自動書記の仕組みと憑依&ヒ-リングとの関連性も

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

今回は「自動書記の仕組みと憑依&ヒ-リングとの関連性も」というテ-マをお届け致しますが、実は、今回のテ-マにつきましては以前からのお約束事を果たす為に設定しました(笑)
それは、2014年10月のTOPICS「小説「鹿の王」」において、自動書記と憑依については別の機会にお伝えします、とお約束をしておきながら3年も経過してしまいました(苦笑)
大変申し訳ございません!!!

 

そして、私の中でも、そろそろ時期的にも現状や簡単な仕組みなどをお伝えしても良い頃合いと感じておりましたのと、罪滅ぼし?と言っては何ですが、お約束の内容にプラス「ヒ-リングとの関連性」も含めてお伝え致しますので、それでご容赦頂ければ幸いです(笑)
また、ここ最近のTOPICSにおいては憑依現象も取り上げておりましたので、「鉄は熱いうちに打て」との思いから進めて参ります!
そして、今回のテ-マの「水脈」には、

 

「動き」

 

という点も脈々と流れておりますので、その点も意識してお読み頂ければ幸いです!

そこでまず、「自動書記」とは何ぞや?という点を簡単にご説明致します。
自動書記とは、ヒプノセラピ-(催眠療法)や各種心理療法においても採用されており、科学的・医学的な検証も踏まえた上で行われているセラピ-の一種です。

 

ヒプノセラピ-の自動書記では、クライアントをそれなりの深い催眠に入れた後に、潜在意識に対して、あなたの思っている所を全て表現しても良いですよ、との暗示の元にペンを持たせて、手が勝手に動くがままに、自由に表現させるという内容です。
イメ-ジとしては、長電話などをしている時に意味も無く何かを書いているような感覚に近いです(笑)
思いの丈を全て表現するという意味では、特段の催眠下でなくとも勿論可能ですし、催眠下においては顕在意識の障壁が取り払われる事により、通常の意識状態よりも言葉や思いがスラスラ出て来る傾向は確かにあります。

 

しかし、催眠下と言えども、ちゃんと意識は保たれておりますし、秘密などは決して自らの意思に反して話す事もない、という観点からも、「言葉」で表現するにはある程度の限界が生じる場合もあります。
これには、各人固有の「語彙の量や表現方法の違い」も関わってきます。
そこで、比較的自由になりやすい「手」を活用して、自分の中の思いを表現して貰うという手法です。
ちなみに、ヒプノセラピ-においては、この自動書記と似た仕組みで「指」を活用した「イデオモ-タ-・シグナル」という手法もあります。
これは、自分で本当の自分を知る為の「嘘発見器」のようなセラピ-です(笑)

 

そして、表現方法には個性が現れますので、文字として伝える方もいれば、言葉では表現しづらい思いなどを「絵」や「形」として表現する方もいらっしゃいます。
そのような意味では、よく小さなお子さんの心の内を知る際の「箱庭療法」と似通っている点もあります。

そして、ヒプノセラピ-を行う際は、セラピストはクライアントが適切に催眠に入っているか?を確認していくために、瞼(まぶた)の震えやカタレプシ-(硬直)、あるいは、呼吸などを観察しております。
そして、ほとんどのクライアントの方が無自覚ながら、

 

指や手、あるいは、足などが自然と動き出す

 

という傾向が見受けられます。
この動作のほとんどは些細な動きですが、時折ケ-スによっては比較的大きく動く場合もあります。
そして、これらの動きにクラインアントの方の多くは、

 

意識せずに行っている

 

という点が共通しています。
そして、私などはセッションが終わった後にクライアントの方に対し、こういう動きをしていましたが、どこか窮屈だったり、痒みや痛みなどで動かしましたか?と訊ねると、

 

そのような動きは全く覚えていない

 

と、これは100%の方がお答えになります。
ちなみに、ヒプノセラピ-を受ける時は、全員がこのような動きをする訳ではありませんし、自分でもコントロ-ル出来ないような大げさな動きに結び付く事はありませんので、どうぞご安心下さい(笑)
また、この動きは、よく眠りかけの時に「ビクッ!」と体が動いて目が覚めるという仕組みとは、「ある理由」から私は違うものと判断しておりますが、その判断基準については・・・また別の機会にという事に致します(笑)

そして、この「無自覚・無意識の体の動き」と言うのは、実は、

 

ヒ-リングが行われている過程においても、頻繁に見受けられる

 

という点が共通しています。
これは他のヒ-リングでも同様ですが、私が行っているレイキ ヒ-リングにおいても、クライアントの方が不調を感じると訴えている箇所に手を当てていると、

 

その箇所に動きを感じる

 

という現象はよく起こります。
そして、その動きは、ヒ-リングの場合においては、

 

ほとんどのクライアントの方も感じて気づいている

 

というケ-スが多いです。
そして、この動きの感じ方としては、

 

実際の体(物理的な)の動き

の場合もあれば、

体内(内臓や骨格など)の動き

の場合もありますし、

(何かしらの)エネルギ-的な動き

 

の場合など様々あります。
勿論、このような動きに関しては、どれが良くどれが悪いという性質のものではありませんし、動きが無い、あるいは、動きを感じないからと言って、ヒ-リングが行われていないというものではありません。
ただ、何かしらの動きを感じたケ-スにおいては、その後、比較的体調が変化していくのが速い・・・という傾向が見受けられるのは、あくまで私自身の経験から感じる事はありますが・・・

 

ちなみに、医学的な証明はなされておりませんが、治癒の過程においては体の自然発生的な動きを伴うケ-スがあるのでは?との観点からの検証などもありますし、このような「無自覚・無意識の体の動き」を治療に取り入れている病院なども、かなり少数ですが国内においても存在致します。
また、例えば肩の痛みなどで、その箇所にヒ-リングを行っていると足が動き出し、その後、肩の痛みも緩和したなどのケ-スも多々ある事から、不調の理由が必ずしもそこ(肩)にある?とは断定出来ないような場合もある事から、ヒ-リングを行っている最中に動きが生じた時は、「あるがまま」にさせておく、というのが改善や緩和に繋がっているケ-スが多いと個人的には感じています。

ここまでは、ヒプノセラピ-における「動き」と、ヒ-リングにおける「動き」をお伝えしてきましたが、

 

ヒプノセラピ-では心(感情)のブロックが緩む

ことにより、自動書記などの様々な動きも可能になり、

ヒ-リングでは体のブロックが緩む

ことにより、先ほどのように様々な観点の動きを感じる

 

という点が共通しています。
そして、どちらにおいても、

 

ブロックとは抵抗・葛藤の証

 

という点も共通しています。
心(感情)と体は繋がっておりますので、

 

ヒプノセラピ-で心(感情)に働きかけると、自然と体へも波及していく

のと同様に、

ヒ-リングで体に働きかけると、自然と心(感情)へも波及していく

 

という双方向かつ同時進行が行われています。
そして、これはどちらが有効とかと言う問題ではなく、あくまでクライアントの方が、どちらのアプロ-チの方が受け入れやすいのか、あるいは、どちらのアプロ-チが自分好みなのか、という選択で行いますので、長い目で見ると、行き着く所はどちらも同じという事になろうかと思います。

そして、ここまででヒプノセラピ-とヒ-リングにおける「動き」という共通点を見てきましたが、ここからは、自動書記と憑依の関連に入っていきます。
まず、憑依と言うと、

 

自らの意思に反して、体が操られてしまう・・・

 

という怖いイメ-ジを持たれる方々がほとんどであろうと思われます。
ちなみに、自らの意思が完全に脇に追いやられ、何かの意のままに体を操られてしまう憑依というのは、そうそう起こるものではありません。
そして、自動書記においては、

 

クライアント自身の潜在意識に働きかける事により、潜在意識に埋もれていた「思い」が表現される

という現象ですが、憑依による自動書記というのは、

クライアント自身とは関係のない存在自身の「思い」の表現

 

と言う事が出来ます。
ところで、このような憑依という現象ですが、恐山のイタコさんや霊媒師などの存在は耳にした事があろうかと思われます。
霊媒師などでは、半分ほどある存在に意識を預けながらも、霊媒師自身の意識を保ちながらメッセ-ジを伝えるケ-スや、イタコさんのように自らの意思のほとんどを自らで脇に追いやり、ある存在に体を預けて、ある存在の自由に体を使わせて「思い」を伝えさせるケ-スなどがあります。

 

そして、このようなイタコさんなどのケ-スにおいては、イタコさん自身が相当な修練や訓練を経て行っておりますので、危険性というのはありません。
また、このような修練や監視の元に成り立つ場合には、ある存在も、憑依をした体における「口という発声器官」をある程度自由に使う事が可能になると言われています。

 

しかし、このようなケ-スとは違う、かなりの執着や未練などを抱えたある存在が、憑依をして「口という発声器官」を使って何かを行うには、相当の困難が伴うとも言われています。
なぜなら、そのある存在は自らの体における「口という発声器官」を長く使用していないケ-スが多いからです。
つまり、憑依をしたとしても、

 

言葉を発する方法を忘れてしまっている

 

という理由からと考えられています。
しかし、手や足などの部分的な体の動きについては、

 

比較的容易に操りやすい

と言われており、この点があるが故に、

 

自動書記においては、クライアントの潜在意識からのメッセ-ジなのか・・・
あるいは、
他の存在からの「思い」の発露なのか・・・

 

の違いを見分ける事が難しいというケ-スが起こる可能性も考慮に入れる必要性が出てきます。
勿論、冷静に自動書記において書かれた内容を紐解く事で、クライアント自身のものか、あるいは、他の存在のものかを判別することは可能です。
ただ、仮に憑依などのケ-スかな?と感じられた場合には、

 

クライアントの方は「恐怖」を覚えてしまう・・・

 

という事に繋がり、自分を変えていきたい!との「思い」を途中で諦めてしまう結果にも繋がりかねません。
故に、S.Light.Mにおいて行っているヒプノセラピスト認定講座においても、自動書記の仕組みとやり方はお伝えしておりますが、むやみに活用しない方が良いですよ、と同時にお伝えしております。
また、そのような意味からも、私自身もクライアントの方に自動書記を提案する事は、ほぼありませんし、行う事もほぼありません。

つまり、自動書記と憑依との関連性につきましては、

 

① 手や足などの体の部分的な活用は比較的容易な事が多く
② そこで書かれた内容が、自分のものなのか、あるいは、別の存在のものなのか、の区別が付けづらく
③ 怖れを感じてしまっては元も子もない

 

という点がクロ-ズアップされます。
勿論、全ての自動書記においてこのような憑依現象が関わってくる訳ではありません。
他では行っている所もあるでしょうし、自動書記を活用する利点というのも確かに存在します。
また、これも自動書記と似たような仕組みで、かつ、憑依の影響を受けるケ-スも稀にはあり得るかも?という手法の一つとして「ペンジュラム・ワ-ク」というのもありますが、ただ、自動書記よりは危険性も低く少ないと思われるため、このワ-クについては注意点をお伝えした上で、ヒプノセラピスト認定講座においても実技も行って貰ってますし、このようなワ-クが好きなクライアントの方には行って貰っても良いですよ、とお伝えしております。
そして、以前のTOPICSからの繰り返しですが、

 

憑依とは「感情」につけ込んでくるもの

 

です。
そして、「感情」の多くにつけ込まれた結果として、「体の動き」などにも影響が及ぼされるという順番です。
そして、

 

憑依現象をむやみに怖れる必要性も全くありません!

ただ、余計かつ不要な憑依現象を避ける為には、

常日頃から、自らを律する、という姿勢を保ち続ける

 

という事がとても効果的であり有効な予防法にもなります。
そして、喜怒哀楽などの感情は自然なものですし、私も多々感じる感情でもあります。
なので、喜怒哀楽などの感情を排除する必要性も全くありませんし、そもそも不可能な事でもあります。
そして、自らを律するとは、感情のバランスを保つ、感情の適度な頃合いを知る、とも表現出来ますが、このようなバランスや適度な頃合いを判断基準にすると、

 

自分にとっての、何が適度でバランスが取れているのかが分からず、逆に悩みの種が増えてしまう・・・

 

と言った声が多く聞かれます(笑)
そこで、ここ数年来続く最近の事件などの傾向から導き出しますと、

 

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 

の諺を心掛ける事が、一番簡単で分かりやすくなると私自身は感じています。
つまり、バランスや適度な頃合いを見つけようとの「動き」を試みるよりも、

 

今の自分は、何かに過度・過剰になり過ぎていないかな?

 

と、ある種の「受け身」の姿勢を保つだけでも、多くの事に気づいていく事が出来ます。
そして、憑依という言葉尻だけを捉えると怖い現象と思われるかもしれませんが、

 

あなたの心の中の素敵な部分の手助けをしてくれる存在からの、(憑依という名を借りた)プレゼントや贈り物が届けられる

 

というケ-スも起こり得ますので、是非、何かに過度・過剰になり過ぎていると感じた時はそれに気づき、そして、ほんの少しでも良いので自らを律してみよう!との思いを持つ事で、きっと素敵なサポ-トがあなたにもたらされる事と思います(笑)
そして、ヒ-リングと「動き」の関連性については、私達は日常的に体験している現象があります。
それは、

 

空腹になると、お腹がグ~ッと鳴る

 

という現象です。
これは、私達の体が「動き」を伴っている事で絶えず調整され続けている事でもあり、食事を受け入れる準備が整いましたよ、との合図にもなっています。

年末に向けて忘年会などの機会も増えていく頃合いと思います。
楽しい時間においては、多少の「度を超す」という点があるのも事実でしょうし、あまり気に掛けていては楽しさも半減する事でしょうから、是非、ほんの僅かだけでも「過度・過剰」になり過ぎないというのを、ほんの頭の片隅で結構ですので置いて頂いて、楽しい時間を大いに味わって下さい(笑)

2017年11月25日 04:11

UFO・宇宙人からコミュニケ-ションを学ぶ?(笑)

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

青森県内においても平地で初雪が観測される季節になりました。
毎年の事とは言え、車のタイヤ交換の必要性や、今年は灯油の値段なども高騰しており、寒い地域に暮らす方々にとっては悩ましい季節でもありますね。
まぁ~、冬に気温が30℃もあってパニックになるような状況よりは良い事でしょうし、何よりちゃんと季節が巡って来るというのは、自然の流れで安心も感じる要素でもありますので、どうぞ体調管理をして、「冬ならではの楽しみ」も見つけてみて下さい!

そこで、今回は頭の体操?のような、逆に言えば、さほど中身が無い?とも思われる「UFO・宇宙人からコミュニケ-ションを学ぶ?(笑)」というテ-マをお届け致しますが、興味のある方は気軽に目を通してみて下さい(笑)

 

ところで、皆さんはUFOを目撃した事はあるでしょうか?
UFOとは「未確認飛行物体」ですので、何かよく分からない物体なども含まれます。
そのような意味での不明な物体というのは、私も以前に見た事があります。

私が見たのは2浪目の時のセンタ-試験の帰り道でした。
試験が終わり、心地よい疲労も伴って、電車の中で「リラックスしていた」時でした。
ふと気づくと、数㎞メ-トル先の鉄塔の上の辺りに、オレンジ色のまばゆい光が浮かんでいました。
最初は何だろう?何かが反射して光っているのかな?などと考えて見ていました。

しかし、その光はとても反射などでは現せないようにも感じ、見続けていました。
私の内心では「UFO?!」と喜んでおりましたが、一つ不可思議に思う点がありました。
それは、

 

周りの乗客の人には見えていないの?

 

という位、他の方々の反応が見られなかった、という点です。
当時はまだまだ携帯電話なども普及しておりませんでしたし、当然スマフォなどもありません。
電車の中の乗客というのは、本を読んだり、目を瞑(つむ)っていたり、あるいは、ただ外を眺めているという方々がほとんどの時代でした。
今では想像すら出来ないかもしれませんね?(笑)
そして、これがUFO?かどうかは分かりませんし、あくまで私の「個人的体験」ですので、真否のほどは今もって分かりません(笑)

 

ところで、UFOとは何か?と問われると、宇宙人が乗っている乗り物、未来の世界から来ている飛翔体、あるいは、異なる次元間を行き来する装置、など様々な事が言われています。
現在の地球上の最新の科学力を持ってしても、解明されているのは宇宙の極僅かの部分にしか過ぎません。
そして、天文学などの学者の多くの方は、

 

宇宙には他の生命体は存在する可能性が高い・・・
と言うより、宇宙の広大さを観測すればするほど・・・
宇宙には他の生命体が存在しない、と考える方が理論上においても無理がある・・・

 

と声を揃えて発言しています。
実際にかなり以前から、地球上から宇宙に向けて信号を発信し続けている観測所はありますし、そこでは同時に、宇宙からの信号も「キャッチ」しようとの試みも行われております。
おそらく皆さんも一度は教科書などで目にした事があるかもしれませんが、人間の男女の姿や地球の場所などの図面による情報を信号に変換して送られ続けています。
ちなみに、このようなテ-マとしては、ジョディ・フォスタ-氏が主演の「コンタクト」という映画もあります。
興味のある方は一度ご覧になってみて下さい(笑)

 

では、仮にUFOが宇宙人の乗り物であると仮定してみます。
皆さんは宇宙人は存在すると思われますか?
ちなみに、私の小さい頃にはドラえもんに出て来る火星人のヴィジュアルがまるで「タコ」のようなものでしたので、そのイメ-ジを持たれる方々も多いかもしれません(笑)

先ほど多くの天文学者などの間では、生命体は存在する可能性が高い、との意見が多数とお伝えしました。
しかし、ここで意見の分岐点となっている、とても大きなポイントが、

 

では、「知的」生命体は存在するのか?

 

という所です。
そして、実は今回のテ-マの最大のポイントは、

 

「知的」とは何を持って「知的」であるのか?

 

という点です。
皆さんも「あの人は何か「知的」な雰囲気があるね」あるいは「あの人は「インテリ」っぽいね」などの会話を聞いた事があるかと思います。
そして、ここでの「知的」というのは、物事を一杯知っている、発想が豊か、あるいは、頭が良い、などの意味合いで使われる事が多いかと思います。
そして、このような意味での「知的」と言う事であれば、

 

あなたがその人の事を、それなりには知っている

 

という事が前提条件となります。
ここではあくまで「雰囲気や姿・格好、服装が「知的」」という意味合いではありません(笑)
そして、あなたが誰かを「知的」と判断する要素として「知っている」という事が前提条件であるというのは、そこには、

 

コミュニケ-ションが成り立っているから

 

という、もう一つの前提条件が必要になってきます。
そして、ここでのコミュニケ-ションの成立は、直接的なものも含まれれば、間接的な評判や噂・伝聞なども含まれます。
何かしらの情報があなたにもたらされた事で、あなたは「知的」という判断をしている事と思われます。

 

そして、またまた繰り返しですが、先程からの「生命体」ですが、私達「人間」という姿・格好は、あくまで地球上において適した形態であるに過ぎません。
月に行ったら地球上のような形態のままでは身が持ちませんし、月に降り立つにはそれに適した装備をする必要性があるのはご承知の通りです。
そして、天文学者などが言及している「生命体」とは、

 

その星々に適した「生命体」が存在する

 

という意味が含まれています。
なので、当然の事ながら「人間」のような姿・格好の「生命体」は存在するかもしれないが、その可能性は極めて低い、という事です。
逆に言えば、

 

他の様々な形態の「生命体」が存在する、と考える方が理論上においても辻褄が合う

 

と言う事です。
その「生命体」は「人間」のように「固体」のような姿かもしれませんし、「水」のような「液体」の形態かもしれませんし、「空気」のような「気体」の形で存在しているかもしれません。
小さい存在もあれば、大きな存在もある事と思われます。
では、このような「様々な生命体」と私達が接触した時、

 

コミュニケ-ションが成立しない、という理由で、相手は「知的」ではない、と断言出来るでしょうか?

 

映画「未知との遭遇」では光と音でコミュニケ-ションを取ろうとしていましたが(笑)
では、お話を地球上に戻します。
地球上においても未だに未発見な「生命体」は多数存在しております。
「海の中」などはその顕著なケ-スでもあります。

 

私達「人間」は、勝手に?自らの存在を「万物の長」などと呼んだりしています。
しかし、地球上の「人間」以外の「生命体」とのコミュニケ-ションが取れているかと言えば、そうではないと思います。
勿論、中にはペットなどの犬や猫などと意思疎通出来る方もいらっしゃるかと思いますが、私達のほとんどが地球上ですら、他の「生命体」とのコミュニケ-ションは取れていません。
しかし、私達は、

 

自らは「知的」な存在である

 

と思い込んでいるのも、また真実である事でしょう(笑)
しかし、ほんの一縷の可能性という事に思いを馳せてみるならば、

 

地球上の「人間」以外の、他の「生命体」同士はコミュニケ-ションが取れているのかもしれない・・・
という点は存在していますし、逆に言えば、他の「生命体」からの視点で見ると、
地球上でコミュニケ-ションが取れていないのは「人間」だけ・・・

 

との考えを持っているかもしれません(笑)
そして、そのような他の「生命体」の視点から見ると、

 

コミュニケ-ションが取れていない「人間」は「知的」ではない・・・

 

との関係も成り立ってしまいます。
私達「人間」が何を持って「知的」と判断するかは、

 

まず、相手に対しての何かしらの情報を元に判断し、
そして、
その情報を得る前提として、コミュニケ-ションが取れている必要性がある

 

と言う事になります。
では、もう一度地球上を見渡してみます。
現在の国家間、あるいは、もっと狭い意味での、あなたの周りを見渡してみて下さい。
そこでは、

 

あなた、あるいは、他の人々は、ちゃんとコミュニケ-ションが取れているでしょうか?

 

そして、情報を得て、コミュニケ-ションを成立させるには、見落としがちな大きな前提となるポイントがもう一つ存在しています。
それは、

 

(お互いに)理解しようとする姿勢

 

です。
では、あなた自身を振り返ってみて下さい。
あなたはこのようなコミュニケ-ションを取れているでしょうか?
そして、もしコミュニケ-ションが取れていないようでしたら、あなたは「知的」ではない、と判断されてしまうかもしれません・・・
そして、あなたが「知的」ではないとの判断は、ひいては、あなた自身が宇宙に無数に存在する単なる「生命体」と同様にみなされ、いつの間にか「宇宙人」と判断されてしまうかもしれません・・・

 

と、脅しのような極端な比喩を用いましたが、あなたがそうである必要性もありませんし、そもそも、そうではないのでご安心下さい(笑)
私達は100人いれば、少なくとも100通りの意見や考え方が存在します。
そして、自分の意見と違う人を認めないという姿勢を持ってしまうと、そこでコミュニケ-ションが断絶し、

 

お互いに、あの人は「知的」ではない

 

との誤解を生み出してしまう怖れも出てきます。
現実的にはあなたの周りにも「あの人は宇宙人?」と思われるほど、意見や考え方が違う人がいらっしゃる事と思います。
しかし、あなたがそのように思う時には、相手の人も同時にあなたの事を「宇宙人?」と感じてしまうものです。
意見や考え方に違いがあるのは当然の事でもあります。
全ての意見や考え方を無条件に聞き入れる必要性もありません。
ただ、

 

理解し合う姿勢がなくなってしまうと、コミュニケ-ションは崩壊してしまう・・・

 

という点は頭に入れておいて下さい。
なぜなら、

 

地球の「人間」も他から見れば「宇宙人」だから

 

です(笑)
そして、私達が認識出来ている宇宙というのは、あくまで三次元における宇宙です。
次元は複数存在する事は既に証明されてもおりますし、実際に私達は紙に絵を描いたり、といった具合に二次元を把握し活用しています。
そして、私は時折次のように思う事もあります。
それは、この三次元の地球や宇宙というのは、小学生の自由研究などであるように、透明の箱に「蟻」と「砂」を入れ、「蟻」が「巣」を作っていく様子を観察するように、

 

さらに大きな何かの、ほんの一部であるのかもしれない・・・

 

と。
ちなみに、この大きな何かというのは「神や仏など」という意味ではありません(笑)
ここでの真の意味は、

 

自分が全て正しい、と思い込み過ぎてしまうのは、とても危険な事でもある

 

と言う事です。
そして、それを自戒するには、

 

井の中の蛙大海を知らず

 

という諺に表れているように感じます(笑)
自分をちっぽけな存在と思う必要性は勿論ありません。
そうではなく、あなたが井戸の中にいると気づき・・・そして、外には海がある事を知れば・・・

 

あなたという存在には多くの可能性が秘められている、という事に気づいていく事と思います!

 

そして、先ほど私がUFO?を見かけた時に、「リラックスしていた」とコメントしましたが、余談として、私の別の2つの不可思議な「個人的体験」をお伝え致します・・・頭がオカシイと思われるかもしれませんが・・・(笑)

まず1つ目は、家でソファ-に横になりながら、TVの野球中継を見ていた時です。
とても「リラックスして」、半分まどろんでいるような感じでしたが、眠っている訳ではないのは自分でも分かっていました。
そして、その野球中継の中で観客席が映し出されていましたが、その中に、かなり大きく、

 

深い緑色の肌で、SF映画に出て来るような怪人?

 

のような姿が私の目に入りました。
この時間はほんの数秒位なのでしょうが、私には長い時間に感じられました。
と言うのも、私はそのような光景が目に入って来ていたのは自覚していましたが、そのような光景を脳?が認知するまで気づいていないような感覚もありました。
そして、スッとその光景が理解されるやいなや、私は、

 

何だこれ???

 

と感じて素早く飛び起きました!
しかし、その直後にはその光景は既に消えていました。
そして、その時の野球場において、何かの映画の宣伝・プロモ-ションの一環でメイクなどをしていたのかな?と考え、インタ-ネットなどで探しましたが、そのような記事は全く見つけられませんでした(笑)

 

では、2つ目の体験ですが、これもソファ-に横になって「リラックスしていた」時の事です。
この時は8割程眠りに入っているような状況でした。
すると、突如、私の「頭の中?」・・・としか表現が浮かばないのですが、外から聞こえて来る音ではなく、頭の中で生み出されているような、

 

ザッ~ という雑音

 

が響き渡りました。
ラジオを聞くために、「周波数」を合わせている途中の雑音のような感じの音響です。
この時は自分でもビックリしてすぐに飛び起きました(笑)

 

今のは何だったんだろうか・・・?

 

と。
何か脳に疾患でもあるのか?など心配もしましたが、その後はすぐに鳴り止み、特段問題もありませんでした。
そして、最初のUFO?の目撃、怪人のような姿、頭の中の雑音・・・これらの全ては10年以上前の出来事でもあり、当時の私は、いわゆるスピリチュアル系なものを全く知りませんでしたし、興味も関心も全くありませんでした。
なので、これらの出来事が、

 

そのような体験をしたい! との「自己暗示」などから発生している可能性は極めて低い

 

と、現在では分析出来ていますし、今、同じような体験をしたら、私の対応は変わっている事と思います。
そして、この3つの出来事における共通点は、

 

どれも「リラックスしていた」時に起こっている

 

という点です。
ちなみに、「リラックスしている」からと言って、このような怖い?状況を皆さんも体験するという訳ではありませんので、どうぞご安心下さい(笑)

 

私達の「意識」は絶えず「振動」しており、「リラックスしている」時はこの「振動数が高くなる」と言われています(ちなみに、この「意識の振動」とは、「脳波」とは違いますので)。
つまり、分かりやすく、かつ、現実的な表現をすると、

 

リラックスして意識の振動数が高くなるにつれて、感受性も同時に高まっていく

 

という現象が私達の「意識」の上では起こり得るという事です。
なので、同じ現場に複数の人が居合わせていたとしても、

 

その人の、その時々の「意識の振動数の違い」によって、感受性が「キャッチ」する対象に違いが生じる

という事を表しており、それによって、

見えている風景にも、時には違いが生じる

 

と言う点に繋がっていきます。
また、振動数が高いから良くて、振動数が低いから悪いなどの問題では全くありません。
「振動数」はその時々によって誰もが変わります。
だた、喜びや楽しさを感じている時の方が「振動数は高くなる」とは言われております。

 

そして、私達の誰もが経験してきた「赤ちゃん」の頃は、1日の内のほとんどの時間を「眠り」に費やしており、故に、1日を通して「リラックスしている」状態が長く続いています。
そして、皆さんも次のような光景を見聞きした事はありませんでしょうか?

 

赤ちゃんが何も無い所を見つめて微笑んでいる・・・

 

という光景です・・・(笑)
そして、これも最初にコメントしましたが、「冬ならではの楽しみ」として、冬というのは大気が透き通っていて、青空や星空が綺麗に見える季節でもあります。
冬場はあまり外に出たがらなくなったり、下を向いて肩をすぼめて歩いたりといった姿勢になりがちですが、

 

綺麗な青空や星空を見上げる事で、UFO?との素敵な出逢いや目撃を体験出来る・・・

 

かもしれませんよ!
そして、今回ご紹介した3つの出来事は、あくまで証明のしようがない、私の「個人的体験」ですので(笑)

2017年11月18日 04:11

「自殺」が頭を掠(かす)める時には・・・読んでみて下さい

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日来、9人の方を殺害したとの事件が報道されており、真相はまだまだ分からない点も多々ありますが、SNSにおいての「自殺」という言葉がキ-ワ-ドになっているような節もあり、また、年末というのは残念ながら自殺率も高くなる傾向にもありますので、今回は「「自殺」が頭を掠(かす)める時には・・・読んでみて下さい」というテ-マをお届け致します。

 

今までのTOPICSにおいても様々な事をお伝えしておりますが、中には、そんな事はあり得ない、空想や妄想の中の話だ、現実離れしている、非科学的でオカルト?系、などのご感想を持たれる方もいらっしゃるでしょうし、信じる信じないも皆さんの自由です。
ただ、私はヒプノセラピストでもありますので、もし、ほんの「一言の言葉」においても、生きる勇気を持って頂けるようであれば、言葉を活用し続けますし、また、昔より科学や医学が目覚ましい発展を遂げつつある現代、そして、様々な新薬などのお薬が開発され続けている現状においても、更に自殺が増え続けている側面があるのも事実です。

 

そして、「従来よりの価値観」という枠を活用して、増え続けている自殺を食い止める事が出来ているのであれば、わざわざ今回のテ-マを敢えて選ぶ必要性もありませんし、私もわざわざ自らの信頼?を自らで貶めるようなテ-マ設定をし、コメントをする必要性もありません。
そして、繰り返しですが、今回のテ-マについて、どのように受け取るかは皆さんの自由です。
読む価値も無い・・・頭がオカシイ人のコメントだ・・・など、様々に受け取って頂いて勿論構いません。
そして、私が全ての自殺を食い止める事など、そもそも出来ません・・・
ただ、もし仮に今回のTOPICSをお読み頂いた方の中で、たった一人でも自殺を思いとどまる事が出来た・・・という方がいらっしゃれば、それだけで今回は充分なテ-マと思っております。

 

では、TOPICSを続けて参りますが、もしかしたら今までこのTOPICSをお読み頂いている方の中にも、時折は自殺が頭を掠める時がある、過去には自殺が心を支配していた時があった、自分には無いが周りの方で心配に思う人がいる、あるいは、身近な方が既に自殺で他界してしまった、そして、今回初めてこのTOPICSを「今」読んでいる方・・・など様々な状況があるかと思われます。

 

また、自殺が頭を掠める際には、イジメなどの壮絶な人間関係、お金の問題、また、とてもお辛いご病気などの方もいらっしゃるかと思います。
人それぞれのご事情や状況は違う事でしょうし、感情の起伏なども様々かと思います。
そして、中には、今のまま生きていても楽しくない、これからも生きていく意味が分からない・・・などのケ-スもある事でしょう。
そして、自殺を頭が掠めてしまう方の意見で最も多いと思われるのは、

 

私の人生なんだから、私が自由にして良いでしょ・・・
そして、
どうして自殺をするのは悪い事なの・・・?

 

このような意見や問いに対して、皆さんはどのように真摯に向き合ってご自身なりの言葉掛けをするでしょうか?
どのような言葉掛けでも正解でも間違いでもないように感じます。

では、最初にご質問を致します。

 

自殺を果たした後・・・
(あなたは)どのように生きていくのですか・・・?
(あなたの)人生はどのように変わっていくのですか・・・?
(あなたの)なりたかった自分として生きていけるのですか・・・?

 

と。
まず、このような質問に対しても、やはり馬鹿げている、やっぱり頭がオカシイ発想だ、などのご意見も多々ある事でしょう。
そこで、ハッキリとお伝え致しますが、

 

自殺をしても(あなたという)存在が消失する事はありません

そして、

私達が「死」と思っているような「死」は、そもそも存在していません

つまり、

(あなたが)「無」になりたいと思って自殺をしても、残念ながら(あなたが)「無」になってしまう事はありません

 

皆さんも様々な書籍などをお読みになっている方々も多いかもしれませんが、自殺に関しての学術的な研究や検証を扱っている分野は多々存在しています。
これは「死後生」や「前世」、あるいは「臨死体験」などの研究分野などとは若干アプロ-チの仕方も違っており、どちらかと言えば、現実的な視点が含まれているという特徴もあります。
なぜなら、これらの研究などは自殺を繰り返させない為に行われているからです。

 

そして、これらの研究が科学的に実証されているものでも無い事は皆さんもご承知かと思います。
そして、これらの学術書などはかなり専門的でもあるが故に、一般の書籍店などではあまり取り扱われている事も少なく、当然の事ながら通常目にする機会はほとんどありません。
しかし、これらの学術書などで述べられている一つの根拠としては、

 

(科学等では証明されてはいないが)
統計学上においては、様々な現象が実際に存在している、という事実は、もはや疑いようがない・・・

 

という帰結に至っているのも、また真実です。
それが先ほどの、存在は消失する事はない・・・という点に現れている現象です。

 

ところで、ヒプノセラピー(催眠療法)の「前世療法」においても、過去世(前世)において自殺をした体験を思い出す方は結構いらっしゃいます。
そして、先ほど述べた通り、自殺が頭を掠める際の状況や動機というのは様々ですが、既に私達のほとんどが過去世(前世)に自殺と似た状況を体験しているとの報告がなされているケ-スもあります。

このようなケ-スにおいては、「今世」での生き方において、

 

自分でも理由の分からない不安や焦燥感を感じる時がある・・・
ある一定の年齢に達した時に、心に理由の分からない様々な動揺を感じていた・・・
「生きる」という事に関して、時折、虚(むな)しさなどを強く感じる時がある・・・

 

などのケ-スで「前世療法」などを行って判明する事が多いです。
そして、このような「前世療法」において体験した事を振り返る時に、ほぼ、100%の方が、

 

自殺をした過去世(前世)をとても後悔している

 

との感想とお話を伝えてくれます。
そして、自殺が頭を掠めている時には、状況や事情は様々であるが、

 

感情に全てを支配されてしまっていた・・・

 

との感想もとても多く伝えられています。
私達は「今」という「現世」を生きていく中で、様々な体験をしていきます。
時には楽しい体験もあり、また、時には悲しく辛い体験もある事と思います。
しかし、「今」という「現世」においては、

 

私達は「心」と「体」の両方を活用して、現在の状況を変える試みをする事が出来る

と言う事が出来ますが、

自殺をしてしまった後には、(あなたは)「心」のみで解決をしていかなければならなくなる

 

という状況を自らで生み出してしまいます。
つまり、

 

自殺をしてしまうと、状況は更に悪化してしまう・・・

なぜなら、

自殺が頭を掠めた時の「心」(感情)のまま、(「体」は活用出来ないままで)「心」のみで対処していかなければならなくなる・・・

 

と言う事です。
例えば、とても暑い夏の日に、ジョギングを終えてたっぷりの汗をかいて部屋に戻って来たとします。
とても喉が渇いているので、その渇きを潤す必要性が出てきます。
「体」があれば、冷蔵庫に行ってペットボトルのお水やお茶を飲むことも出来ますし、蛇口をひねればお水も出てくる事でしょう。
言わば、

 

「体」を通して乾きを潤す事は容易になります

しかし、あなたが自殺をした後の「心」のみの状況では、

ひたすら「心」のイメ-ジや想像力を駆使してのみしか乾きを潤す方法・手段がない

 

という状況と全く同じになってしまいます。
喉の渇きを潤す時に、

 

「心と体」の両方、あるいは、「心」のみでは、どちらがより容易に喉の乾きを潤す事が出来るでしょうか?

 

答えは一目瞭然かと思います。
つまり、何かしらの状況があれども、

 

自殺をしても「体」の状況が変わるだけで「心」の状況は全く変わっていない

のみならず、

その後は「心」のみで全てを対処していかなければならなくなる

 

という状況に自らを追い込んでしまう結果になります。
ちなみに、自殺以外の「(死の)その後」では、次第に状況を理解していきますので、「心」のみで全てが円滑に進んでいきますのでご安心下さい。
そして、不適切な表現である事は重々承知の上ですが、このような状況をもう一つの例えとして挙げると、

 

円周率の計算を・・・
あなたの「頭」(心)だけで行うのか?
あるいは、
ス-パ-コンピュ-タ-(体)の力も借りて行うのか?

 

という位、解決へのその後の道のりの違いが現れていきます。
そして、私達の「体」を支えてくれている細胞は、それぞれ意思を持っており、「体」を守ってくれるために相互に連絡を取り合っている事は、医学的にも既に証明されております。
また、細胞のみならず、私達の「体」は様々な微生物の働きによっても支えられています。
つまり、

 

(あなたの)「体」は自分だけのものではない
そして、
自殺とは、他の生命をも奪ってしまう事になる

 

という事が言えます。
このように、自殺をするという事は、他の生命をも奪う事になり、また、人数の問題ではなく、必ず悲しみや動揺などを覚える人々が(あなたの)周りにいらっしゃいます。

 

(あなたが)自殺をしたとしても、(あなたの)人生から逃げ切る事は出来ません
そればかりか、
悲しみなどを抱えた人々の「全部の思い」を、(あなたの)「心」のみで解決に導く事が必須になってくる

 

という更なる負荷を自分で自分自身に課す事になってしまいます・・・
そして、今回は敢えて更に踏み込んだ視点をもお伝え致します。
先ほども自殺に関しては学術的かつ現実的な研究や検証が行われているとお話しました。
そして、このような研究においては、説明の付かない不可思議な事象や現象などが報告されてはいるが、あまりクロ-ズアップされること無く、逆に言えば直接的には触れる事がタブ-な問題として、

 

憑依が関わるケ-ス

 

という問題が生じています。
以前のTOPICSにおいても憑依現象は若干触れた事はありますが、実は、自殺を試みたが、実際にはその後に救助された方々を対象とした研究において、

 

自殺を試みる前の「記憶」が無い・・・

 

という報告がされているケ-スが多々あります。
そのようなケ-スでは、確かに自殺をしようかと常日頃から思っていたケ-スがほとんどですが、実際には自殺を試みる事に躊躇いや怖さを感じていたというケ-スが重なり合っている事が多いです。
つまり、

 

自殺「願望」はあったが、実際に自殺を「実行」する度胸は無かったのに・・・

 

というケ-スです。
このようなケ-スでは、自分が自殺を行う「前」の記憶がほとんど無いという点が共通して報告されているケ-スが多いです。
確かに、衝撃的な出来事やトラウマなどでは「一時的な記憶の消失・健忘」が起こる事はよくありますし、「後」の記憶は外傷によるショックなどで覚えていないケ-スは起こります。
しかし、これらの記憶の消失や健忘が起こる場合というのは、

 

本人を守る為に記憶が(一時的に)封印される

 

という衝撃を緩和させる為の働きが加わった上での現象です。
そして、憑依が加わっていると思われるケ-スでは、

 

ついフラフラと・・・しかし、次の記憶は救助され意識が戻った後・・・

 

というケ-スがほとんどです。
つまり、

 

自殺の実行の「前」では、本人の意識が関与していないのでは・・・?

 

と思われるケ-スも多数報告されているという事です。
本当に自らの意思で自殺を実行しようとしているのであれば、その「前」の記憶が封印されてしまう事は、意識の働きの上でも起こり得ません。
なぜなら、本当の意思からであれば、「記憶の消失や健忘」という働きで、その本人を守る必要性がそもそも無いからです。
そして、これも以前のTOPICSにおいて触れておりますが、このような状況の時には、

 

(あなたの)心の「隙間」が、「隙魔」となってしまったが為・・・

 

という事です。
そして、厳しい言い方ですが、憑依を受けてしまう側にも理由・原因があります。
それは、

 

あまりにも度を超した「感情」を持ち続けてしまっている・・・

 

という点に現れます。
そして、この「隙魔」につけ込んで行くというのが、憑依という働きです。
ちなみに、このような「感情の隙魔」につけ込んで行くというのは、

 

生きている人の思念

 

も含まれます。
悪意のある思念は当然ですが、この中には、善意であっても、過度の不安や心配なども含まれます。
そして、過度に心配される側というのは、心も敏感になっていますので、その思念を感じ取りやすくなり、時には自分の人生を邪魔されている?コントロ-ルされようとしている?などの「感情」に結び付いてしまう事も多々あります。
しかし、このような憑依によると思われる自殺のケ-スにおいても、あるいは、(善意から出ているものであれ)煩わしさを感じてしまう人の思念による影響という場合でも、

 

「隙間」を「隙魔」にしない事で防ぐ事が出来る

 

というのも真実です。
そこで、ここからは常日頃から簡単に出来る、そして、特段自殺が頭を掠めていない方でも、誰にでも出来る方法をお伝え致します。
まず、1つ目は、

 

毎朝、顔を洗う時などに鏡を見ながら、「この「心」と「体」は私のもの!」

 

とアファメ-ション(自己宣言)を行う、という方法です。
強い憑依を受けている時には、目の瞬(まばた)きの数が極端に少なくなったり、あまり鏡を見たがらなくなる、という傾向が出るとの報告が多数あります。
分かりやすい例では、とても疲れている時や、切羽詰まった状況の折が続いていたりすると、自分の「身なり」に気をつけなくなるのと同じ事です。
そして、憑依をしている側では、

 

本当の自分を見たくないが為に、鏡を見るという行動から遠ざけようとする

 

という傾向が見られるという事です。
古来から、世界各国の様々な文化において、鏡というものはとても神聖なものであり、魔を払う道具としても活用されておりました・・・
そして、2つ目の方法は夜寝る時が効果的かと思いますが、

 

自分に(あなたにとって神聖などと思えるような)雷を直撃させる

 

というイメ-ジです。
この雷のイメ-ジは、あなたを傷付けるような性質は一切持ち合わせていません。
憑依というのは、

 

エネルギ-の二人羽織のようなもの

と言われており、実際に行われていた精神科医による実証研究においても、

憑依をしている側は、電気的刺激に弱い

 

との証明がされています。
私達のイメ-ジ(思念)は実体を持っておりますので、自分の中で雷という電気的刺激を用いる事により、常日頃からあなたにとって必要のない憑依を剥がすような感覚で行っても大丈夫です。
そして、

 

雷があなたを直撃する事により、あなたに纏(まと)わり付いていた不要なエネルギ-的なものが離れていくというイメ-ジを加える

 

ことで、より実感しやすくなるかと思います。
ちなみに、ここでの纏わりついている不要なエネルギ-的なもののイメ-ジとしては、黒や灰色などの色を付けても良いですし、何か昔の機雷のようなイメ-ジなど、あなたにとってイメ-ジしやすいものであれば何を活用しても大丈夫です。
そして、この不要なエネルギ-的なものが、身の周りの知人などの思念の場合であっても、それを剥がす事で相手の方に悪い影響を及ぼす事もありません。
これは、単にあなた自身のスペ-スにある、あなた自身のものではないエネルギ-を離すだけであり、離した不要なエネルギ-は本人の元に自然と戻っていきます。

 

ちなみに、これも以前のTOPICSでもお伝えしたかもしれませんが、実は、私は雷がとても苦手です。
これは、以前、ある時期に頻繁に、雷に打たれる夢を何度も見た事から来ているものと思っていました・・・
そして、そのような側面もあるのでしょうが、この夢の中のイメ-ジを「実際に活用する方法」も同時にあったという事に気づいた部分に役立ってもいます・・・

 

そして、ここまでは自殺が頭を掠めてしまうご本人に対象を照らしてきましたが、少しだけここでは、身の周りで自殺をされた方々がいるという方を対象として照らしていきます。
ここまでで、自殺をする事は解決に結び付くものでもなく、更に状況を悪化させる怖れなどをお伝えしてきましたし、やはり、自殺は行ってはならないものでもあります。
ただ、過去のある特殊な状況下などにおいては「考慮に入れる動機」があったであろうというのも事実です。

 

例えば、戦時中の沖縄では多くの集団自決が行われました。
私も以前に沖縄に旅行に行った際は、記念館なども拝観してきました。
当時では、捕まったら大変な目に遭わされる、あるいは、捕まる前に自決する事が美、などのように誤った教育が行われていた状況下では、動機の上においては集団自決というのは考慮に入れる余地があった事は否定出来ない側面もあるかと感じます。

しかし、このような過去の状況とも動機の上でも違う現在の自殺においては、自殺をされた方はその後、

 

音も光もない、暗闇の中に置かれる(正確な表現としては、無自覚のまま、自らで自らを暗闇の中に置く)

 

という状況になるとも言われています。
しかし、(必ずしも)永遠にこのような状況が続く訳でもありません。
このような、

 

暗闇の状況を創り出しているのは、そのご本人の「心境(感情)を反映」したもの

 

だからです。
そして、ご本人が気づく度に、この周囲の状況も次第に明るく変化していきます。
しかし、なかなかそのように気づくのはご本人のみでは難しい面もあります。
なので、もし、あなたの知人などで残念ながら自殺をされた方がいらっしゃるとすれば、

 

ご本人に気づくよう伝え続ける

 

という事をして下さい。
言葉でも構いませんし、明るい状況をイメ-ジで伝えてあげても構いませんし、あなた自身の生きる姿勢を見せるという事でも、

 

あなたの「思い」が込められていれば全てが大丈夫

 

です。
そして、もうお気づきかもしれませんが、「供養」とは、

 

(すでに肉体という「体」はないのだから)
「体」を養うものをお供えするのではなく・・・「心」を養うものをお供えする・・・

 

という点はご理解頂けるかと思います。
そして、これもとても大切な事ですので、「反省すべき点」も、ちゃんと伝えてあげて下さい。
最初の内は、鳥の鳴き声のように、僅かな囁(ささや)きのようなものかもしれませんが、伝え続ける内に、その声も次第に大きくなり、ご本人の気づきのキッカケも増えていきます。
そして、自殺が頭を掠めてしまう方でも、自殺をされてしまった方でも、あるいは、自殺をされた方をご供養する方でも、

 

帰結する所(目指す所)は、「笑み」がキ-ワ-ドになります

 

その点を意識してみて下さい。
今回のテ-マは確かに科学的・医学的に現在の所は明確に証明されているものではありません。
そして、どのようにお読み頂いても、また、どのような感想や意見を持たれても勿論自由です。
そして、これも今までのTOPICSにおいて繰り返しお伝えしている事ですが、

 

真実とは・・・証明されて初めて真実となるものではありません・・・
真実とは・・・どこでもいつでも、ただ、真実として存在しているだけ・・・

 

です。
そして、例えば今回お伝えした憑依などの現象においても、確かに明確な証明は今の所はされておりませんが、科学や医学の一部の分野、心理学、人類学、生物学、哲学、文学、宗教学、(量子)物理学・・・などの様々な分野で言及・報告されている事象の一つです。
現に、私が大学時代に履修した文化人類学の授業においても憑依現象は取り上げられていました。
そして、このような事象に関する言及・報告においては、統計学上では「存在する」との帰結が得られている事象でもあります。

そして、もう一度繰り返しますが、もし、今、自殺が何度も頭を掠めてしまうような状況の場合には、

 

自殺をした後に、どうやって生きて行くのですか・・・?

 

との問いを、今一度、ご自身に問いかけてみて下さい・・・

2017年11月11日 03:11

名前をなくした女神・・・は・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、今回はまず、あるご質問から入ります。
それは・・・

 

あなたは、誰ですか・・・?

 

では、TOPICSを続けていきます。
今回の「名前をなくした女神・・・は・・・」というテ-マですが、この「名前をなくした女神」というのは、私が以前に観たTVドラマのタイトルです。
このドラマは小学校における、いわゆる「ママ友」と「お受験」を舞台にした壮絶な人間関係を描いた内容です。
嫉妬などのイジメの背景も描かれていますが、今回は直接的にはそのようなテ-マを取り上げる訳ではありません。

 

ところで、皆さんも幼稚園や保育園などにおいて、「〇〇くんママ」や「〇〇ちゃんパパ」などの言葉がよく使われているのは見聞きした事がある方も多いかもしれません。
ちなみに私は独身ですので実体験をした事はありませんが(笑)

このように、親同士の人間関係においては、そこでは個人としてのお名前を呼ばれる事はほとんどありません。
そこで最初の質問に戻りますが、「あなたは、誰ですか・・・?」との問いには、

 

私は〇〇(という名前)です

 

と、多くの方がお答えになるかと思います。
青森太郎です、青森花子です、など。
では、次のご質問を致します。
それは・・・

 

あなたは、どういう人ですか・・・?

 

では、この質問にはどのようにお答えになるでしょうか?
おそらく、私は〇〇という仕事をしています。スポ-ツが好きです。音楽を聴くのが趣味です。
など、様々な答えが返ってくるものと思われます。

では、最後のご質問を致します。
それは・・・

 

あなたは、何者ですか・・・?

 

この質問にはどのようにお答えになるでしょうか?
ちなみに、実際のコミュニケ-ションにおいては、「何者ですか?」と聞いてしまうと、相手の方は気を悪くされてしまうケ-スがほとんどですので、このような表現は使用しない方がよろしいかと思います(笑)

 

この質問にも様々な答えが返ってくるかと思われます。
そして、この答えの中には、最初の質問におけるお名前や、次の質問におけるお仕事や趣味なども含まれてくるかと思います。
しかし、最初の質問と次の質問、そして最後の3番目の質問においては、

 

3番目の質問に答えるには・・・
最初の質問と次の質問では、表現しきれていない・・・答えきれていない・・・
あなたの中の何かが見え隠れしている・・・

 

という感覚になる事が多いかと思われます。
そして、このような見え隠れしているものの中に、

 

あなたの本質が現れている・・・

 

という点を見出す事が出来ます。
ところで、日常のコミュニケ-ションの場において、次のような経験をした事はありませんでしょうか?
あなたが誰かとお話をしていて、相手の方の質問や返答において、

 

何か嫌な感じがする・・・何か気に障る点がある・・・

 

など。
今回の3つの質問に全く答えられないという方は、ほぼいらっしゃらないかと思われますが、極端に表現すると、私達の誰もが、

 

自分の事を全く知らないと、相手の方の事も全く理解出来ない

 

というコミュニケ-ションに繋がっていきます。
つまり、

 

コミュニケ-ションの消失

 

という現象です。
そして、先ほどの、嫌な感じ・・・気に障る・・・というのは、実は、

 

相手の方に悪意があるのではなく・・・
単に、
相手の方はあなたにあまり興味がない・・・

 

というケ-スがあります。
勿論、全てに当てはまる訳ではありません。
そして、あなたにあまり興味がない・・・というのは、実は、

 

相手の方は、自分自身の事をよく理解していない・・・自分自身の事にあまり興味がない・・・

 

というケ-スが多いです。
私達の誰もが自分の事は理解っているようでいて、あまりよく理解ってはいない、というのも真実です。
事実、私自身もそのような面は多々あります(笑)
しかし、このようなコミュニケ-ションにおいて、実際は相手の方には悪気の無い事もあります。
そこには表現方法や言葉の活用の仕方などの点も関係している事もあります。
ただ、嫌な感じ・・・気に障る・・・という感覚のみで、

 

あなたが相手の方に真摯でない対応をしてしまうと・・・
コミュニケ-ションの消失に繋がってしまう・・・

 

という結果に陥ってしまいます。
そして、コミュニケ-ションの消失が、

 

相手へのさらなる無関心・・・
そして、無関心という現象が無視という行動に繋がり・・・
まるでイジメのような空気を醸し出していく・・・

 

そして、イジメの理由を探し出そうと自己矛盾が起こり、
妬(ねた)み・・・嫉(そね)み・・・
などを活用して、自己正当化を起こそうとし・・・
その為の仲間を募るようになっていく・・・

 

という、悪循環が始まってしまいます。
そして、この仲間とは他者とは限りません。
この仲間には、

 

その人自身の心の様々な側面

 

も関与してきます。
そして、そのことにより、

 

さらなる自己矛盾を起こし・・・
次第に自分という人間が理解し辛くなっていく・・・

 

このような悪循環から脱していく際には、自分の事を理解しようとの試みがスタ-ト地点となっていきますが、自分自身をより理解していく際には、

 

他者を活用する

 

というのは、とても効果的です。
勿論、自分で自分の内面に入り、自分を探し出すというのも大切な事です。
しかし、先の3番目の質問のように、

 

自分の内面に見え隠れしているものは、自分ではなかなか気づき辛い

 

という側面もあります。
そこで、まず、あなたが自分自身を知るために、今回の、

 

自分は、誰ですか?
自分は、どういう人ですか?
自分は、何者ですか?

 

と自分に問いかけると同時に、様々な人とのコミュニケ-ションを取っていく事で、

 

自分の事がより理解出来るようになる
と同時に、
今まで以上に、相手の中に見え隠れしている、相手の本質を見つけやすくなる

 

というポジティブなスパイラル(循環)が自然と起こっていきます。
今回ご紹介した「名前をなくした女神」というドラマでも、コミュニケ-ションをしているようでいて、本質部分のコミュニケ-ションがなされていない事で、様々な感情が問題を引き起こしていきます。
そして、一つの視点としては、人間関係における様々なトラブルの発端となりやすいのは、

 

コミュニケ-ションの方法にあるのではなく・・・
コミュニケ-ションが取られていない部分・箇所に見つけ出す事が出来る・・・

 

とも、よく言われます。
そして、さらに、このドラマ内でも「ママ友」同士の不仲が、

 

お子さん同士の不仲を引き起こそうと、親側が働きかけてしまう

 

というように、無関係のお子さんなどをも巻き込んでいってしまいます。
皆さんも日常においては様々なコミュニケ-ションを行っている事と思われます。
そして、そのような中で、嫌な感じ・・・気に障る・・・などと感じた際は、今回のテ-マのように、

 

自分を知り・・・相手を知る・・・

 

という点を活用すると同時に、何かコミュニケ-ションが上手くいっていないなぁと感じる際は、

 

そのコミュニケ-ションの中に、第三者が関与していないか・・・?

 

という点も探し出してみて下さい。
この第三者というのは、今回のドラマを例に取ると、子ども同士の人間関係に影響を及ぼそうとしている親側の事です。
コミュニケ-ションにおけるトラブルの多くには、

 

このような第三者の存在が見え隠れしている

 

という事がよくあります。
そして、この第三者は一見すると善意の場合もありますが、本当の意味での悪意の場合も残念ながら存在します。
そして、本当の意味での悪意であれば関係性を変えたり、時には勇気を持って関係性を断ち切るという事も必要になる事もあるかもしれません。
そして、コミュニケ-ションを変えたり、断ち切る際には、その前に、

 

第三者の悪意が・・・
本当の意味での悪意なのか・・・
あるいは、
第三者が自分の事をあまり理解していないが故の悪気の無さなのか・・・

 

を判断してみて下さい。
コミュニケ-ションにおいては良い悪いという方法は本来は存在しません。
コミュニケ-ションの方法は様々あって当然ですし、それぞれが良さも持っています。
ただ、最初の質問に現されるように、

 

名前をなくすという事は・・・次第に相手を一つの人格として見れなくなっていく・・・

 

という傾向も出てきます。
特に、お子さんがいらっしゃるご夫婦の間などでは、お互いに様々な呼び方をしている事と思います。
それはそれで全く構いません。
ただ、もし仮に、ご夫婦間でシックリきていない状況があるようなケ-スでは、

 

今一度、お互いに名前で呼び合ってみる

 

という事も活用しながら、時と状況に応じてコミュニケ-ションの方法を変えてみて下さい。
きっと、何かしらの変化の兆しが現れてくるかと思います・・・

2017年11月4日 03:11

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