(レイキ)ヒ-リングのテ-マが少ない?理由

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、時折、レイキ ヒ-リング認定講座の受講生の方や、あるいは、セミナ-などにおいてヒ-リングにご興味のある方から、

 

TOPICSにおいて、(レイキ)ヒ-リングのテ-マが少ない(そのように感じる)?のは、何か理由があるのですか・・・?

 

などのご質問を受ける事があります。
そこで、今回は「(レイキ)ヒ-リングのテ-マが少ない?理由」をお届け致します。
そして、まず最初に、少ない?と思われる理由の一つをざっくばらんにお伝え致します。
それは、

 

(レイキに限らず)ヒ-リングのみに焦点を合わせたテ-マというのは、技術的な側面が多くなりがちであるため

 

というのがあります(笑)
勿論、症状別や、心と身体の関係性などから発生するテ-マというのは、それこそ膨大なものにもなります。
そこで、まず、S.Light.Mにおいては「カウンセリング」「レイキ ヒ-リング」「ヒプノセラピ-(催眠療法)」を軸とさせて頂いておりますが、

 

私が何故、この3つを軸としているのか?

 

をお知らせ致します。
なお、カウンセリングやヒ-リング、あるいはその他のセラピ-においても、それを行う人の方針や方向性、進め方あるいはやり方などは、それぞれ行う人の数ほど存在しますし、それぞれが意義のあるものでもありますので、他の方のやり方などに異議を唱えている訳では決してございませんので、その点をご理解頂ければ幸いです(笑)

 

それでは、まずヒプノセラピ-の観点から見ていきます。
ヒプノセラピ-は潜在意識に直接働きかける事により、時には、もの凄い速さで変化を遂げる方もいらっしゃいますし、また、本当の原因や理由にアプロ-チしやすくなる事により、症状などの改善においても同様のケ-スは存在します。

 

そして、このように、心あるいは潜在意識の奥深い所にアプロ-チする事により、強力な効果も認められる反面、気持ちの動揺に激しい波がある時、あるいは、あまりにも頻繁に自傷行為などが行われているケ-スにおいては、良い意味でも悪い意味でも衝撃が強くなる事により、「今すぐ行う」には適切ではないと判断されるケ-スも確かに存在しています。
また、

 

ヒプノセラピ-はコミュニケ-ションセラピ-

 

でもありますので、言葉が未発達な赤ちゃんや、なかなか以前のようなコミュニケ-ションが取りづらくなってきている高齢者の方、また、痛みなどの症状が強く出ているケ-ス、そして、言葉のコミュニケ-ションという観点からはペットなどの動物には適さない側面というのも存在しております。

そして、このような赤ちゃんや高齢者の方やペットなど、また、痛みが強い方、そして、気持ちの動揺が激しいケ-スなどにおいては、他に方法が無いのかと言うと、そうではありません。
このようなケ-スにおいてはレイキ ヒ-リングを行う事によって功を奏する事もよくあります。

 

例えば、長い間の鬱症状などの場合では、レイキ ヒ-リングを継続して行う事により、概ね、半年ぐらいから徐々に落ち着きを取り戻し始める兆しが見られてくるケ-スがある事も、よく報告されています。
このようなケ-スにおいては、継続してレイキ ヒ-リングを行うも良いですし、落ち着いてきた段階でヒプノセラピ-を行う事により変化を加速させたり、あるいは、カウンセリングを併用したりする事で多いに役立つことがあります。

ちなみに、S.Light.Mにおいては、クライアント様の望む方法で行っていく事を大前提としておりますが、先のような理由からも、ヒプノセラピ-をご希望だけれども、少しの間レイキ ヒ-リングやカウンセリングの方が良いかもしれませんよ、とのご提案の元に、双方納得の上で進めていくケ-スも時折ございます。

 

そこで、カウンセリング、その他のヒ-リングやセラピ-においては、実は共通している点があります。
それは、

 

全ての癒し(治癒)の本質は・・・ご本人から湧き上がってくるもの(既に、ご本人の中に内在されているもの)

 

という点です。
確かに、私もクライアントの方から、良くなった!良くなってきた!などのお言葉を頂くと、正直に本心から嬉しいですし、励みになるのも事実です(笑)
ただ、この点は「自分が治してやった!」などの傲慢な側面に陥りやすい危険性が潜んでいますし、「癒しの本質」からも掛け離れたものにもなってしまいます(苦笑)

そして、カウンセリングやヒ-リングやセラピ-においては、もう一つの重要な共通点があります。
それは、

 

全てはコミュニケ-ションから発生する

 

という点です。
おそらく、カウンセリングやヒプノセラピ-においては、このコミュニケ-ションという側面は、比較的容易に想像もつく事と思います。
ただ、レイキ ヒ-リングしかり、他の多くのヒ-リングでもそうですが、

 

ヒ-リングでは・・・一見すると・・・ご本人においては、受け身的に(全てを任せているように)見える

 

という印象が強くあるかと思われます。
そして、このように受け身的に見える、あるいは感じられるという側面には、赤ちゃんや高齢者の方、痛みや動揺の激しい方、そしてペットなどにおいては素晴らしい長所やメリットとして多いに活用できます。
では、このようなケ-スにおいては、コミュニケ-ションが働いていないの?とのご質問も出てくる事でしょう(笑)
そこで、

 

コミュニケ-ションというのは・・・

言葉のみならず・・・

様々なLv(レベル)で・・・

同時進行で行われている・・・

 

という働きが自然と備わっています。
なので、一見すると受け身的に思われがちなヒ-リングにおいても、言葉という面では少ない(あるいは全く無い)かもしれませんが、実は、様々なレベルでのコミュニケ-ションが行われています。
そして、何故このような様々なレベルでのコミュニケ-ションが可能で、実際に行われているかと言いますと、

 

全ての意識はエネルギ-である

 

という自然法則から発生して行われています。
故に、赤ちゃんであろうと、高齢者の方であろうと、ペットであろうと、ヒ-リングが功を奏すケ-スも多く存在しています。
そして、心(意識)と身体は繋がっているという観点からも、

 

心(意識)に働きかける事で、身体にも良い影響を及ぼす

と、同時に、

身体に働きかける事で、心(意識)にも良い影響を及ぼす

 

という、どちらの方向からのアプロ-チでも有効であり、また、実際は、常に同時に双方向で行われているという働きになっております。
そして、ヒ-リングを受けている最中には、

 

忘れていた過去の記憶を思い出したり・・・

ふとした点に気づいたり・・・

言葉では表現しづらい(良い意味での)感覚が湧き起こってきたり・・・

 

という事がよく起こります。
これは高齢者の方も程度の差はあれ同様ですし、意識という観点においては、

 

同様の事は赤ちゃんやペットでも起こっている

 

というように働いています。
そして、ここでも人間そしてペットなどの動物でも共通している点ですが、

 

(身体を構成してくれている)1個1個の細胞にも意識がある

 

という点は、医学的にも(ほぼ)証明されております。
そして、実は、今回はヒ-リングのテ-マが少ない?というのが本来の趣旨ではありません(笑)
先ほどからのように、赤ちゃんや高齢者の方、あるいは痛みや動揺の激しい方、そして、ペットでは、それぞれの習った方法や好きな方法で構いませんので、どんどんヒ-リングを行って下さい!
そして、ヒ-リングを受けるのが好きな方の場合で、言葉によるコミュニケ-ションが可能な方の場合は、

 

ヒ-リングの前後に・・・

会話というコミュニケ-ションをほんの少し取り入れるだけで・・・

実際のヒ-リング以上の相乗効果が見込まれる!

 

という事が多いに期待出来ます。
そして、自己ヒ-リングや自己暗示という効果からも、これには、

 

自分自身とのコミュニケ-ションも当然含まれる

 

という事になります。
そして、このTOPICSではヒ-リングやヒプノセラピ-などの、誰にでも簡単に活用出来る技術的な方法も時折お伝えしておりますが、

 

会話というコミュニケ-ションの素材として貰えれば・・・

 

との観点から、色々な話題やテ-マをお伝えしているのが真実でもあります。
なので、実はヒ-リングのテ-マが少ない?という訳ではございません(笑)
弁解のように聞こえる面もあるかもしれませんが(笑)

 

赤ちゃんにもペットにも意識は備わっています。
そして、高齢者に限りませんが、認知症の方などの場合でも、意識が消失してしまう事はあり得ません。
そのような場合には、

 

その方々の負担が少なく、出来る範囲内で最善を尽くす

 

という姿勢で充分です。
そして、会話というコミュニケ-ションが可能な方であれば、

 

是非、出来る範囲内の最善に・・・

会話というプラスα(アルファ)の側面も加え活用しながら・・・

ヒ-リングを行ってみよう!

 

との意識をお持ち頂ければ幸いです(笑)
そして、あなたがヒ-リングを知っていようと、知っていまいと、あるいは、ヒ-リングを身に付けていようと、身に付けていまいと、

 

あなたは・・・

あなたの出逢う全ての人に対して・・・

何らかの働きかけを行っている・・・

 

という事を頭の片隅にでも置いてみて下さい(笑)
そして、その働きかけが(無意識からにせよ)癒しの部分であれば、それもとても素敵な事と感じます!
そして、軸の一つであるカウンセリングにおいても、ただ話を聞いて貰うだけでは効果はないんじゃないの?という一般的なイメ-ジもありますが、様々なレベルでのコミュニケ-ションが同時に行われているという事から、カウンセリングのみでも充分に効を奏す事は、ここ迄で少しでもお分かり頂けていれば、幸いです!

 

ちなみに、S.Light.MのHP(ホ-ムペ-ジ)においては、大変申し訳ない事に、これまで「カウンセリング」のペ-ジがございませんでした(苦笑)
現在、作成しておりますので、2018年の7月には「カウンセリング」のペ-ジがアップ(掲載)されますのと、またその中身として、カウンセリングを行う際のS.Light.M独自の「5つの特徴」も載せておりますので、興味のある方は、改めて出来上がり次第、ご参照頂ければ嬉しい限りです(笑)

 

そして、これは全くの余談ですが、幽霊と意識の面白いお話をご紹介致します。
私達の一般的な幽霊のイメ-ジは、目にするのも憚(はばか)られるような怖い姿で・・・目が黒く落ち窪(くぼ)んでいる・・・ような感じかもしれません。
実は、これにはある一つの説が存在しています。
幽霊とは、言わば、他界したけれども、何らかの事情でこの世に留まっているとも言われております。

 

そして、幽霊の姿というのは、そのご本人の意識の状態を反映しているもの、とも言われております。
そして、他界して間もない頃には、生前の肉体の「名残(なごり)」という意識も含まれております。
そして、その事から幽霊であろうと、何かを見ようとする時には「目」が必要である、と思っている事がほとんどです。

実は、いわゆる魂という意識のエネルギ-が何かを見ようとする時、肉体の名残が残っている際には「目」も活用する(活用しようとする)事から、

 

意識の焦点を合わせている結果として、その「目」には黒い点として反映される事がある

 

という報告もなされています。
おそらく、大昔に幽霊に出逢った方が、この「目」の黒い点を怖い?悪い?ものとして捉えてしまったが為に、その後の幽霊の姿を書き表したり伝えようとする場面において、「黒い目」があまりにも誇張され過ぎ、それが、何となく幽霊は恐ろしい・・・という今のイメ-ジに繋がっているのでは?という説もあるそうです(笑)
何せよ、これも意識というエネルギ-が形を取って表現している、という側面は一緒ですが(笑)

また、私はシ-タ・ヒ-リング(基礎・応用)も修了しておりますが、その中には、日本語風に表現すると、「魂の修復」「浮遊霊の除去」などの、摩訶不思議?なヒ-リングもありますが、これも全ては意識というエネルギ-を活用したものになります(笑)

2018年6月30日 12:06

孔雀王に見る光と闇の統合

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回は唐突ですが、私の遊び心からのテ-マとして「孔雀王に見る光と闇の統合」をお届け致します。
そこで、孔雀王というのは、私が高校生くらいの時に読んでいた漫画本です(笑)
描写にはかなりのH(エッチ)な場面も含まれておりますが(笑)、そのスト-リ-は想像力を掻き立てる面も満載で、今でも時折読み返したりしておりますが、その都度、新たな発見や気づきが産まれたりもしております。

 

そして、遊び心というのは、このTOPICSにおいても、美味しんぼなどの漫画からも題材を取り上げておりますが、「自分なり」に何かを発見したり、あるいは、何かに気づいたりする際に、必ずしも難解な本を読んだり、苦労を伴うような努力を強いられる必要性も無い、という意味も込められております。
何か弁解?のように聞こえるかもしれませんが、特に今回は、真剣にならずに、そして、力を入れる事なくお読み頂ければ幸いです(笑)

 

ちなみに、今回ご紹介するスト-リ-は、最初の孔雀王シリ-ズ(荻野真 作:全17巻)からのものになります。
また、この孔雀王は、以前に三上博史さん、阿部寛さん主演で2度の実写映画化もされております。
それでは、簡単にスト-リ-をご紹介しながら今回のTOPICSを進めて参りますが、内容はあくまでフィクションです。
ただ、そのスト-リ-の中から、もしかしたら、「皆さんなり」の何かを発見したり、気づくキッカケの素材となり得る部分もあるかもしれませんので、興味のある方は読み進めてみて下さい(笑)
では、ショ-ト・スト-リ-の開演です!!!

 

この物語は、弘法大使の空海が開いた高野山が舞台です。
しかし、その本当の舞台は・・・退魔業を主たる活動としている・・・裏高野山です・・・

かつて太古の昔に、光と闇の決戦が行われました。
そこで、対決をしていたのが、

 

光の守護神たる孔雀王

そして、

闇の盟主たる天蛇王

 

との争いでした。
孔雀王は別名ルシフェルとも呼ばれる存在ですが、光の守護神でありながら、光に背き闇に走っていきます。
それが故に、堕天使とも呼ばれています。
当初は孔雀王も天蛇王と共に、光を消滅させるべく力を合わせて光と対決していましたが、孔雀王と天蛇王が結ばれた事により、天蛇王は子を宿す事になりました。

 

それは、光と闇の両方を含む子でもあり、天蛇王は、我が子を闇の盟主にするべく画策しますが、孔雀王には躊躇いが残っていました。
そこで孔雀王は苦悩の末、天蛇王を殺し、まだ産まれぬ我が子をも殺し、そして、自らも消滅の道を辿る事を選択しました。
これで、光と闇の決戦は終結したかに見えました・・・が・・・

 

時が過ぎ、この物語の舞台である裏高野山に、退魔師の慈覚という男がおりました。
慈覚の力は想像を絶するほどの強大なものでしたが、幾ら魔を祓っても、あまりにも人の心が荒(すさ)んでいる事により、次々と魔は姿を現してきます。

 

そのような状況に絶望しかけていた慈覚は、もうこの状況を光の力だけで浄化させるのは無理であると判断し、冥府の底に幽閉されている、光と闇の両方の力を持った孔雀王を復活させ、その力によりこの世を何とか鎮めようと試みます。
しかし、強大な力があると言っても人間である慈覚には限界もあります。
冥府の底での闇との死闘の末、慈覚は敗れ去る寸前でした・・・

 

そのような冥府の底において、ある一人の女性が、瀕死の慈覚を見つけ助け出しました。
それが縁となり、慈覚とこの女性は結ばれる事になり、男女の双子が誕生しました。
それが、

 

弟である明(あきら)

そして、

姉である朋子(ともこ)

 

です。
慈覚には家族が出来ましたが、この妻たる女性は冥府に属するため、人の世には出て来る事が出来ません。
冥府の井戸の底で幾月年を過ごして来ましたが、ある日、裏高野山の退魔師達が、この双子の子を抹殺するためにやってきました。
実は、この双子は、闇の子が誕生すると言われている大凶星の日に産まれていたのです・・・

 

慈覚は退魔師達を説得しようと試みますが、それも叶わず、抹殺されそうな状況に陥ってしまいます。
そして、この時、双子の子を抹殺するよう退魔師達に命じた裏高野山の最高位の座主は、自らの二人の子にも、ある命令を下していました。
それが、

 

兄である日光には・・・闇の(子の)抹殺を

そして、

妹である月読には・・・闇の(子の)救済を

 

という命令でした。
説得も出来ず、このままでは親子皆殺しにされてしまうと思い、慈覚の妻でもあり、双子の母でもあるこの女性は、慈覚には子どもらを守るよう伝え、そして、二人の子には、名前に込めた思いを伝えて、家族を救うべく、3人を遠く地の果てへと飛ばします。
双子には次のように思いを伝えながら・・・

 

明(あきら)という名前には、「光」を司る日という字・・・どんなに辛い時にも決して失われない希望を意味するように・・・

そして、

朋子(ともこ)という名前には、「闇」を司る月という字・・・光と闇の二つの力が仲良く一つに結ばれるように・・・

 

そして、裏高野山から命を狙われ続ける親子3人の果てしない逃避行が始まりました。
逃避行を続けていく中、幾重もの人の命が犠牲となっていきました。
そのような疲れ果てた慈覚の心に、闇の声が語りかけてきました。
それは、

 

光と闇は相容れず、共存する事は出来ないが・・・どちらか一方だけであれば・・・もう一方は助かる

 

と。
疲れ果てた慈覚の心は、その言葉を真に受け、姉の朋子を殺そうとし・・・実際に手を下したその瞬間・・・気づきました。
実は、その時点では、光と闇などそもそもなく、

 

慈覚が姉である朋子を殺した時・・・それこそが・・・朋子という闇を産み出した瞬間である・・・

 

と。
そして、それは、その光景を見ていた弟の明の中からも・・・光を奪い去ってしまいました。
その後、朋子は闇の勢力により記憶を封じられ、幽閉されていきます。
そして、一方の明も、その後は裏高野山において、慈覚の師たる慈空により記憶を封印され、慈空の元で「孔雀」と名付けられ、退魔師として育て上げられていきました。
これが、太古の昔、孔雀王と天蛇王に宿った子の血が、

 

明たる孔雀においては・・・光の守護神である孔雀王の宿命を背負い・・・

そして、

朋子においては・・・闇の盟主たる天蛇王の宿命を背負い・・・

 

というように、光と闇が分離され、かつ、同時に存在する状況と成り果てました。

それから年月を経て、闇の勢力は、朋子を天蛇王へと誘(いざな)う為のキリストの聖杯を手に入れます。
一方の孔雀は、姉の朋子が生存している事、そして、天蛇王となり得る存在でもある事を知り、姉を救うべく、キリストにトドメを刺したと言われるロンギヌスの槍を手に入れ、姉の元へと向かいます。

 

そして、朋子が天蛇王とならぬよう、説得を試みますが、姉は聞く耳を持たず、逆に孔雀に対決を挑んできました。
そして、孔雀も説得は無理だと考え、この世の為に姉である天蛇王を抹殺しようと決意しました。
そして、孔雀はロンギヌスの槍で姉の身体を突き刺します・・・

ところが、突き刺したにも関わらず、天蛇王を殺す事は出来ませんでした。
なぜなら、

 

孔雀の心の中に・・・

殺意という・・・

闇が産み出されてしまったが故に・・・

その瞬間に・・・

槍の持つ光のパワ-も消失してしまった・・・

 

からです。
しかし、物事はこれで終わりませんでした。
一方の姉である朋子は、

 

父、弟・・・という肉親二人の手によって・・・

二度、殺された事により・・・

朋子の心の中の光は、完全に消え去り・・・

その瞬間に、真の闇が産み出され・・・

真の天蛇王が誕生した・・・

 

という事のみならず、姉を真の闇に突き落としてしまった事により、

 

孔雀の心の中の光までも奪い去ってしまった・・・

 

という状況に陥ってしまいます。
その後の孔雀は、肉体がかろうじて生きているのさえ不思議なぐらいの、魂の抜け殻のような状態になってしまいます。
そして、その間も、光と闇の対決は続けられていきますが、その行く末は、闇の圧倒的優勢で、光にとっては絶望的な状況でした。
しかし、ここで孔雀を救うべく救世主が立ち上がります。
それが、アシュラという一人の娘です。
彼女もまた、

 

この世の苦しみや悲しみを一身に受け・・・

その全てを清らかなものに変え・・・

新しく産み出す使命を持った・・・

阿修羅神・・・

 

をその身に背負って産まれてきていたのです。
アシュラのお陰で孔雀は生気を取り戻し、そして、二度と同じ過ちを犯さぬよう決意し、再び姉である天蛇王の元に向かいます。
そして、光と闇の決戦は、光の勝利へと傾いていきますが、それは同時に、姉の消滅をも意味するものでした。

しかし、孔雀は今までとは別の選択と行動を取ります。
それは、

 

自分の中の光を姉に与え・・・
姉の中の闇を自分でも分かち合い・・・

そして・・・

二人が光でも闇でもなく・・・
もう一度一つになれる所へ・・・
産まれる前の所へと・・・

 

全てを始まりに・・・
光と闇を一つに・・・

二人は解脱(げだつ)へと向かっていくのでした・・・

 

では、このスト-リ-はこれで終了です(笑)
男の子的なスト-リ-かもしれませんが、如何でしたでしょうか?(笑)

そこでまず、

 

「光と闇」・・・
あるいは、
「ポジティブとネガティブ」・・・

とは、

必ずしも「善と悪」に分離できる性質のものではない

 

という点を頭に入れて置いてみて下さい。
このTOPICSでも以前に、

 

(物事や出来事は中立でありながらも)
ほんの少しだけポジティブな方に比重が掛かっている

 

とお伝えした事があります。
そして、少し視点を変えると、科学の世界でも「物質」と「反物質」が同じ比率で出逢ってしまうと、全ては「消滅」します。
そして、現在の宇宙の成り立ちも、

 

ほんの僅かだけ「物質」の比率が重かったため・・・
その、ほんの僅かな部分で・・・
宇宙、そして、人間も含めた「物質」全般が創り上げられた・・・

 

と考えられている、というお話もお伝えして参りました。
そして、キリスト教の聖書においては、サタンは神の敵対者とされ、悪魔と呼ばれています。
しかし、

 

サタンも・・・元は、神に仕える身・・・

 

であった事から、堕天使と呼ばれています。
繰り返しですが、今回の、光と闇を兼ね備えた孔雀王も堕天使です。
ここで私がお伝えしようとしている点は・・・皆さん自身で、自由に発想して考えてみて下さい(笑)

ちなみに、私はキリスト教徒でもありませんし、基本的に無宗教ですが、宗教を否定している事も一切ありませんし、様々な宗教の中に見い出せる「共通の本質」や「長所(時には矛盾点も含め)」を探し出すのは好きです(笑)
このような観点からも、先ほどからの比重や比率という点を考える素材にも出来ます。

そして、「利己主義」と「利他主義」という言葉があります。
「利己主義」の対義語が「利他主義」とされていますが、

 

利己主義とは、周りや他(人)を省(かえり)みず、自らの利益や快楽のみを追い求める

利他主義とは、自らの利益や快楽よりも、周りや他(人)の幸せを考える

 

と定義されています。
では、本当に、「利己主義」と「利他主義」は、対義語のような、あるいは、光と闇に象徴されるような、相容れぬ正反対の意味なのでしょうか?

 

他の人の幸せを、自分の幸せとも感じられる・・・(利他主義)
そのような自分をも充分に愛する事が出来る・・・(利己主義)

そして、

自分を充分に愛する事も出来るが故に・・・(利己主義)
なお一層、他の人のさらなる幸せも願えるような心持ちになれる・・・(利他主義)
というようなサイクル(循環)・・・(統合)

 

は成り立ち得ないのでしょうか?
そして、今回のテ-マの「統合」の意味・・・皆さんはどのようにお考えになりますでしょうか?(笑)

ちなみに、お汁粉を作る時などには、甘さを引き立てたり、味に芯を通す為に、塩を入れたりします。
そして、見事なお汁粉が出来上がります・・・あるいは・・・産み出されます。
しかも、甘みと塩は、お互いに分離される事なしに・・・
これも、「統合」とは言えないのでしょうか?(笑)

2018年6月23日 11:06

発達障害から学ぶ様々な視点

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、皆さんも発達障害という言葉は、ここ最近よく目や耳にする機会も多くなってきている事かと思われますが、発達障害という言葉は知っているけれども、その症状や内容などはよく分からないという方も多いかと思われます。
そこで今回は、「発達障害から学ぶ様々な視点」というテ-マをお届け致します。

 

そして、今回のテ-マを進めるにあたりまして、発達障害に関しては多くの書籍も刊行されていますが、私が以前に観た3つの番組、「発達障害 解明される未知の世界」「深夜の保護者会 発達障害 子育ての悩みSP」「超実践! 発達障害 困りごととのつきあい方」(共にNHK放映)も元にしながら進めて参ります。
なお、このような番組名からも、今回は「障がい」ではなく「障害」という用語に統一して進めて参りますので、その点はご理解頂ければ幸いです。

 

そこでまず、私も以前は発達障害に関しては、ほとんどその症状や内容などを知りませんでした。
その点も踏まえまして、まずは、発達障害に関する「一般的」な概要を最初にお伝えして参りますが、私と同様に今まで知らなかったという事に関してネガティブな意識を向けるのではなく、「今、ここから」は知っていける(知っている)、というポジティブな方向に意識を向けて読み進めてみて下さい(笑)
そして、「一般的」な概要と先に申しましたのは、

 

その症状や内容も、実際は人それぞれ違う

 

という点を、まずご理解頂ければと思います。
なので、発達障害の症状や内容は今回ご紹介するものに限られるものではありませんし、それこそ、人の数だけ違いがあるという点も合わせてご理解頂ければ幸いです。

 

では最初に、発達障害に関しては、近頃では年間7,000人を超える人が受診をしており、その人数も増え続けております。
文部科学省の調査によると、小・中学生の15人に1人が発達障害の可能性があるとも言われております。
以前は発達障害という分野?がほぼ存在していなかった、あるいは、認識や理解がされていなかった事で、その受診人数や可能性がある人の数が最近では増えてきているという側面もありますが、そのような意味からも、大人になってから発達障害と診断される方も多いですし、年齢が限られているものではありません。
また、その原因につきましても、脳の神経における繋がりの違いなどの報告もされておりますが、詳しい事はまだよく分かっていないのも実状であります。

 

発達障害においては、「普通」の生活が出来ない、落ち着きがない、コミュニケ-ションが苦手などの「一般的」なイメ-ジが多いかと思われます。
そこで、現時点では、発達障害に関しては主に3つのグル-プに分類されております。

 

〇 ASD(自閉スペクトラム症):コミュニケ-ションが苦手、こだわりが強い など

〇 ADHD(注意欠如・多動症):不注意、落ち着きがない など

〇 LD(学習障害):読み書きや計算が苦手 など

 

このように大枠としては分類されておりますが、実際には、

 

それぞれが重なり合っているケ-スが多い

 

という事が、ご本人の方々からのお話を聞いていると理解する事が出来ます。
それでは、発達障害と診断されている方々の症状や内容について、まずは幾つかをご紹介して参ります。
なお、繰り返しで恐縮ですが、ご紹介するのはあくまで一つの個別ケ-スであり、人それぞれに違うという点を、改めてご理解頂きながら読み進めて頂ければと思います。

 

では、症状の一つとして「感覚過敏」というのが挙げられます。
まず聴覚に関してですが、これは、様々な音が、自分のすぐ側で聞こえているように大きく感じるというものですが、このようなケ-スでは、ご本人には次のような事が起こっているとの事です。

 

・ ス-パ-マ-ケットなどの店内における音は、「普通」の人がパチンコ店で感じる音よりも大きく感じている

・ 「普通」の声で注意されたとしても、怒鳴られていると感じるような大きさに聞こえている

・ 喫茶店などでは、周りの人の会話が大きく聞こえるので、対面している相手の話している声が聞こえづらく感じている

 

などです。
喫茶店などのケ-スでは、この人はコミュニケ-ションが苦手と誤解されてしまう事も多いですし、このような聴覚の過敏な感覚から、「普通」の人には当たり前の気にならない音(量)であっても、その全てが同時に耳に入ってくるが故に、外出などでは体調も悪くなる事もあり、また疲労も多く感じるため、人付き合いが苦手、あるいは、状況に合わせられないなど、「普通」の人には原因が分からないが故に、誤解を受けてしまうケ-スが多い、という事です。

 

そして、視覚に関してですが、これは外の光が眩(まぶ)し過ぎ、時には痛みすら感じている時もある、というものです。
また、視覚に関しては次のようなケ-スもあります。

 

・ 会話の時に相手から目を逸(そ)らすのは、相手の顔からの情報が入り過ぎて、自分の中でその情報を処理する事が出来なくなってくる。そして、自分の話したい事を整理するのに時間も掛かり、その処理や整理をしている事で、「普通」の人より多くの疲労を伴う

 

というものです。
そして、このケ-スからも、周りの人からはコミュニケ-ションが苦手と誤解されてしまう要因にもなっているとの事です。
そして、このように情報が一気に入ってくるために、最初に何を話して良いかなどが分からなくなり、空気が読めない人、との誤解も多くなるそうです。

 

また、この「感覚過敏」には、洋服の色や素材の違いなどで、身体が過敏に反応してしまうが故に、洋服一つ取っても、着る物が限定されてしまったり、それが故に、見た目や外見という印象による誤解も受けやすくなる。
あるいは、小さなお子さんなどでは、感覚が過敏なため、散髪をする事においても苦痛を感じている。
また、逆に感覚が鈍感になるケ-スもあるため、熱さなどの種々の危険性についても気づきづらいケ-スもあるとの事です。

 

それでは、次は、学校の授業などで上の空であったり、落ち着きがないと言われるケ-スですが、ご本人の中では、以下のような流れになっているとの事です。

 

① 最初はちゃんと授業を聞いている

② その内、ポスタ-などの掲示物に意識が向き、そこに集中してしまう

③ そうしている内に、隣の子のカバンが可愛いなぁなど、また別の対象に意識が向き、そこに集中してしまう

 

このような流れから、ご本人の内心とは違って、やる気がない、あるいは、中途半端などの誤解を受けやすくなってしまう、との事です。
また、感情のコントロ-ルや気持ちの切り替えが苦手な面(時間を要する)がある事により、どうして良いのかが分からずパニックになってしまうケ-スなどでは、周囲の人の反応に、誤解という拍車が掛かってしまう事も多々起こりがちになります。

また、視覚における「感覚過敏」から、眩し過ぎて目が疲れてしまい、黒板から目を背ける、あるいは、聴覚においては、様々な音が同時に、そして、大音量で入ってくる事により授業に集中出来ない、というケ-スもあります。

そして、これが大人の場合ですと、本心では綺麗に片付いているのが好きだし、そのように整理整頓したいと強く思っているにも関わらず、やり方が分からなくなってしまう、何から手を付け始めればよいのかが分からない、あるいは、取りかかっている内に別の対象に意識が集中してしまう、また、ソコソコで良いという基準や判断が付かない、などのようなケ-スもあるそうです。

 

そして、読み書きなどのケ-スにおいては、「3文字」以上になると難しく感じるケ-スが多くなるそうです。
例えば、「いちご」という言葉では、「普通」は「いちご」という文字を目で捉え、「いちご」という読み方と、「いちご」の映像が一致する事により、最終的に「いちご」であると認識しているそうですが、しかし、

 

「さくらんぼ」の場合では、「さくら」で一旦区切るのか?、あるいは、「さくらんぼ」の後にも意味が続くのか?

 

などのように、文字なり文章なりを、どこで区切れば良いのかの判断に時間を要するため、勉強が出来ない(遅い)人、との誤解も受けてしまう事も多いそうです。
また、このようなケ-スにおいては、知的能力や理解力は充分に備わっているが、それをテストなどの形式において書き記す際には時間を要するが故に、これも点数が低くなってしまい、同じような誤解を受ける事もあるとの事です。

 

そして、このような小さい頃の学校における出来事に関しては、次のような言葉にご本人はとても敏感になっているそうです。
例えば、親御さんなどが周囲の人に、

 

学校に行けたり・・・行けなかったりで・・・(困っている など)

と、お話しているのを耳にしたり、あるいは、親御さんなどや周囲の人がご本人に向かって、

もう中学生なのだから・・・(ちゃんとしないと駄目だよ など)

 

などの言葉にとてもナ-バスになってしまうそうです。
そして、このようにお子さんが小さい頃の場合では、親御さんなどにおける悩みも起こる事は理解出来ます。
例えば、

 

・ 自分の子どもは好きだけど、時に、嫌いに感じてしまう事もあり、罪悪感を感じてしまう

・ 周囲の人の理解が得られない
例えば、「躾(しつけ)がなっていない」「甘やかし過ぎだ」「逆に教育が厳し過ぎるのでは」などと言われてしまう

・ 本音を言えば、ゆっくりと休みたい時もあるし、逆に親側(自分)のケアも誰かにして欲しいという本音もある

・ どうして自分の子どもは「普通」ではないのだろう?と考えてしまう

・ 親自身が、このような状況を周りの人にどのように伝えていいのか分からない
また、学校などでは、他の保護者の方が自分の子どもから聞かれた時に、どのように答えていいのか分からない

・ 父(男性)と母(女性)という夫婦間でも、家庭内の役割分担(ほとんどが母の役割という負担になっているのが実状ですが)がまとまらない、あるいは、どちらかがほとんど協力してくれない、また、症状や状況などの受け止め方の違いに大きな差異が生じている

 

など、様々に多岐に渡っています。
親御さんなども同じ人間ですし、このような感情が湧き出るのも自然な事でもあり、当然の気持ちである事も、皆さんもよく理解出来る事かと思います。
これは、ある意味、介護という状況と重なっている側面も多々あると感じます。
そして、ご本人及び親御さんなどの中で様々な状況が積み重なっていく事で、

 

もう・・・何が分からないのかが・・・分からなくなっている

 

という心情が募(つの)ってくる面もあります。
そして、

 

周囲の人に伝えた方が良いのか?・・・あるいは・・・伝えない方が良いのか?

 

という葛藤も起こりがちになり、発達障害という存在そのものや、あるいは、そこから引き起こされがちになる振る舞いなどが、周りの人へも(障)害を引き起こしているのでは?という風に考えがちになる事が多いそうです。
このお気持ちもよく理解出来ます。
そこで、この発達障害による振る舞いなどが周りの人へも(障)害を引き起こしているのでは?という点に関しては、いわゆる「普通」の人の社会や職場などを振り返る学びの視点としても同時に捉えてみて下さい。
それは、

 

「普通」の人と称されている社会や職場などで・・・

なぜ、これほどまでに・・・

セクハラやパワハラやイジメなど(の害)が横行しているのか・・・

 

この視点においては、発達障害から引き起こされる状況とは全く違う事が分かります。
なので、親御さんなどの側におけるお気持ちもよく理解出来ますが、周りの人に与える影響を「(障)害」と捉える必要性はありません。
先ほどの「感覚過敏」などでも、それが周りの人に対して、(障)害をなすような性質のものでしょうか・・・・
勿論、多動症などのケ-スにおいて、他の子の授業を妨げているのでは?・・・と、お考えになるお気持ちも理解出来ます。
ただ、その本質部分においては、(障)害をなすものではなく、対処していく(対処していける)ものと私は考えますが、皆さんはどのように考えるでしょうか・・・
そして、何かを引き起こしている時の・・・動機の違い・・・

 

そして、今、学びの視点として問題提起を致しましたが、今回のTOPICSにおいて、本当にお伝えしたかったポイントはここにあります。
それは、

 

二次障害を防ぐ

 

という事です。
この二次障害とは、周囲の人の理解が得られない、あるいは、理解を得られないだろうとの思いや、何かとても迷惑を掛けているのでは・・・、などの感情が強く溜まり過ぎたりする事により、そして、誤解を誤解のままでやり過ごされてしまう事により、ご本人のみならず、親御さんなども含め、

 

うつ・不安障害・強迫性障害・PTSD(トラウマ)・不登校・引きこもり など

 

を引き起こしてしまう可能性が出てしまう事です。
そして、よく考えてみて下さい。
このような二次障害は、先ほどの、セクハラやパワハラやイジメなどでも同様の事が起こっています。
そして、時には介護の場面などでも起こりがちな問題です。

 

今回の発達障害というテ-マにおいては、一つの決まった解決方法がある訳ではありません。
それは、一人一人症状や内容が違うという点も含めてですが、これは、

 

自分に合ったやり方で良い

 

という意味が込められています。
そして、「感覚過敏」などでは、光を出来るだけ和らげるためにサングラスを掛けたり、あるいは、周囲の騒音を減らすためにノイズキャンセリングのイヤホンなどを活用している方も多くいらっしゃいます。
これは、眼鏡を掛ける、補聴器を活用する、などと全く同じ事です。
また、どうしても片付けが苦手な場合に、人という支援やサポ-トを受けるのも同じ事です。
あるいは、計算が苦手な場合は電卓を活用する人もいますし、読み書きが苦手な場合ではパソコンやスマフォなどを活用している方もいらっしゃいます。

 

そして、このような補助具を活用する際でもそうですが、ご本人や親御さんなどにおいては、もし出来るのであれば、そして、出来る範囲内で構いませんので、

 

周りの人に状況や内容を伝えてみて下さい

 

中には理解出来ない人、あるいは、理解しようとしない人もいる事と思います。
しかし、

 

必ず、理解してくれる人、理解しようとしてくれる人

 

は存在します。
これは、先ほどのイヤホンのケ-スなどでも、授業中に何も状況や内容を伝えずに活用していれば、音楽を聞いていると誤解されてしまう事と思いますが、ありのままを伝えれば必ず理解されます。
そして、特にご本人さんにとっては周知の事かと思われますが、見た目や外見で発達障害と分かる部分が少ない事から、

 

「普通」と称されている人は、伝えて貰う、あるいは、教えて貰わないと、なかなか気付けない

 

という面があるのも事実です。
これは私自身も同様に、やはり、お伝えして貰わないと気付けない点もあると感じます。
これは、ご本人及び親御さんなどや、そして、「普通」と称される人の間においても、

 

まずは、出来る範囲内で構わないので、お互いにコミュニケ-ションを取ってみる

 

という姿勢が共通してくると感じます。
そして、発達障害というケ-スでも、集中力がある、新たな視点や発想力がある、数字に強いなど、「普通」の人よりも能力という個性が格段に高いケ-スもある事などから、近頃では、その能力という個性を率先して発揮して貰うような雇用をしている会社も増えてきています。

また、外国においては、ある時間帯では、店内の音響や照明を少し落とす事によって、発達障害の方も、買い物という社会生活を出来るだけ負担が少なく行えるような取り組みをしている地域も出てきています。
そして、このような様々な取り組みが少しづつ現れ始めている中で、ご紹介した番組の中で、ある方が次のようにおっしゃっていました。

 

出来るだけ負担や疲労が少なくなるよう、自分なりに予測を立てて行動する事で、幾分は安心して楽にもなる

その一方で、

あらゆる事態を前もって避けようとするだけではなく、自分の成長ために新たな挑戦心も同時に持っている

 

と。
つまり、

 

「普通」と称されている人々が様々な配慮をしてくれる事は、とても有り難いが

その一方で、

(成長という)可能性を止めてしまう事は別でもある

 

と。
そして、このような事を、どのように実現していけるのかは、やはり先ほどのように、

 

お互いにコミュニケ-ションを取る

 

という事が必要になってきます。
そして、今では、見た目や外見では障害が分かりづらいケ-スのような場合には、赤地に白色で「プラス(十字)」と「ハ-ト」が記載された「ヘルプマ-ク」というのもありますので、特に「普通」と称されている人の側の方が、これを知っておくだけでもコミュニケ-ションの出発点としても活用出来ます。
そして、このような言葉が、ご本人や親御さんなどにおいて助力になる事は少ないのかもしれませんが、

 

(発達障害という状況などにおいても)必ず他の人々に恩恵も与えている

 

という点は覚えておいて頂ければと感じます。
これは、先ほどからの、発達障害から学べる視点の中に、パワハラやセクハラやイジメ、あるいは、介護の場面などでも、共通に含まれている「問題提起」及び「解決の糸口」という側面があるからです。
また、「普通」の人が陥りがちな傾向として、

 

出来て当たり前

 

という事も挙げられます。
これは、発達障害の方に限らず、「普通」と称されている人の中でも「悩み」と感じている方々は、実は、とても多いです。
そして、両者に共通している「解決の糸口」の一つとしては、

 

(出来る事が当たり前なのではなく)出来る事を積み重ねていく

 

という視点の切り替えです。
これは誰もが、どのような事であれ、子どもの頃から行ってきている事でもあります。
そして、これも両者に共通する、ある種の永遠の問い掛けというのも存在しています。
それは、

 

「普通(あるいは、人並み)」って・・・何なのだろう???

個性(性格)と・・・他の人とは違う(障害なども含め)・・・という線引きは何なのだろう???

本当に、そのような線引きは存在するのであろうか・・・???

 

そして、今回ご紹介した番組の中で、ある中学一年生の男の子が、次のようにお話していました。

 

「 自分と障害は別ではないし、(障害は)敵でもない。

上手く付き合っていけたら、気持ちは楽になる。

自分の事を知れば、(ちょっと)楽になる。 」

 

今回のTOPICSにおいては、敢えてカギ括弧で「普通」と書き連ねてきました。
そして、この男の子の言葉にある、

 

自分の事を知れば・・・

 

という点に関して、「普通」、あるいは、大人の場合でも、「自分の事を知る・・・」という事に、目を逸らさずに、どれだけ取り組んでいるでしょうか・・・???(笑)

2018年6月16日 05:06

ソウルメイトに出逢うには・・・ ~ ツインソウルとの違い ~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、セミナ-や講座などでの雑談においても、ソウルメイトという話題は比較的よく出てきます。
今の旦那や恋人がソウルメイトだと思ったのに違っていた!・・・などのご感想をお持ちの方もいらっしゃいます(笑)
ソウルメイトには、運命の人、あるいは、一生を共に過ごす人などの、どこか神秘的でロマンチックな関係を求める気持ちも分かります。
最近のスピリチュアルな書籍などでは、ソウルメイトはどちらかと言えば、

 

あなた自身を、よりよく知る為に巡り会う人で・・・

必ずしも、恋人などとの関係性とは限らない・・・

と言うよりも、どちらかと言えば・・・

あなたの中にある嫌な面を見せてくれる(気づかせてくれる)人との出逢いでもある・・・

 

という風に、かなり率直に述べられる事が多くなってきています。
これはこれで真実の一側面でもありますが、今回のTOPICSにおけるソウルメイトに関しては、皆さんのご自由に、ロマンチックな夢を追い求めて頂いても構いませんので(笑)

そこでまず、ソウルメイトと誤解される事の多いものに、ツインソウルという概念があります。
このツインソウルとは、

 

一つの魂が2つ(ないしは複数)に別れ・・・

成長や進化の加速を促すために・・・

複数の視点から同時代を共に生きる魂・・・

 

と言われています。
個の身体を持った人間としては、なかなか理解や実感を伴うのは難しい事かとも思います(笑)
そして、このツインソウルは同時代を共に生きると申しましたが、実際には、

 

それぞれの人生において、相手と出逢う事は・・・ほぼ・・・ない・・・

 

とも言われております。
これは、よく二つに別れた魂が、それぞれ、北半球と南半球で人生を送るような例えが用いられたりします。
勿論、必要性があれば出逢う事もありますが、一人の一度の人生で北半球と南半球の両方を満喫する事は至難の業なので、このように、お互いが出逢う事なく、それぞれの人生を全うさせる為とも言われています。

そして、ツインソウルに関しては、双子の魂などと呼ばれる事もありますので、同時に産まれ、同時に他界する、と思われている方も多いかもしれませんが、

 

それぞれが独立した人生(経験)なので、それも当てはまらない

 

と言われています。
言わば、一つの同じ魂であるにも関わらず、

 

片方は人生(経験)が続き・・・

もう片方が先に他界したとしても・・・

先に他界した方は、続いているもう一方の人生のサポ-ト役に回る事も出来る・・・

 

という、やはり成長や進化を加速させる目的に沿う事にもなります。
ちなみに、私も数多く前世療法などをさせて頂いておりますが、まだ、このツインソウルの前世を思い出した人には出逢っておりません(笑)
そのような意味からも、ツインソウルという経験は稀にしか起こらない、と言われるのもそれなりの理由がある事かと推測されます。

 

そして、今回のテ-マのソウルメイトですが、これも家系図のように、元を辿っていけばツインソウルのような繋がりにもなりますが、そこまで拡大すると混乱するかと思われますので、今回は、それぞれ別の魂と捉えて頂いて大丈夫です。
そして、今回のテ-マは「出逢うには・・・」としておりますので、その方法?を考えていきます。
言わば、今回のテ-マは、ソウルメイトに、

 

出逢いやすくなる・・・

ないしは、

出逢った時に気づきやすくなる・・・

 

という側面で捉えて頂ければ幸いです。
そこでまず必要になる意識は、ソウルメイトと出逢うには、

 

あなたが出逢う人の全てが、ソウルメイトである

 

という視点を持つ事が、やはり大切になります。
この視点を意識するかしないかで、気づくかどうか、という点に関わってきます。
ただ、出逢う人は全てと言っても、道ですれ違う人などはあまり意識する必要はありませんのと、家族は除いて頂いて結構です。
真の意味のソウルメイトでは家族も当然含まれるのですが、ロマンチックな視点という意味では、家族にロマンチックな関係を求めたら大変な事になりますので(苦笑)
そして、ここからが出逢う為の方法?ですが、

 

ソウルメイトには条件を求めない

 

という事です。
ロマンチックな意味でのソウルメイトにおいては、例えば、

 

背が高くて・・・
格好良くて・・・
優しくて・・・
自分だけを愛してくれて・・・
なおかつ、お金持ちであれば・・・

 

などの、条件を設ける人もいらっしゃいます(笑)
勿論このような事が悪い訳ではありませんが、このようにソウルメイトという相手に条件を設けるという事は、

 

それ以上に・・・

自分自身に対して条件を設ける事になり・・・

それ以上に・・・

出逢う可能性を制限してしまう・・・

 

という方向に繋がっていきます。
つまり、あなたがソウルメイトに条件を設けた段階で、

 

相手のソウルメイトもあなたに条件を設ける

 

事になるからです。
そして、何故このような事が起こるかと言うと、ソウルメイトを探す際に一番見落としがちな視点ですが、

 

あなたも誰かのソウルメイトである

 

という点を忘れてしまいがちになっている、という事です(笑)
つまり、あなたが・・・背が高くて・・・格好良くて・・・お金持ちで・・・などの条件を設けるという事は、

 

あなた自身がそうならない限り(その条件を満たさない限り)、相手もあなたを見つける事が出来ない

 

という流れになっていくからです。
そして、このような無意識ながらも条件を設けるという事は、家族や職場などの相手にも頻繁に行われている事でもあり、これが、

 

人間関係を円滑に進めなくさせている理由の一つ

 

にもなっています。
これは、多くの方が経験されている事とも思います(笑)
ここ迄で、出逢う人の全てがソウルメイトである、そして、ソウルメイトには条件を求めない、という二点をお伝え致しましたが、3つ目がおそらく多くの方が難しい?と感じられる点かもしれませんが、それは、

 

あなた自身が・・・自分は完璧である・・・と、認識する

 

という事です。
自分は完璧である!・・・なんて思うのは無理がある、あるいは、おこがましい、傲慢になってしまいそう・・・などのご感想も出る事でしょう。
また、自分が完璧であれば、これから先、成長する事も、学ぶ事もなくなってしまうのでは?と思われる方もいらっしゃるかと思います(笑)
しかし、そうではありません!

 

「今」のあなたは・・・

「今まで」のあなたが結晶化したものであり・・・

「これから」のあなたは・・・

「今」のあなたから結晶化されていく・・・

 

からです。
今回のテ-マになぞらえて、クリスタルなどで用いられる、ロマンチックな響きのある結晶化と表現しました(笑)
そして、先程からの、相手に条件を設けない事と、自分を完璧であると認識する事とは、実は、

 

表裏一体の関係

 

である事にお気づきになられましたでしょうか?(笑)
つまり、自分には欠けている点が多々あると思っていながら、相手を探そうとすると、

 

その欠けている部分を、より知らしめる(気づかせてくれる)相手と出逢いやすくなる

 

という、真のソウルメイトの意味での出逢いを引き寄せやすくなるからです。
これが、最初にお伝えした、ソウルメイトとは、

 

あなた自身を、よりよく知る為に巡り会う人・・・

 

という側面が強く働く事になるからです。
より積極的な表現を用いると、

 

あなたが欠けていると思っている点を・・・

それを克服させるお手伝いをする為に・・・

同じように欠けている点を持っている(あるいは、気づかせてくれる)人が現れる・・・

 

という事です。
そして、あなたが相手に多くの条件を求めるとすれば、相手のソウルメイトもあなたに多くの条件を求める出逢いとなり、

 

結果的に・・・あの人は・・・私のソウルメイトではない・・・

 

という風に、気づかずに終わってしまうケ-スが多くなってしまいます。
そして、これは誤解の無いようにお伝え致しますが、あなたが自分自身を完璧と認識する事と、

 

相手に完璧さを求める事とは違う

 

という事です。
これは、あなたが自分は完璧と認識する事により、それにふさわしいソウルメイトに出逢いやすくなる事は確かですが、

 

完璧さという新たな厳しい条件を相手に設ける事は・・・本末転倒

 

になってしまいます(笑)
そして、

 

ソウルメイトに出逢うというのは・・・

ゴ-ルではなく・・・

新たなスタ-トである・・・

 

という点を理解する事も役に立ちます。
そして、今の自分が完璧であると認識するには、

 

「今まで」の自分を(ひとまず)あるがままに受け入れ・・・

「今」という完璧さをも受け入れる事により・・・

「これから先」の更なる完璧さを積み上げていく・・・

 

という成長に繋げていくという事です。
つまり、ソウルメイトとは、

 

お互いの欠けている部分を補い合うのではなく・・・

共に、成長を遂げていく為の良きパ-トナ-となる・・・

 

という意味合いです。
人、あるいは、魂には広大な幅がありますので、実際にソウルメイトに出逢ったと気づいた際には、自分には持っていない個性に惹かれる事もあるでしょうし、相手もあなたに対して同様に思う事もあります。
また、お互いに足りない部分を補い合いながら人生を歩んでいく事も真実です。
そして、自分を「今の時点」で完璧と認識するという真の意味合いは、欠けている部分を埋めたり、あるいは、短所を消すという意味ではなく、よく言われるように、

 

お互いに伸びしろの部分を伸ばしていく

 

という事になります。
なので、「今」の自分が完璧であると認識する事によって、それにふさわしい完璧なソウルメイトに出逢ったとしても、それがゴ-ルではなく、新たなスタ-トであると理解する事によって、更なる成長や学びを共にするにふさわしい人と、それから先も共に人生を送る事が可能になります。
そして、これは結婚という制度(離婚も含め)に縛られるものではありませんし、LGBTの方々同士の出逢いも同様です。
なぜなら、

 

魂に性別は無い

 

からです。
おそらく、結婚は墓場・・・という表現が使われるのは、ゴ-ルとスタ-トを捉え違えている事から来ている事かと思います(笑)
そして、出逢う人の全てがソウルメイトとして接するというのは、

 

あなたが、今まで出逢った人、そして、これから出逢う人の中には・・・

前世(過去世)でソウルメイトであった人・・・

来世でソウルメイトになり得る人・・・

 

も含まれているからです(笑)
そして、ソウルメイトに出逢う際の一番のポイントは、

 

「今」の自分自身を愛し・・・

「今」を出来る範囲内で充実させ・・・

 

そして、これが一番難しく感じるかもしれませんが、

 

「期待」を手放す・・・

 

というのが近道でもあり早道でもあると言われております(笑)

2018年6月9日 12:06

見落としがちな盲点?に気づいて「二次被害」を防ぐ

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、皆さんは日々のニュ-スなどにも関心を持っていらっしゃいますでしょうか?
お仕事などで忙しくて、あまりニュ-スなどを観る時間もない、あるいは、大きな出来事であれば目に入る事もあるが、小さな出来事までは目が向かない。
また、最近はあまりにも色々な出来事が多すぎて、ニュ-スなどに触れるのもウンザリだ・・・という方もいらっしゃるかもしれません(笑)

 

そこで今回の「見落としがちな盲点?に気づいて「二次被害」を防ぐ」というテ-マですが、これは、ニュ-スなどに関心を向けて欲しい、という意味合いではありません。
今回の趣旨は、身近な出来事における、見落としがちな盲点?に気づく事によって、他の人の状況や気持ちを考える素材として頂ければとの意味合いです。
そして、私達は、私自身の自戒も込めて、

 

悪気もなく・・・直接に非難している訳でもないのに・・・誰かを傷付けている事は・・・(よく)あり得る

 

という点に、どのように気づいて、そのような「二次被害」を如何に防いでいけるかを、考えて頂ければと思います。
そこで、先日、90歳の女性の方が、車の運転中に歩行者に突っ込んでしまい、死傷者が出てしまったというニュ-スが流れておりました。
事故当日のニュ-スでは、この女性の方は、

 

赤信号と気づいていたけれども、急いでいたので車を進めてしまった

 

とのお話をされていたとの報道がなされていました。
そして、翌日からのワイドショ-などでは、認知症などの傾向も見られないし、車の運転には能力差もある事から、一概に高齢者の運転による事故という風に扱う訳にもいかないのでは?などの論評も出されておりましたが、ほとんどは、免許証の返納制度や、肉体の認知的機能の話題として方向が進められておりました。

 

そこでまず、今回のテ-マにおいては、高齢者の車の運転の是非を扱っている訳でも、全くありません。
認知的機能という観点においても、私から見れば、あおり運転などをしている人の方が、よほど通常の認知的機能が衰えている、あるいは、全く無いのでは?とも思えてしまいます。
そして、先日、この事故の続報として、次のような事が、ほんの少しの見出しでニュ-スなどで報じられていました。
それは、この事故を起こした女性の方が、

 

自動車修理工場を出る時に、従業員の方が見送ってくれていたので、急がなければと思ってしまった

 

と、事情を説明しているとの内容でした。
そして、この説明が、ほんの僅かではありますが、ニュ-スの見出し(テロップ)としても流れていました。
そして、この報道内容を観た時、私は「二次被害」という点に目が向きました。
では、ここまでの状況で、皆さんは、この「二次被害」という観点について、どう思われるでしょうか?

 

「二次被害」なんて出てないんじゃないの?単に事故原因が分かり始めてきたというだけの事ではないの?などのご意見もあろう事かと思います。
それはそれで全く構いません。
私もそのように思う点も含まれております(笑)
では、私が「二次被害」という点に目が向いたポイントは、まず、この女性の方のお話の中にある、

 

・・・従業員の方が見送ってくれていたので・・・

 

という点です。
まず、これは、この事故を起こした女性の方の素直な心境であろうとも思いますし、ここに「二次被害」を生み出そうなどの悪気や意図も全くありません。
そして、私がこの「・・・従業員の方が見送ってくれていたので・・・」という点に目が向いたのは、

 

私にも、この女性の方の心境は理解出来る

 

からです。
なお、お断り致しますが、事故の原因は赤信号無視が大きいですので、この点に関しては弁解の余地もないでしょうし、その点を理解出来るという意味ではありません。

と言うのも、私もガソリンを入れてガソリンスタンドなどを出る時に、従業員の方が車の注意も兼ねて見送ってくれる事はありますが、その時に、

 

何か、急がなければ・・・

 

と思ってしまいます(苦笑)
また、洋服などをお店で買うと、時折、そのお店のスタッフの方が、商品を出口まで持って、その後も深々とお辞儀をされたりすると、

 

早く、こここから立ち去りたい・・・

 

とも思ってしまいます。
皆さんは似たような経験はありませんでしょうか(笑)
勿論、従業員やスタッフの方は、感謝の心映えとして行っている事でもあり、悪気などが全くない事は百も承知です(笑)
ただ、この事故を起こした女性の方の、「・・・従業員の方が見送ってくれていたので・・・」という言葉を考えると、

 

そのような心境になる状況は、私達の身近な所でも頻繁に起こりがち?でもある

 

という点は全く一緒であるという事にもなります。
そして、これが何故「二次被害」に繋がるかという点は、この、「・・・従業員の方が見送ってくれていたので・・・」というニュ-スの見出しを、この従業員の方がご覧になった時に、

 

もしかしたら、事故を起こした根本原因は、私にあるの・・・?

 

と、罪悪感を感じたり、悩んでしまうかもしれない・・・・という点です。
繰り返しですが、この事故を起こした女性が、事故原因をこの従業員の方に押し付けようとしている訳でも全くありませんし、この従業員の方に責任がある訳でも全くありません。
そして、このような報道をした側も、事故原因の一つとして判明してきたお話を伝えているだけであって、そこに悪気がない事も理解出来ます。
ただ、もし仮に、この見送った従業員の方が、「・・・見送ってくれていたので・・・」というお話を耳にした時に、

 

その方は、どのように感じてしまうだろうか・・・?

 

との点は、少し想像力を活用する事で、不要な「二次被害」というのは、防げる事案であるのかもしれません。
そして、もし、あなたが、この従業員の方の立場であれば、そのような報道内容を聞いてしまった時に、

 

どのように思い・・・どのように感じるであろうか・・・

 

という点に着目する事が、まず、想像力を活用するという手始めにもなります。
赤信号を無視したという点は除きますが、事故当時の状況を素直に話す事が責められるものではありませんし、それを報道する側にも悪気がないのも、当たり前で自然な事です。

そして、警察の方はこの従業員の方に当時の状況をお聞きするという事はしていると思いますが、報道した側がこの従業員の方のその後の心境などを窺う事は、まず持って無いかと思われます。
それ故に、仮に、この従業員の方が、あらぬ「二次被害」を受けてしまったとしても、それが世に伝えられる術も無い事と感じます。

特に、SNSが発展している現代では、様々な根拠の無い憶測や推測がはびこりやすく、あらぬ誹謗中傷で心身が傷付けられてしまうケ-スも残念ながら存在しています。
そして、これは報道に限った事ではありませんが、今回のケ-スから学び得る一つの視点としては、

 

私達の誰もが、少なからず周りの人に影響力を持っている(与えている)

 

という事を自覚するのに役立つかもしれません。
これは、会社や職場における上司や先生なども勿論ですが、家族の中でも影響力というのは反映されています。
例えば、職場における次のようなケ-スを想像してみると、どのように感じるでしょうか?
上司をAさん、あなたの同僚がBさん、そして、あなたがCさんと仮定します。

 

上司のAさん:「Bさん、先日提出して貰った書類だけど、間違いが結構あったけど、何かあったの?」

同僚のBさん:「その日、Cさんから飲みに行こうと誘われて、急いで作業したからかもしれません」

Cさん(あなた):「・・・???」

 

あなたはこのようなケ-スの会話が、自分の預かり知らぬ所で交わされていたとしたら、どう思うでしょうか?どう感じるでしょうか?
また、何か反論と言うか・・・私の話も聞いてよ!などと思いませんか?(笑)

そして、今回の事故の報道に関しては、ある意味、他に適切な方法はないのかもしれませんが、しかし、職場や家庭などの身近な環境においては、あらぬ噂のような「二次被害」という不要なトラブルの元は防ぐ事が充分可能です。
それは、

 

コミュニケ-ションの隙間を埋める

 

事で可能になります。
そして、この隙間を埋めるというのは、トラブルになりがちなケ-スの多くは、

 

コミュニケ-ションが取れている部分からではなく・・・

お互いにコミュニケ-ションを避けている部分から・・・

 

起こりがちになるからです。
コミュニケ-ションが取れている部分については、意見の違いなどが分かりやすくなりますので、善処の方法が見つけられますが、コミュニケ-ションが避けられている部分に関しては、

 

全てが(勝手な)憶測や推測で判断されていく

 

という傾向が強くなります。
そして、得てして、コミュニケ-ションがなされていない隙間を、憶測や推測する時に起こりがちなのが、

 

自己憐憫などの感情が湧き出てきやすくなる・・・

 

という点です。
そして、行き着く先には、

 

どうせ話しても理解して貰えないだろう・・・という諦め

 

に向かってしまう、という事にもなりかねません。
そして、コミュニケ-ションにおいては、取れている部分であろうが、隙間であろうが、ネガティブに働いてしまう時には、

 

感情を入れ込み過ぎている

 

という点も見受けられます。
そして、これを防ぐには、

 

表現力や語彙を豊かにする

 

という方法が効果的です。
思っている事を、的確に上手く伝えられない時というのは、イライラしがちになるのは私自身にも経験があります(笑)
そして、上手く伝えられないとの思いが、コミュニケ-ションを避けるようになる、大きな要因ともなり得ます。
そして、行き過ぎた感情においては、もしかしたら今回の事故の報道のケ-スにおいては、従業員の方が「・・・見送ってくれていたので・・・」という言葉が伝えられている事により、

 

私は悪くないのに、何なのよ!
人のせいにしないでよ!

 

との方向に感情が揺さぶられてしまっても致し方ない面もあるかもしれません。

コミュニケ-ションに完璧もありませんから、神経質になる必要性もありませんが、是非、あなたの身近な出来事から、このような双方に悪気が無いようなケ-スにおいて、不要なトラブルなどを起こしてしまうような体験をせずとも、今回のようなニュ-スなどからも「他者の気持ちを推し量る」というキッカケ作りが出来るケ-スも多々ありますし、自分自身も影響力を持っている、という点を考えるキッカケにしてみて下さい(笑)
そして、今回のような、見落としがちな盲点?というのも、

 

実は、自分の中にあるもの

 

という点に気づく事で、あなたのコミュニケ-ション能力は、格段に高まっていく事と思います(笑)

2018年6月2日 01:06

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