「思い込み?」から考える死の存在と2019年のキーワード「3」

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、唐突ですが、今回は「「思い込み?」から考える死の存在と2019年のキーワード「3」」というテーマをお届け致しますが、まず、今回は少しだけ「死」というテーマも扱いますが、出来るだけ簡潔に、そして、重めにならぬように、普段通りの「(笑)」も挿入して進めて参りますが、現在、様々なご病気などと懸命に取り組んでいる方もいらっしゃる事でしょうし、また、最近ご家族などとの死別を体験された方もいらっしゃる事と思います。

 

故に、考える素材としてのテーマという側面も含まれておりますので、出来るだけ軽めの感じで進めて参りますが、それが、先ほどコメントしたご病気や死別などの渦中にある方々のお気持ちを損なうような趣旨のテーマではございませんので、その点は、今回のテーマにつきましては、重ね重ねのご了承とご理解を賜れれば幸いです。

 

そして、今回は特に私の個人的な解釈が多々含まれておりますが、このような解釈の中には、私が以前に体験した死への接近?などの視点も含まれておりますので、そのような私の勝手な推測や憶測という面も併せてご承知頂ければ幸いです。
ちなみに、この私の死への接近?というのは、2014年9月10日のTOPICS「臨死体験&前世療法≒個人的体験」において少し触れておりますので、興味のある方は参照してみて下さい(笑)

そこで、日本人の特徴?としては、世界の他の国と比較すると、

 

(極端に)死の話題やテーマを忌み嫌う(避ける)傾向が高い

 

という面が覗えます。
この傾向が悪いという事は勿論ありませんが、ただ、

 

「死」を考える事は・・・

「生」を考える事と・・・

同じ事である・・・

 

というのも真実です。
なお、死を考えると言うのは、「自殺(を考える)」という意味では決してありませんので、この点も重々誤解の無きようお願い致します。

では、ここからは「答え」という性質ではなく、幾つかの「問い掛け」をして参りますので、皆さんは自由に発想や連想をしてみて、そして、どうぞ、ご自身の心の赴くままを信頼して下さい!

そこで、まず、最初に一般的に多くの人が考えている「死の定義」を共有致しましょう!
それは、

 

「死」とは・・・

「自分(という意識)」が・・・

消滅し、無になってしまうもの・・・

 

というのが概ね当てはまっているかと感じます。

では、まず一つ目の問い掛けに進みます。
先ほど、「死を考える事は・・・生を考える事と・・・同じ事・・・」とコメント致しましたが、

 

今の自分が「生(の状態)」である時は「死」を考える事は出来そうだが・・・

今の自分が「死(の状態)」である時に「生」を考える事は出来るのだろうか・・・?

 

先ほど共有致しました「死の定義」をベ-スに考えると、頭のオカシイ、へんてこりんな問い掛けである事と思います(笑)
では、二つ目の問い掛けです。

 

仮に、「死」の後も「自分(という意識が)」存続するのであれば・・・

「(擬似的な)死という体験」をする事は可能になりそうだが・・・

「死」が「自分(という意識)」が消滅し無になるのであれば・・・

そもそも「死という体験」をする事は可能なのであろうか・・・?

 

如何ですか?
頭がこんがらがって来ているかもしれませんね(笑)
繰り返しですが、今回は「答え」というものではなく、あくまで問い掛けを通して、考える素材として頂くのが目的です。
そして、考える際には今回のテーマの「思い込み?」という視点を活用してみて下さい!

 

では、ここで私が不思議?に感じている、勝手な解釈(という問い掛け)をご紹介致しますので、私の頭がオカシイ?でも何でも構いませんので、自由に発想や連想をしてみて下さい(笑)
まず、一つ目です。

 

「死」というのが「自分(という意識)」が消滅し無になる現象であるならば・・・

なぜ、そのような「死」と共に(瞬間的に)「体」は消滅しない(無にならない)のか・・・?

 

そして、二つ目です。

 

「死」というのが消滅し無になる現象であるならば・・・

どうして、消滅し無になる「死」そのもの(自体)は、「存在」出来るのであろうか・・・?

 

頭がパニックになりかけているかもしれませんね(笑)
ところで、私が「死」というものを考える時に、時折思い出す一つの歴史の流れがあります。
それは、皆さんも小学校高学年、あるいは、中学生の時に習った天動説と地動説です(笑)
では、簡単におさらいしてみましょう!
まず、

 

天動説とは、地球が宇宙の中心であり、その他の天体は地球の周りを回っている

 

というもので、これが当初の「宇宙観」でした。
そして、この「天動説」は本当なのか?との疑問が多くの人から出された事により、新たに「地動説」が提唱されるようになっていきました。
では、

 

地動説とは、宇宙の中心は太陽であり、地球も他の天体と一緒に太陽の周りを回っている

 

というものです。
段々と思い出してきましたでしょうか?(笑)
そして、多くの人がこの「地動説」を提唱している中で、有名な人が西暦1400年代から1500年代にかけてのコペルニクスであります。
ちなみに、このコペルニクスは「悪貨は良貨を駆逐する」を最初に唱えた人とも言われております。

 

そして、「天動説」が本当なのか?あるいは、「地動説」が正解なのか?などの様々な検証が重ねられていく中で、1600年代にこの「地動説」を強く提唱したのが、

 

ガリレオ・ガリレイ

 

です。
しかし、このガリレオは、

 

「(宗教)裁判」にかけられ有罪となり、その後も、迫害を受けていた・・・

 

とも伝えられています。
そして、1800年代に入って、

 

フーコー(という人物)が振り子を使って「地動説」を証明した

 

という歴史に繋がり、「地動説」の証明までには、提唱からおよそ300年の歳月が費やされました。
そして、現在においては、

 

宇宙の果ては・・・未だに観測されておらず・・・

宇宙の中心は・・・地球でも・・・太陽でも・・・ない・・・

 

という点のみが明らかになっているだけです(笑)
そして、

 

科学などにおいて証明されていないからと言って・・・

何かが存在していない・・・

という証明にもなっていない・・・

 

というのが真実でもあります。
では、素材としての「死」に関する「思い込み?」はここ迄ですが、2018年5月5日のTOPICS「200回目のTOPICS~「死」に「理由」は必要か?~」も同じ「根底」が流れておりますので、興味のある方は参照してみて下さい(笑)

 

ところで、現在の私は45歳でありますが、先月の1月に、少し前に放映された、あるコメディードラマを観ていました。
そして、その中に次のようなセリフがありました。
それは、

 

『 神様に幸せになって欲しい! 』

 

というものです。
神様が存在しているのかどうかは分かりませんし、信じる信じないという観点からではなく、

 

45年(という歳月)を生きて来ていて・・・

『 神様に幸せになって欲しい! 』

との発想は、私には思いつかなかった・・・

なぜなら・・・(神様が存在するとしたら)

神様は当然ながら幸せであるはず!!!

との「思い込み」を持っていた・・・

 

からです(笑)
そして、ここからがもう一つのテーマですが、2018年12月29日のTOPICS「2018年の総括&2019年のキーワード」において、

 

2019年のキーワードは、「氵(さんずい)」&「3(という数字)」

 

とコメントしました。
では、どうすれば「神様に幸せになって貰えるのでしょうか?」との問い掛けです(笑)
そこで、またまた、私の勝手な解釈です!
それは、

 

もし神様が幸せを感じるとしたら・・・

あなたが幸せである事を望むかもしれないし・・・

あなたが幸せと感じる時には・・・

あなたの周りの人(第三者)も幸せという状況なのかもしれない・・・

 

という視点です(笑)
ここでも繰り返しで恐縮ですが、今回は「答え」ではなく、「考える素材」が趣旨であります!
では、またまたドラマからの素材で恐縮ですが、以前に「重版出来!」というのが放映されていました。

「重版出来」とは「じゅうばんしゅったい」と読みますが、これは広告業界の用語であり、簡単に言うと、ベストセラーのように読者の読みたいという要望が多い事から、その本を増刷して、再度、刊行する事です。
そして、このドラマの軸となるのが、

 

「読者」「作家」「出版社」の「3者」

 

の関係性になります。

 

とても面白い本だ!
との、「読者」からの要望があり・・・

それはとても嬉しい事だ!
との、「作家」の中の意欲がさらに掻き立てられて・・・

益々売れて喜ばしい!
との、「出版社」は「読者」の要望に応え重版し・・・
かつ、「作家」の書きやすい環境を整えたりのサポートに、さらに力を込めていく・・・

 

という関係です。
そして、この関係性においては、

 

この「3者」の全てにおいて、喜ばしい事などが起こっており・・・

この「3者」の全てにおいて、何かをお互いに奪い合ったりなどの不幸せは起こる事もなく・・・

このような「要望(思い)」を叶える「応答(行動)」を結び付けているのが・・・

「3者」における・・・

「重版出来」というキーワード(共通の幸せ)!

 

になっています。
そして、私の行っているようなカウンセリングなどにおいても、一見すると、私とクライアントの方との「2者」関係のように思われるかもしれませんが、私がカウンセリングなどを行う際には、

 

クライアントの皆様が望む方向性に変化していく事をサポートするのみならず・・・

変化を遂げたクラインアントの皆様方の、その後の生きる姿勢を通じて・・・

クライアントの皆様の周りにいる人々(第3者)も・・・

自分(第3者)も変化が出来るんだ! 望む自分に変わっても良いんだ!

 

との方向性に繋げていけるような「思い」を持って行っております(笑)
そして、結果的には、

 

そのようなクライアントの皆様方から・・・

私も同時に多くの事を・・・

学ばせて貰い、気づかせて貰っている!

 

という、「重版出来!」のドラマと同じような「3者」関係になっております(笑)
、、、、、間もなく、「3」月ですね!

あなたの中にある・・・

素敵な「要望(思い)」と「「応答(行動)」とを・・・

結び付けてくれる「キーワード(共通の幸せ)」は何でしょうか・・・?(笑)

2019年2月23日 09:02

魂の視点から虐待(やDV)を防ぐには・・・

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、ニュースなどでご存じの方も多いかと思われますが、10歳の女の子が父親からの虐待により、お亡くなりになってしまったとの事件が起こってしまいました。
そして、母親である妻も、この夫からDV(家庭内暴力)をされていた事により、娘さんへの虐待を制止してしまうと、逆に自分に暴力の矛先が向かう事を怖れたとの、いわゆるネグレクト(育児放棄)で同様に逮捕されたとも伝えられております。
これは前回のTOPICSでも取り上げました、

 

「不作為(何もしない)」も「行動」の一種であり、「見て見ぬフリをするのもイジメへの荷担」

 

と同じ「本質」の現れです。
また、今回の事件では、役所や児童相談所の対応にも、様々な意見が投げかけられております。
そして、何度も同じような悲劇が繰り返されている現状も鑑みて、今回は「魂の視点から虐待(やDV)を防ぐには・・・」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、このような問題や事件におきましては、様々な意見や見方が存在するのは当然の事でもありますし、ましてや、人の命に関わる事に関して魂の視点などで扱うというのは不謹慎であるとの見解も存在する事と思います。
そして、私は特にこのような虐待やDVに関しては、現在活用されている制度や連携、また、施設なども大いに活用するべきとも考えております。

なぜなら、このような今ある制度などを活用した事により、解決に至ったり、改善の兆しが見えてきているケ-スもあると感じますし、その事により幸いにして事件にまで至らずに報道されていないケースも多々あるのが事実であるとも感じます。

 

そして、魂の視点と言っても、これで全てを万事解決出来るというものでもありません。
なぜなら、幾らこのような視点のアドバイスがあったとしても、当事者がそれを取り入れようとしない限りは、届かないからでもあります。
そして、当然の事ながらも、強制出来るような性質のものでもないからです。

また、魂の視点、あるいは、いわゆるスピリチュアルな観点というのは、単なる綺麗事の理想論でしかなく、そのようなものは逆に現実社会においては危険性を孕(はら)む要素ともなるのでは?などの意見も多くなるものでもあります。
これもおっしゃる通り、「現実逃避」の方向に活用してしまえば、そのような危惧も現実のものとなり得てしまいます。
ただ、本当の意味での魂の視点とは、

 

「今、ここ」に、当てはめ、活用し、役立てていく事に「本質」が存在している

 

と私個人としては捉えて、実際に応用しているという観点からの今回のテーマになりますので、ここから先は関心のある方は、宜しければ読み進めてみて下さい。
そこで、このような虐待やDVにおける状況の際に当てはめ活用する魂の視点とは、

 

出来るだけ早く・・・

その場や状況から・・・

逃げる(避難する)・・・

という「行動」を取ること!

 

です。
もし身の危険を感じ、急を要すと感じる場合であれば、隣近所でも良いですし、あるいは、多くの人が出入りしている場所などへ向かうのでも構いませんので、誰かに(警察などへの通報を含めた)助けを求めるという事です。
そして、ここで、多くの方が疑問に思ったり、質問が出て来る所ですが、それが、

 

魂の視点とは言っても・・・

現実的な対応と何も変わらないのでは・・・?

 

というものです。
そうです。

 

おっしゃる通り・・・変わりありません

なぜなら、最初に私がコメントした通り、魂の視点とは、

「今、ここ」に、当てはめ、活用し、役立てていく事に「本質」が存在している

 

というのが「源」にあるからです。
そして、このような虐待やDVに関わらず、様々な状況などにおいて、スピリチュアルな観点においては、次のような事がよく言われたりします。
それが、

 

体験する出来事には意味がある・・・

 

と。
確かにこのような側面があるのも否定は致しませんし、どのような出来事からも学び得る視点というのは存在しています。
ただ、このような観点を一面的にのみ捉えてしまう傾向がある事により、時には物事を悪化させてしまうような、多くの誤解や捉え違いが生じている原因も同時に存在しているとも感じます。
では、その理由をお伝え致しますので、皆さんも「想像力」を活用して考えてみて下さい。
それは、

 

今回のような命に関わる虐待やDVなどの渦中にいる時には・・・

そもそも・・・

誰しもが、理性的で冷静な判断や心を保つのには無理がある(限界が生じる)・・・

 

という事です。
そして、仮に、このような過酷な渦中にある際に、自分の心を見つめて、自分を振り返ってみる・・・などのアドバイスがあったとしても、それは到底出来る事でもなく、また、このようなアドバイスがあらぬ方向(物事を悪化させる方向)へ向かってしまうと、

 

虐待やDVをする「相手」が悪いのではなく・・・

虐待やDVを受けている「自分」に非や責任がある・・・

 

という心情に追い詰めてしまう事にもなりかねません。
そして、このように「自分に非がある、責任がある・・・」と追い詰められてしまう結果、

 

虐待やDVの実態が明らかにされず・・・

延々と続けられ・・・

それが二次被害などへ繋がっていく・・・

 

というのが今まで繰り返されてきた現状でもあります。
なお、ここでの二次被害というのは、世間や周囲からの「正論」というプレッシャー(圧力)が多くを占めておりますが、これに関しては後述して参ります。
そして、このような過酷な渦中にありながらも、本当の意味での今回ご紹介する魂の視点を活用出来ていれば、

 

やはり・・・

逃げる(避難する)・・・

という「行動」に気づく!

 

はずです。
なぜなら、ここでの本当の意味での魂の視点においては、

 

自らの心身(魂)を守るのも大切で必要なこと!

 

と理解出来ているからです。
それに加え、

 

逃げる(避難する)という「行動」は・・・

「(虐待やDVをしている)相手」を傷付ける「行動」では全くない!

 

という点も含めて理解出来ているからです。
そして、ここに私が個人的に何故これほど繰り返されてしまうのか?と感じている真の理由の一つが、「逃げる(避難する)」という「行動」を取った後に起こりがちになる、周りの人から湧き上がる問題(感情)です。
それが、先ほどコメントしましたプレッシャー(圧力)という意味ですが、それは、

 

家族(親子や夫婦)なんだから・・・

やはり・・・

(最終的には)話し合って解決出来るのでは(その方が良いのでは)・・・?

 

との部分(感情)です。
確かにこれは「正論」でもあり、そのような方向性で解決に向かうのであれば望ましいというお気持ちも理解出来ます。
ただ、

 

「周りの人」が(良かれと思って)・・・

「(虐待やDVを受けている)当人」を、そこ(正論)に追い込んでしまうと・・・

 

それは・・・

(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛けにもなりかねない・・・

 

という危険性の側面をも、同時に孕んでいるのも真実です。
そして、ここに当てはめられる魂の視点というのが、

 

親子と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という視点です。
そして、少し不適切な表現かもしれませんが、

 

誰かを助ける為に自らの心身(魂)を役立てる(捧げる)事と・・・

虐待やDVを受け続ける状況を自らの心身(魂)に課す(許す)という事は・・・

全く違う!

 

という事です。
これは、

 

「親子(関係)」が「家族」であるならば・・・

「夫婦(関係)」もまた同じ「家族」であるという観点から・・・

「逃げる(避難する)」という「行動」を取るという事は・・・

 

(特に)夫婦間におけるDVのケースでは・・・

より理解(実感)しやすくなる・・・

 

という点は幾分かでもご理解頂けるかと思います。
そして、これが、

 

親子と言えど・・・家族(夫婦)と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という視点にも繋がっています。
勿論、家族で助け合い、支え合うというのが素敵なものである事は、論を待つものでもありません。

ちなみに、これと同様の視点は、お子さんを授かりたいと懸命に不妊治療などに取り組んでいる方も多くいらっしゃるかと思いますが、子育てという経験を通して自分も成長していきたい、などの思いがあるようでしたら、虐待などを受けて心身に傷を負っている子どもの為の養子や里親制度もありますし、様々な事情や心情、あるいは、それこそ現実的な側面から、そこまでは(血縁以外という選択には)踏み切れないという思いも理解出来る面もある事を踏まえて、何かの折には考える素材としてみて下さい。

 

では、次は、夫婦間におけるDVや、子どもに対する虐待においても、大人(妻あるいは夫)や中・高校生頃であれば「逃げる(避難する)」という「行動」を取る事も可能ですが、小学生(低学年)や、それより下の特に0~3、4歳位の場合には、「逃げる(避難する)」という「行動」を取る事が、ほぼ難しい(不可能に近い)事と思われます。
また、この頃の年齢においては、

 

家族(家庭)という状況や環境が・・・

ブラックボックス(密室)化していて・・・

外(周囲の人)からは見えない(見え辛い)・・・

 

というケースが大半であるのも、今の社会の実状でもあります。
そこで、このような場合においては、虐待をしている、虐待をしていた、あるいは、虐待をしそうな思いに駆られる事があるという親御さんへの問い掛けです。
また、これは、皆さんの周りの人でそのような心境に陥っているかも?と感じられる人に問い掛けてあげてみて下さい。
それは、

 

あなたは・・・

心の奥底(本心)において・・・

自らの人生を・・・

生き直したい(やり直したい)と思っていませんか・・・?

 

との問い掛けです。
この問い掛けの意味する所とは、小学生(低学年)の多くが、また、0~3、4歳位の子どもさんにおいては、「人生を生き直したい(やり直したい)」と思っているお子さんはほとんどいないでしょうし、そのような事すら思ったり考えたりするケースの方が稀であると思います。
つまり、

 

このような小さいお子さんを見て・・・

虐待の思いや気持ちが湧いてくる場合には・・・

お子さんに対して「嫉妬」していないか・・・?

 

との問い掛けを「自分」に対して行ってみるという事です。
なぜなら、

 

「生き直したい(やり直したい)」と(小さい)子どもさんが思わないという事は・・・

そこには・・・

可能性が広がっている・・・

 

という事を、子どもさんを通して親御さんに見せてくれている(見せられている)からです。
そして、このような「嫉妬」という感情には、お子さんに対してだけとは限りませんし、特に夫婦間のDVの場合においては、

 

(欲しくてたまらない)自分の持っていない面を、相手(の言動)に見つけてしまう・・・

また・・・

(改善したくてたまらない)自分の嫌な面を、相手(の言動)に見つけてしまう・・・

 

という視点も含まれています。
この「嫉妬」という感情は、学校、職場、そして、社会におけるイジメの「根底」とも全く同じものになっています。
そして、ここでの魂の視点というのは、虐待の場合においては、

 

もし、どうしても「自分」の心身(魂)において・・・

(お子さんを)支え切れず虐待をしてしまいそうに感じる(思いが生じる)のであれば・・・

(一時的にでも)「お子さん」を施設などで預かってもらう・・・

 

なぜなら・・・

それは、「お子さん」の心身(魂)を傷付けない為でもあるから・・・

 

です。
そして、ここでも先ほどの「親子、家族、夫婦なんだから・・・」という「(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛け・・・」に出逢う事も多いかと思われます。
そして、ここで活用するのも、

 

親子と言えど・・・魂は・・・別である・・・

 

という同じ視点です。
そして、ここでの意味とは、

 

支え切れない事で「共倒れ」になってしまう前に・・・

お子さんには可能性が広がっており・・・

虐待ではなく、(一時的にでも)預かって貰うという経験を通して、お子さんは学ぶ事も出来る・・・

 

という視点を信頼する事になります。
そして、先ほどの「正論」や様々な心情などからも、このような「(他人に)預ける(という対応)」を取る「行動」に否定的なご意見がある事も、私も理解出来る部分はあります。

ただ、これは、今回の事件の、(一時)保護権限を持っている児童相談所においても、そのような心情の働きがあった事は容易に推測されますし、それが今回のような悲劇的な結末を招いてしまったという側面からは目を逸らす事も出来ないと感じます。
なお、児童相談所の記者会見では、父親の威嚇的な態度に恐怖を感じてしまった・・・との弁解がされていましたが、これは、そもそも「論外」です、、、、、(そのように感じるのであれば、このようなお仕事をするべきではないとの私の個人的な見解ですが)

 

そして、これも繰り返しですが、魂の視点のみで全てが解決に向かう訳ではないかもしれませんが、それと同時に、現在の制度や連携などの仕組みを活用する事も必要になってきます。
ただ、幾度も変わらずに繰り返されている悲しい出来事を少しでも減らしていく為には、

 

魂の視点を「プラスα(アルファ)」として活用してみて・・・

そして、この魂の視点を活用する際には・・・

 

「(時には)行き過ぎた「感情論」でもあり、「無責任」な言葉掛け・・・」に親子(妻あるいは夫)共々に翻弄されない為にも・・・

(一時でも、そのような世間や周囲の声には)目を瞑(つぶ)ってみる・・・

 

という事も、先ほど少しコメントしました二次被害をも防ぐ事を含めた、効果的で現実的な対応になるかもしれません。
なお、虐待が疑われる際に、躾(しつけ)や教育の一環だとの受け答えをする人もおりますが、虐待と躾は全く違うものでありますし、そもそも、

 

教育とは・・・(お互いに)教えを育(はぐく)み合うもの

 

ですので、虐待の弁解や言い訳にはなりません。

また、(私個人としては、このような考えは持っておりませんが)よく「虐待を受けた人は自分の子どもにも繰り返す可能性が高い?」などとも言われる事がありますが、これも、「(虐待を受けていた自分の子ども時代を、新たな気持ちで)生き直したい(やり直したい)」との「思い」に光を当てる事で、充分に防ぎ得るケースもあるかもしれません。

 

そして、より広い魂の視点として、宜しければ次の事も考えてみて下さい。
私はキリスト教徒でもありませんし、無宗教ですが、イエス・キリストにおいては、

 

イエスに癒しを求めたのも「人間」であり・・・

また、それと同時に・・・

イエスに処刑を求めたのも「人間」である・・・

 

という視点と、イエスは十字架に張り付けられた際に、次のように語ったと言われています。

 

『 父(神)よ・・・

彼らをお赦しください・・・

(彼らは)している事が分からない(理解出来ていない)のです・・・ 』

 

と。
また、イエスは弟子達に向けて次のように諭(さと)し続けていたと言われています。

 

『 私に出来ることは・・・あなた達にも出来ること・・・』

 

と。
そして、イエスが本当に伝えたかった真意としての、

 

『 皆さん一人一人が・・・

メシア(救世主)です・・・ 』

 

との魂の視点に繋がってくるのかもしれません。
そして、この視点における一番大切な事は、今回のテーマの虐待やDVにおいても、「イジメの「根底」」と同じもの」とお伝えしましたように、結婚しているしていないに関わらず、また、お子さんがいるいないに関わらず、

 

「他人事」ではなく・・・

「自分の事」でもある・・・

 

という視点を考える素材としてみて下さい。
そして、虐待やDV、様々な環境で行われているイジメ、また、そこまでは至っていなくとも、現在の世の中や社会に蔓延している(しつつある)「悪意」というのは、

 

「幸せ」を感じられていないから・・・

 

というのが、その「根底」に共通していると、私個人的には強く感じております。
このような視点からは、

 

他の人との「比較」からではなく・・・

自分なりの(自分にとっての)「幸せ」を・・・

一人一人が考える・・・

 

というのも、解決策の一つにもなり得るものですし、特に「今、ここから」はとても大切になるように感じております。
なぜなら、「まだ、今なら、間に合うから・・・」です、、、、、

それと、今回は「子ども」というテーマも関連している事から、宜しければ次の事も、余談として考えてみて下さい。
現在、(幼児・高等)教育の無償化などが進められておりますが、確かに、このような事も大切で必要な事でもあります。

ただ、私が一点、とても気になっている「箇所」があります。
それは、この教育の無償化の議論の際に言われ続けている「言葉」です。
それが、

 

真に必要な子ども達の為に・・・

 

です。
これは一見すると、経済的に厳しい状況などにある子どもさんに向けて、とも捉える事は可能ですが、

 

この「真に必要な」の・・・

「真に必要」とは・・・

 

「子どもにとって」必要なのか・・・

「国(家)や誰かにとって」必要なのか・・・

 

という、幾らでも(別の)解釈も可能である・・・

 

という「箇所」でもあり「言葉」です。
これは前回のTOPICSからの、私の偏向かつ穿(うが)った?視点のガス抜きとしての「残り香」なので、このような視点が「取り越し苦労」であれば、それはそれで良いのですが、、、、、(笑)

2019年2月16日 04:02

語るに落ちる・・・ではなく・・・語らずとも落ちている

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、2019年1月26日のTOPICS「裁(さば)くという事について・・・」でも少し触れましたが、ここ数日、不正(違法)統計調査についての国会中継を録画して観ておりました。
ここ数年の国会中継を観ていても、どうなっているの?という思いは持っておりましたが、今回は改めて、

 

あまりにも・・・酷(ひど)すぎる・・・

 

との思いが膨らんだ事から、今回は「語るに落ちる・・・ではなく・・・語らずとも落ちている」というテーマをお届け致します。
そこで今回は、特に前半部分は、私の偏向かつ穿(うが)った?視点と「毒舌」を活用して参ります(笑)
私は聖人君子ではありませんし、喜怒哀楽を持った普通の人間でありますので、時にはこのTOPICSにおいても、ガス抜き?という面も活用させて頂ければ幸いです(笑)

ただ、偏向かつ穿った視点と「毒舌」と言っても、「(行き過ぎた)感情ではなく理性を・・・」と、このTOPICSでも繰り返しお伝えしております通り、

 

今回のテーマにおいても根底には「理性」を活用

 

しておりますので、皆さんもご自身なりに「理性を活用するとは、どういう感じ?」という面の発見に繋げて頂ければ幸いです!
また、今回は政治家や官僚、国会という舞台を素材としておりますが、似たような、あるいは、「源」という意味では、皆さんの身近でも起こりつつある?傾向でもありますので、ご自身にも関わって来る事象としても捉えてみて下さい!

 

そこで、まず、前半部分は政治家と官僚に焦点を当てて「口(こう)撃」?して参りますが、当然の事ながら「全ての」政治家と官僚に当てはまるという意味ではなく、「多くに」当てはまる「一般的な傾向」としてのものでもあります。

また、私自身は特定の政党を支持してもおりませんし(いわゆる無党派であります)、友人の中には、政治家に立候補したりする人もおりますし、官僚として働いている人もおります。
勿論、あくまで「友人」としてのお付き合いをさせて貰ってますので、お互いに「忖度」する事も一切ありませんし、また、その必要性も一切ないものです(笑)
では、進めて参ります!

まず、先ほどコメントしました通り、今国会の議論を観ていても、昨年話題となった「ご飯論法」に輪を掛けて、

 

政府の答弁・与党の質問は・・・あまりにも酷い・・・

 

というのがまず第一点として存在します。
勿論、野党側の質問の内容や仕方にも問題があるのも事実ですが、、、、、
そして、今回の不正(違法)統計調査の事情を知っている、あるいは、関係している方々の参考人招致を、政府・与党も渋々?認める事となりましたが、今回のケースのみならず、それ以前の同様のケースにおいても、

 

(それまでの間は)ずっと・・・参考人などの招致や資料の提出などを・・・政府・与党はことごとく拒否(抵抗)してきた・・・

 

という国会の実態となっているのはご存じの方も多いかと思われます。
ちなみに、参考人招致を認めた先日の国会においては、与党は参考人に一切の質問をしなかった模様でしたが、、、、、
では、まず一つ目の私の偏向かつ穿った視点と「毒舌」です(笑)

 

政治家(の大半)は・・・自らの利益にならない「行動」は取らない

 

という潮流です。
では、ここで、私の行政書士時代のお話を少しご紹介致します。
私が行っていた行政書士としての仕事は、許可要件を充足する為の法的なアドバイスや、要件が揃った後に申請書類を整えて役所に申請をするというものです。

そして、クライアントの中には、私が許可申請をした後に、知り合いの政治家に頼んで許可取得を早めようと「行動」していた方もいらっしゃいました。
その範疇は私の仕事でもありませんし、私にとっては全く預かり知らぬ関与する事でもありませんので、「どうぞ(あなたの責任において)ご自由になさって下さい」とだけお伝えしておりました。

そして、法律で定められた通りの処理期間の後に許可が下りるというケースが大半でもありましたが、中には、異常に?早く許可が下りるケースが存在していたのも事実です、、、、、
ここには、私が「行政書士の仕事は、もう充分だ・・・」と思った一因も隠されております(苦笑)

 

なお、誤解の無きようお伝え致しますが、行政書士の仕事を「見限った」結果として今のお仕事をしている訳ではありませんし、行政書士の仕事は人様のお役に立てるものでもあり、素敵な仕事であると今も思っております(笑)
その上で、私は今のお仕事は「好きだから」行っておりますので、誤解の無きよう、また同時に、ご安心下さい(笑)
では、ここ迄における政治家の「語らずとも落ちている」という面の、「because(なぜなら)~」は、後ほどお伝えしていきますので、ひとまず先に進めます!

 

官僚の方々は頭脳明晰である事も事実ですが、そして、故意であれば論外ですが、やはり同じ人間ですので、時にはミスや誤りをする事があるのも致し方ない面も理解出来ます。
そして、ここ数年の国会答弁などでも、中にはお気の毒だなぁ・・・と感じられる官僚の方々も見受けられるのも事実です。
率直に申し上げれば、

 

手柄は政治家に持っていかれ・・・

責任だけが押し付けられる・・・

 

という、これも特に現在に多く見られる潮流です(なお、本当の意味で、立派にお仕事をされている官僚や公務員の方々は、自分の仕事において手柄などを求める事はないはずですし、そのように思う事も無いかと思われます)。
そして、現在の政府・与党そして官僚の推し進めている政策の中には、

 

誰でも何度でもチャレンジ出来る社会

 

というのがあります。
では、ここで二つ目の私の偏向かつ穿った視点と「毒舌」です!
このような官僚のみに責任が押し付けられ、そして、その後の省内などでの不遇?という現状を考えてみた場合、確かに、ご家庭の事情や人生設計などでの思慮や苦慮なども含まれている事と思いますが、

 

針の莚(むしろ)のような環境の中で、今後も仕事を続けていくのは、本当に幸せなんだろうか?

 

という「自分自身への問い掛け」をしているのだろうか?というものです。
そして、これも行政書士をしていた時に、あるクライアントの方から教えて貰ったお話ですが、そのクライアントの方は過去に官僚にお金を渡して、通常では進める事の難しい開発事業を推進する事が出来たそうです。
その際の官僚へのお金の受け渡し方法や、そのお金がどのような経路で部下の人達の手に渡って、担当部門を動かしていくかなどの内容でした。

勿論、これは立派な?法律違反でありますし、誤解の無きよう申し添えますが、このお話は、そのクライアントの方と私が出逢う前の、クライアントの方の出来事であり、当然の事ながら今までも私はそのようなケースに一切関知・関与した事もありませんが、今にして思えば、これも先ほどの「もう充分だ・・・」の、もう一つの一因となっているのかもしれません(苦笑)

 

では、ここ迄における官僚の「語らずとも落ちている」という面を含めて、ここからは考察としての、「because(なぜなら)~」を見ていきます!
まず、ここ迄の結論としての「語らずとも落ちている」という事の「本質」にあるのは、

 

「不作為(何もしない)」も「行動」の一種である

 

という視点です。
これは今回の官僚の場合においては、責任だけが押しつけられるような職場環境が今後も続いてしまうのであれば、そして、自らが推し進めている政策(誰でも何度でもチャレンジ出来る社会)に本当の自信があるのであれば、

 

針の筵のような環境に居続けるよりも・・

本当の自分を表現出来る、別の環境を求めて・・・

新たな世界にチャレンジしてみる!

 

という展開になっても不思議ではないと思われますが、多くはそのような選択と決断をする官僚の方は少ないと思われます。
つまり、

 

現実には・・・

誰でも何度でもチャレンジ出来る社会などは・・・

夢のまた夢・・・?

 

という事を、

 

今の職場に居続けるという「不作為」の「行動」で語ってしまっている・・・

 

という側面を現しています。
なお、私は官僚の方々に転職を勧めている趣旨ではありませんし、今のような現状だからこそ「官僚の本来の仕事は何か?」という事を改めて自分に問い掛けるキッカケとして頂き、そして、「官僚になろうとの選択と決断をした時の志」を今一度想い出す契機として頂ければとの思いから、素材として提供している次第です(笑)
そして、自らの利益にならない「行動」は取らない政治家においては、

 

参考人の招致や資料提出の要求に応じない・・・

 

という事は、

 

実は・・・

ことごとく拒否や抵抗してきたという「不作為」の「行動」を取っていること自体が・・・

自らの利益となっている事を語ってしまっている(すんなりと受け入れると自らの不利益や不都合となる)・・・

 

という「動機」が「語らず」とも炙り出されています。
これは、イジメなどの問題においても、「見て見ぬフリをするのもイジメへの荷担」という点からもご理解頂けるかと思います。
それでは、ここからが今回のテーマの本当の趣旨となります!
その趣旨とは、

 

「不作為」も「行動」の一種であると気づけないでいる内は・・・

「優しさ」や「思いやり」などにも気づき辛くなってしまう・・・

 

という「本質」と繋がっています。
「優しさ」や「思いやり」というのは「具体的な行動」にも勿論現れてきますが、例えば、

 

ギャンブルを行うためのお金を貸す

 

などは、本当の「優しさ」や「思いやり」には繋がっておりません(ちなみに、ギャンブルをする事を否定や非難をしている訳ではありません)。
このようなケースにおいては、

 

本人のためを思って・・・

お金を貸さない・・・という「不作為」の「行動」が・・・

本当の「優しさ」や「思いやり」となっている・・・

 

という面もご理解頂けるかと思います。
そして、このような「優しさ」や「思いやり」の根底には・・・「(相手の事を思う)動機」が脈々と流れています、、、、、
これは、別の表現では「見守り」や「寄り添い」においても同じ意味合いが含まれています。
そして、これは、

 

「具体的な行動」という目に見えやすい場合のみならず・・・

「不作為」という目には見え辛い「行動」に気づけるかどうか・・・

 

という視点の事でもあり、この視点を自分なりに気づいて活用していけるようになると、人生の幅や奥行きが深まっていく事と感じます。
なお、今回の政治家や官僚の「不作為」という「行動」は、「反面教師」としての素材でありますので、同じ「不作為」という「行動」においても、「天と地ほどの差がある」ことは、その都度のケース事に見ていく必要がありますが、その際の「指針」として活用出来るのが、マザー・テレサの、

 

愛の反対は無関心である

 

という言葉です。
ちなみに、私はキリスト教徒でもありませんし、無宗教でもありますのと、(今までも何度か)ご紹介したこの言葉は、実際にマザー・テレサが語った言葉ではないとの検証もされておりますが、あくまで「そのような趣旨を汲み取る」ことが大切な視点でありますのでご承知頂ければ幸いです(笑)
そして、今回のテーマになぞらえると、政治家と官僚の現在の対応においては、

 

「不作為」という「行動」(拒否や抵抗)を取っているという事は、「無関心」という事を意味しており・・・

詰まる所・・・

国民に対して「無関心」であり・・・

国民を「愛していない」・・・

 

と言う風に、超大げさ?に考えれば、「言い得て妙」?になるのかもしれません、、、、、
それと、ついでと言っては何ですが、今回のケースのみならず、ここ何度も続いている「語るに落ちる」の典型例もお伝え致します。
それは、様々な質問や疑念に対しては、

 

現在、調査及び検討中だから答弁を差し控える・・・

 

と答えていながら、その一方で、聞かれてもいない場合でも、

 

政府の関与は一切ない!

 

と(調査も検討も終わっていないのにも関わらず)言い切ってしまえる?というのは、もう、「言わずもがな」である事もお察し頂けるかと思われます。
ちなみに、「詭弁(きべん)」の「詭」という字は、「危(ない)」+「言(葉)」という成り立ちです、、、、、
そして、それと同時に、

 

誰かや何かのせい(責任)にしてばかりでは・・・何も変わらない・・・

 

というのも真実であり、大切な視点でもあります!

そして、今回は「毒舌」という言葉も活用して参りましたが、私自身は「(感情優位の行き過ぎた)毒舌」はあまり好きではありません(苦笑)
そして、このような「毒舌」と問題点を鋭く指摘する「風刺」などは全く別物です。
ここ数年は、TVにおける芸能人やコメンテーターなどにおいても「毒舌」である事が「重宝」されているようにも見受けられますが、勿論、仕事の上でのキャラクターという意味で演じている側面もある事かと理解もしますが、ただ、

 

言葉を裏切る人は・・・

言葉から見限られ・・・

 

そして、

 

自分でも知らぬ間に、毒が毒である事に気づかずに・・・

 

また、

 

それに(行き過ぎた)同調をする視聴者においても同様の事が当てはまっていき・・・

両者共々に「毒を持って毒を制す」と言われるように・・・

無自覚のままで、誰かや何か(という毒)にコントロール(支配)されてしまい・・・

 

尚かつ、

 

その事にすら「気づけない」状態に陥ってしまう・・・

 

という悪循環の道を辿ってしまう怖れがかなり高くなってしまいます。
ここでも「理性の活用」が出来ていない事の現れとなっています。
では、ここ最近の2つのニュースをご紹介致しますので、「理性の活用」と「愛」という側面を考える素材としてみて下さい。

 

一つ目は繰り返されている悲しい出来事ですが、山口県内の高校生の方が、教師も含めたイジメにより自殺をしてしまったニュースです。
この事例においては、最初の調査ではイジメは認定出来ずとの判断が下されたそうですが、再調査の結果、教師によるイジメが新たに判明し、イジメによる自殺の可能性が認定されたというものです。

 

そして、この事例においては、(あくまで報道ベースですが)調査(方法)の根拠となっている「いじめ防止対策推進法」での、第2条の「児童等」の定義において、この「児童等」とは学校に在籍する児童または生徒をいう、とされている事により、最初の調査においては、「先生や教師」は調査の対象外と判断された事が真相を見誤らせたとの指摘が出ております、、、、、

 

では、二つ目の出来事です。
これは青森県内版のニュースで放映されたものを元にご紹介致します。
現在の所、最大出力20kw未満の風力発電機は「小型風車」と呼ばれています。
この小型風車は、2012年の「固定価格買取制度(再生可能エネルギーで発電した電気を、電力会社に買い取りを義務付けた制度)」の創設により普及し始めていきました。

 

そして、2018年6月末時点においては、この小型風車の稼働件数は青森県が146件で全国1位となり、国全体の稼働件数の4分の1を占めているそうです。
私の住んでいる五所川原市にも設置されております。
しかし、固定価格買取制度の創設以来、現在に至るまで、この小型風車をどこに設置出来るのか?などの法律は定められておりません。

存在しているのは、風車を設置をする場所の自治体が策定するガイドライン等を遵守するよう「務める」こと、との国の単なる指針のみであり、「務める」との文言通り、ガイドラインを遵守しなければならない!という「法的拘束力」もない現状です。

 

そして、五所川原市の隣でもある、つがる市において、ある時、一つの小型風車が設置されました。
この風車は民家の70m程の所に作られ、その際には住民に対しての充分な説明も無かったとの事です。
そして、この民家にお住まいの方は、夜は風車が回る騒音により睡眠障害になり、また、日中は太陽光が風車に当たる事で、高速で回転する風車の影が家の中にまで差し込んできて、めまいや吐き気を覚えたりといった事が続いていたそうです。

 

そこで自治体はこの風車を建設した電力関連会社と協議を続けてきたそうですが、結果的に何もまとまらずに現在に至ったとの事です。
そして、この背景には、この風車が設置されたのはガイドラインが策定される前の事でもあり、この事に関して設置した業者はマスコミの取材に次のように答えたとの事です。

 

『 建設時の法令・条例に沿った形で建設した 』

 

と。
そして、この後の続きとして私が勝手に推測を加えますと、『だから法律に違反もしていないし、問題は無い』と言いたかったのであろうと感じています。
ちなみに、この風車は2019年1月下旬に、耐えられるはずの風力「以下」の風が吹いた際に、羽根などが壊れてしまい、現在は使えなくなっています、、、、、

ちなみに、私は原発(再)稼働は反対のスタンスを取っておりますので、再生可能エネルギーの普及にはポジティブなものを感じておりますが、やはり「理性の活用」という視点においては、ただ推進すれば良いというものでもなく、まずは、あるいは、同時に、住民の安全性などが整えられていない状況を生み出さない為の法律などの整備を行う必要性もあると感じております。

 

そして、先程からの政治家や官僚における様々な法令違反などを眺めてきて、何とも不思議な気もしますが、日本は(一応は)「法治国家」です。
その点からは、一つ目のニュースはいじめ防止対策推進法を遵守した調査とも言えるのかもしれませんし、二つ目の出来事は風車を設置した業者も法令違反はしていないと言えるのかもしれません、、、、、
皆さんは、どのようにお感じになられますでしょうか?

私個人としては、この二つのケースにおいても、法律の範囲内、あるいは、法律を遵守しているとは言え、

 

あまりにも「愛」の無い感性(調査や仕事の進め方など)なのでは・・・

 

と感じてしまいます。
そして、

 

愛の反対が無関心であるならば・・・

無関心とは相手を思いやる「想像力の欠如」でもあり・・・

愛とは相手を思いやる「想像力の活用」でもある・・・

 

のかもしれません。
そして、お気づきになられたかどうかは分かりませんが、

 

「理性の活用」とは・・・「気づく」こと

 

でもあります。
そして、繰り返しですが、「誰かや何かのせい(責任)にしてばかりでは・・・何も変わらない・・・」という視点から導かれるのが、

 

皆さんは・・・「自分」を愛することが・・・出来ておりますか・・・?

 

という問い掛けになります。
今回のTOPICSは大変長くなってしまい恐縮ですが、私の中のガスが充満していた?とのご愛嬌と思ってご容赦下さい(笑)

2019年2月9日 04:02

アイドルという存在から考える依存や感謝などの視点

こんにちは。
レイキ ヒーラー&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、ご存じの方もかなり多いかと思われますが、先日、人気アイドルグループの「嵐」が、2020年を持って活動を休止するとの話題がありました。
ファンの方々においては、衝撃や寂しさなどもある事かと存じますが、概ねは活動休止の理由に理解を示し、また、それまでの間も変わらずに応援し続けるといった、温かい反応が多いようにも見受けられます(笑)
そこで、今回は「アイドルという存在から考える依存や感謝などの視点」というテーマをお届け致します。

 

そこで、まず、今回のテーマの一つにおいては「依存」という言葉が入っておりますが、これは、アイドルなどを応援したりする事を否定や非難をしている訳では勿論ございません。
私はオジサン世代ではありますが、ジャニーズなどの歌やドラマは好きで観ている側面もありますし、同世代のアイドルの方々などが活躍している事は励みにもなっております(笑)

 

その上で、今回の活動休止の話題においては、記者からのある一つの質問が物議を醸している様相も存在しています。
その質問とは、これも、多くの方がご存じかもしれませんが、

 

『 (活動を休止するというのは)無責任なのではないか?(という指摘もあるようですが・・・) 』

というものです。
個人的には、この質問をした記者の方が特段の悪意を持って聞いたという訳でもない事かと思いますが、また、これも私個人の勝手な?見解ですが、この質問の根底には、

 

『 今まで「嵐」の存在や活動などにより、励ましや勇気を貰ってきた人もいる中で、活動を休止してしまうと、その人達の気持ちはどうするのですか? 』

 

との趣旨が存在しているようにも感じます。
極端に言えば、

 

『 活動を休止するとは、応援してきた人達から生きる希望などを奪い去ることになってしまい、その事に対して責任を取れるのですか? 』

 

との「感じ」になってしまうのかもしれません。
勿論、このような「感じ」が正確なものかどうかは分かりませんが、もし、仮にそうだとすると、

 

この「感じ」が・・・

依存という面を・・・

的確に現している・・・

 

という風に私には感じています。
では、何故、今回このようなテーマを設定したかと言いますと、このTOPICSでは何度かお伝えもしておりますが、結構多くの方が誤解?あるいは、捉え違い?をしている傾向が見受けられる一つの点があるからです。
それは、

 

依存する事と・・・

支えや寄り添いなどを受ける(享受する)事とは・・・

全く違う・・・

 

という点です。
そして、何故、誤解?や捉え違い?が生じるかと言いますと、外形上では依存と支えて貰う事などの違いが目に見え辛いという側面も確かにありますが、依存と寄り添って貰う事などの違いにおける明確な線引きの「本質」となっているのは、

 

「感謝」の気持ちが存在しているのかどうか?

 

です。
故に、今回のテーマのもう一つとして「感謝」という言葉が入っている事と、今回の「嵐」のケースにおいては、先ほどコメントしました通り、ファンの多くの方々が理解を示しているという事からも、「依存ではない」・・・という事が現れている事かと感じます(笑)

そして、このような視点においては、確かにファンの方々の思いの中には、寂しさや悲しさなども含まれている事かと思います。
これも自然な気持ちの現れでもあります。
そして、このようなケースは一種の「別離(わかれ)」とも言えるかと思いますが、ここでの「本質」も、

 

恋人との別れ・・・

配偶者などとの離婚・・・

親しき人との別離(卒業や巣立ちや死別など)・・・

 

などでも同様です。
勿論、虐待を受けていたなどの極端なケースは別ですが、このような「別離」においても、

 

そこに「感謝」の気持ちがあるかどうか?

 

がとても大切な視点となり、悲しさや寂しさがある中においても、

 

その「別離」の中に・・・

ほんの少しでも「感謝」の気持ちを見い出せる事であるならば・・・

それは、その先の生きる「希望(など)」へ繋げてくれる!

 

という大きな力や励みともなります。
では、ここ迄は、「依存」と「支えや寄り添いを受ける」という事は、その「本質」では違いがある、という点を何かの折には想い出すキッカケとして頂ければ幸いです(笑)

 

では、アイドルという存在への視点を少し変えてみます。
この視点は、男女という意味では本来は同列ですが、どちらかと言うと、女性アイドルに対して多く見受けられる傾向でもあり、また、先ほどの「依存」よりも、より根が深く深刻な感じもしております。
それは、

 

アイドル(としての活動中)は恋愛禁止・・・?

 

というものです。
これもどこまで真実であるのかどうかは分かりませんが、まことしやかに囁(ささや)かれているのも事実ですし、中には恋愛禁止は当然である、と公言するアイドルの方もいらっしゃいます。
勿論、一生懸命頑張っていらしゃる当事者としてのアイドルの方が、そのように思ったり考えたりするのも全くの自由ですので、それも構わないかと思います。
ただ、これも理性から考え、また、私達の多くである一般人としての自分の事として考えた時には、

 

(異性であれ同性であれ)誰かに好意を持つのは自然なこと・・・

 

というのは誰もが本当は理解出来ている事と思います。
ちなみに、誰かに好意を持つのは「自然なこと・・・」であって、「当たり前なこと・・・」という意味ではありません。

と言うのも、「当たり前」と言ってしまうと、「では、誰にも好意を持っていない(持てない)私はおかしくて変なの?」というご意見も出されるからです。
勿論、このような事はおかしくて変な事では決してありません。
ただ・・・、極論を言えば、

 

全く誰にも何に対しても好意を持てないというのは・・・

実は・・・自分自身を蔑(ないがし)ろにしている・・・

 

というケースもございます。
余談で話が逸れてしまいましたが、戻して参ります!

そこで、このようなアイドルという存在は恋愛禁止?という気持ちも全く分からない訳ではありません。
私も中・高生の時には好きなアイドルもおりましたし(笑)
ただ、このような恋愛禁止をファンや運営側(の大人)が求め(過ぎ)るというのは、

 

人(生身の人間)の心や感情は・・・

VR(バーチャルリアリティ)とは違う・・・

 

という「本質」に反する事にもなります。
なお、ここでのVRとは、ここ最近はVR上のアイドルというのも存在している模様ですし、そのようなアイドルを好きになるのも応援するのも全くの自由ですので、それを否定や非難をしている訳でもございません。
ただ、

 

心や感情はVRではない・・・

という事は、

ゲームのようにリセット(をしたり、させる事)は出来ない・・・

 

という面も同時に忘れてはならない視点でもあると感じます。
そして、恋愛禁止?から見られる、心や感情をVRと捉える事が行き過ぎると、歪んだ形となったストーカー行為などへ変質していく怖れも多々含まれますが、このような恋愛禁止?に「根」が近い現象というのは、近頃の親子関係や職場などでも見受けられる事が多くなってきているようにも感じます。
それは、

 

親は子どもを自分の所有物と思い込み・・・

上司や経営者は部下を自分の所有物と思い込み・・・

それが故に・・・

子どもや部下を(自分の意のままに)コントロール出来ると思い込み過ぎている・・・

 

という傾向と、少し大げさかもしれませんが、「何か」が繋がっているのかもしれません。
そして、ここでの心や感情をVRのように扱い、また、何かや誰かを自分の所有物のように思い込むというのは、もうお分かりの通り、ここには「感謝」という視点が存在していないという側面が大きく関与しております、、、、、

そして、あくまで個人的見解ですが、このようなアイドルの恋愛禁止?というのは、本当のファンを育(はぐく)む事にはなりませんし、成熟したファンにとっては「はた迷惑」?かもしれませんし、もうこのような視点からは「卒業」しても良いのでは?とも感じます(笑)

 

では、さらに視点を変化させてみます!
最近では、スポーツなどのアスリートの方々もアイドル視されたりする傾向がある事はご承知の通りかと思います。
そして、このようなアスリートという存在に対しては、特に女性の方々における、幅広い年代層からの応援なども特徴のように思われます。
そして、その応援の裏側には、感動を貰った!などの「感謝」の気持ちも存在しているのも事実です(笑)

ただ、一点、私が危惧している面が存在しているものがあります。
それは、

 

「〇〇ロス」・・・という言葉

 

です。
これは、「ペットロス症候群」などのように、

 

何かを「失った・失われた」心の状態

 

を指す場合が多いですが、ペットなどが他界した事により、その後の人生に希望が持てなくなったり、あるいは、ペットがいないと生きていけない、などの深刻なケースに陥ってしまう事もあります。
勿論、このような心の状態というのは、ご家族や知人などの「人」の場合でも、その「本質」は同じです。
そして、何故、私が危惧しているかと言いますと、まず、

 

言葉には「力・パワー」がある

 

という点です。
そして、もっと突き詰めて表現しますと、

 

言葉には力・パワーという「実体」がある

 

という事でもあります。
そして、アスリートなどの引退のケースでよく「〇〇ロス」と使われたりもしますし、これは、芸能人としてのアイドルなどの場合も同様に使われています。
そして、私が危惧している現実問題としては、

 

マスコミなどでは・・・

あまりにも安易に・・・

「〇〇ロス」という言葉を活用し過ぎている・・・

 

という現象です。
これは、このTOPICSでも幾度も取り上げているセクハラやパワハラなどの「ハラスメント」における「〇〇ハラ」も同様です。
つまり、このような略語があまりにも軽く?使われ過ぎて、そして、当たり前のように目にしている事で、

 

「実体」と「心の状態」に乖離(かいり)が起き始めている・・・

 

という部分です。
そして、

 

この「〇〇ロス」という・・・

「ロス(失う・失われた)」という言葉(の使われ方)には・・・

「一方的」に奪われた、とのイメージが伴いやすく・・・

 

結果的に・・・

「感謝」という側面をも見え辛くさせている・・・

 

という傾向に拍車を掛けているのが、現在の世の中や社会に多々反映されていると、私個人としては感じています。
そして、今回のアイドルという存在をどう考え捉えるかという視点も、

 

詰まる所は・・・コミュニケーション

 

と同じです。
このアイドル、あるいは、アスリートという存在とのコミュニケーションにおいては、その多くは「直接的」ではないかもしれませんが、TVなどを通した「間接的」な場合でも、その「本質」は一緒です。
なぜなら、

 

どちらでも・・・あなたの心を・・・感じ動かせている

 

からです。
そして、どのようなコミュニケーションにおいても、その「本質」は、

 

「相手」を理解しようとする試みでもあり・・・

それと同時に・・・

「自分(の考えている事など)」をどのように表現し伝えるのか・・・

 

という所にあります。
それと、これも誤解の生じやすい部分がありますので、今回は一言付け加えさせて頂きます。
それは、例えば、

 

「相手」を理解しようとする試みとは・・・

「相手」の言い分を丸ごと受け入れたりする事ではなく・・・

 

「あなた(相手)」の話している事は・・・

「私には」筋の通らないものである、と・・・

「私は」理解しています・・・

 

というような面(ケース)も含まれています。
そして、このような事により、時には相手との「距離を設ける」との判断も出て来る事もあるでしょうし、その後の変化によって、相手との「距離を縮める」という事も可能になっていきます、、、、、

 

そして、今回のアイドルというテーマから、元SMAPの中居正広さんが、昨年末のご自身の番組において、ちょうど解散が決まっていた「タッキー&翼」の滝沢秀明さんに向けて、次のような事をお伝えしていました。
それは、

 

『 自分は・・・怠った人間だから・・・ 』

 

と。
これは、おそらく、

 

『 自分はSMAPの解散に際して・・・

ファンの方々などに・・・

「感謝」を伝える(充分な)場や機会を設ける事が出来なかった・・・ 』

 

という事を「怠った」と表現しているにように、私自身は感じて観ていました。
そして、今回のテーマにおいては、もうご承知かと思われますが、「感謝」という面に意識を向ける事だけでも、「依存」に陥らない「指針」として活用出来ますよ!との趣旨でもありました(笑)

そして、ここまでお読みになって頂いた皆さん方は、もう「依存」に陥る事はありませんので、自由に存分にアイドルやアスリートなどを楽しんで応援して大丈夫です!
また、今回の視点は、アイドルやアスリートに限らず、皆さんの身の周りの人々に意識を向ける事で、より実感が伴いやすくなる事とも感じます。
その上で、「依存」は「一方的」になりがちになりますが、「感謝」においては「お互い様」という気持ちに通じていくのかもしれません(笑)

2019年2月2日 02:02

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