夢の中で見る、さらなる夢の真実?は・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

気温が次第に高くなってくるにつれて、寝苦しい夜も増えてくる事かもしれませんが、皆さんは、よく眠れておりますでしょうか?(笑)
そこで、今回は「夢の中で見る、さらなる夢の真実?は・・・」というテ-マをお届け致します。
ところで、このテ-マだけでは、どういう事かあまりよく分からないという方もいらっしゃる事かと思います。
今回のテ-マは、例えば次のようなケ-スです。

 

あ~ 夢だったのか!・・・

と、思ったそれも・・・

(また)夢だったのか!・・・

と、目覚めて、初めて気づいた時・・・

 

というものです。
皆さんは経験ありますでしょうか?
私も多くはありませんが、数回ほど経験しておりますが、このような夢から目覚めた時、

 

奇妙な?疲労感・・・が残っている・・・

 

という感じが、私の場合には当てはまります(笑)
ところで、余談になりますが、前回のTOPICSでもご紹介致しました、「SUPERNATURAL(ス-パ-ナチュラル)」というドラマの中で、次のような内容がありました。

 

弟が、兄が死んでしまった!という夢?を見て・・・
火曜日の朝に飛び起きます・・・

そして、その火曜日を過ごしていくと、まるで予知夢のように、兄が死んでしまいます。
そこで、兄が死んでしまった!との夢?を見ていたかのように、兄が死んだ瞬間に、

また、火曜日の朝に目覚め、飛び起きます・・・

 

そして、これが何度も繰り返されるので、弟は兄を死なせない為に、目覚めた後の火曜日の出来事を変えようと必死になります。
既に何度も火曜日の出来事を繰り返し夢?で見ているので、予め起こる出来事を知っている事から、そのような状況を変えていこうと孤軍奮闘していきます。
しかし、いつも、兄が死んでしまった!という瞬間に、

目覚めて、飛び起きると・・・また、火曜日の朝・・・

 

と、延々と繰り返されていきます。
幾度も、兄の死を変えようと試みても失敗し、あらゆる可能性を考え、手を尽くしても、兄はその都度、何度も死んでしまい、その瞬間に、

目覚めると・・・また、火曜日の朝だった・・・

 

と。
当然の事ながら、ここまで何度も変えようと試みて、その度に失敗し、失敗した瞬間から、また火曜日が始まるの繰り返しで、疲労困憊です(笑)
そこで、弟は、兄の死を変えようと試みるのではなく、その原因を突き止めよう!と、夢?の中での行動を変えていきます。
そして、その原因となっていたのが、

 

トリックスタ-

 

というものでした。
なお、トリックスタ-というのは、神話などで描かれているイタズラ者という意味ですが、秩序を破壊する一方で、人々に智慧をもたらす創造者でもあり、日本語風に表現すると、「必要悪」?のようなイメ-ジに近いかもしれません(笑)
もしかしたら、2018年の後半においては、良かれ悪かれ?この言葉をTVなどで耳にする事が増えるかもしれません・・・(苦笑)

 

話が逸れましたので、元に戻します(笑)
夢には幾つかの性質や、それぞれの特徴というものがありますが、その多くは、潜在意識が司っています。
このTOPICSにおいても、顕在意識と潜在意識に関しては、幾度か取り上げておりますが、今回のテ-マの夢に関係する、それぞれの意識の特徴においては次のような事が当てはまります。

 

顕在意識は、物事を「時間的」に捉えている
つまり、
過去 → 現在 → 未来 というように、一直線に流れている

一方、

潜在意識は、物事を「無時間的」に捉えている
つまり、
過去 ← → 現在 ← → 未来(過去 ← → 未来 も含め)というように、全ては同時に起こっている

 

というような、捉え方における機能の違いがあります。
そして、私達が夢を夢として認識(処理)する際には、次のような流れになっていると考えます。

 

潜在意識 → 顕在意識 → 脳

 

と。
そして、私達の多くは、目覚めてから見た夢を振り返って見ると、何かオカシナ夢だったな?訳の分からない夢だったな?辻褄が全く合わない夢だったな?と判断や認識する事が圧倒的に多くなります。
これも、先ほどの「潜在意識 → 顕在意識 → 脳」という流れから、

 

私達が見ている夢の中の、登場人物や出来事というのは・・・その人にとっての「シンボル・象徴」

 

として見せてくれている事から起こっていると考えられます。
例えば、

 

潜在意識では「この世のものとは思えない色を見た!」・・・との「(実際の)体験」をし・・・

顕在意識では「この世のもので表現出来そうな、何か近い色はないかな?」・・・との「判断と分析」を加え・・・

脳では「(自分にとってのこの世ではない色は)金色!」・・・との「理解」をする(させる)・・・

 

ような感じに似ているかもしれません。
では、今回のテ-マの「夢の中で見る、さらなる夢の真実?」ですが、これはあくまで私の個人的な解釈に過ぎませんが、それは、

 

夢の中の2つ(あるいは複数)の出来事は・・・

実際に、2つの出来事を・・・

同時進行(並行)で体験していた・・・

 

と感じております(笑)
また、その理由としても、先ほどコメントした通り、

 

夢(の多く)は潜在意識が司っており・・・

その潜在意識の特徴は・・・

「無時間的」に物事を捉えているから・・・

 

になります。
そして、これも私個人の勝手な感じ方ですが、「奇妙な?疲労感」というのは、

 

潜在意識では、実際に2つの「体験」を行えている(出来ている)が・・・

顕在意識では、物事を「時間的」にしか捉えられないため・・・

2つの「体験」を、ひとまず分離させ・・・その後に、「時間的」に並べ替え・・・

その上で、その「体験」を・・・脳が「理解」するように(させるように)働く・・・

という、

 

普段では、ほとんど行っていない脳の処理作業による疲労感では・・・?

 

と考えております(笑)
そして、皆さんはあまり体験したくないかもしれませんが、この、脳における奇妙な?疲労感に近い事は、身近な事でも体験出来ます(笑)

現在のTVは、4Kあるいは8Kと、映像が格段に綺麗になっています。
そこで、私が以前に、ある白黒仕立て風のドラマを観ていた時の事です。
それは連続ドラマでしたので、普段はカラ-映像ですが、その放映回だけは白黒風に仕立て上げられていました。
普段見る登場人物は勿論カラ-ですが、その回だけは馴染みのある登場人物も白黒風です。
そして、見終えた後、私は何か疲れたなぁ~と感じました。
そして、気づきました!?

 

普段はカラ-映像で馴染んでいる人物が・・・

今回は白黒風である事によって・・・

脳が何とか(いつも慣れ親しんでいる)カラ-風に見せよう!見せよう!・・・近づけよう!近づけよう!・・・

と、働いていたのだなぁ・・・

 

と(笑)
実際の所は分かりませんが(笑)
そして、夢から目覚めた後に、何か疲れているなぁ、あるいは、何か気分が乗らないなぁ、などのケ-スでは、勿論、見た夢の内容にもよるかもしれませんが、

 

実際に夢で体験した事を、顕在意識と脳で強引に処理した結果・・・

 

と、時には捉えてみて下さい。
そして、必要以上に見た夢の内容に捕らわれ過ぎて、日常生活においても気分がパッとしない時には、

 

夢の内容のほとんどは、シンボル・象徴である

 

という点を思い出してみて下さい。
そして、今回のテ-マのような「夢の中で見る、さらなる夢」のケ-スでは、時には、

 

(前もって)2つの事柄を同時体験させている事で・・・

あなたは、どちらを選択しますか?・・・

との、メッセ-ジになっている事もあるかも・・・?

 

との、ポジティブな方面に捉えてみて下さい(笑)
そして、

 

自分が「意識」に捕らわれているのではなく・・・

「あなた(自分)そのもの」が意識である!

 

という点にも目を向けてみて下さい(笑)
そして、私達は日常における出来事や物事において、多くが自動的?あるいは機械的?にネガティブな方向に意味付けをする事に慣れてしまっている傾向もありますが、このような場合には、見た夢の内容にポジティブな意味付けを与えるという練習をする事によって、次第に、ポジティブな意味づけをされた夢と、日常の出来事や物事がポジティブな方向へと、リンク(あるいは、シンクロニシティ)していくかもしれませんので、よろしければ遊び心を持って試してみて下さい。

 

そして、ここで私の、後にも先にも体験していない、ある夢の内容を少しご紹介致します。
それは、私の母が他界した翌日、そして、翌々日に見た、2夜連続の夢でした。

母の病気が分かった後、色々な状況の変化もあり、母は少し心のバランスを崩した所もありました。
そのような要因からも、少し親類との仲も気まずいような関係になった時期もありました。
そして、他界した翌日に見た私の夢は、

 

どうして誰も理解ってくれないの!

というような内容であり、翌々日に見た夢では、

良かった!ちゃんと理解して貰えた!

 

というような内容でした。
そして、私はこの2つの夢の中で、

 

これは、自分の感情ではない・・・

 

という点に、「夢の中」で、何となく気づいていました。
これまでも、そして、その後も、

 

夢の中で・・・これは、自分の感情ではない・・・

 

という体験はしておりません。
この夢がどうなのか正直分かりませんが(笑)、もし、このような自分の感情とは違う!と気づいた夢を見た際は、

 

あなたの事を「大切に」思ってくれている誰か・・・

あるいは、

あなたの事を「頼りにしている」誰か・・・

 

からのメッセ-ジであるかもしれません(笑)
ちなみに、私は学生の頃に、よく殺される夢を見ていました(苦笑)
それは、時には銃で撃たれたり、雷が直撃したり、伴天連(バテレン)?のような格好の人に首を切られたり・・・と。
ただ、どれも肉体的に嫌な感じはあるのですが、不思議と?痛みは感じていませんでした(笑)
また、殺される夢と申しましたが、撃たれようが切られようが、その後の夢の続きでも、私の意識は変わらずに保たれたままでした(笑)

他にも色々ありますが、夢は本来あなたを傷付けるためのものではありませんし、自分自身が夢を創り上げているという点も理解していれば、どのような夢であっても、あなた自身に役立つようにも活用出来ますので、是非、今夜からも素敵な夢を見て下さい!(笑)

2018年5月26日 12:05

人生はあなたを「通して」現れる

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

GWの連休から少し経ちますが、お休みだった方も、お仕事であった方も、お疲れはございませんでしょうか?(笑)
どのような連休を過ごし、また、今をどのようなお過ごし方をされていても、人生は続いているかと思いますので、今回は「人生はあなたを「通して」現れる」というテ-マをお届け致します。

 

そこでまず、今は望めば様々な情報に接する事が可能な時代になっています。
そのような情報の中には、正しいものもあれば、間違っているものもあるかもしれませんし、また、正しい、あるいは、間違っているという単純な判別では語る事が出来ない性質の情報もある事かと思います。
そして、皆さんが様々な情報に接する際には、次のような観点を意識してみて下さい。
それは、

 

「誰が」伝えているのかではなく・・・伝えられている情報の「内容」に焦点を合わせる

 

という事です。
勿論、世の中には素晴らしい方々も多くいらっしゃいますので、「あの人」が伝えている「内容」だから、その情報に接してみよう!とのケ-スがあるのも自然な事ですし、それはそれで構わないとも思います。
ただ、

 

「あの人」という「誰か」に焦点を合わせ過ぎてしまうと・・・

あなたは・・・

あなた自身の人生を歩んでいる、という実感が薄れてしまう(かもしれない)・・・

 

というケ-スが起こってしまう事も稀にあります。
今までも、今回も、そして、これからのTOPICSも、書いてお伝えしている「私(瀬川)」は正直どうでも良い!と思って頂いて構わないという意味でもあります(笑)
つまり、有り難い事に、このTOPICSをお読み頂いている皆さんにおいても、

 

お伝えしている「内容」に役立つと思われる点があれば、ご活用頂くのも自由ですし・・・

「私(瀬川)」と同じ意見や考えを持つ必要性も全く無く・・・

「あなた」と「私(瀬川)」は違っても良い・・・

 

そして、

「内容」をご活用頂ける場合でも、あるいは、意見や考えが全く違う場合の、どちらでも・・・

必ず、あなたにとっての「真実」に結び付いている!

 

という、「あなた」にとっての「内容」に目を向けてみて下さい、という意味合いです(笑)
そして、このTOPICSを例に挙げましたが、様々な情報に接する際には、このような視点を持って、あまり「誰が」という点に意識を向け過ぎる事なく、「内容」の方にあなたの意識を向けてみて下さい、という意味合いでもあります。
そして、今回のテ-マですが、おそらく多くの方が次のような感じを持っているかもしれません。

 

人生における出来事の中に「自分」が存在している

 

と。
もっと直接的な表現を用いると、

 

人生における出来事の中に「自分」が置かれている(時には、放り出されている)

 

という感覚を持っている方もいらっしゃるかもしれません。
そして、これには別の見方も存在しています。
それが今回のテ-マである、

 

「あなた」の人生における様々な出来事の全ては・・・

「あなた」を「通して」現れている・・・

 

つまり、

人生における様々な出来事というのは・・・

「あなた」を「通して」しか、現れようがない・・・

 

とも表現出来るかもしれません。
そして、これを別の表現で置き換えたものが、

 

自分の人生は自分で創り上げている

 

というものですが、こちらの表現の方が妙に納得?出来る人の方が多いかもしれません(笑)
そして、ここで「質問」が出てくるかもしれません。

 

自分を「通して」と言っても・・・その「通す(通して)」という「方法」が分からない・・・

 

と(笑)
まず、結論ですが、

 

「通す(通して)」という「方法」をわざわざ学ぶ必要性はありません

なぜなら、

「あなた」は既に「通す(通して)」という「方法」を知っており、かつ、実践出来ているから

 

です(笑)
では、ここで「質問」を致します。

 

あなたは自分の人生において・・・

1分、あるいは、1秒でも・・・

自分の人生が途切れた・・・

 

という経験をした事がありますでしょうか?
別の表現で「質問」しますと、

 

あなたの人生において・・・

あなたが一瞬たりとも・・・

存在しなかった・・・

 

という事はありますでしょうか?のような感覚でも構いません。
これは、「記憶(の途切れ)」とは全く関係のないものですし、例えば、臨死体験などでも同様です。
そして、仮に、自分の人生において、10秒だけ途切れた経験がある・・・という方がいらっしゃるとすれば、

 

その人生における途切れを・・・

どのようにして・・・

再び、繋ぎ合わせる事が出来たのですか・・・?

 

との「質問」が出て来るかもしれません(笑)
もうお分かりの通り、ここでの、

 

「通す(通して)」という意味は、「創り上げる」という意味と全く同じ

 

です。
つまり、あなたが存在しているという事は、

 

あなたは、今までも・・・これからも・・・

常に人生を創り上げているのであって・・・

その「創り上げる」あるいは「通す(通して)」という「方法」を・・・

わざわざ学ぶ必要性はない・・

 

という事になります。
なぜなら、

 

あなたの人生は一瞬でも途切れた事はなく・・・

それは、今までも・・・これからも・・・

変わる事なく続いていくから・・・

 

です(笑)
では、このように、人生における様々な出来事が、あなたを「通して」現れている、あるいは、あなた自身が「創り上げている」という点が、多少なりとも理解出来たと仮定した際に、

 

でも・・・やはり人生における出来事には・・・分からない事も多々ある

 

という「思い」を持たれるのも自然な事でもあります(笑)
つまり、

 

人生には様々な「質問(や疑問)」も存在している

あるいは、

人生において様々に起こる出来事に、どのような「理由や意味」があるのか分からない

 

というのと、似たような感覚かもしれません。
そこで、このような点に関しては、次のような見方も存在しています。

 

「答え」があるから「質問」が存在する

つまり、これを別な表現で例えると、

「質問」には必ず「答え」が存在する

また、

「答え」のない「質問」は、そもそも存在し得ない

 

とも。
ところで、私は最近、アメリカのTVドラマの「SUPERNATURAL(ス-パ-ナチュラル)」というのを借りてきて観ています。
これは、二人の兄弟と悪魔との対決を描いた物語ですが、ある放映回は次のような内容でした。

 

二人の兄弟と他3人の方が悪魔の集団に取り囲まれて警察署内から脱出出来ない状態に追い込まれてしまいました。
そして、この窮地を脱するには、他3人のうちのAさんを殺せば(犠牲として差し出せば)、警察署を取り囲んでいる悪魔の集団は消失する、という提案をされます。
しかし、Aさんを犠牲として差し出すという事は出来ず、もう一つの選択肢として、取り囲んでいる悪魔と対決する方法を選びました。
そして、結果的にほとんどの悪魔を消失(浄化)させ、その警察署から脱出する事が出来たのですが、兄弟が警察署から帰った後に、警察署に残っていたAさんを含めた他の3人は、生き残った悪魔に殺されてしまいました・・・

 

Aさんを犠牲として差し出せば、残りの悪魔が消失すると共に、他2人は生き残れたのかもしれません。
しかし、対決する事を選択した事により、Aさんも、そして、他の2人も殺されてしまいました。
結果のみで考えると、どちらを選択しても、Aさんは犠牲に成らざるを得なかった・・・という内容です。
これはあくまでドラマでもあり、極端なケ-スですが、ここで一つの視点として考えられるのは、

 

本当に二者択一という「質問」なのか?

 

という点です。
「質問」には「答え」が必ず用意されている、という観点からすると、このドラマの内容においては、多くの方がどちらを選択しても望ましい「結果」にはならないと思われる事と感じます。
そして、

 

望まない「答え」というのも・・・「質問」に対する本当に用意された「答え」なのか・・・?

 

との「新たな質問」も出て来る事でしょう。
ドラマの内容はともかくとしまして、やはりここで思い出して頂きたい視点というのは、

 

第3、第4、第5・・・という選択肢を探し出す(事も出来る)

という姿勢と共に、この、別の選択肢を探し出す際に役立ってくれるのが、

イマジネ-ション(想像力)

 

になります。
また、それのみならず、仮にある選択をした際の「答え(結果)」は「一つ」であったとしても、同様にイマジネ-ションを活用する事により、

 

「答え(結果)」へ向かう方法や道のりは「無数(複数)」に見つけ出す事も出来、かつ、自分の望む方法や道のりを選択する事が出来る

 

という所にも繋がっていきます。
では、ここで今回のテ-マに戻ります。
人生はあなたを「通して」現れるという際に、「通す(通して)」という「方法」は改めて学ぶ必要性がない事は既にご説明した通りです。
では、あなたの人生に変化を起こす際には、何をすれば良いのか?という点を考えるに当たり、

 

あなたが「通そう」としているものは「何」なのか?

 

という視点です。
人生があなたを「通して」現れるものであるとすれば、

 

あなたが「通そう」と思っている「何」かは・・・既にあなた自身の中にあるもの

 

になります。
言い換えれば、

 

あなた自身の中にあるものしか・・・あなたの人生に現れてくる(「通って」くる)ものはない

 

とも言えます。
つまり、あなた自身の中にあるもの・・・あなたの中の「何」かとは・・・

 

あなたが「思って」いるもの

でもあり、

(意識的にせよ無意識的にせよ、あるいは、良かれ悪かれにせよ)
あなたが「信じて」いるもの

 

になります。
この「信じて」いるものとは、考え方、感じ方、捉え方、観念、あるいは、出来事に対する意味付け、など様々に表現が可能です。
そこで、今回のTOPICSの最初を思い出してみて下さい。
様々な情報が溢れている・・・ポジティブな表現を借りれば、様々な情報に接する事の出来る今という環境において、

 

あなたがあなたの人生において「通して」いる「何」かは・・・

「内容」の方でしょうか・・・?

あるいは、

「誰か」の方でしょうか・・・?

 

いかがでしょうか?
もし仮に、あなたがあなたの人生において「通して」いるものが「誰か」であれば・・・

 

あなたは自分の人生を「誰か」に預けてしまっている

 

という感覚から、不安や焦燥感などを持ちやすくなってしまうかもしれません。
しかし、「通して」いるものが、あなたが「信じて」いる「内容」であるとすれば、

 

その「内容」を選択したのは自分であり・・・

もし、その選択によってあまり望んでいない結果という「答え」が現れているとすれば・・・

別の「内容」を選択して、あなたの人生に「通す」事によって・・・

別の結果という「答え」が現れる・・・

 

という事になります。
つまり、

 

「答え」は出来事という外側にあるのではなく・・・

「答え」はあなたという内面にある・・・

 

とも言い換える事が出来ます。
そして、よく次のような事も言われたりします。

 

人は自分が思った(信じた)通りの人間になる

 

と。
そして、「思っている」あるいは「信じている」という源にあるのは、

 

イマジネ-ション(想像力)

 

です。
様々な情報を活用している「今」のあなたの人生において、あなたは「何」を「通して」あなた自身の人生を現しておりますでしょうか?(笑)
そして、このような「質問」にも、既に「答え」が存在しているとすれば・・・(笑)

2018年5月19日 01:05

気軽な量子論 ~ 意識の変容のオマケ ~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

前回は200回目のTOPICSという事で、私個人の中の、重めの内容でもあり、かつ、突拍子もない?テ-マを取り上げてみましたが、201回目の新たなスタ-トとして、今回は気楽にお読み頂けるよう「気軽な量子論 ~ 意識の変容のオマケ ~」というテ-マをお伝え致します(笑)
そこで、前回のTOPICSでは、次のような見方も存在します、という趣旨の内容のご紹介を致しました。
それは、

 

・ 意識の変容
・ 科学とスピリチュアルは次第に同じ道を歩みつつある
・ 私達の意識が現実世界を創り上げている

 

と。
そして、これまでのTOPICSにおいても、出来る限り偏りの無いようにとの思いから、科学などの分野も取り上げて来ておりますが、そこで多く活用してきたのが量子力学・量子物理学などの量子論です。
そして今回は、この量子論における一般的によく知られている内容を改めてご紹介致しますと共に、それが何故、意識の変容のオマケになるのか?という点も絡めて、お気軽に眺めてみて下さい。

なお、私も科学や数学は大苦手ですので、このような分野にあまり馴染みのない方においても、イメ-ジを掴んで頂けるよう進めて参りますので、どうぞご安心下さい(笑)
では、まず始めに、この量子論が発展していく発端となった問い掛けがありますが、それは次のようなものです。

 

月は本当に存在しているのか・・・???

 

と。
あまりにも当たり前過ぎて、このような問い掛けをする方がオカシイのでは?と思われるかもしれませんね(笑)
ちなみに、この問い掛けにおいては、月でなくとも太陽でも火星でも何でも構いません。
では、「今」このTOPICSをお読み頂いているあなたが、家の中にいるのか、あるいは、外にいるのか、また、日中なのか、あるいは、夜なのかは分かりませんが、

 

「今」この時点で、月は存在している!・・・と、あなたは断言出来ますでしょうか?

 

ちなみに、ここまでお読み頂いている時点で、「今」から月を眺めて確認するのは反則ですので(笑)
では、どうでしょうか・・・?
月は、あるいは、太陽は本当に存在している!と、確信を持って言えるでしょうか・・・?

まず、この問い掛けが量子論を発展させていくキッカケともなっていますが、ここに量子論の「本質」が含まれています。
この量子論の「本質」とは、

 

あなたという観測者が、観測するぞ!という意思を持つまでは、「全て」の状態が存在している

つまり、

あなたが何かしらの意思を持って、何かを観測するまでは、「無限」の可能性が存在している

そして、

あなたが観測した事によって、全て、あるいは、無限の中から、ある「一つ」の現実が、あなたの目の前に現れる

 

と言うものです。
この「本質」は、既に過去の複数の実験によって証明されているものです。

ちなみに、このような量子論というのは、わずか100年程の歴史しかない学問分野ですが、私達の身の周りの電子機器類などの、ほとんどの物に活用・応用されているものです。
ここ数十年で私達が当たり前に活用している電子機器類などは、量子論が存在しなければ発明され得なかったものでもありますし、現在のスマフォなどでは、数ヶ月単位で新しい商品が出始めますが、勿論、ここにも量子論の「本質」が活用されています(笑)
では、改めてこのような「本質」がある量子論ですが、

 

私達の意識が現実世界を創り上げている

 

という点と絡めて味わってみて下さい・・・
「全て」「無限」という状態や可能性の中から、ある「一つ」の現実が存在(確定)してくる・・・
「意識」を「観測」に置き換えてみると、味わいやすくなるかもしれません(笑)
そして、この「本質」を活用した物が、私達の身の周りに溢れ、実際に当たり前に活用出来ている・・・というのが、「今」の現実世界であるという事を・・・

そして、月や太陽が本当に存在しているかどうかは分からなくても、遊び心で、もう一つあなたにご質問をしてみます。
それは、

 

「今」このTOPICSをお読み頂いているあなたの背後においては・・・

本当に何かしらの世界が存在している・・・

と、確信出来ますでしょうか・・・?

 

「今」、後ろを振り返るのも反則ですので(笑)
なぜなら、

 

後ろを振り返るという「観測」をする事で・・・「一つ」の現実(という状態)をあなたが創り出す

 

からです(笑)
では次は、おそらく量子論で最も有名な「シュレ-ディンガ-の猫」の実験をご紹介致します。
ちなみに、この実験は2016年7月1日のTOPICS「ドッペルゲンガ-とパラレルワ-ルド」でも触れておりますが、おさらいの意味も込めて改めてご紹介して参ります。

 

とある一匹の猫がおります。
その猫を、毒薬が入った瓶と一緒に箱の中に入れて、蓋を閉めます。
では、そこから5分が経過したとします。
さあ、5分が経過した「今」、その箱の中の猫はどうなっているでしょうか?
一般的に考えられる方向性としては、

 

生きている猫が50%で、死んでいる猫が50%、という確率

 

で考える事が多いかと思います。
しかし、量子論ではそのようには考えません。
それは、

 

50%などの確率論ではなく・・・

箱の蓋を開けて、「誰か」が「観測」するまでは・・・

生きている猫と死んでいる猫が、同時に存在している・・・

つまり、「誰か」がその箱の蓋を開けて中身を「観測」するまでは、

その箱の中では、生きている状態の猫と、死んでいる状態の猫が・・・「重なった状態」で・・・どちらも存在(共存)している

 

というのが、この実験から導かれた結論です。
そのような事はあり得ない!詭弁だ!という意見も数多く出そうな実験結果かもしれませんね(笑)
ただ、このような実験なども含めて導かれた量子論の「本質」は、繰り返しですが、私達が当たり前のように活用している様々な多くの物に組み込まれております(笑)

 

そして、この実験結果からは、箱の中の猫が、生きているのか?あるいは、死んでいるのか?という両方(無限)の状態が、「誰か」が「観測」する事によって初めて、生きている、あるいは、死んでいる、という「一つ」の現実(という状態)が創り上げられる、という現象の説明とされておりますが、実は、この実験は更なる導きをもたらしました。
それが、

 

パラレルワ-ルド(並行・多次元宇宙)

 

と呼ばれているものです。
私もよく買い物でお世話になっているス-パ-マ-ケットと同じ名前の「ユニバ-ス」は、状態が「一つ」に確定した宇宙という意味ですが、パラレルワ-ルドとは「複数(無限)」の状態が存在する「マルチバ-ス」と呼ばれるものになります。
なお、並行・多次元「宇宙」と呼ばれる事も多いのですが、私個人的には、並行・多次元「世界」と捉える方が理解しやすくなると感じております。

 

そして、猫は生きているのか?あるいは、死んでいるのか?、という、「猫の状態」によく焦点が当てられて説明がなされるケ-スが多いのですが、勿論、間違いという訳でもありませんが、パラレルワ-ルドという観点から見ると、

 

猫が生きている「世界」に移行した「(観測者としての)あなた」

あるいは、

猫が死んでいる「世界」に移行した「(観測者としての)あなた」

 

という焦点の方がシックリくるかもしれません。
つまり、

 

(何かしらの)意思を持って箱の中を「観測」した「あなた」が・・・

自分で選んだ「世界」に移行した・・・

 

という捉え方です。
つまり、

 

あなたは猫が生きている「世界」へも、あるいは、死んでいる「世界」へも、どちらへも自由に向かう事が出来る・・・

という状態や可能性の元で、

あなた自身が「観測」という意識を活用して、どちらかの「世界」に移行した・・・

つまり、

ある「一つ」の現実世界を、自分で選択し創り上げた!

 

とも表現出来ます。
そして、ここでの実験の例においては、猫が生きているのか?あるいは、死んでいるのか?という二者択一となっていますが、実際は、「観測者としてのあなた」は、科学者である「あなた」かもしれないし、あるいは、サラリ-マンである「あなた」かもしれないし・・・結婚している「あなた」、結婚していない「あなた」、お子さんがいる「あなた」、お子さんがいない「あなた」、スポ-ツが好きな「あなた」、読書が好きな「あなた」・・・のように、

 

あなた自身が「無限」の可能性の中から、「意思」を持って何かを「選択」して移行してきた「世界」に、「今」のあなたが存在している

 

というのがパラレルワ-ルドという「世界観」になります。
そして、

 

ここでのあなたの「選択」という行為そのものが・・・

あなたの「意識」が現実世界を創り上げている・・・

 

という点と繋がりがありそうに感じませんでしょうか?(笑)
そして、私は「世界観」という言葉を用いましたが、確かに、現在の所はパラレルワ-ルドに関する実証は行われておりません。
それを実証する為の機器類が存在していない(そのような世界を「今」の私達が選択している)からでもあります(笑)
ただ、実証する術は現在の所はありませんが、

 

理論上はパラレルワ-ルドが存在しないと、辻褄が合わない(量子論の「本質」が崩れ去る)・・・

 

という結論にもなっております。
つまり、またまた繰り返しですが、既に私達が日常生活において恩恵に預かっている電子機器類などを産み出した、量子論の「本質」がそのように(辻褄が合わないと)告げている・・・という点を今一度、味わってみて下さい(笑)

 

そして、このパラレルワ-ルドのような「意識」による「選択」が現実世界を創り上げているというのは、よくラジオに例えられたりもしています。
私達の身の周りには、目には見えないながらも、数多くの電波が飛び交っています。
そして、あなたがラジオのチュ-ニングを、ある「周波数」に合わせる事によって、その「周波数」で流れている放送局の音楽などを聴く事が出来ます。
あるいは、他の放送局を聴きたいと思えば、チュ-ニングを他の「周波数」に変える(合わせる)事によって、別の放送局のニュ-スなどを聴く事も出来ます。
しかし、

 

一度に聴ける放送局は「一つ」の周波数であるが・・・

実際は「多くの」周波数が・・・

常に同時にあなたの周りを飛び交って存在している・・・

 

というのと同じ見方になります。
これはTVのチャンネルでも同じ事です。
ただ、TVは「進化」しておりますので、2局、あるいは、3局同時に同じ画面で観られる優れもの?の機種も「今」という現実世界には存在しておりますが(笑)

 

ここまでは如何でしょうか?
難しく感じておりますでしょうか?
もし、難しく感じているようでしたら、私の表現力・説明力不足という事で申し訳ございません(苦笑)
でも、諦めずに次に進んで行きます!

 

このように、「観測」する人の「選択」によって現実(状態)という「世界」は変化し、その現実(状態)という「世界」はある意味「無限」に「同時」に存在しているという流れから、現在は、量子テレポ-テ-ション(瞬間移動)という分野も実際に研究されています。

ところで、テレポ-テ-ションと言うと、SF映画のワ-プシ-ンや、あるいは、ドラえもんの「どこでもドア」を思い浮かべる方も多いかもしれません(笑)
どちらも間違いという訳ではありませんが、「どこでもドア」の場合ですと、仮にのび太君の部屋にある「どこでもドア」の扉が開いていて、その向こう側に「別の場所の景色」が映っている、というイメ-ジを持たれると、若干混乱するかもしれません。
なぜなら、「どこでもドア」は「四次元の世界」で創り出されたもので、「今」の私達は「三次元」に存在しているからです。

 

そこで、この量子テレポ-テ-ションにおいては別のケ-スをイメ-ジしてみます。
では、あなたが少し小高い丘の上にいて、あなたは一方通行のトンネルを横から見ているとします。
右側から車がやってきて、トンネル(の中)を通って、左側から出て行くというイメ-ジです。
車の時速と通過時間を計算すると、そのトンネルの「距離(長さ)」が判明しますが、私は数学が苦手ですので、ここで止めておきます(笑)
そこで、ここでのポイントは「距離(長さ)」です。

 

あなたは右側からやってくる車を「観測」し、トンネル(の中)を通過している車は「観測」出来ていませんが、左側から出て来る車を「観測」する事によって、無事に車がトンネルを「通過出来た」ことを理解出来ます。
しかし、量子論の「本質」では捉え方が全く違います。
それは、

 

あなたが右側から車がやってきたと「観測」出来るのは、あなたが「意思」を持って顔を右側に向けた「結果」であり・・・

トンネルを通過中の車は「観測」出来ず・・・そろそろ・・・

左側から出て来る頃であろうという「(予想という)意思」を持って顔を左側に向けた事(結果)で、出て来た車を「観測」する事が可能となった・・・

 

という見方になります。
少し難しい説明かもしれませんね(笑)
つまり、量子論の「本質」では、

 

右側からやってくる車・・・トンネルを通過中の車・・・左側から出て来る車・・・

その全ての過程の車が・・・

「今」まさに「同時」に存在している・・・

 

という見方をしています。
他に例えて表現するなら、10枚の絵からなるパラパラ漫画を、目の前に順番通りに全て広げて、同時に見ているのと同じ事になります。
つまり、あなたが右側を向き、中が見えないトンネルを見て、そして、その後に左側を向く、という行為そのものが、

 

「距離」という「時間」を産み出している

 

という事になります。
つまり、全ての過程の車が同時に存在しているのであれば、

 

あなたは・・・右側(入り口)と左側(出口)だけを「観測」する自由もあり・・・

そして、

あなたが望めば・・・車が通過中と思っているトンネルを「観測」する必要性もない・・・

 

と言う事になります。
つまり、あなたがトンネルの中に車が存在していると思われる「観測」を手放し、右側と左側のみを「観測」しようと「選択」すれば、

 

車は瞬間移動した(「距離」という「時間」を縮める事が出来た)!

という、

あなたにとってのテレポ-テ-ションという「観測」を通した「現実世界」が創り上げられる!

 

という結論に理論上は導かれる、という意味になります(笑)
つまり、

 

あなたがトンネルの中の「距離(長さ)」と「時間」を不要と思い、そのような「意思」を持って「観測」すれば・・・

文字通り、

あなたにとっては、トンネルという「距離(長さ)」と「時間」は「観測」されない・・・

 

という事です。
これが、「時間や空間は幻想では?」とのテ-マの根本にもなっている点です(笑)
そして、無限にある状態や可能性の中から、「観測」によってある「一つ」の現実(状態)が創り上げられ、なおかつ、その「観測」によって「時間と空間」をも変化し得る(ことも可能)という観点から、量子テレポ-テ-ションは実際に可能なのでは?との研究が進められています。

 

とても摩訶不思議?で、あり得ない現実!と思われるかもしれませんが、量子論の「本質」はそこまで迫って来ているというのも現実世界の出来事でもあります(笑)
そして、意識の変容という観点から言うと、

 

あなたが変わりたいとの「意思」を持って・・・

あなた自身が、望む世界でのあなた自身を「観測」しようと思えば・・・

それは実現可能であり・・・

なおかつ、(必ずしも)「(長い)時間」が掛かる必要性もない・・・

 

という事は、理論上では既に証明されている現象になります。
そして、THE BLUE HEARTSというバンドの「情熱の薔薇」という歌の一節に次のような歌詞があります。

 

「見てきた物や聞いたこと 今まで覚えた全部 でたらめだったら面白い そんな気持ち分かるでしょう」

 

と。
私は科学が万能とも思っておりませんし、今まで教えられてきた事の中に間違いがあったとしても、それはそれで仕方の無い事とも思います。
様々な事柄が進歩する事によって、さらに真実が明らかになる事は自然な事でもありますし、新たな真実が発見されたら、それはそれで活用していけば良いとも思います。
そして、この歌の中には他の歌詞もあります。
それは、

 

「永遠なのか本当か 時の流れは続くのか いつまで経っても変わらない そんな物あるだろうか」

 

と。
今回は量子論をテ-マにしておりますので、少なくとも、現在の段階では発見や実証、あるいは、研究対象となっている事柄のご紹介ですので、私の馬鹿げた?頭(脳)から産み出されたものではありません(笑)
そして、この量子論においても間違っているものもあるかもしれませんし、将来には別の新たな理論なども発見されるかもしれません。
ただ、私達がどのように解釈しようとも、あるいは、どれほど否定や抵抗をしようとも、

 

真実というのは・・・永遠に変わらずに・・・ただ存在し続けるもの

 

でもあります。
そうであれば、私は出来るだけ真実に沿った生き方をしたいなぁと思っているだけですし、このTOPICSにおいてお伝えやご紹介している事柄が、少しでもお役に立っている方もいらっしゃるのであれば、それは私にとって「嬉しい現実という真実」でもあります(笑)

 

そして、少しだけ余談ですが、確かに「距離(長さ)」や「時間」に関しては、なかなか「実体験」としては理解し辛いという部分もある事から難しく感じるかもしれませんが、「意思」と「観測」の活用と言う点に関しては、比較的簡単に実感出来るものでもありますので、私の身近な出来事をチョットだけお話し致します。

 

先日、携帯電話を契約している会社から「有効期限間近のポイントのお知らせ」というメ-ルが届きました。
今までも同様のお知らせは貰っていたのでしょうが(間違いなく貰っているのですが(笑))、ほとんど気づいていませんでした。

私は仕事用にはスマフォ、プライベ-トではガラケ-と2つの携帯を所有していますが、今回はその二つの有効期限間近のポイントに気づいた際に、その二つのポイント数を合算するとかなりの金額になる事に気づき、「活用せずに見過ごす事はもったいない!」と強く思いました(笑)

ただ、お財布携帯のような活用もしておりませんし、どのように活用して良いのか、そして、やり方もよく分からなかったので、携帯会社へ赴き色々教えて頂いて手続きをしてきました。
そして、

 

今までであれば見過ごして、期限切れにしていたポイントが・・・

今回は、

気づくという「意思」を活用して・・・

そして、

教えて貰うという「行動」を通して「観測」した結果・・・

(ポイントを活用出来た!と言う)「豊かさ」という現実世界を創り上げる事が出来た!

 

との、私の今までの怠惰さが招いていた、どうでも良いお話です(笑)
ただ、このような、取るに足らぬ?体験も、私自身においては今まで創り上げてきた現実世界を変える事が出来た!という些細ではありますが実感を伴える現象でもありますし、何かの貯めているポイントなどという意味ではなくとも、皆さんも色々探してみると、身近な所で簡単に現実世界を変えられるような「お宝」が存在しているかもしれません(笑)

2018年5月12日 01:05

200回目のTOPICS ~ 「死」に「理由」は必要か? ~

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回のTOPICSがちょうど200回目になりますが、特段の記念や特別なものという訳ではありません(笑)
最初の頃は何を書いて良いかも分からず(今もあまり変わらないかもしれませんが(笑))、身近な事などを書き連ねつつ、かと言って、私個人の日常の出来事などのブログ的な感覚になるのもあまり意味がないと考え、その都度、思いついたり、その時々の様々な出来事などを題材として取り上げて参りました。

 

そして今回は、一度は問題提起として扱ってみたいと思っておりました「 ~「死」に「理由」は必要か? ~」というテ-マですが、まず、今回のテ-マも現在までの科学や医学で証明されているものではありませんのと、今回のテ-マにつきましては、様々な誤解を生じさせかねない怖れ・・・不快な思いをする方もいらっしゃるかもしれない・・・現実的に考えたら突拍子もないのでは・・・などの、どちらかと言えばネガティブな反応を産み出しやすい側面が強いかもしれないと考え控えてきましたが、今回は200回目という自分なりの勝手な後押し?と思い、取り上げる事に致しました。
そして、今回の内容は、安易な軽い気持ちや、あるいは願望や気休めなどの趣旨で書いている訳でもありません。
なぜなら、

 

私も(多くの)大切な人達の旅立ち(他界)を経験してきたから

 

です。
そして、今回のテ-マにおける一番の目的は、

 

意識の変容

 

という点です。
とは言っても、今迄の全ての自分を捨て去る、あるいは、悟りを開いて高尚な人になる、という意味合いでもありません(笑)
別の表現を借りると、

 

集合的無意識に属する思い込みを手放すチャンス

 

と捉えて頂ければと思います。
今までのTOPICSでも思い込みについては触れてきておりましたが、集合的無意識の観点からは敢えて取り上げて参りませんでした。
そして、集合的無意識というのは、精神科医・心理学者であるカ-ル・ユングが提唱した概念ですが、私なりの個人的解釈における集合的無意識とは、

 

多くの人(類)における暗黙の了承

 

という点がある事から、集合的無意識という用語を活用すると、とても高い壁のように感じられ、それを変えていくのは至難の業だ・・・などの思いを持たれてしまうと逆効果になるとも考えておりました。
そして、この集合的無意識には様々なものがあります。
例えば、幸せになるには相当な頑張りと努力が必要で、時には何かを犠牲にしなければならない・・・年を取ると病気になりやすい・・・自分を変える事はとても難しい・・・など。

 

しかし、集合的無意識であっても、あるいは、かなりの多数の見解であっても、それが「真実」を反映しているとは限らない事と、それに皆が従う必要もない事、そして、どのような集合的無意識であろうと、

 

(変えたいと思うのであれば)変えていけるのは一人一人の思い

 

であります。
勿論、全ての集合的無意識がネガティブな側面に当てはまる訳でもありませんし、ポジティブな集合的無意識も当然存在しています。
そのようなポジティブな側面を持つケ-スであれば、わざわざ変えたり手放したりする必要性もありません。
ただ、現在では、

 

自分が信じていると思われる事柄が・・・

自分で考え導き出したものでは無いにも関わらず・・・

それに唯々諾々と従う事に慣れてしまい・・・

それが故に・・・

本来の自分自身を見失ってしまっている・・・

 

という側面が肥大化してきているようにも感じられます。
そこで、これから書き連ねていく内容は、スピリチュアルな視点も含まれますが、この視点の多くが、現在の科学においても最先端として研究されている分野と、かなり多くの点が「重なって」います。
つまり、今迄であれば空想的や妄想的、あるいは、時には現実逃避として使われてきていたスピリチュアルな見方の部分と、現在の科学の研究分野の向かっている先が、

 

次第に一つの同じ道として接し(近づき)つつある

 

という傾向をも踏まえたものです。
そして、信じる信じないも皆さんの全くの自由ですし、善し悪しという問題でもありません。
どのように捉え、そして、それを踏まえ、人生においてどのように取り入れていくのかを判断するのも、皆さんの全くの自由です(笑)

 

では、進めて行くに当たりまして「寿命」という概念がまず必要になります。
現在の所では「寿命」を計測出来る機器類も存在しておりませんし、ある一定の長さの人生を過ごせた人が「死」を迎えれば、それを良い意味での「寿命」と見なされたりしています。
別の表現では、「大往生」や、時には「老衰」と呼ばれたりもしています。
そして、この世では、九死に一生を得る、あるいは、絶体絶命の危機から脱する事が出来た、などの事象は確かに(結構多く)存在しています。
これは、よく、

 

奇跡

 

と言われたりもしております。
そして、最新の人体の研究分野などにおいては、

 

人の肉体は200年程度は保つ事が可能

 

という見解も見受けられたりしています。
ちなみに、今回のテ-マとは全く別の観点ですが、現在では、実際にご遺体(の全部または一部)を冷凍保存している施設も存在しておりますし、このような趣旨の遺体保存というのは、個人的にはエジプトのピラミッド時代と同じ死生観(再び自分の同じ肉体に宿るために保存する)から来ているものと考えます。
そして、スピリチュアルな分野では、

 

「寿命」は自分で決めてきたもの

 

という捉え方がされております。
ただ、決めてきているとは言っても、〇〇年〇〇月〇〇日まで、というように正確無比に決めてきている訳ではありません。
あくまで目安ですので、(多少の)幅という余地は残されております。
また、この「寿命」という意味合いには、集合的無意識における「時間」という概念の違いも関係していると考えられますが、それはまた別の機会に考えてみたいと思っております。
そして、「寿命」は自分で決めてきているというのは、「寿命」が来るまでは「死」を迎えない、とも言えると同時に、

 

犯罪や事故などにおける「死」はどういう事なの?

 

との疑問も当然出てきます。
この点に関しては、実際の被害者の方やご遺族の方などの心情を踏まえますと、私も迂闊に表現出来ないとの思いや考えもあります事と、言葉通りの真正直に認めてしまえば犯罪などを助長・肯定するような見解にも捉えかねられない・・・運命は変えられない・・・などの、今回のテ-マとは真逆の趣旨にもなりかねませんので、この先をお読み頂いて、皆さんなりに考えて頂く事が大切な事と思います。
ただ、自殺は別です・・・「寿命」ではありません・・・

 

では、何歳でも構いませんが、皆さんが自分の「寿命」を決めてきていると考えた時に、犯罪や事故はひとまず脇に置いておくとしまして、あなたは、

 

「死」を迎える際に、何か「理由」は必要であると考えますか・・・

健康で元気な状態で「死」を迎える事は不可能な事だと考えますか・・・

あるいは、

健康で元気であるならば「死」に至る事はないので、やはり「理由」が必要であると考えますか・・・

 

では、「死」に「理由」が必要であると仮定した場合、

その「理由」は「誰」にとって必要なものなのでしょうか・・・

 

・・・ここ迄で、皆さんはどのように考えましたでしょうか(笑)
私個人としては、仮に「死」に「理由」が必要な場合を考えるならば、

 

それは・・・残された人達にとっての、「納得」という癒しや慰めとして・・・

 

と感じます。
幼い頃に「寿命」を迎える場合は別としても、私達の多くは自らの「死」を迎える前に、他の人の「死」を経験させて貰っています。
そして、明白なご病気などでの突然死は別としても、昨日迄はいつも通りの元気で健康な状態で過ごしており、朝起きたら「死」を迎えていたというケ-スでは、社会的には検死(検視)などが必要になるケ-スが多いです。
そして、

 

社会的とは・・・集合的無意識から産み出されているもの

 

でもあります。
勿論、私はいかなる時でも検死(検視)は不要だと考えている訳ではありません。
犯罪に巻き込まれた結果というケ-スを見落としてしまう場合も出てきてしまう怖れもあるからです。
つまり、ここでの集合的無意識においては、

 

社会的に見ても・・・「死」に「理由」は必要である・・・

 

との強固な考えが存在しているという側面の一例です。
そして、あなたの身近な方が、昨日まで健康で元気に過ごし、仮に検死(検視)などで病気の原因が見当たらないと判断された時、

 

どうして・・・???

 

と思われる事と感じます。
そして、「死」の「理由(原因)」が判明しないならば、

 

どうしても・・・その方の「死」に「納得」がいかない・・・

 

と思い詰めていくかもしれません。
そして、私は先ほど、多くの方が他の人の「死」を経験させて貰っている、とお伝え致しましたが、そのような経験を経て「死」に対する様々な感情を理解しているからこそ、

 

自らの「死」においても・・・残された人達の「納得」の為に・・・「理由」を創り出そう・・・

 

と考えても不思議ではないようにも感じます。
しかし、仮に自らで「寿命」を決めてきているのであれば、

 

わざわざ・・・

ご本人にとっては、その「寿命」を全うするための「理由」を創り出す必要性は・・・

無いのかもしれない・・・

 

と捉える事も可能ではあります。
なぜなら、

 

「死」に「理由」が必要なのは・・・ご本人ではなく・・・残された人達の(「納得」)の為に必要・・・

 

と捉える方が理屈にも合うからです。
そして、

 

集合的無意識とは・・・

生きている人の意識の集合体でもあるが・・・

「死」を迎えた人も、生きている時には・・・

同じ集合的無意識の一翼を担っていた・・・

 

のが自然な事でもあります。
そして、繰り返しですが、犯罪や事故などの「理由」は別としまして、

 

「死」に「理由」が必要ないのであれば・・・

「病気」などの「理由」を創り出す必要性もなくなるのでは・・・

 

との考えも導かれる事になります。
そして、

 

「病気」などの「理由」が必要なくなる事により・・・

健康で元気な状態で「寿命」を全うし・・・

「明日、旅立つけど、今迄ありがとう! 急がないけど、また再会を楽しみにしているよ!(笑)」

などのような、(一時的な)お別れの挨拶を交わす事も可能になる・・・かも?

 

との流れもあり得るかもしれません。
いかがでしょうか?
突拍子もない、頭のオカシイ見解と思われているかもしれませんね(笑)

 

では、少し視点を変えて、私達の意識あるいは心、はたまた魂や何と呼んでも構いませんが、それと現実世界との関係性を見ていきたいと思います。
一般的に、つまり、集合的無意識においては、

 

現実世界の中の一部(部分)として私達の意識は存在している

 

と解釈されています。
表現を変えると、

 

現実世界が「主」であり、私達の意識は「従」である

 

とも言えます。
そして、同じような集合的無意識に、意識という言葉ではなく、魂という言葉を当てはめると、次のような表現になります。

 

私達の肉体の中に魂が存在している

 

と。
勿論、魂という言葉を、心という言葉に置き換えても同じ意味です。
そして、これには別の見解も存在しています。
それは、

 

私達の意識の一部が反映されているのが現実世界である

 

と。
そして、これも表現を変えると、

 

私達の意識が「主」であり、現実世界は「従」である

 

と。
そして、これにも魂、あるいは心という言葉を当てはめてみます。
すると、

 

現実世界とは私達の魂(心)が反映されている表現の一部である

 

と。
つまり、

 

私達の魂(心)が現実世界を創り上げているのであって・・・

肉体の中に魂(心)が存在しているのではなく・・・

魂(心)が表現している一部が現実世界や肉体である・・・

 

と。
少し難しい面もあるかもしれませんので、別の例えも活用してみます(笑)
一般的な集合的無意識においては、よく次のような表現がなされます。

 

車が「肉体」であり、運転手(人)が「心(魂)」

 

と。
しかし、別の観点からでは、

 

ラジコンやミニカ-遊びのように、「車(肉体)」を操作している人が「心(魂)」

 

と。
イメ-ジは掴めましたでしょうか?(笑)
一般的な集合的無意識における視点とは、ほぼ真逆のようにも感じますが、実は、このような意識が「主」であり、意識が現実世界を創り上げているというのは、

 

先ほどの最先端の科学においても同じように解釈されつつあり、このような今迄とは違う視点が研究対象となって来つつある

 

というのが、現状の進行具合でもあります。
また、「時間や空間も幻想では?」という着眼点も同じように含まれています。
それが、現状では「現実と思われている世界も・・・実は幻想なのでは?」というテ-マに発展しつつあるという意味合いです。

それでは、ここでもまた視点を変えてみます。
数十年前までは、

 

100m走で人(類)が10秒を切るのは・・・夢のまた夢・・・

 

と言われてきました。
しかし、ある人が10秒を切った事により、

 

最近では10秒を切る人が増え続けている

 

というのが現実世界での出来事です。
勿論、トレ-ニング方法の発展や、シュ-ズやウェアなどの開発の貢献もある事と思います(笑)
しかし、ここ数十年の間に、人類の肉体が飛躍的に改良された訳でもありませんし、足の長さが倍になった訳でもありません(笑)
つまり、

 

誰かが10秒を切る前から、元々10秒を切る能力は人(類)に備わっていた

 

と言う事が言えます。
そして、最近の記録更新の要因というのは、

 

10秒を切る事が(自分でも)可能である・・・という・・・意識の変容

 

から来ている側面がとても強いように感じます。
そして、今回のテ-マは「寿命」の迎え方などを取り上げている訳でもありません。
繰り返しですが、

 

意識の変容

 

が趣旨となっており、「死」に「理由」は必要か?は、問題提起の為の、一つの側面として取り上げております。
そして、現在の所の集合的無意識においては、何かの変化を起こそうとする時、

 

現実世界という「外側」を変えようと試みている

 

というのが当てはまっています。
そして、

 

この現実世界という「外側」と、「死」の「理由」とは全く同じもの

 

でもあります。
なぜなら、現実世界も肉体も共に「外側」に分類されるものであり、それが先ほどの、肉体の中に魂(心)は存在しない、との見方になっているからです。
そして、100m走のケ-スでもお分かりの通り、

 

現実世界という「外側」を変えたいのであれば・・・

変えようと試みるのは「外側」ではなく・・・

私達の意識という「内面」である・・・

 

という視点になり、繰り返しですが、

 

私達の意識の一部が反映されているのが現実世界である

 

という捉え方が、実はゴ-ルではなく、出発点となり得る、という意味合いです。
しかし、「内面」や「意識」を変えると言っても、どうやって行えば良いのか分からない・・・という思いを持つのも理解出来ます(笑)
そこで、イメ-ジや感覚として捉えて頂けるよう、一つのモデルケ-スをご紹介致します。

 

もし、あなたが自分の笑顔を見たい!と思う場合には、鏡を見る事が出来ます。
あるいは、スマフォで撮影したりでも構いません(笑)
そこで、あなたは鏡の前に立ちます。
しかし、

 

鏡の中のあなたは笑顔ではありません・・・

何故でしょうか・・・?

 

ここまでお読み頂いていれば、もうお分かりかと思いますが、

 

鏡の中のあなたの笑顔を見たければ・・・

まずは・・・

あなた自身が笑顔になる必要性がある・・・

 

と言う事です。
そして、

 

ここでの鏡とは・・・現実世界と同様です・・・

 

あなたが鏡の前でしかめっ面をしていれば、鏡の中のあなたはしかめっ面のままです。
また、あなたが笑顔になる前に、鏡の中のあなたが微笑みかけるような事があるとすれば、それこそホラ-映画になってしまいます(笑)
つまり、

 

意識の変容とは・・・

鏡の前に立っているあなたが・・・

どのような表情を表現するのか・・・

そして・・・

どのような表情を表現したいのか・・・

 

という行動と全く同じ事になります。
とてもシンプルなものですが、現在の集合的無意識では「複雑」である事が「成長」あるいは「価値あるもの」と同じように見られがちにもなっています。
そして、これも繰り返しですが、現在の集合的無意識においても役立つものも勿論あります。
しかし、集合的無意識というものに対して、それこそ無意識的に何でもかんでも「当たり前」あるいは「常識」と「思い込み過ぎて」しまうと、あなたにとっての「真実」から遠ざかってしまう事にもなりかねません。
それが、

 

あなたの意識の一部が反映されているのが現実世界である

 

と言う事にもなります。
つまり、

 

意識的であれ無意識的であれ、あなたが信じている事が、そのまま現実世界となって(鏡のように)見せてくれている

 

とも表現出来ます。
そして、

 

私達の意識はエネルギ-である

 

と言う観点は、ほぼ科学においても証明されつつあります。
そして、

 

エネルギ-は消滅する事はなく・・・ただ・・・形(態)を変えるだけ

 

というのは、現在ではそれこそ科学における「常識」になっています(笑)
すると、消滅する事はなく、ただ形(態)を変えるという、

 

私達の意識においては・・・

「死」という消滅はそもそも存在せず・・・

なおかつ、「外側」という現実世界の「形態を変える」パワ-(という意識)が元々備わっている・・・

 

という視点から見た時に、本当に「死」に「理由」は必要になりますでしょうか?
そして、現在の集合的無意識においては、「死」に「理由」を必要としているとしても、

 

現在の私達は・・・

「死」への「理由」付けを行う事には焦点を当てているが・・・

「生きる」ことへの「理由(目的)」から目を背け過ぎてはいないでしょうか・・・?

 

どのような集合的無意識でも、信じる信じない、あるいは、受け入れる受け入れないも全くの自由です(笑)
ただ、集合的無意識の一部を創り上げているのも私達自身であり、集合的無意識が存在するからといって、それにあなた自身の全てを当てはめたり、あるいは、従わなければならない「理由」や必要性もありません。
もし、何かを変えたければ、あなたの「外側」のみをクロ-ズアップするのではなく、あなた自身の意識という「内面」を変容させる事に焦点を合わせてみて下さい(笑)

 

そして、余談ですが、青森県は短命県返上への取り組みを進めております。
私はそのような取り組みに反対している訳でもありませんし、過度の塩分摂取を抑えたり、出来る範囲内で軽い運動をするなどは効果もあるでしょうし素敵な事とも思いますが、ただ、私個人的には、

 

順位などに一喜一憂するのはいかがなものか?

 

と感じます。
順位を付ければ必ず最下位や一番などが出てしまいます。
運動会などのスポ-ツ競技などで順位を付けるのとは性質が全く違いますし、そして、これが昂じてくると、

 

長生きは「優」で、短命は「劣」

 

という集合的無意識が強化されていく事と感じます。
そして、長生きの人や家系が「優」で、それ以外は「劣」という方向性に向かうであろうというのは、歴史的に見ても、火を見るよりも明らかです。
そして、ここには、

 

本来の意味の「寿命」という視点

 

すら、考えて見る事もなく、完全に抜け落ちてしまっているという風に感じます。
今回のTOPICSのテ-マにおいては、異論反論など様々ある事と思います(笑)
私もどれが正しくてどれが間違っているなどをお伝えしている訳でもありません。
どのような意見や見方を持って頂いても皆さんの自由です。
ただ、今回のようなテ-マは、重めの内容でもありますし、誤解を生じさせてしまう怖れなどもある事から、何かの機会を捉えて「考える素材」として頂けるよう提供してみたいとの思いがありましたので、それが今回の200回目になっただけの事です(笑)

2018年5月5日 03:05

TOPへ戻る

プライバシーポリシー

当サイトのご利用規約

サイトの詳細につきましては上記のご利用規約をご確認ください。

当サイトはリンクフリーではありません。
事前の連絡と許可審査が必要です。

スマートフォン、タブレットで読み取ってください

先頭へ