逆に、今回のような事件を再度引き起こしかねない・・・(という見解もある)」

 

という部分において、私はどちらもある意味においては「正論」と感じる部分もあるとお伝え致しましたが、ただ、

 

この両者を繋げてくれる視点が・・・

欠落している・・・

 

とも感じております。
それは、

 

他人を巻き込んで自殺(自死)をしようとも・・・

ただ一人で自殺(自死)をしようとも・・・

どちらも・・・

自らの救いの道を見つけられなくなっているから・・・

 

という点は共通している所です。
そして、更に欠落している視点の内の一つとしては、

 

ただ一人で自殺(自死)をしたとしても・・・

必ず他の誰かや何かに影響を与えている・・・

 

という点です。
勿論、共通しているからといって、誰かを傷付けるという巻き込み方と、影響を与えているという巻き込み方においては、大きな違いが生じているのも事実です。
そして、最も欠落している視点の一つが、どちらの意見においても、二度と同じ事を繰り返させてはならない!という点は共通しているように感じますが、

 

なぜ・・・それが論争という争いになるのか・・・?

なぜ・・・同じ方向を向いているのであれば・・・共に「考える」というスタンスにならないのか・・・?

 

そして、このような争いの姿を社会が見せる事こそ・・・

もしかしたら・・・被害者のご遺族などにおいても、辛く感じる部分もあるかもしれないし・・・

 

今、何かしらの苦悩の最中で自暴自棄になりそうな怖れを抱えている人が・・・

このような争いの社会の姿を見て、どのように感じるのか・・・?

 

という部分です。
このように論争という現象を生みだしているのも「隙間(隙魔)」の現れであり、私達の心の内面は社会に反映され、反映された社会の状況が更に心の内面に影響を及ぼしてくるという循環になって、これが、現在の不健全な「格差」を生みだしている一つの要因でもあります。

 

ちなみに、これも否定や非難などでは全く無いという点をご理解頂いた上での事ですが、このようなニュアンスは、何か、薬物に手を出してしまった後は病気であるのでと見守られるが、その薬物に手を出してしまいそうになる迄の間の状況や状態に対しては、あまり目を向けられていない現状において、勿論、人を傷つけてしまう事と、自らに薬物を取り込むのでは、その両者には大きな違いが存在するのもその通りではありますが、何か、この両者に向けられる社会の目のベクトル(方向)が、上手く伝えづらいのですが、自己矛盾?のような重なりが見えるように感じる面も、個人的には思うような部分もあります。

このどちらもが、二度と同じ事を繰り返させてはならない!との方向性は一致しているはずなのですが、、、

話しが少し逸れましたので戻しますが、このような様々な見解がある事も含め、

 

私達の誰しもが・・・

この世や社会で・・・

一人きりという事はありませんし・・・

一人きりでは生存(存在)出来ない・・・

 

のが真実です。
そして、このTOPICSでも幾度かお伝えしておりますが、

 

この世でたった一人きりしか存在しないのであれば・・・

その人は自分を自分として認識出来ない・・・

 

という点に加え、

 

そのような一人きりでの存在であるのであれば・・・

誰かを傷付けたり・・・

自殺(自死)を試みたり・・・

といった発想や考えも存在し得ない・・・

勿論、憑依現象なども起こりようがない・・・

 

という事です。
そして、矛盾して聞こえるかもしれませんが、

 

憑依を防ぐ・防げるのも他者が存在しているから・・・

 

という側面に光を当てる必要性が出てきます。
これが、

 

自分が一杯一杯と感じている時には・・・

他者の助力や援助を快く享受しても良い・・・

 

という面と、

 

助力や支援を求められた時には・・・

自分に出来る範囲内で構わないので・・・

一緒に「考える」・・・

 

という事が大切になるという事です。
とても当たり前と思われるかもしれませんが、魂の視点とは現実的でもあり、ごく自然なものとして現れているものです。
そして、

 

憑依の種子というのは・・・

私自身も同様に・・・

ほぼ誰しもが・・・

自らの内に抱えている・・・

 

というのは、ここまでにおいて、ご自身の内面にほんの少し目を向けてみるだけでも実感として伴う事と思います。
例えば、「死ね!」とまでは思わずとも、また、「行動」には移さずとも、「(私の)目の前から消えてくれ!」「顔も見たくない!」と誰かに対して「思った」経験は、ほぼ誰しもがある事でしょうし、私も同様に思った事は勿論あります。
そして、表現は不適切ではありますが、

 

このような憑依の種子に水や肥料を与えない・・・

 

という事が大切になりますが、これが、

 

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という自らの心の姿勢を保ち続ける事です。
勿論、正すべき所が相手にあれば、それを「理性」でもって伝える事も必要になりますし、また、誰かや何かの責任(せい)にしない!というのは、責められるべき非が自分にあると、自分を責める事では全くありません!

そこで、ここはとても大切な部分ですので、一つの仮のケースで考えてみます。
繰り返しますが、喜怒哀楽などの「感情」は自然で当たり前のものであり、これを否定や拒否をする事はしてはいけません。
では、何か悲しい出来事があったと仮定します。

 

① 悲しみを感じ・・・

② その悲しみを引き起こしたのは自分の責任だと自己憐憫に陥っていき・・・

③ そのような哀れな姿の自分にしたのは世の中や社会の責任だ!との怒りに支配され・・・

 

とのように、①においては自然で当たり前の感情が、②の段階で次第に自分を責めるようになり、③の段階では既に自らの感情のコントロールが、自らの手から離れてしまう、、、これが憑依です。
つまり、このケースにおいては、

 

①から②の段階では自然な範囲のものであるのが・・・

②と③の段階のどこかに「隙間(隙魔)」が生まれ・・・

③の状態に自分では気づかずに移行してしまう・・・

 

という流れです。
そして、

 

このような流れに無自覚に進んでしまわない為に・・・

それを防いでくれる視点というのが・・・

誰かや何かの責任(せい)にしない!

 

という本当の意味です。
なお、これも誤解の無きようにお伝え致しますが、ここでの何か悲しい出来事というのは、今回の事件のような被害者の方々などの心情を指している訳では全くありません!
それが、当然の事ながら、このような事件においては、被害者の方々などに非がある訳ではないからです、、、
そして、

 

このような憑依を防いでくれる一連のプロセスにおいては・・・

無自覚であろうが自覚を持ってであろうが・・・

必ず、自分の心の内面と向き合うという作業が行われている!

 

という事です。
そして、これもとても誤解の多い所ですのでお伝え致しますが、

 

自分の心の内面と向き合うというのは・・・

自分の「主観」に入り込む事ではなく・・・

自分を「客観視」してみる事・・・

 

です。
その結果として、何かの出来事においては、自分には非がない!と思える事にも気づいていく事が出来るようになります。
そして、何故、このような視点が必要になるのかと言いますと、今現在の全世界を見渡してみても、特に最近の日本の世の中や社会においては、

 

三歩進んで二歩下がる・・・という成長ではなく・・・

二歩進んで三歩下がる・・・という劣化に進んでいる・・・

 

からです。
例えば、先ほどの誰かや何かの責任(せい)にしない!という視点一つを取ってみても、先頃発覚した医学部の不正入試などや、身近な人間関係や職場環境でも数多(あまた)見られるように、自分に非がないにも関わらず、誰かや何かの責任(せい)にしない!という心の姿勢を保つのが(かなり)難しくなっているという傾向が高くなっており、それを引き起こしている大きな原因や理由として、

 

社会そのもの(仕組み)が・・・

憑依の種子へ水や肥料をやっている・・・

 

というのがとても顕著に見て取れます。
これを現しているのが、

 

解釈を間違(魔違)えた・・・

自己責任論や・・・

〇〇ファースト・・・

 

であり、なおかつ、更なる拍車を掛けています。
そして、今回のようなテーマをお伝えしたからと言って、これが事件などに巻き込まれたご遺族や被害に遭われた皆様方の癒しにも慰めにもならないのは、私も百も承知です。
しかし、被害に遭われたご当人様においては、もしかしたら、

 

他の人には同じような経験をさせてはならない!

 

との思いも個人的には強く感じる面がありますし、このような事は、事件の被害などに関わらず、理不尽な仕打ちや、不本意ながらも自らの表現を抑えられてしまうといった兆候は、おそらく、皆さんの身の周りでも頻繁に起こっている事と感じます。
そして、

 

その為には・・・

欠落している部分を補い・・・

ほんの少しでも役立てそうな部分があるのであれば・・・

やはり活用していくという姿勢を保ち・・・

この活用という本当の意味は・・・

誰しもがその人なりのやり方を「考えて」みる・・・

 

という事であり、一番の近道でもあり早道であるようにも感じます。
そして、憑依に関する魂の視点の活用という意味では、皆さんも周囲の人を見渡してみた際に、

 

以前とは・・・違う印象を受ける・・・

 

という人は思い当たらないでしょうか?
勿論、これにも、まずは、相手が変わったのかを見る前に、自分の内面が変わった?との視点を先に活用する事も必要にはなりますが、しかし、このTOPICSでも色々と取り上げております、イジメやセクハラやパワハラや、(匿名も含め)感情優位のSNSなどでの誹謗中傷、あまりにも心(善意や良心)を置き去りにしてしまった社会や世の中での出来事、そして、不作為という無関心においても、

 

その本質は同じであり・・・

全ては自らの心の内面の・・・

「隙間(隙魔)」を自らで広げている・・・

 

からです。
そして、繰り返しですが、

 

どうぞこれだけは覚えておいて下さい・・・

誰しもが一人きりではなく・・・

必ずあなたの支えになってくれる他者(人)が存在しており・・・

一杯一杯の時には、支えを求めて下さい・・・

 

そして、そのような支えは、他者(人)に限らずとも、小説や映画などの文学でも、音楽でもスポーツでも、あらゆる面に反映されております。
どうぞ、何かに心折れそうな時には、ほんの少しでも立ち止まって、ほんの少しで構いませんので、視野を広げて自分を客観視してみて下さい。

 

その先には・・・

必ず、あなたにとっての「気づき」が・・・

待ってくれています・・・

 

そして、今回は傷ましい事件からの自殺(自死)と憑依(心の内面)との関係性を取り上げましたが、また、今回の内容でお伝え出来ているのは、ほんの僅かの一部分ではありますが、2017年11月11日のTOPICS「「自殺」が頭を掠(かす)める時には・・・読んでみて下さい」でも、少し別の視点からも触れておりますので、宜しければご参照してみて下さい。

 

そして、重たく長いTOPICSにも関わらず、ある種の忍耐と勇気?を持ってここまでお読み頂いた皆さんにおかれましては、先ほど、憑依とは程度の差はあれ、誰しもが日常的に受けているものとお伝え致しましたが、怖れる必要性は全くありません!
逆に怖れを抱くと、それがつけ込まれる「隙間(隙魔)」になってしまいます。
そして、

 

(好ましからぬ)憑依を防ぎ・剥がす為には・・・

時折で構わないので、自らの心の内面を見つめ・・・

出来る範囲内で構わないので、自らを律しようとの思いを保つ・・・

 

という、ここまで繰り返しお伝えしてきた事だけで、充分に対処していく事が可能です。
そして、その際には、宜しければ、このTOPICSでお伝えしている魂の視点というものも、部分的にでも構いませんので、活用してみて下さい!

そして、有り難くもここまでお読みになって頂いた皆さんへの特典?という訳ではございませんが、前々回の2019年5月18日のTOPICS「モテる要素は・・・魂(心)に?それとも、容姿(外見)に?」において、

 

魂には「親和力」というパワーが備わっている!

 

とお伝え致しましたが、実は、

 

憑依現象というのは・・・

この「親和力」のごく一面の現れに過ぎない・・・

 

というのが当てはまりますが、この事からも、

 

どのような力やパワーや(自然)法則であろうとも・・・

それを、どのように活用していくかは・・・

その人の心の内面に全て掛かっている!

 

という事がご理解頂けるかと思われますし、今回のような傷ましい出来事におけるテーマにおいても、モテる要素?などの気軽なテーマにおいても、この「親和力」のように、どちらにでも共通に当てはまり、同じ水脈として流れているのが魂の視点というものでもあります(笑)

2019年6月1日 03:06

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