「船」というシンボルから見る「人生の舵取り」

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

GWの季節に入りましたが、いかがお過ごしでしょうか?
お仕事の方もいらっしゃれば、旅行などで楽しんでいらっしゃる方も多い事かと思います。
私も一足先に、先日の平日ですが、岩木山神社、そして、満開の弘前公園の桜、とパワ-スポット?巡りをしてきました(笑)

 

ところで、私はSF映画が好きな事から、宇宙旅行に行ってみたい、あるいは、映画に出てくる宇宙船などを観るとワクワクしたりしますが、その一方で、飛行機はあまり得意ではありません。
国内であれば時間が掛かっても良いので、新幹線などを選んだりもします(苦笑)

また、あまり水泳も得意でない事から、海で泳ぐなどは怖さも感じたりしますが、一方で船旅などは興味があります。
青森県内にも近頃は豪華客船が立ち寄ったりと、そのニュ-スなどで客船の内部が放映されたりすると、正直、船旅が出来て羨ましいなぁ~と思う事もよくあります(笑)
そこで、今回は「「船」というシンボルから見る「人生の舵取り」」というテ-マをお届け致します。

 

ところで、「船」というシンボル、あるいは、モチ-フなどは歌でもよく活用されたりしています。
私の好きな歌で、私が産まれる前の曲では、沢田研二さんの「君をのせて」(1971年)や、サイモン&ガ-ファンクルの「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」(1970年)などがあります。
ちなみに、「明日に架ける橋」はよく「ヒ-リング ミュ-ジック」として、インストゥルメンタル(歌詞のない音楽のみ)としても活用されたりしておりますが、私の行っているヒプノセラピスト認定講座における、年齢退行療法(インナ-チャイルド)を学ぶ最初には、この「明日に架ける橋」のコンサ-ト映像をお見せして、実際のセッションで行われている「本質」部分を視覚的にも捉えて頂ける為に活用してもおります(笑)
そして、この「船」というシンボルは、

 

自己ともなり得・・・他者ともなり得る

 

という両面を兼ね備えています。
例えば、先の「君をのせて」の歌詞では、

「君をのせて 夜の海を 渡る舟になろう」

また、「明日に架ける橋」では、

「出帆するのだ 銀色の乙女よ 帆を上げて海を渡っていこう」

というように、自己及び他者という両方の視点が活用されています。
そして、先ほど私は、飛行機と海は不得意だが、宇宙(船)と船旅は好きとお伝え致しました。
そして、この「好きな面」が表れている歌として、TOKIOの「宙船(そらふね)」という曲があります。
この歌の作詞・作曲は中島みゆき さんですが、あくまで個人的な見解ですが、中島さんの歌詞を見ると、スピリチュアルな視点が日常生活という場面において描かれている事があるのと、短い「言葉」でありながらも、「イメ-ジ」を活性化させていくのに役立つ面があるという、ヒプノセラピ-(催眠療法)の技法的な面から見ても、とても参考になるケ-スがあります(笑)
では、この「宙船(そらふね)」の歌詞を少しご紹介致します。

 

『 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオ-ルをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオ-ルをまかせるな

その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオ-ルをまかせるな

(以下、省略)  』

 

様々な捉え方が出来る歌詞ですし、どのようにご自身なりに解釈をされても自由です。
だた、多くに共通する見解というのは、

 

自分の人生の舵取りをするのは、自分自身である

 

という点であろうかと思われます。
そして、「自立・自律」と「(共)依存」の関係について、ご質問を受ける事もよくあります。
人生という長旅においては、時には道に迷い、悩み抜く事もあります。
このような時に誰かからアドバイスを受けたり、お話を聞いて貰ったりして、自分というものを整理統合していくのは、「(共)依存」ではなく、「自立・自律」になります。
なぜなら、

 

何かしらの問題点に自らが気づいているが故に・・・
打開点を求める気持ちが湧き起こり・・・
そして、
自らを変えていこう!との決意が備わっているから・・・

 

です。
このような時に、誰かの力を借りたり、支えて貰ったり、協力を仰いだりするというのは自然な事です。
そして、時には、自分ではどうしても足が竦(すく)んでしまうような荒波を超える際に、他者という「船」に乗せて貰い、「一緒」に荒波を超えていくというのも自然な事であり、これも「(共)依存」とは違います。
なぜなら、

 

自らの分(身の丈)を知り・・・
(今回のケ-スでは)他者の助力も仰いで乗り越えていく・・・
という、
「選択と決断」を自らが下しているから!

 

です。
ここでの「選択と決断」とは、今回の歌詞の中の、

 

「その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ」

 

に当たっています。
では、「(共)依存」ではどのような事が起こっているかと言うと、もうお分かりかと思いますが、それが今回の歌詞にある、

 

「おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオ-ルをまかせるな」

 

というポイントです。
そして、何故、「(共)依存」に陥っていくかと言いますと、

 

(共)依存でも、最初は・・・望んだ方向に進んでいる!・・・という錯覚に陥るから

 

です。
言わば、飴(あめ)と鞭(むち)の、飴の部分です。
そして、当初の上手くいった!との錯覚を利用して、

 

以前は上手くいったのだから、今後も「あの人」に全てを任せていれば大丈夫!

 

という方向に、無意識ながらも誘導されていってしまうというケ-スです。
そして、「あの人」は次第に、

 

私に任せれば全てが上手くいく!

 

という「方便」をドンドン活用していきます。
そして、何かが望まない方向に進んでいるなぁ、と疑問に感じた際でも、「あの人」は、

 

上手く行かないのは、あなたが私の言った通りにしないからだ!

 

との「方便」を重ねつつ、それでも、あなたが「あの人」の話す言葉に口を挟むと、

 

逆鱗に触れ・・・怒られる羽目に陥る・・・

 

というのがパタ-ン化していきます。
そして、次第にあなたは、

 

悪いのは・・・(「あの人」の言う通りにしない)自分なんだ・・・

 

と、ドンドン罪悪感や自己嫌悪感に追い込まれていきます。
そして、これも、もうお分かりの通り、ここまで追い詰められた時点では、

 

既に・・・あなたの「選択と決断」を・・・あなた自身が放棄してしまっている・・・

 

という結果に陥っています。
そして、この「選択と決断」という観点から「自立・自律」と「(共)依存」を見た場合でも、

 

「自立・自律」においては、誰かや何かのせい(責任)にしない

 

という側面が働く一方、

 

「(共)依存」においては、
(あなたの視点からは)「あの人」の言った通りに行ったけど、上手くいかなかった・・・なので悪いのは「あの人」だ・・・
一方、
(「あの人」の視点からは)私の言う通りに行わない、あなたのせい(責任)だ!

 

となっていきます。
そして、「おまえが消えて喜ぶ者」とは、

 

あなたをコントロ-ルしている誰かや何か

 

という意味です。
つまり、このような状況の時には、

 

あなたは、あなたの人生を歩めていない・・・

 

という、空虚感や不安感などに苛(さいな)まれる事になってしまいます。
そして、「自立・自律」では「選択と決断」を握っているのは自分自身!という側面が働くとお伝え致しましたが、「(共)依存」から脱する際にも、

 

(脱するという)その「選択と決断」も自分自身が握っているんだ!

 

と気づけば、すぐに、抜け出す事が可能です(笑)
その後に「あの人」が何かを言ってきても、それは「あの人」自身の問題であり、あなたには何の関わりもない事です。
あなたが、あなたという「人生の舵取り」をしているというのは、繰り返しですが、

 

「選択と決断」はあなたが握っている!

 

という事を「思い出す」事です。
そして、誰かや何かのアドバイスが必要と思える時には、

 

色々アドバイスも出来ますが、「選択と決断」はあなた自身のものですよ

 

という誰かや何かであれば、それは、あなたにとって良い方向に向かう可能性が高まりますが、逆に、何か変だなぁ?と感じる際には、誰かや何かの言動の中に、

 

私の言う通りに行っていさえすれば、大丈夫!

 

という、「甘い囁(ささや)き」が含まれていないかどうかを、判断材料にしてみて下さい。
そして、同じ歌詞の中に、「その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか その船は舞い上がるその時を 忘れているのか」にあるように、

 

本来のあなた自身を思い出す

 

という点に意識を向けてみて下さい。
ちなみに、中島さんが意図して?かどうかは分かりませんが、歌詞の中の「おまえのオ-ルをまかせるな」という点に関して、

 

OAR(ボ-トなどの漕ぎ手) と ALL(あなた(の人生)の全て)

 

というように、「オ-ル」という同じ読みの「言葉」が使われておりますが、このような手法はヒプノセラピ-における暗示の効果を高める手法としてもよく活用されております(笑)

 

また、今回のような「シンボル」というのは、人それぞれにおいて意味合いは違ってきます。
よく、平和の象徴として「鳩(ハト)」などが言われたりしますが、実際には、鳩などの鳥が苦手という方も多いものです(笑)
なので、夢判断などでも「シンボル」は活用されますが、全ての人に等しく当てはまる「同じ意味のシンボル」というのは存在しませんので、あくまで、「シンボル」とは統計的な傾向である事と、夢などでは、他の人の傾向にわざわざ合わせる事をせず、ご自身にとっての「シンボルの意味合い」というのを感じて探していく方がシックリくる事が多いです(笑)

 

そして、「船」というテ-マから、少しだけ余談を続けます。
私は「宇宙戦艦ヤマト」も好きで、たまに見返したりしておりますが、このアニメにおいては、少々誤解?を受けている方もいらっしゃるかもしれません。
ヤマトは確かに戦闘も行っておりますが、本来は、放射能で汚染された地球を浄化するために、イスカンダル星に放射能除去装置を貰い受ける為の旅が目的です。
ヤマトの歌は皆さんも一度はお聞きになった事があろうかと思いますが、勇ましい曲調と相まって、歌詞の中に、

 

「地球を救う 使命を帯びて 戦う男 もえるロマン」

 

というのがある事で、何か戦争映画に近いものと思われているフシもあるかもしれません。
しかし、実際にこの映画では、イスカンダル星への往復の航路で妨害をしてきたガミラスという相手と戦闘になりますが、主人公の古代 進は次のように語っています。

 

『 地球の人もガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない・・・
なのに・・・我々は戦ってしまった・・・
我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない・・・
愛し合うことだった・・・  』

 

と。
そして、このヤマトの歌の中で次のような一節があります。

 

「必ずここへ 帰って来ると 手をふる人に 笑顔で答え」

 

スピリチュアルな視点では、この世の私達は、

この世に産まれてくる時には、喜ばれ・・・
あの世に戻る時には、悲しまれ・・・

 

しかし、あの世の人達の視点では、

この世に産まれ出ずる時には、悲しみ・・・
あの世に帰る時には、喜び・・・

 

というように、価値観が逆転しております。
そして、先ほどの歌詞の「必ずここへ、、、」のフレ-ズを聞くと、私はいつも、このような「あの世の視点」を思い出して?しまいます(笑)

 

また、これも余談の余談ですが、このTOPICSを書いていた当日(※ 私の多くのTOPICSは掲載日以前に書いているもので、掲載日では若干の手直しを行うのみがほとんどです)に、TOKIOのあるメンバ-が不祥事を起こしたニュ-スが報道され、また、同日に私は再放送(青森県内の状況ですが)されている「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマの、以前に録画していた、ある回を観ておりましたが、その中で「宙(SORA)」という旅館が舞台となっていました。

シンクロとは様々な側面がありますが、今回のような不祥事という出来事がシンクロにまつわる事もあります。
このような、何かネガティブな出来事が関係しているシンクロに出逢った?と感じる時には、そもそもシンクロに関係している「出来事」に意味があるのではなく、シンクロしているという「現象」に意味があるというケ-スもありますので、この点は覚えておいて損はないかもしれません(笑)

2018年4月28日 12:04

断捨離における「視覚」と「感情」

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

気温も次第に高くなりつつあり、青森県内の桜も開花が始まってきた頃合いでもあります。
そして、暖かくなってくるにつれて、間もなく衣替えの季節にも入ってくる時季でもある事から、今回は「断捨離における「視覚」と「感情」」というテ-マをお届け致します。

 

ところで、断捨離という言葉をよく耳にするようになってから結構の年数も経っていますが、皆さんは断捨離を試みた事はありますでしょうか?
断捨離とは、不要な「物」を整理や処分したりする事とされていますが、衣替えや引っ越しなどの絶好?の機会を捉えて試みても、あまり上手く進まなかった、などの経験をお持ちの方も多いかもしれません(笑)

 

私自身は独身男性にしては、「物」は多い方かもしれませんが、特段収集しているものがある訳でもありませんし、五所川原に戻って来る際に、整理や処分したものも結構あります。
ただ、現在でも興味がある本や、お気に入りの映画のDVDなどはいつでも観る事が出来るようにと、手元に置いておきたいという習性は残っています(笑)

ところで、ご存じの方も多いかと思われますが、キャスタ-である久米宏 氏が以前に次のような趣旨の事をTVでおっしゃっていました。
なお、以下のコメントは久米 氏の発言の一言一句を正確に表現したものではありませんのと、久米 氏の言葉を通して、私が感じた解釈も含まれておりますのでご了承下さい。
では、その発言とは、

 

「僕はニュ-スを読む時には、出来るだけ背景を映さずに、自分だけを映して貰うようにしていた」

 

と。
その理由として、

 

「観ている視聴者の方というのは、情報量の90%近くが「視覚」に頼っています。なので、自分の背景に様々な「物」が映り込んでいたり、時には、私がネクタイを直す仕草をしただけでも、(伝える内容ではなく)そちらの方の「情報」が伝わってしまう傾向があるから」

 

と。
そして、数十年前に多くの方が犠牲となった飛行機墜落事故をニュ-スとして伝えるにあたり、お一人一人のお名前などを伝える方法もあった際に、久米 氏は考え抜いて次のような伝える手法を取りました。
それは、

 

拡大した飛行機の座席図の上に、犠牲になれられた方々の数の「靴」を並べる

 

というものです。
勿論、この「靴」は犠牲になられたご本人様の「物」ではありませんが、単なる数字などで伝えるのではなく、

 

「「靴」という「物」を通して、それぞれの数だけの「人生」を伝える」

 

という趣旨の事を述べられ、そして、

 

「伝える側が何かの訴えを押し付けるのではなく、その「靴」という「物」からの光景の訴えから、観ている側の視聴者の方々が様々に感じて頂けるであろう」

 

とお考えになったとの事でした。
この飛行機事故は私が小学生の時に起こった出来事ですが、当時の私もその記憶は残っていますし、改めてその当時の「靴」を並べたニュ-ス映像を観た時は、やはり、様々に考えさせられました。

「靴」は誰もが日常的に使用しているものでもありますし、人生を歩むという言葉のように、何か「靴」という「物」には、「人生」という象徴やシンボルのような印象を抱く気持ちも理解出来るような気がしました。
それでは、ここからは断捨離に焦点を合わせていきますが、まず、

 

一般的な断捨離の対象となるのは「物」

 

という点は皆さんもご存じの通りです。
では、断捨離に関して違った角度から光を当ててみます。

通常の断捨離では、日常生活に必要な「物」は含まれません。
極端なケ-スを言えば、塩、砂糖、醤油、味噌などを断捨離しようと思う方は、まず、いらっしゃらないかと思われます(笑)
消費期限切れ・・・というケ-スを除けばですが・・・

 

ところで、皆さんの中には、以前のある時に、フト思い立って今まで作った事のない、手の込んだ料理に取り組んだ経験はありますでしょうか?
ネットや本などで調べて材料を集め、そして、実際に調理をしてみた・・・
そして、その材料の一部である調味料の中に、今まであまり見聞きした事もなく、当然自分では使った事のないハ-ブ類などが含まれていた事など・・・

そして、その時の料理は一度作ってみただけで、その後は作っていない・・・
なぜなら、あまり上手に出来なかったから・・・などの理由もあるかもしれません(笑)
そして、耳慣れない調味料も、その時に一度使っただけ・・・

 

では、このような調味料は断捨離の「物」としての対象にはなりませんでしょうか?
勿論、その後の料理に活用出来る場面もなく、消費期限切れになってしまっているケ-スも多いかと思われますが(笑)
ここでの手の込んだ料理とは、もしかしたら自分の為に作ったかもしれませんし、あるいは、誰かの為に作ったのかもしれません。
そして、自分にせよ誰かの為にせよ、あまり上手に出来なかったなぁ・・・
ここでの断捨離の対象となる調味料は「物」ではありますが、

 

手の込んだ料理を作ってみよう!・・・という当時の「動機」
上手く出来なかったなぁ・・・という当時の「感情」

 

そして、断捨離の対象となったその調味料という「物」を見た時に思い起こされる、

 

「視覚」を通しての・・・当時の「想い出」・・・

 

上手に出来なかった・・・と言う点に焦点を当てましたが、上手に出来た!でも当てはまる事ですので(笑)
では、通常の断捨離に視点を変えてみますが、引っ越しや荷物の整理などをしていて、昔のアルバムや写真などが出てきて、作業がはかどらなくなる経験は多くの方がしていらっしゃる事と思います(笑)
また、写真などの「物」を断捨離の対象とするのかしないのかも、各人の自由だと思います。
昔の彼氏・彼女の写真でも、未練という「感情」から持ち続けるのか、あるいは、素敵な「想い出」として持ち続けるのか、どちらも個人の内面の問題ですので、それも構わないかとも思います。

そして、誰かから貰ったプレゼントや、ご褒美に買って貰った何か、あるいは、どこか旅行に行った際に買った記念品など、「物」には様々ある事も事実です。
ここ迄でお分かりかもしれませんが、

 

「物」そのものは単独では存在しない・・・
つまり、
「物」には必ず「感情」や「想い出」が伴っている・・・

 

という事です。
中には、自分では到底使わないが、何かの記念や引き出物として頂いた「物」などでは、処分したいけど・・・何か頂いた相手に悪いなぁ?などの葛藤を感じるケ-スもよくあるかもしれません(笑)
近頃では、元カレや元カノなどから貰った「物」はお金に換えてしまえ!というケ-スも多いですが、これも善し悪しという問題ではありませんし、あくまで個人の内面で考えて判断すれば良い事とも思います(笑)

 

では、「感情」と「想い出」に関しては、ひとまず、先に譲るとして、ここでもう一つのケ-スです。
一度しか着ていない洋服などは皆さんのお手元にもあるかもしれません。
タンスの肥やしと言われている「物」ですが・・・なかなか処分出来ない(笑)
ここでよく考えられるのが、

 

いつか着るかもしれない・・・

 

という事が言われたりします。
しかし、ほとんどが二度と着る機会のない肥やしになっている事かと思います(笑)
そして、このような傾向は悪い事でもありませんし、見方によってはポジティブな方面にも活用出来ます。
それは、

 

取り越し苦労の大半は・・・現実となる事は少ない

 

という点です。
勿論、取り越し苦労でも、それにずっと焦点を合わせ続けていれば、出来事を引き寄せやすくなる事も事実ではあります。
しかし、

 

いつか着るかもしれない?!・・・という「感情」が・・・
やっぱり必要だったでしょ!・・・という「想い出」に変わるケ-スが、ほとんど無いとすれば・・・
あなたの中の・・・こんな出来事が起こったらどうしよう!・・・という「感情」も・・・
それを現実という・・・「想い出」に繋げる必要性も必然性も無い・・・

 

という点と表裏一体となっています。
それであれば、二度と着ないと薄々感じていながら取っておくのも一つの選択ですし、別の洋服を買えるように頑張ろう!との思いで処分してしまうのも一つの選択です。
また、ただ処分というのがもったいないと思う場合では、必要としている方や団体などに対して寄附をするという事が最も効果的な場面になるかもしれません。
そして、ここ迄で、洋服のケ-スであろうと、その他の「物」であろうと、実は、

 

断捨離とは・・・
「物」を整理していると同時に・・・
本当は・・・
自らの「感情」や「想い出」を整理している・・・

 

という側面がある事はお分かり頂けるかと思います。
そして、実際の断捨離の作業においては、処分や整理をする際に、

 

「物」を見るという「視覚」を活用

 

します。
そして、「物」を見て、「想い出」を思い出すという時には、

 

(意識的であろうが無意識であろうが)必ず「視覚」というイメ-ジを活用して思い出している

 

という面が働いています。
例えば、ここで皆さんに昨日の夕食を思い出して頂ければと思います。
そこで、昨日の夕食を答える事が出来るというのは、「視覚」を通してのイメ-ジが必ず活用されています。
つまり、表現を変えると、私達が思い出すという作業をする時には、

 

「言葉」ではなく「視覚」を活用している

と言う事でもあり、また、思い出す作業というのは、

「言葉」では思い出す事が出来ず

必ず、

「視覚」を通してしか思い出せない

 

というのが、私達のような肉体(脳)を持った存在の機能でもあります。
そして、「視覚」を通して思い出す事の出来る、

 

「想い出」そのものは単独では存在しない・・・
つまり、
「想い出」には必ず「感情」が伴っている・・・

 

と言う事になります。
そして、断捨離の真の目的とは、

 

「感情」の整理統合をすること

 

とも表現出来ます。
「感情」とは大雑把に大別すると「喜怒哀楽」とも表現出来ます。
しかし、実際に私達が感じる「感情」においては、

 

複数の「感情」を同時に感じている

 

という事がほとんどです。
そして、このような「感情」においては、時には、

 

相反する「感情」が同居する自己矛盾も含まれている

 

という場合があります。
例えば、「愛憎」という言葉があります。
そこで皆さんにご質問致します。
例えば、喜びでも悲しみでも何でも構いませんが、

 

皆さんは「感情」というものを・・・
誰かに教わったのでしょうか・・・
あるいは、意識的に学んだのでしょうか・・・

そして、教わり学んだとすれば、「愛憎」のような矛盾が同居している「感情」を、

どのように説明されて納得したのでしょうか・・・

 

意地悪な質問ですいません(笑)
赤ちゃんを観察すれば、「感情」は教わったり学んだりして身に付けたものでない事は、誰の目にも明らかであるかと思います。
ただ、私達は、

 

「感情」を伝える為の、「言葉」は教わって学んでいる

 

というのは真実でもあります。
そして、繰り返しですが、

 

「物」には「想い出」が伴い・・・
「想い出」には「感情」が伴い・・・
「感情」は誰しもに自然と備わっている・・・

 

という観点から、断捨離をしていて、

間違って処分や捨ててしまった!

というケ-スにおいても、

 

「想い出」・・・ましてや・・・「感情」を処分や捨て去ってしまうような事態は起こりようがない

 

という点もご理解頂けるかと思います。
それならば、断捨離をする際に、「物」を一度処分してしまうと、「想い出」も永久に失われる・・などのように、ビクビクする必要もありませんし、無理をして「物」に拘った断捨離をする必要性もないのかもしれません(笑)
なぜなら、繰り返しですが、断捨離とは「感情」の整理統合であるからです。
ちなみに、様々なヒ-リングやセラピ-などにおいても、

 

自分の中心に居る・有る

 

という点がよく重視されます。
これには、私個人としては頭や脳の中に意識があるとは考えておりませんが、自分の「感情」を統御している意識が頭の中にあるとイメ-ジするのは有効な手法でもあります。
そこで、自らの頭の中を「部屋」というイメ-ジで覗いてみると、

 

頭の中の部屋には、ガラクタのような様々な「物」で溢れ返っている!

 

というケ-スがよくあります。
ここでのガラクタのような「物」というのは、

 

複雑に絡み合った「感情」(の名残)

 

というシンボル・象徴・比喩となっています。
このような場合は、頭の中の部屋にあるガラクタのような様々な「物」をイメ-ジの中で片付けていく事で「感情」が整理統合されていきます。
ただ、時には少々厄介?なケ-スもあります。
それは、

 

あなたの頭の中に・・・誰か・・・が存在している

 

というケ-スです。
これは憑依と言う意味ではありません(笑)
そのあなたの頭の中の誰かとは、

 

あなたをコントロ-ルしよう!という影響を与えている誰か

 

です。
これには良い面もあれば悪い面もあります。
あなたが尊敬するような誰かが存在しているのであれば、それは様々な場面でメッセ-ジを送ってくれるがの如く、役立つ事も多々あります。
しかし、もし、頭の中の誰かが、あなたにとってネガティブな方面に向かわせていると感じるような・・・

 

あなたが自分の人生を生きていない・・・と感じる時には・・・頭の中の誰かを見つける

 

という事を意識して行ってみて下さい。
誰かを見つけてしまうと・・・自然と「自分らしさ」に気づいていくものです・・・(笑)

今回は「物」にも焦点を当てましたので、ほんの少し余談を続けます。
皆さんの中には、次のような経験をされた方もいらっしゃるかもしれません。

 

「探し物」がどうしても見つからない・・・
自分に身の覚えのない「物」が存在していた事があった・・・
以前に探した時には「探し物」はなかったのに、改めて探したら、以前探した同じ所で「探し物」が見つかった・・・

 

などの経験です(笑)
これには、記憶違いや、すっかり忘れていたケ-スなども勿論あります。
しかし、どうしても腑に落ちないような「物」の(瞬間)移動現象は、

 

アポ-ツ現象

 

とも呼ばれたりします。
科学でも解明されておりませんが、これは、

 

お茶目な霊の仕業なのでしょうか・・・?
空間の歪みによる、次元の重なりから不具合が起こったのでしょうか・・・?
あるいは、全く別の仕組みで起こっているのでしょうか・・・?

 

私にも分かりませんが、このようなアポ-ツ現象というのは、結構多くの方が経験しているものでもあります(笑)
もしかしたら、あなたも気づいていないだけで、あなたの周りでも既に起こっている現象かもしれません(笑)

2018年4月21日 02:04

当たり前「?!」と思われる視点から「今」の自分を知る

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、皆さんの中には、自分が産まれてきた理由は何なのだろう?あるいは、何か人生の目的というのはあるのだろうか?と、一度は考えた事があるという方もいらっしゃるかと思います。
答えがあるようでいて、なかなか明確には見つからないと思われている方も多いのではないでしょうか?(笑)
そこで、今回は「当たり前「?!」と思われる視点から「今」の自分を知る」というテ-マをお届け致します。

 

人それぞれの人生があるように、産まれてきた理由や人生の目的というのは、人それぞれの数がありますし、ほとんどは一つのみではなく、複数の理由や目的があるかと感じます。
ただ、誰にも当てはまっている一つの共通点というのもあります。
それは、

 

人生を通して「自分を知る」

 

という理由と目的です。
ここでの人生というのは、他者との関係を通したり、様々な出来事や状況などを通したり、といったように、それこそ望めば無限の可能性があります。
ただ、経験したくはない!という出来事などがあるのも本心かと思われます。
私自身もそのように思う事は多々?あります(笑)

 

このように人生における人との縁や出来事などを通して、私達は「自分を知る」という作業を行っているとも表現出来ますが、ここで一つの落とし穴?のようなものも存在します。
それが、

 

当たり前「?!」・・・と思い込んでいる視点

 

です。
世の中や社会においては当たり前!と思う事も勿論あります。
例えば、人を傷付けてはいけない、人には出来るだけ親切にしようなど、言わば、一部の常識やマナ-やル-ルなども含まれます。
しかし、一部の常識やマナ-やル-ルの中には、地域性による「違い」や、時代による「変化」というものも多々含まれています。
また、その中の一部には、誰かがあなたをコントロ-ルしようとしている・・・と言う意図の類(たぐい)も含まれています。

また、これは悪い事では勿論ありませんが、それぞれの育ってきた環境や教育などからも多いに影響を受けているものです。
そして、これらの環境や教育などでは、小さい頃から「長い期間」に渡り、何度も「繰り返し」行われてきているが故に、

 

本当に当たり前?・・・と思う事すら気づかない程に、当たり前!になってしまっている

 

というものもあります(笑)
そして、

 

当たり前!・・・と「長い期間」に渡って「繰り返し」思い込んできたが故に気づかない

 

という、鶏が先か卵が先か?というのと感覚的には似ている点もあります(笑)
そして、

 

当たり前!・・・と思っている事の中の一部には、「自分を知る」ことの妨げとなっている

 

ものも存在しています。
そして、「自分を知る」ことの妨げとなっているものを発見する時に「キ-ワ-ド」として活用出来るのが、

 

「長い期間」と「繰り返し」

 

です。
では、二つの話題からそれを見ていきます。
最近では、相撲界の土俵における女人禁制がニュ-スとなっておりました。
土俵上で挨拶をしていた方がご病気で倒れた際に、看護師資格を持っているとされる女性の方が救助に向かった事に対して、行司の方が女性は土俵に立ち入らないようアナウンスをしたとの出来事です。

この行司の方は、女人禁制というのは、「神事」でもあり「伝統」でもあるという仕来りを「長い期間」に渡って「繰り返し」教えられてきた事と思います。
そして、それが故に、

 

どのような状況であろうとも女人禁制が当たり前!

 

であり、とっさの出来事とは言え、本当に当たり前?という点に疑問を差し挟む事すら気づかなかった事と思われます。
このニュ-スについては、おそらく、多くの方が、このような人名救助という観点から見てもおかしいのでは?あるいは、あまりにも杓子定規過ぎているのでは?と思われている事かもしれませんし、完璧に女性差別ではないか!との意見もある事と思います(笑)
そして、既にお分かりでしょうが、これには、

 

想像力を活用すれば・・・答えが出る

 

というものです。
そして、皆さんにとっては釈迦に説法かと思いますが、もし、土俵上で倒れたのが、

 

あなたの家族や知人であったならば・・・
あるいは、
あなた自身であったならば・・・

 

という視点です。
そして、女人禁制というのは別としても、全ての伝統がおかしいものであるとか、あるいは、否定や非難されるものではありませんが、もし仮に「神」が存在するとしたら、

 

「神」が・・・人の「命」よりも・・・土俵という「物」を重んじる・・・はずはない

 

という事は容易に理解出来るかと思われます。
また、相撲ではないものの、神事というものの中には、古来においては豊作祈願や悪天候を鎮める為などと称し、残念ながら「生け贄」という儀式が行われてきた歴史も多々あります。
これは、日本に限らず世界各国でも同様です。
そして、仮に「神」が存在するとしたら、

 

男女の別で差別をする・・・はずはないし・・・そもそも、いかなる差別もしない・・・

 

というのも同じ事です。
これには、「女神」が嫉妬するから・・・などの理由とも言われていますが、正直、これも想像力を活用すれば容易に答えが出る事と思われます。なぜなら、

 

嫉妬という「感情」は「人間」のものであって、「神」が嫉妬する・・・というのはあり得ない

 

からです。
そして、同様に世界各国の宗教などの一部でも「方便」を用いる事で、男女差別や、時には人種差別なども行われているケ-スは多々あります。
そして、あくまで私の個人的見解ですが、このような、男女という身体の機能性としての「区別」ではなく、単なる「差別」と思われる風習などの多くは、

 

「神」の名を「人の中の怖れをくすぐる」ために・・・「人間」が乱用や悪用している

 

と感じます。
このような本質は、宗教観の違いや、人種間の違いの争いでも同様ですし、「神」という名を「他の何か」に置き換えて、同じような出来事は私達の身近な身の周りでも見受けられる事でもあります。
そのような意味でも、「女神」という名を「方便」としていること自体が、「女性」を何かの別物?と扱っているとは思われませんでしょうか?
実際にも「男神」という言葉は、ほとんど耳にする機会はないかと思われます(笑)

なお、今回のテ-マとして、私はあらゆる宗教や神事や伝統などを非難や否定している訳では勿論ありませんし、是非を問うている訳でもありませんし、神の存否を検討している訳でも勿論ございませんので(笑)
あくまで、今回の「自分を知る」というテ-マに繋げていくための一つの素材として取り上げております。
そして、冷静に考えた時に、「神」が「人間」を支配しコントロ-ルしたい、あるいは、コントロ-ル出来るのであれば、

 

そもそも「人間」が存在する理由も目的も消滅する

 

という事になります。
そして、繰り返しですが、

 

「人間」をコントロ-ルしたいという欲求は・・・「神」が持つのではなく・・・「人間」が持つ「感情」

 

であるという点です。
少し話が逸れましたが、女人禁制という考え方一つ取ってみても、古来では様々な理由付けがなされてきた事と感じますが、少なくとも「今」という時代に当たっては、神事や伝統という理由だけで当たり前!というように、まかり通る性質のものではないと私自身は考えています。
そして、このTOPICSをお読みになって頂いている方の多くは女性の方であるかもしれませんが、私が男性という立場から考えても、

 

女性という立場に立って・・・想像力を活用すれば・・・様々な事柄で、本当にそれが当たり前?

 

という視点に気づく事が出来るかと思いますし、この視点は自戒も込めながら、特に「今」の男性の側に必要なものであるとも感じています(苦笑)

ちなみに、話が逸れたついでに、神社などでお参りする時の「二礼」とは、「人と神の間」ではエネルギ-の大きな隔たりがあるため祈りなどが届きにくいという観点から、(何と呼んでも構いませんが)守護霊?さんなどに仲介を依頼する為も含めて「二礼」になっていると言われています。
そして、このような趣旨での伝統や儀式においては、人間や男女などにおいても、差別的な要素もなく、全く差し障りのあるものではない部分もあるかもしれません(笑)

 

では次ですが、現アメリカ大統領は、就任前から、そして、就任後もツイッタ-で様々な発言をしているのはご存じかと思います。
その発言内容や言葉が非常に乱暴な面も問題となったりしておりますが、時にはSNSなどを通しての方が似つかわしい話題があるのは理解出来ます。
しかし、就任前から就任後も、「長い期間」に渡って「繰り返し」ツイッタ-で発言している事が、

 

「今」では当たり前!のようになっており・・・
ニュ-スでも当たり前!のように取り上げられ・・・
当たり前!になってしまっているが故に、観ている側もあまり「違和感」を感じなくなってしまっている・・・

 

のでは?という傾向は感じませんでしょうか・・・
これも冷静に考えると、アメリカという大国の大統領が、自国内の政策などであればいざ知らず、世界的に考えたり協議をしたりする必要性がある課題や問題についても、自国の利益の為!自分の考えのみが正しい!と公言していながら、しかも、その発言が記者会見や会議場などではなく、ツイッタ-での発言が当たり前!のようになってしまっているというのは、私にはとても「違和感」があり、今ではこのようなツイッタ-での発言が当たり前!になってしまって、慣れてきている?というのは???な感じを受けます。
勿論、これもツイッタ-という機能やサ-ビスが悪い訳ではありません(笑)

 

そして、このツイッタ-での発言には、本人に知らせる前に解雇を発表し、解雇される本人はツイッタ-での発言がニュ-スになった事で自分が解雇される事を知る・・・という状況も産み出されている模様です。
では、ここでも想像力を活用して考えてみて下さい。

 

もし、あなたが働いていて・・・
会社の社長が、社内での業務連絡のような一斉メ-ルで・・・
あなたが解雇されるという事実を知ったのならば・・・

 

あなたはどのように思い、どのように感じるでしょうか・・・。
これは、辞令の発令などとは、全く性質を異にするものです。
そして、

 

冷静に考えてみると、当たり前?と感じる事柄でも・・・
「長い間」「繰り返し」受け入れ続けて来ている事で・・・
いつの間にか、当たり前!に変化していき・・・
当たり前!であると思い込んでいるが故に・・・
気づくのがドンドン難しくなっていく・・・

 

という傾向に繋がりやすくなっていきます。
そして、このような傾向は、

 

私達の心や意識の中でも日常的(自動的)に行われている

 

ものです。
そして、

 

自分の中で当たり前!と思っていた事柄に・・・
本当に当たり前?・・・
という想像力を活用する事によって・・・

自分の中に芽生えた「違和感」・・・
この「違和感」が・・・
「今」のあなたを知る・・・

 

という事に繋がっていきます。
そして、これに自分でも気づかずにいるという事は、

 

あなたは「今」を生きているようであっても・・・
実は・・・
「過去」の自分のままで「今」を生きている・・・

 

という道を歩んでいる事にもなりかねません。
勿論、振り返ってみて、「過去」も「今」も変わらないという事柄もあるのが自然でもありますし、それで良いと思います。
そして、「今」は当たり前!と思っている事柄が、「将来」では「違和感」を感じてその時に変えていくのも自然な事ですし、それも良いと思います。
全てを何かの枠にはめたり、固定化する必要性はありません。
そして、このような当たり前?!に気づいていくには、まずは、

 

当たり前!と思っている事柄に改めて目を向けてみて・・・
その事柄に対して想像力を活用し・・・
その想像力で産み出された場面などで「違和感」を感じる部分・・・
その部分が「今」のあなたであり・・・
それが「今」の自分を知る・・・

 

という流れになっていきます。
そして、今回、当たり前?!というテ-マを取り上げた理由の一つとしては、カウンセリングなどを行っていても、

 

自分は本当は「違う」と感じている事象などが・・・
周りの人の中では当たり前!と解釈されているが故に・・・
なかなか自分が理解されずに・・・
生き辛さや息苦しさを感じていたり・・・
はたまた、「違う」と感じている自分の方がおかしいのでは?・・・

 

などのお悩みを抱えている方々も結構多いからです。
結論として言えば、周りと「違う」というのはおかしい事でも何でもありません!
「違い」があるのが自然で当然の事でもあります。
それは、今回のテ-マの当たり前?!という視点から改めて考えた時にも、ご理解頂ける事かと思います。
ただ、「違い」があって自然とは言え、やはり、世の中や社会においては「共存」という視点も必要ですので、何でもわがままし放題でも良い!という意味合いでは決してありませんので!!!(笑)

では、少し視点を変えてみると、このような傾向はいわゆる「迷信」と言われている中でも見受けられます。
皆さんも次のような言葉を聞いた事はありませんでしょうか?

 

3人で写真を撮ると、真ん中に写っている人は一番早く亡くなる(他界する)

 

と。
なので、真ん中では写りたくない!と思って、そのように行動してしまう、という事ですが(笑)
このような「迷信」などは、本来は生きる上での「智慧」として活用されているものですが、「長い間」「繰り返し」引き継がれている事で、結果のみに着目されるようになってしまう部分があるのも事実です。
今回の3人の写真撮影に関する迷信では、3人で写真撮影をする場合には、真ん中の人は一番目立つという事もあって、

 

(自分が一番早く他界するかもしれないので、この世の記念として)
今回はご厚意に甘えて、真ん中で写させて貰います

 

という「心映え」の「言葉」として活用されて来たというのが本来の意味です。
しかし、この迷信を当たり前!というように真に受けてしまうと、3人での写真撮影を実行するのは不可能になってしまう事でしょう(笑)
誰しもが一番先に他界したくない!と思うのは、それこそ、当たり前!であるからかもしれません(笑)
今回のような当たり前?!に気づきづらいという意味では、「ある事に熱中して抜け出る事が出来なくなる」という意味の「病膏肓(こうこう)に入(い)る」という故事も似ているかもしれません。

 

今回も偉そうに?TOPICSをお伝えして参りましたが、これは、私自身への自戒も込めています(笑)
私自身も当たり前?!と思っている事柄は多々ありますし、やはり、自分では気づきづらい面も確かに感じる事も多々あります。
そして、今回お伝えした「想像力」の活用も勿論ですが、やはり「他者」を鏡として自分を知る・・・というのが、一番楽で簡単な方法かな?とも感じております。
そして、今回は「神」や「人間」などの「言葉」を活用して参りましたが、

 

「人間」という「言葉」は・・・
なぜ「人」の「間」と書くのでしょうか・・・?
「人間」という存在は・・・「何か」と「何か」の「間」に存在しているのでしょうか・・・?

私にも答えは分かりませんが・・・(笑)

2018年4月14日 03:04

「喚起と暗示」により、あなたの記憶と感情を呼び起こす

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

前回のTOPICSにおいては、「春」という時季は出逢いと別れの季節でもあり、それにより、多くの「意識」というエネルギ-が渦巻いている頃合いでもあります、とお伝え致しました。
そして、やはり、このように周囲に醸し出される多くのエネルギ-を活用しない手はありません(笑)
そこで今回は、「「喚起と暗示」により、あなたの記憶と感情を呼び起こす」というテ-マをお届け致します。

 

ところで、「喚起と暗示」という所から、今回はヒプノセラピ-(催眠療法)の手法を活用していきますが、ヒプノセラピ-は必ずしも直接「目の前」に対峙せずとも、このような「文章という言葉」でも可能ですし、また、「目」を瞑(つむ)ったりしなくとも可能なセラピ-です。
「「目」を瞑ってこのTOPICSをお読み下さい」とお伝えしても不可能な事でもあります(笑)

そして、今回は「今」このTOPICSをお読みになって頂いている皆さんの「記憶と感情」を呼び起こし、そして、「無意識の学び」という「体験」を得て頂ければ、との目標にしておりますが、お読みになって頂いている間にその事を「意識する」必要性は全くありません。
おそらく、皆さん自身もその事に「意識的に」気づく事は、ほぼない事と思われますし、それで大丈夫です(笑)
ちなみに今回の手法は、このTOPICSでも何度かお伝えしております、20世紀最大の催眠療法家と称されるミルトン・エリクソン氏の手法を取り入れております。
では、TOPICSを進めて行くに辺りまして、まず、私はカウンセリングなどにおいても、

 

自らの「体験や出来事」をさらけ出してお話する

 

という事もよく活用します。
しかし、これは「私の方が辛い「体験」をしたので、あなたは大丈夫ですよ!」といった、「励まし」という意味でお話している訳ではありません。
「体験や出来事」などは、他の人と比較出来るものではありませんし、これが昂じていくと、「不幸話の自慢大会」という「共依存」に陥ってしまいます(笑)
そして、このような趣旨でカウンセリングなどを行っていては、そもそも、クライアントの方の役には全く立たなくなってしまいます。
極論すれば、私の不幸?「体験」をお伝えした所で、クライアントの方にとっては、お金と時間の無駄になってしまいます(苦笑)
また、以前にも何度か取り上げた事がありますが、私はクライアントの方から、次のような「お言葉」を聞かせて貰う事もよくあります。

 

以前にカウンセリングやセラピ-を受けた時に、カウンセラ-やセラピストから怒られて怖くなってしまった・・・

 

と。
私の行っているヒプノセラピスト認定講座では、このような、

 

クライアントとセラピストが陥りやすい注意点

 

というのも教えております。
これには幾つかの「兆候と現象」がありますが、その中でも、一番多く起こりがちなのが、

 

「クライアント = 劣」&「セラピスト = 優」 という、「優劣関係」

 

です。
セラピストなどと言えども、「日常生活」においては悩みや気に掛かる事なども勿論あります(笑)
クライアントの方や皆さんとも変わらずにセラピストなども同じ「普通」の人間ですし、それが、当然で「自然」な事でもあります。
なので、カウンセリングの「場」などにおいても、

 

そもそも「優劣」などの関係は、本来は発生し得ない

 

ものです。
それなのに、怒られるなどの状況が生じてしまうというのは、

 

セラピストなどの側が、クライアントの方の内面に、自分と同じもの(嫌な面など)を発見し、過剰に反応している

 

という時に起こっていると推測されます。
カウンセリングやセラピ-の「場」などで、「叱咤激励」の「激励」がされる事はありますが、叱咤される事はありませんので、どうぞご安心下さい!
そして、「自由」に何でも「連想」して、お話頂いて大丈夫です(笑)

 

さあ、では、本題に入っていきますが、実は、ここ迄で、「喚起と暗示」のほぼ3分の1が既に行われています。
お気づきになりましたでしょうか?
勿論、気づいていなくとも全く大丈夫ですし、S.Light.Mの宣伝をしていた訳ではありません(笑)

では、ここからは、私自身の「春」にまつわる「体験」を、「記憶」を呼び起こしながら、ほんのちょっとした、その「当時の感情」などを交えてお伝えして参りますが、皆さんは、私が「日記」のような感じで振り返っているようなものと、気軽に「目」を通して頂くだけで大丈夫です。
そして、瀬川さんは弱いなぁ、お子ちゃまだなぁ、などの感想を持っても全くの自由です(笑)
そして、次第に皆さん自身の「記憶と感情」を呼び起こし、「無意識の学び」へと繋がっていく「体験」が可能となるかもしれませんので・・・
では、私の「体験」にまつわる、つぶやきを開始していきます・・・

 

最初は、私が「幼稚園」に入る時の事です。
4歳位の頃合いでしょうか・・・
その頃までの私は、親と長時間離れて過ごすという「体験」は、ほとんどありませんでした。
そして、入園当初、その幼稚園から家の前まで大きめのバスが迎えに来てくれます。
しかし、私は「行きたくない!」と泣いて騒ぎ始めました。
すると、幼稚園の先生?あるいは、バスの運転手さん?が、有無を言わせず私を担ぎ上げて、そのままバスに乗せてしまいました。
この「体験」を振り返っている「今」の私は、その「光景」を自分自身の「内側」からではなく、自分自身の「外側」から「見て」います・・・

 

次は、「小学校」入学当初です。
その頃は弘前という所に住んでおりましたが、近くの学区の小学校の「入学体験」?というのも、既に済ませておりました。
しかし、小さい頃の「おぼろげな記憶」なので確かではありませんが、小学校への入学を目前に控えた所で、父の仕事の転勤で五所川原という地に引っ越しする事になりました。
私には五所川原という土地にはほとんど「馴染み」もなく、小学校までの道のりすら、「未知」のものと思えていました。
まさに、何も分からずに「舞い降りた」土地のようであり、不安もあった事でしょう・・・

 

登校初日、家から少し出たのはいいものの、また?「行きたくない!」と路上で泣いて騒ぎ始めました。
すると、同じ入学生の人が歩いていたので、母はその子に私を「一緒」に連れて行ってくれるよう頼みました。
幼稚園とは違い、バスでの送り迎えもあるはずがありません。
一週間ほどでしょうか?・・・「同じような事」を繰り返しながらも、小学校に通えるようになりました。

 

ちなみに、これは「春」の季節ではありませんが、私は小学校1年生から4年生位まで、剣道を習っておりましたが、確か、小学校2~3年生位の時だったかと思います。
多くの剣道場の生徒が集まって、山の中の施設での3泊4日?ほどの合宿がありました。
おそらく、それほど多くの「見知らぬ人との集団生活」を送るというのは、その時が「初めて」だったかもしれません・・・
すると、私は夜になると、またもや?「家に帰りたい!」と泣いていました。
おそらく、それを見かねた?先生方が、夜に母を呼び出しましたが、勿論それで私が家に帰れるほど甘くはありませんでした。
夜になると泣きながら、あと「3日」、あと「2日」・・・やっと「1日(明日)」・・・と家に帰れる日を指折り「数えていた」のを覚えています・・・

 

そして、「中学生」になりました。
私の年代はいわゆる第二次ベビ-ブ-ムと呼ばれる世代です。
入学する中学校は、市内の多くの小学生が集まってくる所でした。
1学年が11~12クラスほどあり、1クラス40人ほどでしたので、1学年400人を上回り、全学年を合わせると、1500人前後が生徒だけで存在していた事になるでしょう。
「今」という時代では「想像」も出来ない?ような環境や状況であるかもしれません・・・
ところで、話の流れで「瀬川さんは、また泣いたの?」と思われている頃合いかもしれませんが、さすがに、「この頃」にはそのような事はありません(笑)

 

小学校はトレパン(今で言うジャ-ジ)で通っていましたが、中学生になると「学生服」になります。
また、「成長期」でも最たる時期でもありますので、それこそ、1~2歳の違いで「体格」も大きく違います。
その当時は、映画「ビ-バップ・ハイスク-ル」などの影響もあり、多くが変形学生服を着るのが流行でもあり、いわゆるヤンキ-世代まっただ中です。
私はそれほどの度胸もありませんでしたが、周りに倣って?プチ変形学生服を着ていました。

 

そして、「今」の私は、同世代のお近くのクライアントの方などと、この「当時」のお話をすると、「瀬川さんの通っていた中学校は荒れていて、とても怖いイメ-ジを「当時」は持っていました!」と言われる事がよくあります(笑)
「服装」を始め、「体格」、そして、いわゆる「思春期」とも言われる時期ですが、これほど多くの「人という集団」での生活は、産まれて初めて「体験」する事でもありました・・・

 

そして、「高校」への入学です。
小学校から中学校までは、ほとんどが同じ小学校の人が同じ中学校へ通う事もあり、「春」は出逢いの側面が強い季節でしたが、高校となると様々な進路などの「違い」により、今までの人間関係の中では別れが多くなる頃合いでもあります。
高校では、電車通学をしている人もいれば、親元を離れて下宿をしている人もおりました。
今までの自分が「体験」していた「人間関係における地域」が更に「広がる」時期でもあります。
「地域が広がる」という事は、「環境や文化などの違い」がある人達との関係性を取り入れていく事が必要にもなります。
そして、私は高校生の時もプチ変形学生服を着ておりましたが、そのような「自己表現」においては中学生とは比べものにならないほど、「先を見越した考え方や生き方」が現れてくる人達との出逢いの季節でもあります・・・

 

そして、ここから多くの場合では、就職あるいは大学進学という流れになるのでしょうが、私は2年ほど「足踏み」をしておりましたので、その「体験」を続けていきます(笑)

 

1年目の浪人時代です。
東京の予備校に入学手続きを済ませ、次は「生活」をする場所探しが始まりました。
そこで予備校が斡旋していた下宿屋を何ケ所か廻りました。
そして、ある下宿屋に決めようとなった所で、その下宿屋の方から「他の人と一緒に「お風呂」に入る事は出来ますか?」と訊ねられました。
私は「大丈夫です」と答えましたが理由を尋ねると、「最近の子は他の人に「裸」を見られるのが嫌だと感じる子が多いもので」と答えていました・・・

 

そして、その下宿屋に決まりましたが、時間制限はあるものの食事付き、部屋は6畳でトイレは共同、顔などを洗う流し場は数カ所あるもののお湯は出ません。洗濯はコインランドリ-。携帯電話は普及しておりませんでしたので公衆電話を使用。そして、お風呂は銭湯通いです。
母と関東の大学に入学が決まった友達に手伝って貰い、簡単な引っ越しのように部屋を整理し終え二人は帰っていきました。
すると、始めての一人暮らしのようなもの・・・これまで洗濯や掃除は自分ではした事もなく・・・(東京の大学に入学した友達は数人いるものの)他に見知る人もおらず・・・これから先の合格出来るという保証もない「不安」など・・・が突如と私を襲って、一種の「ホ-ムシック」のような感傷を受けました。

 

1時間ほどそのような心の状態でしたが、先に「生活」を始めていた人が部屋の扉を「ノック」してくれて、色々と話して自分も何となく落ち着いてきて、その人と一緒に「銭湯」に向かいました。
「今にして思えば」始めての事なども多く大変な事もありましたが、結構楽しく生活に「馴染んで」いきました。
そして、結果は受けた大学は全て不合格となりました。
予備校に通っているという事だけで「勉強した気になっていただけ」・・・と「今にして思えば」感じます。

 

そして、2浪目に突入しました。
1年目の下宿屋は廃止となった為、近くの別の下宿屋に「移り」ました。
部屋は4畳半と狭くはなったものの、人数も少なく、小綺麗な所でもありました。
全ての大学が不合格になった時は、呆然としたり、どうしようという気持ちもありましたが、2浪目の生活を始める際には、「後がない」と言うよりも「ただ、やるしかない」という、どこか「別の感覚の自分」がいたように思い返されるのと、本当に「熱い火」は「赤い炎」ではなく「青い炎」であるような感じです・・・

 

そして、「春」の季節ではありませんが、2浪目の時は12月31日にも模擬試験が入っておりました。
大晦日と言う事もあり、その日は下宿屋でも食事は出ず、銭湯も7時頃で閉まってしまいます。
模擬試験を終えて戻って来た頃は夕方5時過ぎでしたので、まずは銭湯に行き、帰りにコンビニ弁当を買って帰りました。
それから、「普段通り」に模擬試験の答え合わせと間違った所の復習などをして年末は過ぎました。

 

2浪目は予備校入学当初から1日も休まず勉強し続けていましたが、翌日の元旦だけは「休む」事に決めました。
そして、その元旦の日は、今まで味わった事のない「1日」となりました。
「時間がゆったりと長く」感じ、「休む」という本当の意味を味わった感じです。
これから先では「体験したくない日」であると同時に、「もう体験出来ない日」という「特別な休日」です・・・

 

そして、大学入学が決まり入学式に向かいました。
その大学は全国各地から集まってくる事もあり、とてつもなく多くの学生で溢れかえっています。
入学式が始まるのをキャンパスで待っていましたが、ここでも知り合いはいなく「一人」で過ごしていました。
入学式を終え、キャンパス内ではサ-クルなどの勧誘が活況を帯びています。
そこで、私は野球サ-クルに入りたいと思い、その「場」へ向かいました。
そこでは同じ入学生が多くおりましたが、同学年とは言え、ほとんどは私よりも「年は下」ですが、そのような点も「全く気にならず」すぐに「打ち解けて」、翌日にはそのサ-クルで同じ新入生を「勧誘される側」ではなく「勧誘する側」に廻っていました。

 

それから4年が経ち、大学院に進学する事となりました。
つい先日、多くの友達が就職という道に進み「卒業式」という「別れ」を「体験」した「同じ場所」で、私は「新たな入学式」に出席しました。
全く「変わらない景色」の中で・・・

 

それから2年が経ち、社会人としての仕事の「生活」が始まり、事務所を転職したり、経営者にもなったりと、それからの私も「変化」を「体験」していきますが、それは「春」という時季に限らず、その「変化」は自分が変わろうと思えば・・・「いつでも、どこでも・・・」という状況で「今」に至っております・・・

 

では、私のつぶやきはここで終了です。
ここまでの私のつぶやきの「体験や出来事」に対して、特に感想などをお持ち頂く事は全く必要ありません(笑)
何かの「記憶」を思い出された方もいらっしゃるかもしれませんし、何も思い出さなかった方もいらっしゃるかもしれません・・・
あるいは、何かの「感情」なども・・・
あるいは、何かの「体験」なども・・・
ここまでの内容は、「見た目」は私自身の「体験」をお伝えしておりますが、

 

「あなたの記憶と感情」を呼び起こす為に

 

行われていたものです。
「喚起と暗示」以外の、複数のヒプノの手法も取り入れられています。
そして、おそらく多くの方が読み終わっても、

 

特にこれと言って、何も感じない・・・

 

と思われているかもしれません(笑)
今回の手法においては、「意識的に」気づいている方もいらっしゃるかもしれませんが、ほとんどが、

 

「無意識による学び」を「体験」出来る

 

ように構成しております。
そして、ここでお伝えするのは反則?かもしれませんが、ここまで読み終えて頂いているという事は、

 

着実にあなたの中の「無意識」は「変化」している

 

という「体験」を終えているという事にもなります。
勿論、ネガティブな方面ではなく、ポジティブな方面への「変化」ですのでご安心下さい(笑)
そして、この「変化」が現れてくるのは、

 

すぐ、かもしれませんし・・・
数日後、かもしれませんし・・・
今夜見る「夢」の中、かもしれません・・・

そして、

このような「変化」に、どのように「気づく」かはあなた次第

 

です(笑)
ヒプノの細かい手法は脇に置いておきますが、今回のような「ある体験を伝える」という事は、誰しもが「日常的」に行っている事でもあります。
もしかしたら、職場の飲み会などでは繰り返し同じ「体験談や武勇伝?」を延々と続けられて、耳に「タコ」が出来る程聞かされ、ウンザリしている方もいらっしゃるかもしれません(笑)

「ヒプノ」や「催眠」という言葉からも、どこか「特別」な「別の世界」の事で、「訓練」した人しか行えない「難しい」作業と思っている方も多いかと思われますが、実は、

 

私達は「無意識で」同じ・似たような事を、「日常的」に行っている

 

というのが真実です。
これが、

 

コミュニケ-ション

 

と言われているものでもあります。
ちなみに、今回活用したヒプノの一部の手法のヒントですが、それは、(全てではなく)一部の「 」(カギ括弧)の中に潜ませておりますので、興味のある方は探してみて下さい(笑)

2018年4月7日 04:04

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