ペットなどの動物の魂はどうなっているの?

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、ここ数年来に始まった事ではありませんが、犬や猫などのペットとして飼われていた動物の殺処分の件数も未だにとても多い模様ですし、また、日本には本来生存していないはずの外来種なども多数発見されているとの事です。
また、長年家族と同様に生活していたペットが他界した事による「ペットロス症候群」という言葉も長く使われ続けている状況です。
そこで、今回は「ペットなどの動物の魂はどうなっているの?」というテ-マをお届け致します。

 

なお、今回のテ-マに関しては、「ある部分」を除いて、私もほとんど実体験というのがありませんので、私が今まで書籍で読んだり、見聞きしてきた内容を基に、今の所は主流?と言われている説などをご紹介する形式で進めて参ります。

ちなみに、私は父の仕事の関係で長く社宅生活を送っていましたので、犬などのペットは飼った事がありません。
そのような中でも、金魚、クワガタ、ザリガニ、インコなどは飼った事がありますが、おぼろげな記憶ながらも、金魚は冬場に水槽の水が凍ってしまった・・・ザリガニは水槽掃除をしている時に、間違って下水に流してしまった・・・インコは旅行から帰って来たら、何者かに食べられてしまっていた・・・野良犬に餌を与えていたら懐いてくれて可愛がっていたが、社宅という事もあり、保健所に連れていかれてしまった・・・などの苦い経験がほとんどです(苦笑)
そして、今回のテ-マの本当の趣旨となっているのは、

 

改めて私達「人間」という「魂」を知る・考えるキッカケへ・・・

 

という点です(笑)
では、進めて参りますが、今回のテ-マでまず最初に考えられるのが、

 

ダ-ウィンの進化論

 

という点が挙げられます。
皆さんも一度は言葉だけでも聞いた事があるかと思われますが、このダ-ウィンの進化論の核心となっているのを簡単に表現すると、

 

全ての生物は同じ源から発生し、進化を通しての過程で産まれてきている

 

という説です。
例えば、「人間」を例として、この進化論に当てはめたものが、学校で習った方も多くいらっしゃるかと思われますが、

 

猿人(アウストラロピテクス)

原人(ジャワ・北京原人)

旧人(ネアンデルタ-ル人)

新人(クロマニョン人、ホモ・サピエンス)

 

のように、進化を辿ってきたという説です。
ただ、この説には一つの疑問が残されている点も存在しています。
それは、

 

ミッシングリンク

 

と呼ばれている現象です。
このミッシングリンクとは、

 

進化の移行過程が見つかっていない

 

というものです。
少しイメ-ジが掴みづらいかとも思われますので、「水」を素材として簡単に見ていきます。
なお、あくまでイメ-ジケ-スですので、「水」が進化しているという訳ではありません(笑)
では、仮に、「水」を進化のケ-スとして捉えた場合、

 

空気:気体(発生時)

水:液体(移行過程)

氷:固体(現在)

上記のような進化の過程を辿っているとすると、

 

水:液体(移行過程)の部分が全く発見されていない・・・

 

というのが、ミッシングリンクと呼ばれている現象です。
なお、「水」の場合は気体から固体への変化は「昇華」と呼ばれて、証明されている普通の自然現象です(笑)

そして、よく考えてみると、確かに、キリンはキリンのまま・・・亀は亀のまま・・・のようにも感じますし・・・
ハイブリッドトカゲと呼ばれているのは存在するが・・・でも、トカゲはトカゲでもあるし・・・
江戸時代の男性では平均身長が150㎝ほどと言われているが・・・確かに、現在の平均身長とは違うけれども・・・体格の違いが進化と呼べるものなのか・・・

などの見解もある事と思います(笑)
そして、ダ-ウィン自身も、自分の説が正しいとは主張していないのと、反論の余地や、別の説が成り立ち得る可能性もある、とお話しております(笑)
ただ、今回のテ-マとも繋がるのですが、私自身も、この進化論の「一部」を別の観点から捉えた場合の、

 

全ての生物は同じ源・・・

 

という点に関しては、ある種の同意を感じる所もあります・・・それが何かは・・・もうお分かりかもしれませんね(笑)
その観点は、やはり、

 

 

という「一致点」です(笑)
では、ここで少し「魂の進化論」をお伝えしますが、当然の事ながら、これは科学的・医学的にも全く証明されているものではありません(笑)
ここでお伝えするのは、最初にお断りしました、私の実体験からではなく、書籍などを通しての、現在の所の主流?と言われている考え方です。
では、魂の進化がどのようになっているかと言うと、

 

鉱物(霊) → 植物(霊) → 動物(霊) → 人(霊)

 

と言われています。
ここでは、完璧なるミッシングリンクが見られますね!(笑)
しかし、これは当然の事かもしれません。
なぜなら、この魂の進化という観点においては、

 

宿る対象が進化するのではなく・・・
宿っている魂(霊)の視野としての進化・・・

 

であるからです。
そして、この過程はいわゆる「本能」と「理性」という観点から捉えられる事もあります。
では、「本能と理性の強さ」で順番を見てみます。

 

本能 → ①鉱物 ②植物 ③動物 ④人
理性 → ①人 ②動物 ③植物 ④鉱物

 

というように、順番が真逆になります。
そして、このような観点からは、人にも本能というのが備わっているのがお分かりになる事と思いますが、今回のテ-マでの動物を取り上げると、

 

動物は本能の方が圧倒的に勝(まさ)っているが・・・
それと同時に、
理性の部分を進化させようとしている・・・

 

という事が当てはまります。
そして、ペットとして飼われる動物というのは、

 

理性を進化させる学びを続け・・・人(霊)への進化へと進んでいる・・・そして、この進化は魂の観点として・・・

 

とも言われています。
ペットの躾(しつけ)などでは、ままならない点もありながらも、ちゃんと家族の一員としてのル-ルに従う事も出来るし、

 

何より・・・飼い主への愛情を示す・・・

 

というのは、ペットを飼われた経験がある方、そして、現在ペットを飼われている方であれば、容易に実感しやすい事と思われます(笑)
そして、このような事から「ペットロス症候群」というのが起こるのも理解出来るかと思われます。
では、ここで動物に関するスピリチュアルな視点をお伝え致しますが、動物と一括(くく)りに言っても、そこではやはり、人と接する機会の多い犬や猫などと、金魚やザリガニなどにおいては、進化の過程という意味での「差異」は生じます。
そして、ペットとして飼われている犬や猫などの場合では、

 

犬や猫が他界しても・・・この世への執着がほとんどないため・・・つまり、本能の部分が勝(まさ)っているため・・・この世に留まる事はほとんどない・・・

しかし、

愛情ある飼い主が他界した際は・・・ちゃんとあの世で待っていて・・・逢いに来てくれる・・・

 

と言われています。
そして、

 

飼われていた当時の想い出や感情・・・そして、あの世での再会などの経験を通じて・・・人(霊)への進化を学んでいる・・・

 

とも言われています。
そして、ここで一つの疑問が湧いてくるかもしれません?
それは、

 

源が同じ魂の存在を「食べる」対象としても良いものなのか?

 

というものです。
現在では科学の発展なども目覚ましいものがありますが、古来の人と現在の人においても、

 

何かを「食する」事で人としての生命を維持し、それが故に、様々な体験を学び通す事が出来る

 

という点は変わらずに一緒です。
もしかしたら、かなり未来では、人であっても何も食する必要性も無くなるのかもしれませんが(笑)
つまり、鉱物においても、建物などの様々な原料として加工されていますし、牛や豚や鳥、お魚、そして、野菜なども全ては生命であるという点では皆同じです。
そして、なかなか適切な表現は難しいですが、

 

食されるという事も含め、それぞれの魂としての進化の過程に組み込まれている・・・
そして、組み込まれている部分の多くに「本能」も関与している・・・

 

という捉え方もなされています。
それが故に、日本では食事をする際に、

 

(生命を)頂きます

 

との教え方もされておりますし、人としての生命維持や体験という学びの観点からも、食するに必要な点は致し方ないとしても、不要な乱獲などは人の側が考えなければならない学びの一環ともなります。
また、日本では鯨を食したりしていましたが、韓国では犬を食べますし、中国ではもっと多彩な食というものもあります。
つまり、

 

文化によって食するものにも違いが生じるのが当たり前であり・・・
同じ生命という観点からは、食べて良い生命、食べてはいけない生命という区別はない・・・

という点に行き着きますが、

現在の人の世界では、「食」という観点のみでも、自らの文化のみを正当化し、他国の文化を否定しようとする

 

という傾向も多々見受けられます。
それが故に、「理性」が勝(まさ)っている人同士の間では、まずもって、人同士を食べ合うという行為は行われていません・・・
そして、最初に「改めて私達「人間」という「魂」を知る・考えるキッカケへ・・・」とお伝え致しましたが、

 

人は万物の長

 

とも言われたりしています。
しかし、この本来の意味は、

 

人は・・・あらゆる生命の最高位に「君臨」しているのではなく・・・
人は・・・他の魂という生命の進化の「お手本」となるべく存在している・・・

 

というように私自身は解釈しています。
では、現在の人の世界は如何でしょうか?
人同士で食べ合うという事はしていないまでも、価値観や宗教観の相違、あるいは、ほんの些細な違いによって罵(ののし)りあったり、挙げ句の果てには戦争という行為で殺し合ったりしています。

そして、ほんの数ヶ月前の悲惨な事件なども忘れてしまう位に、ここ最近では、人同士の殺戮や事件などがあまりにも多過ぎるように感じます。
勿論、少ないから良しというものでも決してありません。
そして、このような傾向は、

 

必ずあなたの身近な身の周りでも「本質が同じ」現象は起こっている

 

はずです。
では、このような最近の動向を見ると、現在の人というのは、

 

本当に他の魂(鉱物・植物・動物)と比較して・・・理性が一番勝(まさ)っている・・・と言えるのであろうか・・・?

そして、

本当に万物の長と呼べるような存在なのであろうか・・・?

そして、

仮に、万物の長と呼べるとしても・・・それは、あくまで「地球上だけ」の事・・・

 

と言えるかもしれません。
このような意味からも、全てを効率的・合理的に考え判断する「人工知能」にいつか「人」という存在は、取って変わられるのかもしれません・・・?(笑)

そして、自然に触れると元気や気力が取り戻せたり、落ち着く、リラックスする、また、動物と触れ合っていると癒されるという方も多いかと思われますが、今回の、「鉱物→植物→動物」という進化の過程が真実であるとすると、このような感じ方が存在する事も、あながち根拠が無い事とは言えないのかもしれません・・・
以前には「私は貝になりたい」という映画もありましたが・・・
そして、改めてのお断りですが、今回のテ-マの特に後半は証明されているものではありませんが、皆さんはどのように感じた事でしょうか?(笑)

 

そして、最初に私は「「ある部分」を除いて」とコメントしたのを覚えていらっしゃるでしょうか?(笑)
私はレイキ ヒ-リングも行っておりますが、ペットなどのご依頼のほとんどは遠隔ヒ-リングが多いです。
例えば、午後1時からご依頼のペットなどに遠隔ヒ-リングを行い、その日の夕方頃に依頼者の方に、午後1時から遠隔ヒ-リングを行わさせて頂きました、とご連絡を入れたりしておりますが、すると、依頼者の方のお返事において、そう言えば・・・

 

その時間帯にペットが妙にハシャギ回っていた・・・
その時間帯以降に、食欲が出てきた・・・

 

などのように、ヒ-リングを行わさせて頂いた時間帯とペットの変化の兆しが重なっている事が多い、とのご連絡を頂く事がよくあります。
このようなケ-スが、私が実体験として日々感じている部分であり、これが可能となっているのは、

動物も人も・・・「どこか」の源が一緒・・・?

という点なのかもしれません(笑)

2018年2月24日 03:02

不等号「>・<・≧・≦」を活用して「本質」を知る

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「不等号「>・<・≧・≦」を活用して「本質」を知る」というテ-マをお届け致しますが(ちなみに、顔文字ではありません 笑)、今回取り上げる題材などに関しても賛否を含め、様々な意見や考え方があるのが当然ですし、私の見解が正しい訳でも良しとするものでも全くありませんし、また、批判や非難などの趣旨でも決してございません。
なので、様々な視点の内の一つという意味合いで、皆さんなりの自由な発想で「本質」を考える素材としてみて下さい(笑)

なお、私のTOPICSにおいては、このような断り書きや、事前にご了承の旨をお伝えするケ-スも多いですが、これは、もしかしたら、このTOPICSが目に留まる機会が一生に一度しかない方もいらっしゃるかと思われますし、そのような際にも、ご不快な気持ちや誤解を生じさせないよう、自由に思いを巡らせて頂きたいとの趣旨ですので、毎度繰り返しで恐縮ですが、ご理解頂ければ幸いです(笑)

 

では、進めて参りますが、まず取り上げる題材は学校における3つの話題からです。
1つ目は最近のものですが、東京の銀座の公立小学校において、標準服としてアルマ-二の制服を取り入れるという題材です。
これにも賛否両論が飛び交っていますし、公立という観点から如何なものか?という意見も多くある模様です。

では、2つ目の題材ですが、これは昨年に大阪の府立高校において、元々の地毛が茶色っぽいにも関わらず、黒く染めるよう校則で強制したというニュ-スですが、人権絡みの問題としても、世界各国からも様々な意見が出され反響が大きかったものです。
中には、校則に沿うとしたら、教師が白髪染めをするのも強制するのか?といった意見も出ていた模様です。

 

まずは、皆さんはこの二つの題材から、どのように「本質」というものを連想しますでしょうか?
厳密に言えば、「本質」を考えるキッカケとなる「何か」です(笑)
この2つにおいては、比較的多くの方が感じる点かもしれませんが、小学校の保護者の方々に事前説明も全くなかった点と、高校における校則では生徒の意見が反映されていないという、

 

(どちかと言えば)「一方的に過ぎる傾向」がある

 

という点が見受けられます。
ただ、中には、保護者や生徒の意見をいちいち反映させていたら、何も物事を進めなくなってしまい、校則そのものの意味も無くなって、何でも有り!になってしまうという見解もある事でしょう。
しかし、年齢的にも高校生と言えば、かなりの自覚も出てきている頃合いですし、小学生の保護者の方であれば、社会一般においては年齢的な意味でも、充分な自覚が備わっていると判断される事かとも思われます・・・

 

では、3つ目の題材ですが、これは学校における事故の問題です。
独立行政法人 日本スポ-ツ振興センタ-(JSC)が平成27年度の調査を行った所、学校全般における体育祭やスポ-ツの部活動などにおける事故の統計は、大なり小なりを含めると約108万件程になるそうで、体育祭や運動会(騎馬戦や、むかで競争などを含め)における絞り込みをすると約13,000件となり、その中でも組み体操(タワ-・ピラミッドなどを含め)に絞り込んだ事故統計では、年間8,000件程の件数になっているとの事です。
そして、この組み体操絡みの統計を単純計算すると、1日に約21件の事故が起こっている事にもなります。
そして、この調査においては、昭和45年度からの累計として、死亡事故や重大な後遺症が残っているケ-スも多くの件数が報告されています。

 

そして、このような事故が多発している事もあり、最近ではあまりにも危険を伴う組み体操などは行わないよう通知もされている模様ですが、この調査においては、実際に行っている生徒さんの感想として、「充実感・団結・感動・・・」などの意見も多いとされています。
勿論、あらゆる危険性を排除するという観点のみでは、体育際やスポ-ツの部活動、そして、体育の授業そのものが行えなくなってしまう面もあるかもしれません。
鉄棒や跳び箱などでは、介助者が側にいたり、マットを敷く事などで、100%ではないにせよ、ある程度の事故を防ぐ為の措置が取られているケ-スもある事でしょう。

 

では、この3つ目の題材では、一応生徒さんの肯定的な感想なども取り上げられているとの観点に着目した際に、最初の1つ目と2つ目の「一方的に過ぎる傾向」という点は、ある程度はクリアされているように見受けられるかもしれませんが、「本質」を考えるキッカケとなる「何か」を皆さんはどのように考えるでしょうか?
どのような考えでも自由ですよ(笑)
そこで私の視点の一つですが、生徒さんの感想にあるように、「充実感・団結・感動・・・」などを達成する際に、

 

他に、より危険性の少ない「何か」もあるのでは?・・・という「想像力」を活用して話し合った事があるのか?

 

という点です。
学校教育という現場では、どうしても「先生から生徒へ」と一方的になりがちになる傾向があるのも理解出来ます。
ただ、組み体操は学習指導要領でも記載されておらず(かなり以前には記載されておりましたが)、昔からの伝統だから、他の学校でも行っているから、などの理由で、何となく漫然と教育の一環として行われてきた事と考えられます。
なお、私は全ての組み体操が危険という趣旨でコメントしている訳ではありません(安全に行えるものもありますので)。
ただ、このように以前からあまりにも事故件数が多いのと、死亡・重大事故にも繋がっているにも関わらず、その点に目を向けようとしてこなかったという観点に関して言えば、

 

あまりにも「想像力」が欠如していた・・・

 

との、厳しい意見が出ても致し方ないようにも感じます。
では、ここ迄で「何を伝えたいの?」「不等号はどうなったの?」と感じられている方もいらっしゃるかと思いますので、簡単に整理していきます(笑)
まず、

 

「本質」とは、もの凄く広い観点から捉えれば、「全ての本質」は「ある一点に集約」されますが・・・

様々な状況においては、「本質」は「一つのみ」ではなく「多角的な面」がある・・・

 

という表現が可能です。
そして、先の3つの題材から、私は「本質」に導かれる「何か」として、

 

「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」

 

を取り上げました。
そして、この「本質」に導いてくれる「何か」に光りを照らし、映し出してくれるもの、それは・・・

 

(イメ-ジとしての)不等号「>・<・≧・≦」

 

です(笑)
小・中学校で習ったものですが、お忘れ?になっている方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単におさらいしてみます!
ちなみに、私もこのTOPICSを書くに当たりまして、忘れていたり不安な面もありましたので、再度調べ直して勉強しました(笑)

 

「>・<」は、より大あるいは小
「≧・≦」は、より大あるいは小、または等しい

 

です。
なので、「5>3 〇」「3>3 ☓」「3≧3 〇」というようになります。
そこで、少し社会的な視野を広げて捉えてみますが、あくまで私個人が感じる「面」ですので、皆さんはどのように捉えて頂いても全くの自由です。
それは、

 

沖縄県の基地・事故問題における「アメリカ>日本(政府)」そして「(日本)政府>沖縄県」
原発問題における「経済>安全」

そして、現在行われている冬期オリンピックにおいては(政治はひとまず置いておきますが)、

(放映権の問題における競技開始時間等について)「商業(主義)>アスリ-ト」

 

という図式になっているように感じてしまいます。
これが「一方的に過ぎる傾向」と「想像力の欠如」から生み出されているのでは?・・・という点ですが、

 

上記の図式は全てが「>・<」で表現されている

 

ものです。
そして、このような行き過ぎた面があるのでは?と感じられる状況に対して変化を望む際に活用出来るのが、もうお分かりかもしれませんが、

 

「≧・≦」で表現可能なもの

 

になります。
現在の社会や世の中では、確かにあらゆる意見の全てを反映させるというのはかなり難しい事とも思われます。
そして、誰かや何かの「犠牲を強いる」という意味では無く、ある「一定点」での選択と決断は必要になってくるのも実状ではあります。
では、もう一度、不等号の「≧・≦」を見ていきます。
まず、これに数字を当てはめてみます。

 

5≧3は正解ですが、これは、5より3は大きいという意味のみならず、どちらも「3(まで)」を含んでいる

 

という意味です。
では、これに様々な考えや思いの例としてアルファベットを当てはめてみます。

 

A(という考えや思い)≧B(という考えや思い)

 

になります。
これは数字ではなく考えや思いでありますので、厳密にどちらが「大きい・小さい」でも表せませんし、ましてや一概には「正しい・間違い」との表現も当てはまりません。
そして、「≧・≦」においては、

 

「A」と「B」では違いがあっても、共通する「何か」が両方に含まれている

 

という点です。
そして、

 

この共通する「何か」が・・・(様々な状況における)「本質」

 

です。
そして、

 

不等号「≧・≦」の中に存在する、等号「=」で結ばれるものが「本質」

 

となります。
そして、

 

等号「=」を可能にするのが・・・コミュニケ-ションや対話

 

となります。
つまり、「一方的に過ぎる傾向」や「想像力の欠如」としての、不等号「>・<」のみでは、

 

様々な分断や差別・格差を生じてしまう・・・

 

という点に繋がってしまいます。
そして、先ほど「本質」は「一つのみ」ではなく「多角的な面」がある・・・とお伝えしたのは、逆に数字で表現される「5≧3」などのイメ-ジの方が理解しやすくなるかと思いますが(数値はあくまで仮のものです)、この、

 

等号「=」に含まれる「3(つ)」の共通の考えや思いが存在しているのは事実であり・・・
「(5-3=)2(つ)」においては、構成する考えや思いに相違があったとしても・・・
どちらも「3(つ)」の点では、お互いに「成り立つ」事が可能である・・・

つまり、

(「3(つ)」の)「本質」を探し出す事で、お互いに理解し合える点を、複数見つけ出す事が出来る

 

という状況に変化していきます。
広い意味での「本質」は「ある一点に集約される」とお伝えしましたが、私達が通常の日常生活を送っている中での、人間関係や出来事においては「本質」の「多角的な面」が介在している事がほとんどです。

迷いが生じた際などには、「本質」には「多角的な面」もあり、「違いの面(>・<)」のみに目を向けるのではなく、「共通する面(≧・≦)」にも目を向ける事で、「解決策も複数みつかる」という方向に繋がっていくケ-スがありますので、どうぞ、自分自身にも他の人にも、あまり厳しい目のみを向けることなく、少し「視野」を広く持ってみて下さい(笑)

 

そして、ここからは身近にある「本質」を知るという、最近の私の体験談をご紹介致しますが、これも批判や非難でもありませんし、私の中の怒りなどの感情を吐露している訳でもございませんので、誤解の無きようお願い致します(笑)
その体験談とは、とあるお寺さんとの間での事ですが、特に最近はお葬式やお墓のトラブルも急増しておりますし、私も行政書士の仕事をしていた折にも、幾つか同種の相談を受けた事もあります。
では、ご紹介して参ります!

 

私の母は6年前に他界しておりますが、その当時は私は東京で生活をしておりました。
なので、青森県内や五所川原の風習などもほとんど知らないため、葬儀会社さんにお坊さんなどの手配も含めてお願いしました。
そして、ちょうど今年が7回忌に該当している事もあって、お葬式においてお経をあげて頂いたお寺さんからハガキが届きました。
そして、そのハガキの中に、「維持・管理費の未納分があるのでご請求します」との趣旨の文言が入っておりました。

 

私はそのお寺さんにお墓がある訳でもないし、位牌の管理などの依頼もしてませんでしたし、いわゆる檀家契約(書)なども交わしておりませんので、電話をしてお話を聞いてみました。
ちなみに、最近のトラブルで多いのは、檀家さんを抜ける際に高額な請求をされるケ-スがありますので、もし檀家さんになるようでしたら、事前の説明をちゃんと聞いた上で、檀家契約(書)を交わしておくのが不要なトラブルを避ける為にも必要になると思います(笑)
すると、そこのご住職さんが、

 

「当方では一度お経をあげた人は、全て檀家とみなして請求しています。」

 

とのお答えがありました。
私は葬儀会社さんにお願いした際に、そのようなお話もありませんでしたし、そのご住職さんからもそのような説明は今までされておりませんでした。
そこで、私はお墓なども管理して頂いておりませんが、維持・管理費とはどのようなものなのでしょうか?とお尋ねしました。
すると、

 

「お寺を維持していくために必要なもので、そうしなければお寺の経営とは成り立たないのですよ。」

 

とご住職さんはお答えになりました。
そして、私は、それでは7回忌のお経だけをお願いする事は出来ますか?とお聞きした所、

 

「檀家でなければ法要などは一切受ける事は出来ない。」

 

とお答えになりました。
確かにお寺を維持・経営していくには、お布施や寄附などのお金も必要になりますし、また、檀家さんでなければ法要などを執り行わないお寺さんがあるのも知っておりましたので、ここまでの所はお寺さんの様々な方針などもあるのであろうとの思いで、それ以上はあまり気にしませんでした。
ただ、ご住職さんの最後の言葉には正直驚きました(苦笑)
それは、

 

「檀家でないのであれば、今後は一切無関係という事にしますので。」

 

と・・・。
その時、私個人としては、「同じ結論を伝えるにせよ、私であれば次のようにお伝えするであろう・・・」と、それは、

 

「それでは、またのご縁が結ばれましたら、その際は寄り添わせて頂きますので、お気軽にお話し下さい」

 

と、お答えするであろう・・・と。
私は仏教もほとんど知りませんし、全くの素人ですが、

 

仏門に入る事そのものが・・・「ご縁」という結び付きであり・・・
お坊さんとは「言葉」を活用して「説法」などを行い・・・「心」に寄り添うもの・・・

 

という程度の事は理解しているつもりです。
繰り返しですが、批判や非難でもありませんし、この私の体験談から皆さんは、このようなケ-スでの「本質」をどのように考えるでしょうか?(笑)
ちなみに、最近では私のようなケ-スが多いため、お坊さんの派遣サ-ビスなどを行っている会社さんもありますが、私の所では、これを機に?お坊さんを介さずに、少数ながらも家族・親類で楽しい食事をする事で、7回忌という供養をする事に決めました(笑)

 

そして、同様に最近では、環境の変化や経済事情などもあり、お墓を持てない、ましてや、檀家としてのお支払いも苦しいなどのお話もよく耳にします。
そして、お墓もままならないし、法要なども行えないというケ-スでは、

 

充分なご供養が出来なかった・・・との思いを抱え・・・その後の人生に罪悪感などを持って生きてしまう怖れがある・・・

 

という方もいらっしゃる事と思います。
このような罪悪感などを感じてしまう心根には、ご先祖様や他界されたご家族などの方を敬う素敵なお気持ちから来ている事と思います。
そこで、このTOPICSでも何度かお伝えしておりますが、

 

ご供養とは・・・形式や儀式が大切なのではなく・・・大切なのは「思い・心」を込める事です・・・

 

と。
勿論、形式や儀式に全く意味が無いという趣旨ではありません。
しかし、「思い・心」が込められていない法要などを行ったとしても、正直言ってほとんど意味がないのでは?と個人的には感じますし、何より、「思い・心」が込められていない法要などを行って貰っても、他界されている方々は本当に喜ぶでしょうか?
ここでもやはり、ご供養の「本質」というのが問われてくると感じます。

 

そして、今回も長くなったついでに、今回のテ-マの「本質」と前回のテ-マであった「スピリチュアル」を絡めて、少し余談をお伝え致します(笑)
このTOPICSでは、いわゆる「憑依(現象)」も取り上げたりしています。
そして、「憑依(現象)」そのものではありませんが、これと「本質」が同じ出来事は身近で頻繁に起こっているものです。
そこでまず、

 

憑依(現象)は、憑依を受ける人(側)にも原因が必ずある

 

という「大前提」を踏まえておいて下さい。
では、理由はさておき、あなたには心底大嫌いな「Aさん」という人が周りに存在すると仮定します。
すると、あなたの元に「Bさん」が寄ってきて、

 

「Aさんって、とても意地悪くて、皆から嫌われているよね!」

 

と、あなたに話しました。
「Aさん」の事を心底大嫌いと感じているあなたは、

 

「そうだよね!」

 

と答えました。
それから数日経ったところ、あなたは次のような事を「Aさん」から言われます。

 

「「Bさん」から、「あなた」が私(Aさん)の事を意地悪くて、皆から嫌われている!って話していたって聞いたけど、これはどういう事!?(怒)」

 

と。
ここ迄でもうお分かりの事でしょう(笑)
このような出来事は、

 

あなたの中の「「Aさん」が心底大嫌い」という、行き過ぎた感情が「Bさん」を通じて炙り出された

 

という事です。
勿論、好き嫌いという感情は誰にでもありますし、私にもあります(笑)
それは無理に否定したり、あまり自分を嫌悪する必要性もありません。
ただ、このような感情が行き過ぎてしまうと、

 

「私にはよく分からないけど・・・」と、客観視した受け答えをしていれば問題にならないケ-スが・・・
「そうだよね!」と、あなたの行き過ぎた感情が主観を通して炙り出された事によって問題となってしまった・・・

 

事で、ややこしい状況を創り出してしまった・・・という場合です。
そして、ここでは間違いなく「Bさん」はあなた以上に「Aさん」を大嫌いなはずです(笑)
このような状況が創り出されてしまった原因は、

 

あなたの中の行き過ぎた感情と・・・隙(間)を見せてしまった・・・そして、その隙(間)を「Bさん」につけ込まれてしまった・・・

 

点にあります。
これは「憑依(現象)」と全く同じメカニズムです。
そして、「憑依(現象)」とは、何か目に見えない得たいの知れない存在?という事だけではなく、実は、

 

(生きている)人との間でも(普通に)行われている現象

 

というのも真実です。
そう言えば・・・「類は友を呼ぶ」という言葉もありますね(笑)
そして、このようなケ-スなどの人間関係においては、

 

あなたが付き合う人との距離感を決める事が出来る

 

というのも解決策の一つになります。
距離感と言っても、無視したりなどのイジメとは全く違います。
ここでは「Aさん」そして「Bさん」との距離感をあなた自身が決める事で、いわゆる大人の対応をしていればそれで済む問題です。
そして、距離感を保った事で、あらぬ誤解が生じたとしても、

 

誤解であればハッキリと理性で伝え・・・
その後の「Aさん」と「Bさん」との間に起こる事は・・・
「自分のした事は自分に反ってくる」のだから・・・と、放念する・・・

 

という心持ちを保つ事で、「好ましからぬ憑依(現象)」を防ぐ事が出来ます。
その為にも、

 

憑依(現象)を受けてしまう自分にも原因がある・・・と自分を見つめ・・・
低レベルの「好ましからぬ憑依(現象)」を引き寄せる・受け取るのではなく・・・
高レベルの「素敵なサポ-ト」を引き寄せる・受け取る!!!

 

という、本来のあなた自身の「本質」を取り戻してみて下さい(笑)
そして、もし「憑依(現象)」というものが、オカルトで非科学的なもので、荒唐無稽のあり得ぬものであるならば、

 

なぜ、わざわざ神仏などを拝んだり祈ったりという「行為」をするのでしょうか・・・?
なぜ、わざわざ学校などで、こっくりさんなどの「行為」を禁止するのでしょうか・・・?
そして、私達をこのような「行為」に突き動かす「何か」があるのでしょうか・・・?
そして、そうであるならば、私達の「本質」は「何か」を感じ取っているのでしょうか・・・?(笑)

2018年2月17日 04:02

スピリチュアルなものに迷った時には

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

年末から年始にかけてのTOPICSのテ-マは、幾分、重い?あるいは、堅い?内容が続いておりましたが、私が行っているセミナ-や講座などにおきましても、雑談などでスピリチュアルな内容を色々お互いにお話したりする事もよくありますし、カウンセリングなどでも、少し道が開けた!との心の余裕が産まれた事により、最後の方では誰にも話せずに今まで気になっていたスピリチュアルなお話をされる方も結構いらっしゃいますのと、そもそものカウンセリングを受けに来られたテ-マとして、スピリチュアルなものを学んでみたいけど、何を手始めにして良いのか分からない、あるいは、様々な書籍などでスピリチュアルなものを自分なりに学んできたけど、迷いが生じたり、あるいは、飽和状態になってしまって・・・というご相談も結構あります(笑)
そこで、今回は「スピリチュアルなものに迷った時には」というテ-マをお届け致します。

 

そこでまず、日本においてスピリチュアルな観点が、改めていわゆるブ-ム?のようになってきたのは、ここ十数年程のものです。
これは他の世界各国でも同様ですが、やはり、現在の社会や世の中に対する疑問や、自身の人生に何かの行き詰まりのようなものを感じる、などの傾向が多数になりつつある時に現れる現象でもあります。

これから先はどのように進んで行くかは分かりませんが、今までの歴史を振り返ると、行き詰まりなどを感じスピリチュアルな観点を取り入れ・・・しかし、経済など生活が豊かになるにつれて・・・またスピリチュアルな観点から遠ざかっていく・・・そして、また行き詰まりを感じ・・・などのように繰り返されています。

 

このように、どちらかと言えば、人生に迷いが生じた時などにスピリチュアルな観点に目を向けるという傾向が現れやすくなるのと同時に、社会や世の中が混迷の最中(さなか)にある事もあって、様々な情報や知識などが玉石混淆の状態となり、中には誤ったものも含まれていたり、また、そのような混迷の中では、その人の中にある怖れなどを悪用して、霊感商法などが起こりやすくなる時代とも重なり、科学的に証明されていないスピリチュアルな事象や考え方は、全てが間違っていて害をなすものである・・・と押さえつけられるという繰り返しにもなっています。
昔に引き起こされた魔女裁判なども同様です。

そして、このような社会や世の中における繰り返しの中で、何かスピリチュアルなものに興味を持ったり、他の人に話したりすると、「自分がおかしく見られるのでは?」と感じ、心の内をドンドン自らで塞いでしまっている方々も結構多くいらっしゃいます。
そこでまず、基本的には、

 

スピリチュアルな観点を信じようと、信じまいと、どちらでも自由である

という点と、

信じる、信じない、などをお互いや誰かに強制は出来ない

 

という点が大切になります。
この「自由であり、強制とは無縁のもの」という点を押さえておかないと、次第に教義や儀式めいたものに捕らわれてしまう事になり、それが、訳の分からない(新興)宗教や霊感商法などに悪用されてしまう事にもなりかねません。
なお、ここでの(新興)宗教とは、あくまで、宗教の「仮面」を被りつつ、「真の動機」は別物!という場合ですので、宗教全般を否定や非難をしている趣旨ではありませんので、誤解の無きようにお願い致します。

ちなみに、このような混迷の時代の移り変わりにより、スピリチュアルな観点というのは息を吹き返したり、廃れていったりの繰り返しが多く見受けられますが、イギリスという国は、比較的、軸がぶれない?お国柄でもあります。
この国では、(幽)霊が出ると言われているホテルやアパ-トは相場よりも宿泊費や家賃が高額であったり、(幽)霊スポットの観光ツア-なども行われていたり、また、王室がヒ-リングなどを積極的に取り入れている事などから、自由度が高いものと思われます(笑)

では、スピリチュアルなものに迷った時ですが、このような時は、他のケ-スと同様に、

 

原点に立ち返る

 

という視点が活用出来ます。
では、スピリチュアルの原点とは何かと言うと、

 

私達は・・・どのような「存在」であるのか?

 

という「一点」に行き着きます。
そして、スピリチュアルな観点では、

 

私達は・・・「魂」という存在である

 

という所が「出発点」となります。
勿論、魂・精神・意識・心など、呼び方はどのようなものであれ全くの自由です(笑)
そして、スピリチュアルな書籍などでは、どうしても、(幽)霊が見える・声が聞こえる・・・などの、

 

部分的な現象

 

に偏りがちになっている、という風潮も見受けられますし、儀式的な事を行ったり、何かを身に付けたり、過剰なまでの御利益信仰に陥っていたり・・・と、

 

(自分の内の)「魂・心」に目を向けず、(自分の外側の)「物・形(式)」に捕らわれがちになっている

 

という傾向が多くなっているように見受けられます。
ちなみに、先ほどの飽和状態の多くの場合では、願望などを叶える時の儀式的な作法などが多くて分からなくなる、あるいは、作法などを行うのが面倒になってしまう、そして、そもそもこのような儀式的なものに意味があるのか?本当に効果はあるのか?あるとすれば、何故こんなにもたくさんの作法のようなものがあるのか?・・・そして、色々書籍で学びはしたけれど、どれも試した事はない・・・などのケ-スもとても多いものです。

 

私自身は、様々な書籍の著作者の方々を批判や非難も致しませんし、それぞれの体験やお考えから少しでも人々のお役に立ちたい、との思いからご自身を表現していらっしゃる事かと思いますので、作法を行うのも行わないのも全くの自由であると考えています。
ただ、飽和状態の時には、何かを試してみたけど・・・あまり変化がないなぁ・・・などのように、自分なりの取捨選択をしていくというのも、整理をすると言う意味合いでは効率的になるかと思います。

そして、スピリチュアルな観点において、どうしても多くの人の目が行きがちになるのが「霊感」という言葉や現象でもあるかと思います。
これは産まれつき特殊な能力があるとか、修行のようなものを通して霊感を発達させるなど、様々な捉え方も出来ますが、そもそも、私達が「魂」という存在であるとするならば、

 

霊感の無い人など存在しない

 

という事が当てはまります(笑)
そして、これは、

 

それぞれの個性

 

という点に行き着きます。
確かに、様々な(界)層からのメッセ-ジを受け取りやすいという個性の方もいらっしゃるでしょうし、他の人よりも味覚が鋭い、絶対音感がある、なども皆同じ個性です。
また、他の人の感情の機微を捉えやすいなどから導き出される、

 

優しさや思いやり

 

なども同様です。
そして、スピリチュアルな世界や現象などは、どこか遠くの異次元に存在するようなものではありません。
繰り返しですが、私達が「魂」という存在であるとするならば、食事をする、お仕事や家事をする、子育てやペットを飼う、グッスリ眠る・・・などの、

 

私達が行っている全ての(日常)活動が、スピリチュアルな活動であり現象でもある

 

という事です。
おそらく多くの方が拍子抜けや、あるいは、それではスピリチュアルなものを学んでも、今までと変わりがないのでは?と思われる事でしょう(笑)
スピリチュアルであるという本質の一つには、

 

様々な視点を獲得し、視野を拡大する

 

というのが存在します。
視点や視野と表現しましたが、これは言わば、

 

気づき

 

と同じ事です。
あなたが自分にとって心地良いと思われるスピリチュアルな観点を取り入れると、次第に、

 

今までであれば気づかなかった点(視点や視野)に気づいていく

 

という「出発点」に立つ事になります。
そして、気づいた事で・・・あなたの中の、

 

「思い」が変わっていきます・・・・
「思い」が変われば「言葉」が変わっていきます・・・
「言葉」が変われば「行動」が変わっていきます・・・

 

そして、一番大切なのは、

 

あなたが自分自身の変化に気づくかどうか・・・

 

です。
時には、周りから「あなた変わったね!」というポジティブな評価で気づく事もあるでしょうし、それも多いに活用出来ます(笑)
そして、このように気づく事で自分が変化していくという過程が、スピリチュアルで言われる、

 

「魂の成長」や「魂の進化」

 

になります。
そして、ここにスピリチュアルなものに迷う落とし穴?的なものが存在しています。
それは、

 

成長や進化は・・・一直線ではなく・・・「螺旋(らせん)状」に進んでいく

 

という点です。
これは、螺旋階段をイメ-ジして頂ければ理解りやすくなります。
とても段差も低くて長い螺旋階段を昇っていると、さほど負荷もなく歩み続ける事が出来ますが、一周した時には、

 

ほとんど景色が変わらない・・・という錯覚に陥る

 

という意味です。
螺旋階段なので、楽に着実に歩みを進めながらも、以前よりも「高い地点」に到達をしているのですが、一周した事により、元の地点との周囲の景色に大差がない為に、

 

「高さ」という「成長・進化」に気づきづらい

 

という錯覚です。
これは私自身も同様ですが、ある程度の「高さ」に到達した時点で、つまり、螺旋階段を何周も何十周も昇ったとの「自覚の元」で、自分の歩んできた「成長・進化」に気づくという事が多いです(笑)
これはこれで悪い事でも決してありません。

ただ、このような「高い地点」には、一足飛びに進んできた訳ではなく、着実に無理のかからない歩みをしてきたからこそ、息切れもせずに「成長・進化」を遂げる事が出来ている、という意味合いです。
勿論、時には駆け足で昇り、一足飛びに成長・進化した!というケ-スもあるでしょうし、一足で2~3段の階段を昇って来ている場合もあります(笑)

スピリチュアルな迷いの時は、まず、

 

成長・進化は「螺旋状」に進んでいる・・・
そして、「魂」の存在というのは、
日々の日常の全てがスピリチュアルな「活動」であり「学び」となっている・・・

 

という視点を再度思い出すという事が、実は逆説的に見えても、とても効果的になります。
例えば、私達は小さい頃に「ひらがな」を学びます。
しかし、「ひらがな」を学ぶという事は、それにより、

 

本を読めるようになる・・
「言葉」を介する事で、他者とのコミュニケ-ションが取れるようになる・・・

 

などの「目的」があっての事です。
「ひらがな」一文字一文字を学ぶ理由や大切さも勿論存在しますが、

 

「ひらがな」という文字の繋がりから「単語」を学び、「単語」の繋がりが「文章」としての表現を可能にする

 

とも言えます。
スピリチュアルな迷いが生じる時というのは、言わば、

 

「ひらがな」のみを「目的」として、「その先の活用(法)」が見えていない時

 

とも言えます。
繰り返しですが、私達が「魂」の存在であり、スピリチュアルな観点が「魂」を出発点としているとすれば、

 

そもそもスピリチュアルな分野という「枠組み」を設ける事そのものが無意味

 

と言う事にもなります。
なぜなら、

 

あなたの日々の「思い・言葉・行動」に伴う体験や感情などの全てがスピリチュアル

 

であるからです。
しかし、これも、もしかしたら味気ない?解決策のように感じるかもしれません(笑)
そこで、スピリチュアルな迷いから抜け出し、今まで学んだ書籍などから蓄積してきた情報や知識を活用しつつも、あなたなりの答えを導きやすくするのが、

 

あなたが心を惹かれる(好奇心を持てる)・・・様々な分野における・・・共通点を見つけ出す!

 

という方法です。
そして、この共通点を見つけ出す!というのが、言わば、

 

様々な事に気づいていく

 

という事です。
私も今までにスピリチュアルと呼ばれる様々な書籍などに目を通したりしてきましたが、ある書籍で言われている事が、別の書籍では違っていたり・・・と迷いが生じたり、ある意味、翻弄されている?と感じた事もありました。
そこで、私自身は自分が興味のある科学や心理学などの分野に赴き、時間を掛けながらも「共通点」に気づいていった、という経緯を辿っています。
その中には、ヒプノセラピ-(催眠療法)やレイキに限らず他のヒ-リングなども含まれています。
そして、

 

興味のある方向性に一歩を踏み出すと・・・
そこで新たな発見があり・・・
その発見が、また新たな方向性へと導いてくれる・・・

 

という「螺旋のような歩み」に確実に繋がっていきます。
そして、雑談になりますが、私自身は高校生の頃から、理数系の科目が格段とダメになりました!(笑)
しかし、今でも難しい事は分かりませんが、次第に科学などの分野にも興味を持ち、自分なりの共通点を見つけ出すにつれ、次第に面白くもなり、より理解しやすくもなってきています(笑)

 

そして、最近は量子力学における「素粒子」に興味を抱き、自分なりの妄想?で素粒子と魂や肉体との関係性などを模索したりしていますが、その模索の過程を少しだけご紹介致します!
素粒子の性質に「ペアである」という事が既に証明されています。
しかし、「ペアである」にも関わらず、「一方の素粒子」は見つかるのですが、「もう一方の素粒子」はどこで何をしているのか全く分からない!というのが現在の所です・・・

 

しかし、「観測」しようと試みると、その「もう一方の素粒子」はどこからともなく現れてくるのです(笑)
私は以前のTOPICSでも「この世」と「あの世」は重なってます、とお伝えしましたが、もしかしたら、「一方の素粒子」は「この世」で活動しており、「もう一方の素粒子」は「あの世」で活動しているので普段は見えづらいのでは?な~んて考えたりしていますが、「繋がり」を持とうとすると、「あの世」の「もう一方の素粒子」は、「この世」の「一方の素粒子」の元に瞬時に姿を現してくれるという事に思いを馳せたりすると、とても健気(けなげ)で愛らしさを感じてしまいます(笑)

そして、これがもし真実(に近い)とするならば、あなたの愛する「他界された方々」も、どこか遠くの世界ではなく、身近で見守ってくれているという事が少なからず感じ取れるのかもしれません・・・なぜなら「重なり合っている」から・・・かもしれません(笑)

 

雑談でしたが、スピリチュアルなものに迷った時には、あなたの興味のある事に、無駄になるかも?などの怖れを払い、一歩を踏み出して、そして、そこから気づく様々な事を楽しむ事で、より、理解が身近なものになっていく事と思います。
そして、「なりたいあなた自身になる!」という目標を手助けしてくれるものにもなっていきます。
そして、これは実はスピリチュアルな迷いに限られるものでもありませんが(笑)

 

また、今回はスピリチュアルなテ-マを設定しましたので、少しだけ余談を続けます。
それは、セミナ-などでも時折お話したりするのですが、皆さんもお通夜やお葬式などに参列された事はあるかと思われます。
すると、香典返しの中に、小さな塩の袋が付いてきます。
そして、ご自宅に入る前に塩を振りかける・・・と。

そこで、セミナ-などでお話を聞いていると、このように塩を自分に振りかける行為には、何か悪い?忌み嫌う?ものを祓う、はたまた、「故人」を祓う?と思っている方が多いです。
この塩を振りかけるというのは、本来は、

 

参列した(生きている側の)人々の悲しみなどの思いを、(必要以上に)自分に背負い込まないため

 

に行われるものです。
「故人」に対してでもなく、何か目に見えない悪い存在?などにではなく、あくまで「(生きている他の)人の思い(念)」を自分に取り込まない為の行為です。

また、仮に何か悪いもの?を祓うにせよ、化学的に精製された塩では、そのような効果は見込めません(笑)
塩を振るというのは、あくまでも、自分の気持ちの切り替えの為のものであり、気持ちが切り替える事が出来るのであれば、化学的に作られた塩でも勿論構いませんし、必ずしも塩を振りかけなければならない、というものでもありません。

敢えて今回は「故人」という言葉をここでは使いましたが、仮にあなたが「故人」となった際に、参列してくれた方々が「あなたを祓う!」という思いで塩を振りかける行為を見かけたら、あなたはどのように感じるでしょうか?
スピリチュアルな観点というのは、このように「(疑問を抱かずに)日常的に行われている行為の本当の意味を知る」という点でも活用出来ます(笑)

 

そして、余談の余談ですが、先日「ドクタ-・ストレンジ」という映画を借りて観ました。
凄腕の神経外科医が、車の事故により手の神経に損傷を負い、修復不可能と言われつつも、他に手を治す方法はないか?と探し求める過程で、ある集団に出逢う・・・というものです。
と言っても、私がこれを借りたのは、気楽に観れるエンタ-テイメント映画という気分で借りました(笑)
なので、映画の後半はハリ-ポッタ-のような魔術?を駆使したりといった、ご家族皆で楽しめるものですが、前半は結構スピリチュアルな観点や、多元世界などの科学の世界も描かれておりますので、今回のスピリチュアルの迷いというテ-マからも、気分転換がてらに観てみるのも面白いかもしれません(笑)

2018年2月10日 03:02

心に副作用はあるの・・・?

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、このTOPICSにおける表現や内容などにおきましては、とある条件により、今迄は多少の制限を設けておりましたが、それが、とある状況の変化により、そのような制限から解かれた事によりまして、これからは従来通りその時々の社会の変化に対応しつつも、今迄よりも少し深く踏み込んだ内容にもコメントしていきたいと思っております。
時には、いわゆる、「タブ-」と呼ばれている分野にも・・・
と言いましても、誰かや何かを批判したりという意味では全くありませんし、現在の法的な枠組(医師法や薬事法など)の中において、少しでも生き辛さや生き苦しさなどの緩和になればとの思いから、多少の自制を緩めてお伝えするという意味合いです(笑)

 

とまあ、今回はそのような趣旨設定ではありませんが、「心に副作用はあるの・・・?」というテ-マをお届け致します。
なお、今回のTOPICSは、一話簡潔という意味では、今迄で一番長い内容かと思われますので、休み休みお読み頂いても大丈夫ですよ(笑)
そこでまず、「副作用」などの用語はよく耳にする事があるかと思われますし、近頃では「副反応」という用語も使われておりますので、簡単に整理致します。
まず、

 

「副作用」とは、薬による化学的作用
「副反応」とは、ワクチンによる生体反応

 

と区別されているとの事です。
そして、日本病院薬剤師会という所の公表している資料によりますと、

 

「広義」の副作用とは、「主作用でない作用(すなわち主作用には関連のない薬理作用)」であり、必ずしも望ましくない作用ではない
「狭義」の副作用とは、「好ましくない薬の作用」

 

とされているそうで、この狭義の副作用とは区別して「有害事象」という概念もある、とされております。
おそらく、世間一般で言われている所の「副作用」とは、「狭義の副作用」と「有害事象」が混在された捉え方となっているのかもしれません。
そして、私は医師でも薬剤師でもありませんので、軽々にコメントは出来ませんが、近頃多く見られるようになってきた「副作用」と「副反応」の使い分けがされている一つの理由には、「言葉の持つイメ-ジ」が関与しているとの見解もありますが、皆さんは「副作用」と「副反応」の「言葉の響きの違い」をどのようにお感じになりますでしょうか・・・(笑)

 

そして、今回は「心に副作用はあるの・・・?」というテ-マですが、誰もがご存じの通り、心は目に見えるものでもありませんし、手で触れる事の出来るものでもありません。
しかし、

 

誰もが心の存在を知っているし、実感出来るもの

 

と、捉えてもいる事と思います。
そこでまず、とても誤解が多い点でもありますので、最初にご説明を致しますが、レイキ ヒ-リング、そして、ヒプノセラピ-(催眠療法)を受ける事によって、いわゆる一般的に考えられている「副作用」が起こる事はあり得ません!

なお、レイキ ヒ-リングによる好転反応は「副作用」ではありませんのと、ヒプノセラピ-において、一時的に感情が昂ぶるケ-スなども「副作用」ではありませんが、その辺りは状況をよく見ながら行うかどうか?の判断は考慮に入れるケ-スはございます。
(当然の事ながら、どちらも外部から何か(お薬など)を体内に取り入れるようなものではありませんし、このような事が行われるとすれば、医師法及び薬事法違反にもなります。)

 

そして、レイキ ヒ-リングとは単に「手を当てる」という方法であるのと、手を当てる箇所に強い圧力がかかるものでもありませんし、揉みほぐしたりする必要性もありませんし、バキバキと骨格などに働きかけるものでも当然ありません。
そして、仮に万が一にでも、このように「手を当てる」事だけで「副作用」が起こるとすると、誰もが皆「握手」をする事も出来ませんし、赤ちゃんをあやしたり寝かしつける際に「手でさする」なども出来なくなってしまいます(笑)
また、ヒプノセラピ-は潜在意識を活用した「言葉」による「コミュニケ-ション セラピ-」でもありますので、これも万が一に「副作用」が起こるとすると、私達の誰もが「会話」をする事も出来なくなってしまいます(笑)
あまりよく理解されていない分野だけに、様々な誤解や、誤った情報なども取り巻いておりますが、どうぞ、正しい知識を元に、理性と冷静さを持って判断してみて下さい(笑)

 

では、このような前提を踏まえた所で本題に入って参ります!
先日、「フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿」という番組が放映されておりました。
そして、この番組において、1939年にアメリカの孤児院で行われた「心理学上の人体実験」が紹介されていました。
その人体実験の目的とは、

 

言葉により子ども達を精神的に追いつめ・・・吃音(きつおん)に出来るか?

 

という内容です。
ちなみに、「吃音」とは、発音の際、第一音が容易に出ない、繰り返す、引き伸ばすなど、円滑に話せない状態とされており、「どもり」とも言われている症状です。
では、この番組で紹介されていたあらすじを元にしてご紹介していきますが、これは現実に行われていた実話です・・・

 

この実験を主導したのは、言語心理学者の「ウェンデル・ジョンソン」という人で、彼は後に「吃音治療の父」と呼ばれる「権威」にもなった人です。
このジョンソンは、小学生の時に担任の教師から「あなたは吃音である」と指摘され、その後は吃音がひどくなっていったと回顧しており、吃音が治りきらないままも、大学に進み同じく言語心理学者の「リ-・トラヴィス」の元で学んでいました。

この師とも言えるトラヴィスは、「吃音を来すのは、「脳」に何らかの原因がある」と考え、ジョンソンは自らが治療の為の様々な実験台となっていきました。
しかし、ジョンソンの吃音は治る事はなく進んでいったため、ジョンソンは吃音になる「別の原因」を探っていきますが、その手始めとして、彼は1934年に吃音の調査を開始しました。
そして、その調査結果から、子どもの吃音を親がその都度指摘し、それから子どもの吃音がよりひどくなっていった、との結論に達しました。
そして、1938年にその結論を学会に発表しましたが、それが、

 

診断起因説

 

と呼ばれているものです。
この説は、ジョンソンの幼少期の体験とその後の調査において、「吃音を生み出すのは、吃音であるとの診断を下すからである」という内容ですが、当時の学会では「脳」に原因があるとの説が主流であり、この診断起因説には目も向けられる事はありませんでした。
ちなみに、現在においても、この診断起因説は吃音の原因としては否定されているとの事です。

このような背景の元、ジョンソンは自らの学説の正しさを証明しようとの思い(固執)から、人体実験へと突き進んで行きます・・・
そして、この実験を遂行するに当たり、「メアリ-・テュ-ダ-」という女子学生を招き、

 

吃音だと意識させる事で、子どもを吃音にする事が出来たら、私の説が正しいと証明出来る・・・

 

と、彼女に実験の目的を告げました。
そして、1939年1月17日に、テュ-ダ-が孤児院に派遣されて行きます・・・

その孤児院でまず行われた事は、孤児院で生活している5歳から15歳の子ども達が集められ、話し方の流暢さのテストと称して、本を読ませ、とぎれ・繰り返し・音節の引き伸ばしなどが、言語聴覚士によりチェックされていきました。
そして、このテストに集められた子ども達には、「スピ-チ セラピ-」を行う、とだけ伝えられました・・・
そして、最終的に22人の子ども達が実験の対象として選別され、その選別された22人の子ども達は、その後、4つに分類をされました。
その分類が、

 

A:吃音はあるが、気にしなくても良いという「ポジティブ評価」
B:吃音があるので、問題があるという「ネガティブ評価」
C:吃音ではないにも関わらず、吃音である、あるいは、吃音になりかけているという「ネガティブ評価」
D:吃音ではないので、問題はないという「ポジティブ評価」

 

というものです。
そして、この実験の「真の目的」はジョンソンの説の正しさを証明する為だけのものですので、この実験の「真の対象者」は「Cの分類の子ども達」に絞られ、その後、5ケ月に渡る人体実験が行われていきます・・・

ここまで、少し読み疲れをされている方もいらっしゃるかもしれませんので、リラックスしたり、休みながらで構いませんし、頭を整理しながらでも続きをお読み下さい(笑)
では進めて参ります!

 

この「Cの分類の子ども達」に対して、派遣されたテュ-ダ-は、子ども達と話をしている時に、子ども達がほんの少しでも言葉に戸惑ったり、言葉の繰り返しをするだけでも、「そのままでは、あなたはひどい吃音になる」と、その都度、子ども達に繰り返し繰り返し指摘し続けていきます。
言わば、

 

あなたは既に吃音である!

 

との「暗示」をかけ続けるという行為を行っていきました。
そして、孤児院という性質上、24時間の生活を共にする教師や寮母にも、同様の指摘を子ども達にし続けさせました。
そして、このような人体実験が進んでいくに連れて、対象の子ども達に「異常な行動」が頻繁に見られるようになっていきました。
それは、例えば、話す時に、

 

言葉が出てこないと指を鳴らす・・・
体を揺する・・・
壁に頭を打ちつける・・・

 

など。
そして、このような人体実験が終わりに差し掛かる1939年5月24日に、ジョンソンは「初めて」自らで孤児院を訪れました。
そして、派遣されていたテュ-ダ-から、

 

吃音のラベル付けをした全員が、話す事に障がいを生じるようになっていた

 

との記録を渡されました。
そして、最後に、対象とされた「Cの分類の子ども達」6人に対して、検査が行われましたが、

・ 以前よりも話し方の流暢さがひどくなった 2人
・ 以前と比較して変化なし 2人
・ 以前よりも話し方の流暢さが向上した 2人

と分類され、最終的に言語聴覚士により下されたのは・・・

 

6人とも吃音ではない!

 

との最終判定でした。
このような判定にジョンソンは愕然としましたが、自らの説があくまで正しくて、実験結果の方が間違っている、との自らの考え・思い込みに固執し、その後も、孤児院の教師や寮母に今迄と同様に吃音の指摘を続けさせました。

そして、1941年1月に、孤児院からジョンソンの元に1通の手紙が届きました。
そこには・・・

 

被験者の子どもの一人が、吃音を怖れ、口をきかなくなってしまった・・・

 

と記されておりました。
そこで、ジョンソンは指摘を止めさせるよう告げましたが、子どもの一人が吃音になった事で、

 

自らの説が正しい!との思い込みを増していった・・・

 

という状況に突き進んで行きます。
そして、その後の状況に変化が訪れました。
それは、1942年4月に、ナチスによるユダヤ人に対する毒ガス人体実験が行われていた事が世間に公表されました。
それに対して世間から批判や非難がなされた事により、ジョンソンがこれからも仕事を続けていく為には、自らの行った人体実験を無かったものにし、テュ-ダ-の残した論文を、ごく一部の人の目にしか触れないように封印し発表を行いませんでした・・・
そして、このような一連の人体実験行為をジョンソン自らの手で闇に葬った事に対して、

 

心理学史上における「モンスタ-・スタディ-」

 

と呼ばれる所以となっていきました。
そして、このケ-スが「モンスタ-・スタディ-」と呼ばれる真の理由とは、

 

この人体実験の目的を、始めから終わりまで、孤児院の教師と寮母、そして、対象の子ども達にも一切知らされていなかった・・・

 

という点です。
当然の事ながら、孤児院の教師や寮母は吃音を改善させる為に、吃音を指摘し続けるという、子ども達にとって良かれと思って行っていた事ですし、言語聴覚士による最終判定の「6人とも吃音ではない!」との結論も、教師や寮母のみならず、当の子ども達にも一切知らされる事はありませんでした・・・
そして、先ほどの孤児院からの手紙が届いた際にも、この期に及んでも目的を知らせずに、ただ指摘を止めるように、と告げただけでした・・・

まだこのお話は続いていきますので、気疲れを感じている方がいらっしゃれば、どうぞご休憩下さい(笑)

 

ところで、1930年代やナチスなどの時代から、かなり昔の事・・・と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この人体実験の「Cの分類の6人の子ども達」の対象となった方の中に、現在もご存命中の方がいらっしゃって、インタビュ-に応えております。
その方は91歳の女性の方ですが、次のようにお話しております。

 

(人体実験後の)人生は「沈黙」に追い込まれていった・・・
そして、現在では、ある程度吃音をコントロ-ル出来るようにもなっているが・・・
感情の昂ぶりなどがある際は、吃音が出てしまうという症状・影響が「今」でも残っている・・・

 

と。
では、その後のジョンソンの動向に再び目を向けていきますが、彼は自らの診断起因説に固執しながらも、当初行っていた親子面接などの調査も再び取り入れていきました。
そして、その後も、裏付けのほとんど取れていない説を学会で発表し続けていきましたが、それが逆に斬新な着眼点?などの風潮もあってか、

 

その後、20~30年の間、この診断起因説が学会でも主流となっていった・・・

 

という状況が続き、ジョンソンは様々な賞を受賞したり、様々な要職に就いていきました。
ただ、このような状況においても・・・

 

テュ-ダ-の論文は人目に触れずに存在・・・

し続け、この後に「モンスタ-・スタディ-」と呼ばれるテュ-ダ-の論文が社会に知れ渡るようになる迄に、

62年の歳月を要した・・・

 

という道のりを辿っています。
そして、2001年にある新聞紙が、この論文を記事に掲載した事により、「モンスタ-・スタディ-」が白日の下に晒される事になりました。
そして、先ほどの91歳の女性の方は、

 

この新聞記事を書いた記者により・・・初めて・・・(人体)実験の真の目的と真実を告げられた・・・

 

との事です。
彼女は、その間、多くの事を諦め・・・「今」の時点でも影響を受けつつも・・・

そして、この番組のあらすじはここで終了です。

 

皆さんはこのようなケ-ス・実話を知って、どのように思い・・・どのように感じましたでしょうか・・・?
また、今回のようなケ-スを考えた時に、「心に副作用は生じるかも・・・」あるいは「心に副作用は生じないのでは・・・」など、様々な捉え方や考え方が出て来るものと思われます。
いつもの事ながら、どのような捉え方でも考え方であっても、皆さんの自由です(笑)

 

何かの癖や、望まない習慣などに関しては、指摘をして気づかせていく事で改善させる方法もありますし、わざわざ指摘をして気づかせずに、他の癖や習慣に置き換えていく方法なども存在しますし、その癖や習慣の根本にある「感情や出来事」を探し出し、新たな意味付けなどを行う事で治まっていくケ-スもあります。
ただ、今回ご紹介したケ-スにおいては、2つの大切なポイントが存在しています。
その一つは、

 

あくまで当事者が現状をどのように感じ・・
そして、
今後はどうしていきたいのか・・・どうなっていきたいのか・・・
という、大前提となる、
当事者の思いを「出発点」にしなければならない・・・

 

という点です。
今回のケ-スでは、一切の当事者、そして、その周囲の方々にも目的は知らされておりませんでしたし、当事者が改善して欲しい!と頼んだ訳でもありません。
そして、次の二つ目が「現在という今」においては最も大切な視点になるかと感じておりますが、それは、

 

何かのアドバイスをする側や、何かのお手伝いをする側の・・・真の動機がどこにあるのか・・・?

 

という点です。
これは、何でもかんでも疑ってかかりましょう!という意味合いではありません(笑)
この真の動機とは、

 

相手はあなたの事をコントロ-ルしようとしているのか・・・?
あるいは、
心からあなたの事を思いやってのアドバイスなのか・・・?

 

という点です。
これは、あなたがアドバイスをする側でも同じ事が当てはまります。
しかし、このような真の動機を見抜く事はたやすい事ではないかもしれません(笑)
そこで、一つの視点をご紹介します。
それは、あなたが誰かに相談したりした際に、

 

相談に乗ってくれている相手の方へ、敢えて正反対の意見を述べてみる

 

という方法です。
もし、心からあなたの事を思いやって相談を受けてくれている方であれば、

 

あなたのお話にちゃんと耳を傾け・・・
その上でも、
その方自身の考えやアドバイスを冷静かつ理性を持って伝えてくれる・・・
なおかつ、
あなたに強制する事なく・・・

 

というようになるはずです。
しかし、逆であれば、反対の意見を述べられた事により、

 

相手の方はイライラしたり・・・怒ったり・・・話を逸らし始めたり・・・
という風に、
相手の方の態度に出やすくなる・・・

 

という所に着目する事が出来ます。
そして、結論は同じに見えても、

 

あなたの人生はあなたにしか生きる事は出来ないのだから、あなたの意見を尊重しつつも、必要な時は相談してね・・・

というケ-スと、

あなたの人生なんだから、後は私の知る所ではないので、あなたの勝手で生きればいいじゃない・・・

 

との狭間には、真の動機という大きな違いが生じてきます。
勿論、強制は出来ないとは言いながらも、人を傷付けたり、違法薬物に手を染める事などに対して、指を加えたまま何もしなくても良い、という意味ではありませんので(笑)

そして、今年に入ってからも、(旧)優生保護法により、国に強制的に不妊手術をさせられた問題による訴訟なども起こされてきています。
その当時は、精神薄弱などの症状は遺伝により受け継がれるので、そのような事態を引き起こさない為に強制不妊をさせていた・・・とも言われておりますが、単に「当時」と「現在」の医学的見解や進歩・発展という問題だけではないようにも私個人的には感じますし、真の動機は、果たしてどこにあるのでしょうか・・・?
そして、

 

あなた自身の「真の動機」、そして、周りの方々の「真の動機」という視点

 

を、何かの迷いの際には取り入れてみて下さい。
なお、繰り返しですが、何でもかんでも疑ってかかる、という意味ではありませんので、誤解の無きようお願い致します(笑)

 

そして、ここ迄で、かなりお疲れになった方もいらっしゃるかもしれませんが、長くなったついでに、大切な事ですので、ほんの少しだけ続けて参ります(笑)
それは、この番組では、他の心理学上の人体実験についても軽く触れておりましたので、それをご紹介致します。

 

一つ目は、「ミルグラム服従実験」と呼ばれているもので、電気ショックを活用しながら、人が如何にたやすく権威に服従してしまうのかを試す実験が行われていました。

二つ目は、「スタンフォ-ド監獄実験」と呼ばれているもので、刑務所という設定を設け、普通の人が看守と囚人という役割が与えられると、どのように人が変化していくのかを試す実験です。
この実験により、看守役の人は、精神的虐待を繰り返すようになり、囚人役の人は、精神に異常を来す人が現れた、との事で途中で中止されたそうです。

そして、次の三つ目は、正直、私もビックリしてしまいました!!!(大汗)
これは、2014年にニュ-ジ-ランドの社会開発省が主体となった国家としての実験計画です。
その実験内容とは・・・

 

新生児の時から虐待を受け続けた子どもは、成人になる迄に、どれ程の確率で犯罪を犯すのか?

 

というテ-マですが、この実験を実行するという事は、

 

現に目の前で行われている虐待を発見しても、それを無視し、ただ観察し続ける・・・

 

という「行動」に現れざるを得なくなるもので、実際には「中止」となりました。
ただ、私個人としての感じ方ですが、「中止」になったから良しというものではなく、このような発想の実験が現に行われようとされていた事実と、それを、国家として考えていた・・・という点に、とても恐怖を感じてしまいます。
どこに「真の動機」が潜まれているのでしょうか・・・

 

そして、ここで終わると寝覚めが悪い?かもしれませんので、「心(潜在意識)」と「行動(体)」についての、他愛も無い私の体験を一つご紹介致します。

私は自宅ではいつも決まったカップで「ホットコ-ヒ-」を飲んでいます。
そして、私はそのカップで飲むのはほとんどが「ホットコ-ヒ-」なのですが、ある時、その決まった同じカップに「アイスコ-ヒ-」を入れて飲もうとしていました。
すると、

 

「アイスコ-ヒ-」と頭で理解っているにも関わらず・・・
ソロソロとカップに口を近づけ・・・
ゆっくりと啜(すす)り・・・
終いには、自然と「フ-フ-」と冷ます事まで出来そうに感じて・・・

 

一人で悦に耽(ふけ)った?ような面白さを感じた体験がありました(笑)
興味のある方は、お味噌汁を飲むお椀などに、冷たい麦茶や温かいお茶などを入れて飲んでみると、似たような体験が出来るかもしれません・・・?(笑)

2018年2月3日 02:02

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