「原点」に戻る際には「(自己)矛盾」さえも活用出来ます!

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

だんだんと秋の装いも近づいて来ておりますが、この時期は転勤や社内での部署の異動などにより環境に変化が生じたり、また、今年の残りで成し遂げたい事などを改めて見つめるなどの、心に迷いが生じやすい頃合いでもあります。
そして、このような心を見つめていく過程においては、

 

「(自己)矛盾」に気づく事もある

 

というケ-スも多く見受けられます。
そこで、今回は「「原点」に戻る際には「(自己)矛盾」さえも活用出来ます!」というテ-マをお届け致します。
ところで、皆さんもご存じの通り、「(自己)矛盾」とは、

 

(自分の中での)つじつまの合わない、あるいは、相反するにも関わらず、等しく・同じく存在しているもの

 

という印象を伴う現象のようなものです。

そして、このような「(自己)矛盾」とは、一般的には、望ましくない、あるいは、好ましくない、などのようにネガティブなイメ-ジを伴った性質のものと捉えられるケ-スが比較的多いと思われます。
勿論、このような「(自己)矛盾」を抱え、それに全く気づいていない場合などでは、何か生きていく上での息苦しさを感じたり、自分であって自分ではない、というような感覚に陥る事もあるかもしれませんし、「(自己)矛盾」から来る言動などにより、人間関係におけるトラブルが発生するケ-スもあり得る事かもしれません。

 

しかし、この「(自己)矛盾」とは誰でも抱えているものでもあり、私自身も抱えております(笑)
そして、この「(自己)矛盾」の中には、素敵な出逢い、時には微笑ましく感じられるケ-スや、そして、時には迷った時の「原点」に戻る際の羅針盤ともなり得る性質のものも存在しています。
では、それを一緒に見て行きましょう!

 

それでは、まず、イメ-ジを活用していきます。
あなたの目の前に「紙(平面・二次元)」があるとし、その紙の上に「東西南北」を書き込むとします。
もし分からなければ、「日本地図」を思い描いて頂いても構いません。

その紙には、「東西南北」という「十字型」の線が書き現されます。
「上が北」「下が南」「左が西」「右が東」というように。
では、この線を活用して短い旅をしてみます。

 

もし、あなたが「北」に向かって歩いて行くとします。
すると、あなたは自動的に「南」から遠ざかって行く事と思います。

また、あなたが「東」に向かって歩いて行くとします。
すると、あなたは自動的に「西」から遠ざかって行く事と思います。

 

ここまでは連いて来てくれてますでしょうか?(笑)
仮に、あなたが東京にいて、北海道に向かうとすると、自然と沖縄からは遠ざかって行く事になりますし、九州方面に向かうとすると、自然と東日本からは遠ざかって行く事になります。
とても自然で当たり前の行動であり、現象でもあります。
ここに「(自己)矛盾」を感じる事は無いかとも思います。

 

では、今度は「紙」ではなく、「地球儀(立体・三次元)」をイメ-ジしてみて下さい。
この「地球儀」においては、上の方を「北極(北)」、下の方を「南極(南)」、そして、左の方を「ヨ-ロッパ方面(西)」、右の方を「アメリカ方面(東)」と単純化してみます。

では、これから、この「地球儀」を少し旅してみますが、すると、

 

不可思議な現象と、素敵な出逢いが訪れる

 

というケ-スが発生します。
では、一緒に少しだけまた旅に出掛けてみましょう!

まず、あなたは今、これから「北極」に向かうぞ!との思いを抱きながら「南極」にいるとします。
この「南極」があなたの「原点」となっています。
そして、これから「目標」である、「北極」へ向かいます。
すると、不可思議な現象が起こってきます。

 

あなたが「目標」である「北極」へ向かうと、それと同時に、「原点」でもある「南極」へも向かう事になり、近づいていく・・・

では、今度は、視点を変えて「原点」を「ヨ-ロッパ方面」とし、そこから、「目標」である「アメリカ方面」に向かいます。
すると、

あなたが「目標」である「アメリカ方面」へ向かうと、それと同時に、「原点」でもある「ヨ-ロッパ方面」へも向かう事になり、近づいていく・・・

 

ここまでで、イメ-ジの感触は掴めているでしょうか?(笑)
仮に、あなたの「原点」が「西」であり、「目標」が「東」であるとすると、「紙」において旅をすると、

 

あなたが「目標」の「東」へ向かえば向かうほど、「原点」の「西」からは遠ざかり・・・
そして、
「原点」の「西」へ戻るには、辿って来た道(同じ道)を引き返さなければならなくなる・・・

 

これは、上と下の「南北」についても同じ事になります。
一方の「地球儀」では、

 

あなたが「目標」の「アメリカ方面」へ向かえば向かうほど、
逆に、
「原点」である「ヨ-ロッパ方面」へも近づいていき・・・

そして、「目標」を達成した「アメリカ地点」から、「原点」である「ヨ-ロッパ方面」に戻りたいと思った時には・・・

逆に、
辿って来た道(同じ道)を戻る事も出来るが、そのまま先に進んで行くという「違う道」を選択すると、距離は同じでも違う景色を体験出来る・・・

 

どうでしょうか・・・「(自己)矛盾」のイメ-ジが掴めてきたでしょうか?(笑)
つまり、

 

あなたが「原点」から「目標」へと歩みを進めて行くと、それと同時に、最初の「原点」へも向かう道へと繋がっている

 

という意味合いです。
つまり、「地球儀」を活用すると、

 

行きは地球の表側を通って行くが、帰りの際には、見えていない裏側を通って戻る事も出来る
そして、
右(上)の「目標」へと向かっていくと同時に、左(下)の「原点」へも向かう道にも繋がっている

 

というイメ-ジです。
そして、何かの迷いが生じた際などには、よく「原点」に戻りなさい、などとも言われたりしますが、これは言わば「過去を振り返る」と同じ意味合いを持ちますが、時にはすぐには向き合えない「過去の出来事」などがあるケ-スも存在しますし、準備の整っていない状態でこのような「過去」に無理に向き合おうとすると、逆に耐えがたい「過去の出来事」などを自分の中で強化してしまうケ-スもあり得ます。

「紙」のイメ-ジにおいては、「目標」の「東」へ向かえば、元の場所の「原点」たる「西」に戻るには、

 

辿って来た道(同じ道)を逆向きに再び進んで行かざるを得なくなる・・・

 

という事になります。
つまり、

 

「他の選択肢」という「違う道が無い」 = 景色が変わらない

 

という事です。
一方の「地球儀」のイメ-ジにおいては、「目標」たる「アメリカ方面」へ向かってゴ-ルに到達し、再び「原点」である「ヨ-ロッパ方面」に向かう場合には、

 

必ずしも、辿って来た道(同じ道)を引き返す必要はなく、そのまま先に進み、違った景色(違った道)を味わいながら「原点」に向かって進む事も出来る・・・

 

という体験をする事が可能になります。
そして、全てではありませんが、このように「(自己)矛盾」の中には、

 

「紙」でも「地球儀」のどちらでも「原点」に戻るという行動は同じでありながらも、
・・・
「地球儀」では、「原点」に戻るル-ト(道)において、違いを産み出す事も出来る

 

というケ-スがあると言う事です。
しかし、「紙」の上の道であろうと、「地球儀」の上の道であろうと、

どちらも同じあなた自身である

にも関わらず、そこでの違いを産み出す事が出来るのは、

 

あなたの視点の捉え方次第

 

と言う事も出来ます。
あなたが人生における好奇心に満たされている時、

 

「目標」である「北」を体験したい!

と思った時は、「紙」でも「地球儀」でも、そのまま進む事が出来ます。
しかし、

 

「目標」たる「北」を体験したから、ひとまず「原点」たる「南」に戻って一休みしよう!

と思い立った際は、「地球儀」のイメ-ジの方が、違うル-ト(道)を選択する事が出来るという可能性が、

「新たな体験」・・・という「付加価値」を産み出す

 

ことが出来るようになります。
そして、「紙」あるいは「地球儀」のどちらにおいても、

 

あなたが行動するという点は同じである・・・

が、しかし、あなたの視点の捉え方を変える事で、

「原点」に戻るル-ト(道)が違うものになる事で、あなたが見聞きする景色が変わり、その「新たな体験」という「付加価値」が加わる事により、心の内(やる気など)も変化する・・・

 

というケ-スを創り出す事が可能になります。
そして、さらに、

 

この「付加価値」を身に付けたあなたが・・・

「原点」に戻った暁には、
新たな視点から「原点」の景色を眺める事が出来るようになっており・・・

そして、
新たな視点を獲得した「原点」から、更に別の「目標」に向かって歩んで行く事が出来るようになる・・・

というようなサイクルを辿る事も出来、
常に成長し続ける「あなた」であり続ける事が出来る・・・

 

という更なる「付加価値」をも身に付けていく事が出来ます。
このように、繰り返しになりますが、全てではありませんが「(自己)矛盾」の中には、あなたの視点の捉え方によって変化を創り出せるケ-スも存在し、何かの「(自己)矛盾」に陥っていると悩んだりした際は、今回のような「紙(平面・二次元)」や「地球儀(立体・三次元)」のような人生のイメ-ジを行ったり来たりするように、ほんの少しの視点を変える事で、

 

同じ事をしているようでも、体験の仕方を変化させ、なおかつ、自分自身を成長させる事が出来る

 

という心持ちになる事で、自然と解決していくケ-スもあります。
そして、この解決には先程の「素敵な出逢い」も含まれています。
では、その「素敵な出逢い」の旅を見て行きましょう!

 

この「素敵な出逢い」は、「紙」でも「地球儀」でも、両方において当てはまりますが、ここでは「地球儀」を活用してみます。
では、あなたが今、「南極」にいると仮定します。
そして、あなたは今、「北極」を目指して出発の歩みを進めて行きます。
それと同時に、「ヨ-ロッパ方面」から、「アメリカ方面」に歩みを進めている、ある人がいます。

 

そして、「北極」へ向かうあなたと、「アメリカ方面」へ向かうある人と、歩みの途中で交わる中間点、「地球儀」で言えばちょうど日本の辺りかもしれませんが、そこで、あなたと、そのある人は出逢います。
ところで、物事が何かギクシャクしている、あるいは、過程においてしょっちゅう問題が頻発する、などの状況の時には、

 

あなたの進む方向にズレが生じている・・・あるいは・・・あなたの心の中の方向性が定まっていない・・・

 

というケ-スもよくあります。
実は、あなたの心の中では、あなたは今、「原点」たる「ヨ-ロッパ方面」から「目標」である「アメリカ方面」へ向かって歩んでいる!との強い思い込みや、ちょっとした勘違いを起こしているという時には、実際にあなたが歩んでいる道は「南極」から「北極」に向かって進んでいるにも関わらず、その「歩む道がズレている」という点に気づき辛いという点が生じます。
つまり、あなたが「原点」と思っていた地点は、実は、「原点」では無く・・・が、しかし、そのズレに気づいていないが故に、「目標」もズレてしまっている・・・

 

このような事に全く気づかないでいる間は、「紙」の上ではやっとの思いで辿り着いたのに景色(目標)が全く違う・・・などと感じたり、あるいは、「地球儀」の上では、進めば進むほど、延々と北極→南極→北極→南極・・・と、堂々巡りを繰り返している・・・というケ-スに陥る事にもなります。

 

しかし、中間地点で出逢ったある人と話をする事で、自分の歩んでいる方向性がズレていた!という事に気づくキッカケになるかもしれません。
そして、あなたが「アメリカ方面」に向かうのであれば、そのある人は「同じゴ-ルを目指しているので、一緒に行きましょう」と誘ってくれるかもしれませんし、「ヨ-ロッパ方面」に向かうのであれば、そのある人は「私が辿ってきた道を進むと良いですよ。ある所ではとても素晴らしい景色が広がっているし、また、ある所では少し注意して進んだ方が良いですよ」などのアドバイスをしてくれる事もあるかと思います。

 

繰り返しですが、「(自己)矛盾」の全てがネガティブな性質のものではありません。
私にも自分の中に「(自己)矛盾」は存在しています。
そして、そのような「(自己)矛盾」の全てを「今すぐに」解消する必要性もありません。
ただ、

 

道に迷い、物事があまりにも進んでいかない・・・
と感じる際は、あなたの中の「(自己)矛盾」が、
少し「軌道修正」した方がスム-ズに行きますよ!

 

とのメッセ-ジとなってくれる事もあります。
そして、この「紙」「地球儀」というイメ-ジは、「時間軸」で表現すると、より分かりやすくなる点もあります。
例えば、

 

「紙」は「直線」という、前に進む事が前提となっており、後戻りは出来ない性質
そして、
「地球儀」は「ル-プ(輪)」という、前後は関係なく、全てが繋がっている性質

 

とも表現出来ます。
そして、これを「時間軸」に当てはめてみると、

 

「紙」の人生 = 「過去」 → 「今」 → 「未来」

 

となります。
そして、この意味は、

 

「過去」の自分が、「今」の自分を産み出し、「今」の自分が、「未来」の自分を産み出す

 

という部分です。
そして、このような「直線の人生」というのも真実の一端ですが、それ以外にも、

 

「地球儀」の人生 = 「過去」 ←→ 「今」 ←→「未来」

となり、

 

「過去」の視点から「今」の自分を眺めると、「今」はもう手放しても良いものが見えてくる

そして、

「未来」の視点から「今」の自分を眺めると、「今」すべき事柄がより明確になってくる

 

という活用が出来、実はこの活用法というのが、先程の、

 

「付加価値」

 

となっています。

今回は頭で理解しようとすると、少々難しさを感じる面もあったかと思われます。
それは、今回は繰り返しの表現と「 」も多用しながら、「イメ-ジ・視覚」を活用したヒプノセラピ-(催眠療法)の試みのような感じで進めてきた事もありますが、何となくの感じやイメ-ジが掴めていれば大丈夫です。
宜しければ、自分の中の「(自己)矛盾」というものが、「原点」に戻る際の新たな道の羅針盤にもなり、また、「軌道修正」の為のメッセ-ジを与えてくれる事もあるなど、色々と考えるキッカケにでもしてみて下さい。

 

そして、私自身が感じる「(自己)矛盾」の「微笑ましく感じられるケ-ス」をご紹介致します。
それは、アニメの「トム&ジェリ-」です(笑)
私位の世代の方であれば、幼い頃に一度は観た事があるかと思われます。
そして、この主題歌においては、

 

トム と ジェリ- なかよく(仲良く) けんか(喧嘩)しな

 

とあります。
これは、「言葉」の上ではかなりの「(自己)矛盾」です。
しかし、このアニメを観た事がある方であれば、このような「(自己)矛盾」はイメ-ジしやすいかと思われますし、ネガティブな性質のものでも無いという事はご理解頂けるかとも思われます(笑)

 

そして、衆議院の総選挙が行われる事になりました。
今までもそうですが、選挙日までの間に、今回は特に、与党も野党も含め、政治や多くの政治家における、

 

今回のTOPICSのテ-マとは全く異質の「(自己)矛盾」が、これでもか!!! と様々に炙(あぶ)り出される・・・

 

という光景を確実に目にする事になります。
この光景の中には不快感や嫌悪感などを伴うケ-スも出てくる事かと思われますが、

 

目を反(そ)らさず、あなたの中の「(自己)矛盾」に気づくきっかけ

 

としても活用してみて下さい・・・

2017年9月30日 03:09

セルフ(自己) セラピ-で人生の転機と目的を探す - 作詞家 阿久悠さんから -

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、先月は24時間テレビが放映されていましたが、私はあまり観ておりませんでしたが、その中で作詞家である阿久悠さんのドラマが放映されておりましたので、それは録画して観ていました。
そこで、今回は「セルフ(自己) セラピ-で人生の転機と目的を探す - 作詞家 阿久悠さんから -」というテ-マをお届け致します。
ところで、今回のテ-マだけを眺めると、何のこと?と思われるかもしれませんので、簡単に先にご説明致します。

 

まず、今回の内容は全くの私の個人的体験から来る「感触」であり、私自身の前世療法や年齢退行などのセルフ セラピ-を行ったようなものと思って頂いて結構です。
このTOPICSにおいても歌を聴く事はヒプノセラピ-(催眠療法)を受けた時と同じような効果を見い出せる事もありますよ、とお伝えしておりますが、これは私自身は歌が好きである事からというのが一つの理由でもあります。
なので、歌に限らず、映画、小説、あるいは、皆さん自身の好きな趣味なども同じように活用する事が出来ます。
なぜなら、

 

好きな事をしている時には、あなたの潜在意識が活発に働いている

 

からです。
好きな事をしていると時間を忘れたり、そもそも努力をして何かをしているという感覚も無いかと思います。
そして、結果的に、

 

好きな事は(さほど)努力を要すること無く、短時間で身に付いていく

 

という側面がある事が、あなたの潜在意識が活発に働いている証となっています。
そして、好きな事が得意になったり、あるいは、得意な事が長所になったりと、さらに幅と奥行きが広がっていきます。
そして、このような好きな事や得意な事、長所というのは・・・

 

前世からも引き継いでいるかも・・・???

 

という点も楽しんで考えてみて下さい!
では、進めて参りますが、今回は阿久悠さんが作詞した、私の好きな2つの歌の歌詞の一部も紹介し、それについての私自身のセルフ セラピ-の「感触」と、「今」との関係をお伝えして参ります。

まず、1曲目は1986年発表の河島英五さんの「時代おくれ」です。
では、歌詞の一部をご紹介致します。

 

『 一日二杯の酒を飲み さかなは特にこだわらず マイクが来たなら 微笑んで 十八番(おはこ)を一つ歌うだけ
妻には涙を見せないで 子どもに愚痴を聞かせずに 男の嘆きは ほろ酔いで 酒場の隅に置いて行く
目立たぬように はしゃがぬように
似合わぬことは無理をせず
人の心を見つめ続ける
時代おくれの男になりたい 』

 

ところで、先にお断り致しますが、私自身が時代おくれの男?のように自分を格好良く見せるためにご紹介した訳ではございません(笑)
私は独身ですので妻も子どももおりませんし、私自身の実生活をなぞらえている訳でも全くありません(笑)

 

この歌は私が13歳の時の発表のものですが、その当時の私はこの歌を全く知りませんでしたし、仮に知っていても13歳の年頃では共感も何も無かった事と思います。
そして、今にして思えば、この歌は大学に入った時にサ-クルの先輩の車の中で聞いたのが最初かと記憶しています。
しかし、その大学生当時の私は、失礼ながらこの歌を聴いても何の興味も共感も湧きませんでした。

 

そして、年月を経てこの歌と再会する時がやってきました。
再会当時の私の年齢は覚えておりませんが、当時、よくお酒を飲みに連れて行って頂いたりと、大変お世話になっていた知り合いの方が、スナックに行くと、よくこの歌を歌っていました。
その歌を聴いている時に、この歌を、良い歌だなぁ~と感じた事は覚えています。
なお、「良い歌」とは、単に私にとって「好きな歌」という意味ですので、その他の他意は全くありませんので(笑)

 

そして、それからは今でもカラオケに行くとこの歌を歌いますし、よく聴いたりもしています。
しかし、やはり当時のこのような記憶や感情は残っているものの、その時はそれ以上の感慨というものはありませんでした。
そして、ここからが私のセルフ セラピ-の結果です!

「今」になって振り返ってみると、この歌と再会した当時の私は、

 

人生において迷いが生じていた時

 

という事が思い出されました。
迷いと言っても、当時の行政書士の仕事内容に不満や不安があった訳でもなく、仕事もとても順調に進んでいましたし、満足していました。
ただ、

 

この仕事をずっと続けている自分が想像出来ない・・・

 

という迷いのような感じでした。
そして、これも「今」になって振り返ってみると感じる事ですが、法律のお仕事というのは綺麗事ばかりではありません。
どちらかと言うと、様々な思惑やしがらみなども絡んでくるケ-スもあります。
この点は他のお仕事をされている方々も同じようなケ-スはあるかと思われます・・・
なお、違法な事は行っておりませんので誤解無きようお願い致します(笑)

 

そして、2011年に東日本大震災が発生し、ちょうど、その少し前に父が病気になり、その直後に母にも病気が見つかったりなどの状況になっていました。
そのような父母の病気や、東日本大震災の、その後のなかなか改善されていかない状況を見るにつれ、

 

私の中では法律というものへの興味が次第に薄れていった・・・

 

という感情の渦が湧き起こりました。
勿論、今でも法律は大切なものでもありますし、法律のお仕事も必要で素晴らしいものと思っておりますので、この点も誤解の無きようお願い致します。
そして、そのような当時の状況の中で、ヒプノセラピ-やレイキ ヒ-リングなどを身に付けたいと思い、時間も費用も掛けて修得していきました。
そして、2012年に母が他界した後に、自分なりに色々な事を考えている中で、時代おくれという曲の

 

人の心を見つめ続ける

 

という歌詞を、今後の自分の人生にしようとの選択と決断をし、五所川原に戻って今のお仕事に携わるようになりました。
なお、ここも繰り返しですが「人の心を見つめ続ける」と言っても、格好付けている訳では決してありませんので(笑)
また、カウンセリングなどで、ただ話を聞くだけで何もしないという事でもありませんし、ちゃんと、提案やアドバイスや様々な方法・手法も行っておりますのでご安心下さい(笑)

そして、これも「今」から振り返ってみると、このような選択と決断をした背景には、先程の、

 

人生において迷いが生じていた時・・・には、既に、自分の中では転機と目的に気づいていたのでは・・・?

 

と、強く感じています。
この迷いの時は、少なくとも30歳は超えておりましたし、世の中の仕組みというものが、法律のお仕事を通して、良くも悪くもある程度は見えてきていた時機でもありました。
そして、私が今のお仕事を五所川原に戻って行おうと決断したのは母の他界も一つの理由ではありますが、このように「今」になって振り返ってみる事で、それは確かに大きなキッカケとはなっておりますが、

 

実はそれ以前に自分の心の中では芽生えつつあったものから目を塞(ふさ)ぎ・・・
そして、
決断力がなかった・・・

 

という事がよく理解出来ています。
だからと言って後悔をしている訳ではありません!

この内容はまだ先の今回のテ-マに続いて行きますが、ひとまず、2曲目に移りご紹介して参ります!
2曲目の歌は、1971年発表の尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」です。
では、これも先に歌詞の一部をご紹介致します。

 

『 また逢う日まで 逢える時まで 別れのそのわけは 話したくない
なぜか さみしいだけ
なぜか むなしいだけ
たがいに傷つき すべてをなくすから
ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう 』

 

この歌にも「心」が入っているので取り上げたの?と思われるかもしれませんが、そのような点も若干はありますが、そこが核心ではありません(笑)
この歌は私が産まれる2年以上前の歌です。
勿論、産まれた後の赤ん坊や幼い頃にテレビなどを通して私の耳に入って来ていた事は事実かと思います。
ただ、この歌の歌詞の内容がそのまま幼い私の中に入って来たとは申しませんが、

 

この歌は幼い私の心の中にスッ~と入って来た

 

という、「記憶」ではなく「感触」が私の中にはずっとあります・・・
先程のドラマ内でも紹介されていましたが、この歌の歌詞は、恋人との別れを題材にしているものです。
当時は今よりも男尊女卑の傾向が強く、阿久悠さんはそのような当時の状況を変えたいとの思いで、別れの際でも男性のみが強いという事ではなく、女性も自らの意思で訣別を行える強さを持っているという事を描きたかった、との趣旨があったとの事です。

 

このような事からも、少なくとも幼い私の中に、このような恋愛の別れの歌詞が心の中に入ってくることは無いだろうと自分でも思います(笑)
では、なぜ、この歌が今でも私の中で残り、生き続けているかと言うと、私は、

 

この歌詞そのものが魂の世界を描いている

 

との「感触」が残り続け、生き続けているからです。
勿論、幼い私に魂などの事が分かる訳ではありませんし、そのような理屈という意味でも、幼い私が反応するのは不可能なようにも思えます。
実は、本来の私は懐疑主義、つまり、疑り深い、容易には信じない、という所があります。
なので、今でこそスピリチュアルな内容も取り扱っていますが、20代の頃などは、そのようなものはイカガワシイとすら思っていました(笑)
故に、ここでお伝えしている内容についても、自分なりに科学などの視点も取り入れ、それなりに納得出来る題材をお届けしております(笑)

少し話しが逸れましたが、この歌に私が魂の世界を感じるというのは、

 

別れのそのわけは話したくない・・・たがいに傷つきすべてをなくすから・・・

 

という所です。
この別れというのは、言わば、この世とあの世との別れ、と私は幼心から今まで同じ「感触」を感じ続けています。
先程は私の母の他界の事もコメントしましたが、この世では、病気にも様々な点もあるかと感じますが、なぜ?なぜ?なぜ?という事故や事件、そして、時には自然災害による別れというものが存在しています。

そして、スピリチュアルな視点では、時にはこのような事が、

 

業・カルマのせい、あるいは、前世の報い・・・
などと言われたりしますが、
私はこのような解釈は、あまり好きではありません・・・

 

確かに、そのような、この世の人間の理解が及ばない理由などが存在するケ-スがある事は真実の部分もあり、そのような理由が反映されている事象がある事は、時には理解出来るケ-スもあります。
しかし、それを前世の報い、などと全てを解釈してしまっては身も蓋も無くなるでしょうし、仮にそのような理由や原因があったにせよ、この世の私達ではそれを伝えられても理解出来ない事と思いますし、「今これから」は変えていく事が出来るからです。
そして、もし仮に、全ての事が全ての人に明らかになって行く過程においては、

 

別れのそのわけは話したくない・・・たがいに傷つきすべてをなくすから・・・

 

という状況が、それなりの確立で起こってしまう・・・とも感じます。
私自身も、

 

真実を知りたい、近づきたい・・・
との思いを常々持ってはいますが、しかし・・・
「今は」全てを明らかにする必要性がない場合もある・・・

 

との「感触」を受ける事もあります。
この世の事は全てこの世で解決可能ですが、あの世でしか解決出来ない事もあるのかもしれません・・・
何か、ここ迄でネガティブな方面に捉えらている方々もいらっしゃるかもしれませんが、それは今回のテ-マではありません(笑)

私がこの「また逢う日まで」を取り上げた最大の理由は、あくまで私自身として、私事として感じている事ですが、それは、

 

この歌を産まれる前から知っていたからなのでは・・・???

 

と思う時があるからです(笑)
頭がオカシイと思われても当然かもしれませんね?(笑)
確かに、潜在意識としては繰り返し聴いたりする事で馴染みが出来上がったり、時には、先程からの好きな事や趣味のように、ほんの一瞬で自分の中に入って来るものも多々あります。
しかし、この歌は私が小さな頃に繰り返し聴いていた記憶も全くありませんし、そもそも言葉もままならない幼い頃では理解出来ようもありません。

 

にも関わらず、何故、幼い時から好きなのだろう・・・???

 

と考えると、今回のような理由しか見当たらないというのが、私の「感触」としての本心です(笑)
最初の一つ目の曲は私の人生の「転機」に関わっていますが、二曲目の歌は私の人生の「目的」に関わっているかのようにも感じられます。
そして、私達はこの世に産まれる前に、

 

ある程度この世の事をリサ-チしている

 

とも言われています。
これから産まれる世界がどのような所なのか、あるいは、どのような状況になっているのか、などをある程度、頭?に入れておかないと怖さも感じてしまう事もよく理解出来ます。
そして、そのリサ-チの中には、

 

あなたの人生における目的も含まれている

 

とも考えられます。
幼い子どもさんが、産まれる前はお空にいてお母さんを見ていた、などの発言をする事はよくありますし、胎教などもそのような仕組みから考えると効果があるのもうなずけます。
そして、あなたが自分の人生の目的を知る一つの手掛かりとして、

 

産まれる前2~3年前の、心や興味を惹かれる出来事を探してみる

 

というのも効果的かもしれません。
この探す対象は、好きな事や楽しい事などに限りません。
心が強く痛むような事件や事故なども対象となります。

そして、今回のような人生の転機や目的を探す際は、あなたにとっての好きな事や趣味の中などから発見される可能性も高いです。
なぜなら、

 

潜在意識には、前世を含めた全ての記憶が貯蔵されており
何より、
何かに熱中している時は、潜在意識が活発に働いてくれている

 

からです。
今回は、あくまで私の個人的体験における「感触」ですし、取り留めのない内容にもなっております。
また、今回は阿久悠さんの作詞をテ-マとしましたので古い歌と思われるかもしれませんが、他にも同じようなセルフ セラピ-が出来そうな好きな歌はたくさんありますし、最近の歌も聴いたりしています(笑)

そして、今回のテ-マの趣旨としてお伝えしたい事は、「今」あなたが興味を持ち、あなたの心が強く惹かれている対象があれば、それが何であれ、

 

あなたの素敵な未来の人生への「転機」としてのメッセ-ジになっている・・・かも・・・

 

と捉え、私のように「過去」をセルフ セラピ-するのではなく、「今」を活用して「未来」をセルフ セラピ-し、「素敵なこれから」を創り上げる際に役立つ事と思います!

そして、私がこのTOPICSにおいて一つのテ-マを何千字も掛けて、やっとお伝え出来ている部分もあるのかな?と考えると、阿久悠さんに限りませんが、他の作詞家などの方々も含めて、僅か数百字で様々なテ-マや感情や記憶を呼び起こす事が出来るという事を見つめると、日々精進、という事が身につまされます(苦笑)
そして、以前のTOPICSでもコメント致しましたが、私が好きな歌のSMAPの「オリジナル スマイル」の歌詞にあるように、

世界中が幸せになれ

とは・・・実現するのは本当に難しい事なのでしょうか・・・

2017年9月23日 05:09

本来の意味の「終活」と、あの世という「区別世界」

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、先日ニュ-スを観ていたら、高齢者の方の暴行・傷害などの件数が、十数年前から右肩上がりとなり、事件数も倍増しているとの統計が出ているそうです。
この事件というのは、いわゆる「キレる」という範疇のものが多くを占めておりますが、一昔前でしたら「キレる」という用語は、ある意味、若者世代に当てはまる言葉として活用されていましたが、残念ながら現在ではその境目も無くなりつつある模様です。

 

ただ、暴行・傷害などや「キレる」という行動は年齢や性別などとは本来全く関係ありません。
そこで、今回は「本来の意味の「終活」と、あの世という「区別世界」」というテ-マでお届け致します。
なお、「終活?」「あの世?」「高齢者?」という言葉が出てきましたが、今回のテ-マもネガティブなものではなく、また、高齢世代の方のみに焦点を当てているものではありません。
「今」すぐに、誰にでも、そして、あなた自身にも当てはまるテ-マとなっていることは・・・読み進めて頂ければお分かりになるかと思います(笑)
では、進めて参ります!

 

まず、あの世とは、「厳然たる区別世界」と言われております。
そこで、「区別世界」というイメ-ジを捉えやすくするために、あの世とはLv(レベル)1からLv10迄の段階に分かれていると仮定していきます。
なお、あの世のLvとは、実際にはマンションのように3階や5階などのフロア-毎に分かれているものでもありませんし、上限というのは存在しません。
また、Lv1が悪くてLv10が良いという性質のものでもありません。
ポイント制で数字が増えていくものでも勿論ありません(笑)
このLvとは、

 

その人が至っている境地

 

という意味合いです。
そして、あの世における生活においては、例えば、Lv3の者同士が一緒に集まり、Lv10の者同士が一緒に集まっているという具合に、自分と同じような境地に至った人の集まりですので、ある意味、居心地が良いとも言われていますが、その反面、自分やその他の様々な視点に「気づきづらい」という側面もあります。
そこで、まず「本来の意味の終活」という視点ですが、これは、

 

この世を旅立つ時点での境地が、自然とあの世における同じLvの世界に移行する

 

という大前提がある、という意味です。
つまり、「今」あなたがこの世においてLv5であったならば、この世を旅立ち、その先に向かう世界というのは、あの世におけるLv5という事になります。

そして、ネガティブな意味ではなく、明日や未来の事は私達の誰もが分かりません。
また、あの世に旅立つのは病気などに限らず、事故や、時には事件に巻き込まれるというケ-スもある事と思います。
つまり、「一寸先・・・」という表現があるように、

 

誰もが、「今」この時点で至っている境地で、あの世の世界に移行する

 

という事になります。
これは、若い世代であろうが、高齢世代であろうが全く一緒です。
そして、この世の社会における終活とは、断捨離(だんしゃり)のように様々な物を手放したり、あるいは、身辺整理という意味合いが多いかと思われます。
これはこれでポジティブな側面でもあり、素敵な事と思います。
しかし、このような意味の終活には、先程来からの、

 

境地・・・という視点が抜け落ちている

 

という側面もあります。
どれほど物を手放したり、身辺整理をしようとも、周りの人や社会生活において暴言を吐いていたり、あるいは、少し乱暴とも呼べるような振る舞いをしているようでは、その時が来た暁には、その程度のLvの世界に移行してしまう事になります。

 

そして、このような事は繰り返しですが、老いも若きも、男女の別も全く関係ありません。
勿論、だからと言って、先の事を不安に思ったり怖れる必要性もありません(笑)
若い世代であれば欲しい物も多いでしょうし、これから先に集めたい物なども多々ある事でしょう。
また、高齢世代と言えども、必要な物はありますし、手放したくない想い出の品などもある事と思います。
このような物を無理に手放す必要性もありませんし、何か欲しい物のためにお仕事を頑張るなどは大いに励んで頂いて良いと思います。

そして、このような「本来の意味の終活」とは、老いも若きも関係なく、物を完全に手放す事でもなく、

 

「今」至っている思い・感情に目を向ける

 

という意味合いです。
なぜなら、繰り返しですが、

 

「今」至っている境地が、そのままあの世へと移行するエンジンになる

 

からです。
そして、「今」の思い・感情に目を向け、ネガティブな側面が強いと感じる思い・感情に気づいたら、出来る範囲内で、

 

そのような思い・感情を整理し、手放す

 

という事が、「今」すぐに、誰にでも、そして、あなた自身にも当てはまるテ-マという意味です。
そして、このような思いや行動は、あの世へ向けての準備という側面だけではありません。
それは、このようなネガティブな側面が強いと感じる思い・感情に気づき、それを手放そうと思う事は、

 

「今」目の前にある実際の日常生活を変化させる

 

という効果をもたらすからです。
そして、「今」目の前の日常生活に変化を起こすという事は、いつでもどこでも終活をしている事と同じ意味であり、このような心持ちで日常生活を送っていけるという事は、「今この世」という世界を生きながらも、

 

自然とあの世で送る事になる生活Lvに変化を及ぼしている

 

という事に繋がっています。
私はこのTOPICSにおいても、

 

「今」を大切に、そして、出来る範囲内で構いません

 

と繰り返しお伝えしておりますが、それは、今回のような側面も含めてのコメントでもあり、また、そうは言っても、この世、現世、あるいは、社会という荒波に揉まれている状況においては見失いがちになってしまう側面もありますし、私にもそのお気持ちは理解出来ます。
そのような折は、

 

「今」は「あの世」での快適生活の準備をしているんだ!

 

という「永い視点」を持つ事も効果的な場合も多々あります。
なお、これも繰り返しですが、自殺は決して行ってはなりません!
その理由はもうお分かりでしょうが、

 

「今」至っている境地が、自然とあの世での生活Lvになる

 

という点です。
今回は「繰り返し」という表現を多用しておりますので、煩わしく感じるかもしれませんが、現在の様々な社会情勢などを眺めていると、様々な乱れが大きくなっています。
この乱れの渦に巻き込まれない為に「繰り返し」お伝えしている点がありますのでご了承下さいね(笑)

では、このような視点をどのように日常生活において意識していけるかと言うと、様々な表現が存在しますが、その中の一つが、

 

一期一会(いちごいちえ)

 

です。
皆さんもご存じかと思いますが、これは、「今」あなたが接している人とは、この一生では一度きりかもしれない、だからこそ、

 

「今」に思いを込めて接し、「今」を大切に生きる

 

という意味合いです。
勿論、私も常にこのような事を実践出来ている訳ではありませんし、逢った人と別れる度に涙を流す必要性もありません(笑)
大切なのは、そのような「心持ち」を心掛けるという程度で大丈夫です!

 

そして、間もなくお彼岸の頃合いになりますが、ここでも供養というテ-マが出てきます。
しかし、今回のテ-マは供養そのものでもあります。
その意味は、

 

(この世の)私は「今」を一生懸命に生きています!
なので、
(あの世の)あなたも一緒に「今」を切磋琢磨して生きましょう!

 

というメッセ-ジを贈る事です。
必ずしも、あの世の人がこの世の人よりLvが高いという事はありません。
あの世に旅立った時の思い・感情において、憎しみや嫉妬などが強い場合には、そのままの世界に移行しています。
そのような場合では、この世の人があの世の人に語り掛ける事で、あの世の人に気づきをもたらす事が出来ます。
思念にはこの世もあの世も関係ありませんし、常に相通じているものです(笑)
そして、今回のようなテ-マからよく質問されるケ-スとしては、

 

愛する人とは必ずあの世で再会出来るの?

 

という問いがあります。
結論としては、「いつかどこかで」必ず再会出来ます。
しかし、これには一つだけ条件があります。
先程から、あの世は「厳然たる区別世界」とお伝えしております。

あの世においては、例えば、最初にLv7に至れば、その後に、LV6や5という風に下がっていく事はほとんどありません。
なぜなら、先程お伝えしたように、同じLvの人同士が集まっている事と、肉体や物などの制約や苦痛などから自由になっているからです。
そのような側面から、仮の数値ですが、

 

あなたの愛する人がLv5で、あなたがあの世に移行した段階でLv1であるならば、すぐには逢えない・・・かも・・・

 

という事があります
これは、Lv1のあなたが、Lv5の愛する人の世界を訪れる事は出来ないからです。
このような状況で逢える場合とは、例えば、あなたがLv3であり、愛する人がLv5であるならば、その愛する人はある程度までは降りてきて、Lv3で逢う事は出来ます。
しかし、このLvの差があまりにも離れてしまっている場合には、降りてくるにも限界があるという事です。
では、どのようにすれば再会する事が出来るのでしょうか?
それは、

 

気づく事で、至る境地が上がっていく

 

という事です。
なお、ここでは逢える迄には長い時間が掛かるという意味ではありません・・・そもそも、あの世に時間はありません(笑)
気づきという境地の段階を経る、という意味合いです。
つまり、愛する人がどれほど高いLvに存在していたとしても、あなたが様々な事に気づき、自らのLvを高めていけば逢える地点や世界が広がっていくという事です。
そして、

 

あの世であれ、この世であれ、気づくとは「今」である

 

という事です。
そして、先程の供養も全く同じ意味です。
仮にあなたがあの世に存在している折に、あなたよりLvが下がっている人と逢いたいならば、その人にエ-ル(応援)を贈り、気づきの手助けをしてあげる事が出来ます。
そして、このようなエ-ルは、

 

この世の人(魂)からあの世の人(魂)へも可能

 

です。
そして、常に、

 

あの世からあなたを愛する人が、あなたへのエ-ルを贈っている

 

という点にも目を向ける事が出来ます。
ここまでお読み頂ければ、「本来の意味の終活」という事と、「大切なのは今」という事が全て繋がっているという事がお分かり頂けたかと思います(笑)
そして、このようなテ-マも「今の日常」に役立てる事が出来る、という点も(笑)

 

そして、この同じテ-マから「何故、前世があるのか?」という答えも導き出せます。
これはこれで一つのTOPICSのテ-マとして成り立ちますが、簡単にご紹介致します(笑)
先程から、あの世ではLv5であれば同じLv5の人と集まる、とお伝えし、そして、このLvには上限も無い・・・と。
そして、上限はありませんが、Lv10であろうと、やはり同じようにLv10の人と集まる事になります。
そして、同じLvだからこそ居心地が良いと感じると同時に、様々な視点に気づきづらい・・・とも。
そして、「前世がある意味・理由」とは、

 

この世とは、Lv1からLv10迄の様々な人(魂)が集まっている場所

 

であるという事です。
つまり、あの世ではなかなか交流する事が出来ない様々なLvの人(魂)と、

 

この世であるからこそ、交流する事が出来、切磋琢磨する事が出来る

 

という大切な側面が存在しています。
そして、もうお分かりでしょうが、

 

様々なLvの人(魂)と交流可能だからこそ、様々な気づきという「視点=自分」を得やすくなる

 

というメリットがあります。
あなたにも日常生活においては好きな人もいれば嫌いな人もいらっしゃる事でしょうし、どうしようもない大人だと思う人もいれば、小さなお子さんから学ばせて貰い感心・感動するという経験も多々ある事と思います。
これが、

 

この世・現世が存在する意味

 

とも言えます。
そして、「今」という日常を通してLvを高めていけば、自然とあの世でのLvに繋がっていきます。
そして、逆のケ-スが多々ある事もまた然りです。
例えば、あの世でLv10であって、そこから今世に誕生したとしても、この世では様々なLvの人(魂)との交流が始まります。
そして、その交流の元で、

 

(あの世では)Lv10であったあなたが、(この世での)あなたの思い・言葉・行動次第で、Lv5あるいはLv1迄にも下げてしまう事はあり得る

 

という事です。
そして、この世とは、あの世で至った境地を、この世において再確認し、実践出来ますか?というお試しの場とも言えるかもしれません。
そして、それを本当の意味で身に付けていくために、あの世→この世→あの世→この世・・・という風に・・・

高齢世代の「キレる」というニュ-スを発端として今回のテ-マをお伝えしてきましたが、少し嬉しい?ニュ-スも提供致します。
100歳以上の方々が47年連続で最多数を更新中だそうです(笑)
長生きが良い、という意味ではありませんが、どのような年齢・世代でも、常にあるのは「今」だけ、という事からも、あなたがもし「今、100歳ならば・・・」どのような思い・言葉・行動をするのかを考えてみるのも楽しいかもしれません(笑)

 

そして、今回のように私はこのTOPICSではスピリチュアルなテ-マもお伝えしたり、様々な書籍などにも目を通したりしますが、

 

あまりにも過度な御利益頼みという書籍などは信頼していない

 

というスタンスを保っています。
そのような過度な御利益頼みの内容のものには、自らの思い・言葉・行動が分断され、

 

自らの意思が剥奪されてしまう怖れも潜んでいる

 

からです。
なお、ここでの行動などの意味は、祈りや思いが意味が無いという事でもなく、ご病気や怪我などで寝たきりの状態であれ、お体が不自由な場合であっても、「生きる・生きている」という表現をしているという意味で、立派に果たしていますので誤解の無きようお願い申し上げます。
是非、様々なスピリチュアル系の書籍などをお読みの方は、このような視点も考慮に入れて読んでみて下さい(笑)

 

そして、先日も北朝鮮からミサイルが発射されましたが、これに関しても様々な学びが含まれておりますので、チョットだけお伝え致します。
それは、

 

「怖れ」は「伝染」しないが、「連鎖」はする

 

という点です。
そもそも「怖れ」はウィルスなどのようなものではありませんので「伝染」はしません。
しかし、「怖れ」の中でも一番「怖い」のが「連鎖」です。

北朝鮮のミサイル発射は容認出来るものではありませんが、現在の北朝鮮は戦前の日本と同様との見方もあります。
そして、このミサイル発射などに対して、日本も核武装すべし、などの意見を唱える方々も日々増えてきているようにも見受けられます。
そして、北朝鮮にせよ何にせよ、「怖い」から核武装すべし、と言うのは、それこそ、多少の「動機」の違いがあるにせよ、

 

北朝鮮が今現在まで行って来ている行動と、本質の部分では同じでは・・・?

 

と、感じます。
「怖れの連鎖」とはこのように、

 

本来の大切な部分が知らず知らずの内に、見えなくなってしまう・・・

 

という点に現れてきます。
歴史が繰り返される・・・繰り返される歴史・・・というのを避ける為には、

 

理性と冷静さを保つ・・・

 

という事が必須になってきます・・・

2017年9月16日 06:09

コップの中の水・・・という視点に味付けしてみる

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

ところで、皆さんも次のような問いを聞いたことはあるかと思いますが、如何でしょうか?

 

コップの中に水が半分残っている・・・という状況・・・

 

このような状況をどのように捉えるかという視点遊びのようなものです。
まだ半分も水が残っている、あるいは、もう半分しか水が残っていない、という捉え方が一般的なものかと思います。
このような、日常の風景において視点の捉え方を学んだり楽しんだりするというのは、とてもシンプルで素敵な発想だと思います。
何かを学ぶのに難しくある必要性はどこにもありません(笑)

 

ただ、このコップの中の水については、「半分も残っている=ポジティブ」あるいは「半分しか残っていない=ネガティブ」という捉え方をされ過ぎているのでは?との流れから、今回は「コップの中の水・・・という視点に味付けしてみる」というテ-マをお届け致します。
そして、「味付けする」というのはどういう事かと言うと、

 

自分なりの解釈をアレンジし、自分の今後のために活用する

 

という意味合いです。
なお、自分なりの解釈、そして、今後の自分に活用するという視点ですが、これには、一つだけ条件というものがあります。
それは、

 

何かのせい、誰かのせいにしてはいけない、そして、何かや、誰かを傷付けてはいけない

 

という大前提です。
様々な事柄においては、様々な意味付けをする事が出来ますし、様々な可能性が含まれています。
そして、

 

どのような意味付けをするかは、それぞれの個性の表れ

 

とも言えます。
そして、なぜ、最初に条件という大前提をお伝えしたかと言いますと、このような視点の捉え方という課題においては、時には、

 

あまりにも自分中心になり過ぎてしまう怖れもある

 

からです。
皆さんも聞いた事があるかと思われますが、「イヤよイヤよも好きのうち」というフレ-ズがあります。
場合によっては当てはまるケ-スもあるのかもしれませんが、ほとんどは「本当にイヤ!」というケ-スの方が圧倒的に多いです。

このような「イヤよイヤよも好きのうち」というフレ-ズには、幼稚園の頃などでは男の子は好きな女の子をからかいがちになるなど、小さいお子さんなどの愛情表現という意味合いがあるのかもしれませんが、小さいお子さんの場合では、

 

まだまだ自己表現力(言葉)が発展途上中である

 

という言わば一種の制約のような状況がそもそも存在しています。
なので、このTOPICSをお読み頂いている皆さんは、それなりの言葉の活用が出来る方々かと思われますので、最初の大前提である条件をお忘れにならぬようお願い申し上げます!

 

それでは、今、皆さんの目の前に500ml(ミリリットル)のコップが置かれています。
ペットボトルのお水やお茶などの容器を思い浮かべて頂いても大丈夫です。
そのコップの中に250mlのお水が入っています。
一番最初の問いと同じになりますが、このような状況を見て、皆さんはどのように捉え、どのように自分のために活用していくでしょうか?(笑)

 

それでは、容器の大きさを変えてみましょう!
1,000ml(1リットル)と350mlの2種類を用意したと仮定しイメ-ジします。
まず、1,000mlの容器にコップの中の水を入れ替えます。
どうでしょう、出来ましたか?(笑)
では、そのコップの中の水を見て下さい。
それをどのように皆さんは捉えているでしょうか?

4分の1に減っちゃった・・・などの見方が多いかもしれませんね(笑)

では、今度は350mlの容器に水を入れ替えて下さい。
どうでしょうか、出来ましたか?
では、コップの中の水を見て下さい。
今度は、

何か、増えたように見えてしまう・・・と感じる方もいらっしゃる事かと思います(笑)

ここまでは、よくある視点の一つかもしれません。
あくまでお水の量は250mlのままで変わっていませんね?(笑)
では、ここで一つの視点の登場です!
この、1,000mlと350mlの容器は、

 

皆さんの夢や目標の到達度合いを知るバロメ-タ-(秤(はか)り)

 

です。
1,000mlの容器の場合ですと、皆さんの夢や目標の到達度合いは4分の1程度という事になります。
一方の350mlの容器の場合ですと、到達度合いは70%を既に超えています。
これは、1,000mlの夢や目標が大きくて、350mlの夢や目標が小さいという意味合いでは決してありません。
大切なのは、

 

自分の今後のために活用する

 

という視点です。
そして、その視点とは、

 

「今」において感じる充実度

 

です。
350mlの容器においては、あと3割弱の継続や頑張りで夢や目標に到達出来るようになります。
一方の1,000mlの容器においては25%の到達度合いで、まだまだ半分にも達していません。
勿論、皆さんの中には自分は負荷が大きい方がやる気が出る!という方もいらっしゃるかと思いますので、どちらが良い悪いという意味でも決してありません。
そして、この視点というのは、今までのTOPICSにおいてもお伝えしている通り、

 

小さく楽に簡単に達成出来る目標を複数設定した方が、本来の夢や目標への近道で早道となる場合がある

 

という事に繋がっています。
私自身もそうですが三日坊主という言葉もあります(笑)
あまりにも長く遠い目標を定めてしまうと、そこに行き着く前に息切れし、途中で諦めてしまう可能性も高くなってしまいます。
なお、「最終目標」というのは、どんなに大きくても壮大でも大丈夫です!
なぜなら、大きく壮大であるからこそ「見失わない!」という側面があるからです。
そして、350mlの容器という夢や目標であれば、3つの小さく楽に簡単に達成出来る目標を設定すれば、「350ml☓3つ=1,050ml」となり、1,000mlの容器でも水が溢れてしまう程の達成が実現されます。
しかし、これはお伝えしたいことの本筋ではありません・・・(笑)

では、ここで皆さんにご質問致します。
コップの中の水・・・

 

その「水」とは皆さん自身にとって、何に当てはまっているのでしょうか?

 

如何でしょうか・・・?
様々な当てはめ方が出来る事かと思います。
そして、その「水」とは、おそらく多くの方が時間や若さ、あるいは、極端な表現を用いれば寿命などのように、

 

これから先も減り続ける事が前提となっている・・・

 

という風に捉えていないでしょうか?
どうでしょうか?
実は、最初の質問のコップの中に水が半分残っている・・・という根底には、

 

水は減り続ける一方・・・

 

という隠された大前提が備わっています。
勿論、あくまで視点の捉え方で物事や状況への意味付けが変わるという意味合いで、素敵な問いかけである事は間違いありません(笑)
ただ、

 

コップの中の「水」を増やす!

 

という視点の捉え方も同時に成り立つことも真実です。
「水」を増やすというのは今回の問いにおいてはル-ル違反だ!との反論もある事でしょう(笑)
しかし、

 

そのようなル-ルを暗に設けているのは他ならぬ自分自身である

 

という点はとても大切な事のように思います。
なぜなら、

 

そのようなル-ルが自らの可能性を制限している点はないのか?

 

という自分自身への問いかけを行えないようにしてしまっているケ-スが多々あるからです。
勿論、ス-パ-に行ってお金を出してお水を買ってくるという発想であれば行き過ぎかとは思いますが(笑)
そして、最初にお断り致しましたように、

 

可能性を広げるためにル-ルを変える際には、何かや誰かのせいにせず、何かや誰かを傷付けてはいけない

 

という所が出発点ともなります。
お金を出してお水を買うという発想と同様に、お水を増やすために誰かから奪ったり、あるいは、あなたのせいで喉が渇いて一杯お水を飲んでしまったから減ってしまった、などのような解釈や意味付けをする事は出来ないという事です。
そして、コップの中の水というのが、

 

「可能性」であるならば増やす事も出来るし、時には(自分のせいで)減らしてしまう場合もある

 

という事です。
夢や目標があっても、それに向けてじっとして、自らかが何も動き出さない限りでは、太陽に照らされる水のように自然蒸発してしまう怖れもあります。
しかし、一方で水を増やす事も出来ます。
例えば、あなたが夜寝ている時に、植物やお花などの元にコップを置いておくと、

 

朝露が滴(したた)り、コップを少しずつ満たしてくれる

 

という事も可能です。
なぜなら、

 

それが当たり前の自然現象

 

だからです。
そして、時には、

 

甘露・・・のように、水に味付けや香り付けをしてくれる

 

という風に、あなた自身の可能性に素敵な変化を及ぼしてくれる事もあります。
そして、この朝露や甘露というのは・・・

 

人との縁

 

である事がとても多いです。
そして、人との縁というのは直接的な出逢いもあれば、本や音楽や映画などのような間接的な出逢いも含まれます。
そして、ここまでがコップの中の水から導かれる二つ目の視点という味付けです。
そして、この味付けは無数に考えられ、無数の可能性があります。
それは、人それぞれ違いますし、どれが良い悪いという問題でも決してありません。

 

では、コップの中の水が何であるのか?という視点を獲得した事から次に進めて行きます。
まず、先ほどから1,000ml、500ml、350mlなどの容器という例えを挙げてきましたが、

 

このような容器はあなた自身ではありません・・・あなた自身という器ではありません・・・

なぜなら、

容器を見る事が出来ている時点で、それは、あなた自身ではない

からであり、

容器を見るという事が、客観的視点を獲得出来ている

 

という証になっているからです。
繰り返しですが、コップの中の水が可能性であるならば、それは増やす事も出来るし、減らしてしまう場合もあり得ます。
容器というのは、

 

「今」のあなた自身が、自分自身をどのように見ているのか・・・

 

という客観的視点の事です。
1,000mlでも500mlでも、プ-ル一杯分の水でも、湖一杯分の水でも、本来はどのような器や量(という可能性の範囲)であっても構わないはずです。
そして、まず、

 

夢や目標はどれほど大きくてもあなたを妨げる要因とはならない

 

という点はとても大切です。
ただ、そのような「大きな器」を、

 

どのように満たしていくのか・・・

 

という視点も同時に大切になってきます。
それが繰り返しお伝えしている、

 

小さく楽に簡単に達成出来る複数の目標設定

 

という「小さな器」という意味合いです。
そして、この意味合いとは、

 

あなたが人生で求められている事は、あなたの出来る範囲内で「今」の最善を尽くす

 

という事だけです。
そして、

 

出来る範囲内の「今」というのが、「小さな器」でも良い

 

という事です。
そして、このような様々な器を満たしていくのに、先ほど私は朝露を例に取り、

 

それが当たり前の自然現象

 

とお伝えしました。
そして、その真意とは・・・

 

水は形態を変えるだけで、常に身の周りに存在している

 

という事です。
「水(液体)」や「氷(固体)」というのは目に見えて重さや肌感覚もあり、とても捉えやすいものです。
しかし、私達の身の周りには、

 

「水蒸気(気体)」も常に存在し続けている

 

という見えない側面も含まれています。
「雲」はそれが目に見える形態として教えてくれています(笑)
つまり、コップであろうと、なんの容器であろうと、

 

見えている「水(液体・固体)」以外にも、可能性という同じ「水(気体)」は常に存在し続けている

 

という視点の捉え方も大いに可能という事になります。
湖一杯分の水を満たしたければ、「雨」などのように「自然」に協力して貰うのが早いかもしれませんし(笑)

そして、先ほどの甘露のように、可能性という水には味付けや香り付けも出来ます。
この味付けや香り付けというのは、

 

人生を楽しんでも良い

 

という視点も含まれています。
確かに水は大切なものですが、無味無臭の人生だけでは味気ないという感覚も出てきてしまう事もあるかと思います。
そのような味付けの変化の際には、例えば、お味噌汁をポタ-ジュス-プのような器に入れ替えたり、逆に、ポタ-ジュス-プをお味噌汁のお椀に入れて飲んでみる、という事を試すことで、

 

感覚の違いが分かる

 

という発見にも繋がります。
もしかしたら、今までであったならば、お椀に洋風のス-プは合わない?と、

 

思い込んできた固定観念を変化させる契機となる

 

という可能性も大いに含んでいます。
と、今回も様々書き連ねてきましたが、これはあくまで私自身が考え得る視点や見方ですし、どのような視点や見方であろうと、先ほどの大前提の条件さえ守って頂ければ、きっとあなたにとって役立つ部分が含まれているかと思いますので、様々に思いを巡らせてみて下さい(笑)

 

そして、今回は「自然」という用語も出てきましたので少しだけ余談を致します。
前回のTOPICSにおいても北朝鮮などの世界情勢を取り上げましたが、TVのワイドショ-的なニュ-ス番組を観ていると、その多くがミサイルの詳細な設計や説明、電磁パルス攻撃の影響などに焦点を当てている模様です。

 

「知る」事で役立つ部分というのもある事は否定しませんが、ミサイルの詳細や電磁パルスの影響などを延々と伝えられても、どうする事も出来ない点があるというのも事実です。
そして、先日11年ぶりで通常の1,000倍ほどの太陽フレアが発生し、地球に到達してから1週間程は電子機器などに影響が出る可能性もあるとの報道がなされています。

私達が「自然」から学ぶ点、時には「警告」という観点からも考えられる所が多々あるとすれば、延々と流され続ける電磁パルス攻撃などの話題においては、

人の小賢しさが作り出す電磁パルスなど・・・太陽という自然の莫大なエネルギ-(量)の前では・・・

という「・・・」の箇所を改めて見つめ直す必要性があるようにも感じています・・・

2017年9月9日 04:09

真に「怖い」ものとは・・・

こんにちは。
レイキ ヒ-ラ-&ヒプノセラピストの瀬川です。

 

先日の北朝鮮からのミサイル発射の報に際しては、驚かれた方々も多い事かと思われますし、「怖さ」を感じたなど、様々な感想や考え方もある事かと思われます。
私も対象地域に住んでおりますので、ご多分に漏れずJアラ-トの警告音で起こされました(笑)
ただ、その日は明け方に雨が降っていた事と、ほんの数週間前にも大雨による河川の氾濫の警報としての、同じ警告音を聞いていましたので、今回も同じかな?と思い、メ-ルを見ずに再び布団に入りました。

 

・・・ただ、何となく気になったのでメ-ルを確認した所、ミサイル・・・との事でした。
10分程で飛来するというのは聞いておりましたので、既に7~8分経過している事もあり、特段何をするのでもなく、その後はTVを観ていました(笑)
他の多くの地域でも同じ事かと思いますが、地下への避難と言われても、私の住んでいる町においては地下施設など、ほぼ皆無ですし、唯一思い当たると言えば・・・病院の霊安室ぐらい?・・という、冗談にもシャレにもならない始末です(苦笑)

 

そこで今回は「真に「怖い」ものとは・・・」というテ-マでお届け致します。
なお、今回のテ-マの根本には、今までもこのTOPICSにおいて繰り返しお伝えしております、

 

どれほど大きな出来事であろうと、どれほど些細な出来事であろうと、そこには相互に反映されている部分がある

 

という趣旨が土台となっております。
なので、一見すると自分には無関係でどうする事も出来ないと思われる事でも、何かは自分の日常に当てはまる部分もあり、また、だからこそ自分にも出来る事がある、という視点を考えてみて下さい。

 

ところで、かなり前になりますが、韓国に旅行に行った事があります。
焼き肉を食べたり、カジノに行ったりと普通の観光ですが、その中で、「板門店」のツア-にも行きました。
「板門店」とは、韓国と北朝鮮の軍事境界線の真ん中にある施設であり、映画「JSA」の舞台ともなっている場所です。
このように、とても緊張に満ちた場所ではありますが、その真ん中の建物と部屋の中は、映画のセットよりも華奢(きゃしゃ)で狭く、正直驚いた覚えがあります。

 

当時は今ほどの緊張状態ではありませんでしたが、韓国籍の方はこのツア-には参加出来ませんし、出発前には、どのような事態が起ころうとも全てが自己責任との誓約書へのサインも求められます(実際に小競り合いというのは当時でも頻繁に起こっているとのお話も聞きました)。
また、ガイドをしてくれた方は脱北者の方であり、移動のバスにおいても常に機関銃を携帯した兵士の方が数人付いて回るという状況です。
昼食も込みのツア-でしたが、昼食後に「板門店」に向かいますので、昼食時のアルコ-ルの飲食も禁止されておりました。

 

そして、軍事境界線の真ん中の建物に入る前には、仮に向こう側のドアを開けて北朝鮮側に足を踏み入れた場合には、どのような事態になろうとも責任は持てず、容赦はしない・・・との趣旨を伝えられました。
そして、中に入ると先ほど述べたように狭くて華奢な作りに驚いていましたが、ある観光客の方が、向こう側のドアに近づいていきました。
すると、「蝋人形?」と思っていた屈強な男の人が振り向き、ガッシリとその観光客の方を制止しました。
なるほど・・・観光ツア-と言えども、面白半分で足を踏み入れる事は出来ない場所だと・・・「怖さ」も感じました。

 

そして、外に出て展望台のような所から見渡すと、すぐ目の前には北朝鮮の施設があります。
本当にすぐ目の前です。
そして、皆さんもニュ-スでよく目にする、軍服のようなス-ツのような格好をした北朝鮮の方々も外におりました。
当時は手を振ると、振り返してくれる方もいらっしゃいましたし、笑顔でタバコを吸っている方もおりました。
そして、そこで私が感じた事は、

 

軍事境界線であろうと、そこに存在するのは、得たいの知れない何かの生物でもなく・・・同じ人間である・・・

 

と・・・
ミサイルが発射されたこの日は、そのような事も想い出しながら、そして、ニュ-スなども観ながら、様々な思いを巡らせていました。
そして、行き着いたのが今回のテ-マの「真に「怖い」ものとは・・・」という事です。
ちなみに、私もミサイルは怖いですし、他にも怖いと思う事は様々ありますよ(笑)

 

そこでまず、今回のケ-スにおいては、北朝鮮であれ、アメリカであれ、韓国であれ、当然日本も含め、そこに共通している根本は、

 

恐怖・怖れ・・・で、間違いない

 

です。
ちなみに、私は普段は断言するような事はほとんどありません(笑)
そして、皆さんも次のような言葉を聞いた事はありませんでしょうか?

 

自分のした事は、必ず自分に反ってくる

 

と。
これは、自業自得、因果応報、蒔いた種は刈り取る、などとも表現されますし、戒め的には罰(バチ)が当たる、あるいは、少し「怖れ」を伴うような表現としては業(カルマ)などと言われたりもします。
ただ、このような言葉や表現には、どうしても何か宗教の教義のようなイメ-ジも伴い、あまり近づきたくないという思いもあるかと思われます(笑)

ただ、このような現象は、

 

単なる自然法則

 

と、捉える事も出来ます。
自然法則とは、私達が息を吸えば吐き出す、磁石のN極とS極は引き寄せ合う、という事と同じ現象です。
そして、自分に反ってくる時に、そこには、

 

何の感情や思いも伴わず、言い訳も弁解も入る余地もなく、単に戻ってくるだけ・・・

 

とも言えます。
おそらく、この辺りの要素がある事で、このような現象には「怖さ」のイメ-ジも伴っているのかもしれません。
しかし、このような現象の表現を変えると、小さなお子さんに教えるように、

 

自分がされて嫌な事は、他の人にもしてはいけないよ

 

という教えと全く同じ事を意味しています。
そして、

 

誰かに優しくすれば、他の誰かから優しくされるよ

 

も同じ意味です。
情けは人の為ならず、も同じです。
そして、「単に戻ってくるだけ」とお話しましたが、何か不都合な事を行って反省などをした時などは、

 

既にその時点から、その後の行動が変わっていく

 

という事から、言わば、反ってくる現象に多少の和らぎを感じるというケ-スも勿論あります。
そして、私が真に「怖い」と感じるもの、それは、

 

自分のした事が自分に反ってくる・・・という事を知らずに気づかずにいる事・・・

 

と感じています。
勿論、これが正解であるのか正しい事なのかは証明も出来ませんし、皆さんそれぞれの判断に委ねられるものでもあります。
ただ、「自分のした事が自分に反ってくる」という事の意味を、真に理解した時には、

 

現在行われている事の多くに変化が及ぼされるのでは・・・

 

という思いも強く感じます。
そして、このような事を腑に落ちるまでに理解が及ぶと、

 

イジメなどもなくなり、
そもそも、
自分に反ってくるのであれば、イジメなどをすること自体に「怖さ」を感じるのでは・・・

 

とも感じています。
そして、今回のミサイルの発射などにしても、「怒り」を感じている人も多々いらっしゃる事と思います。
特に漁業や航空関係のお仕事をされている方などは、仕事場を危険な状況にされてしまうという事もあり、お気持ちも理解出来ます。
ただ、

 

怒りの思いを持って、物事を反すと、その結果は如何なる事態をもたらしてしまうのか・・・

 

という点は、冷静さを持って、重々考える必要性があるかと思います。
そして、あくまで私個人の意見ですが、

 

どのような状況であろうとも、対話を続けていかなければならない

 

という事がとても大切であると感じます。
ニュ-スなどでは、このような対話を続けるというのは、理想論に過ぎず何の解決にもならない、その時期は既に終わっている、現実が見えていない、などのコメントをしている方も多々いらっしゃいます。
様々な意見や考えがあって当然ですし、私もそのような方々の意見や考えも尊重はします。
理想論を声高に大空に叫んでみてもミサイルを打ち落とせる訳ではない、という事は私もよく理解しています。
私もそこまで夢想家?ではありません(笑)

ただ、理想でも目標でもゴ-ルでも、表現は何でも構いませんが、

 

理想などを手放してしまうと、道に迷い混乱に陥る・・・

 

という側面があるのも真実です。
そして、ここで皆さんもご自身の事を振り返り、身に覚えがないかどうか「想い出して」みて下さい。
この世では、死に別れや、喧嘩や誤解による疎遠、あるいは、若気の至りなどで行動してしまったけれど謝罪も既に出来ない、など様々なケ-スがあります。
そして、このような別れや疎遠というケ-スにおいて、

 

あの時(当時)、もう少しちゃんと話をしておけば良かった・・・

 

との「想い出」などはありませんでしょうか?
私にはあります(笑)
これは、国と国という大きな側面であろうと、私達の日常における側面であろうと、全く同じ事です。

そして、どのようなものにせよ、相手への強烈な思いや感情を抱えたままで、対話を遮ってしまうと、

 

そのままの「残像」が残り続け、さらに、行き過ぎた「現像」を現す事になり、
そして、
それを(無意識で)繰り返す事で、(潜在意識には)現実として捉えられてしまう・・・

 

という道程を歩み続けます。
そして、相手への強烈な思いや感情が歪んだ「現像」になって現れたものは、

 

最終的には自分に戻ってくる

 

という結果に繋がっていきます。
これがよく言われる・・・後悔・・・というものかもしれません・・・

 

そして、何故、対話が大切かということを参考までに見てみます。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんし、あくまで仮説ですが「六次の隔(へだ)たり」というものがあります。
これは、

 

あなたに六人の知り合いがいれば、あなたは世界中の人々と間接的に繋がる事が出来る・繋がっている

 

という説です。
つまり、あなたが六人の知り合いにあなたの思いや考えを伝えると、間接的に世界中の人々があなたの思いや考えを知り得る状況になる・・・というものです。
そして、逆に、

 

あなたが誰かとの対話を遮断してしまうと、あなたの思いや考えを伝える術を、それだけ減らしてしまっている

 

という事も意味しています。
対話というのも、今までのTOPICSでも繰り返しお伝えしてきました、コミュニケ-ションと同じ事ですので、今のような世界情勢の折だからこそ、今一度、よろしければ考えてみて下さい。

 

そして、私自身が感じている、今の隣国との関係性を変化させる事が出来る、一つの解決策・方法というのが思い浮かんでいます(なお、一つというのは、策・方法が一つだけしかない、という意味ではありません)。
ただ、それには様々な思いや考えを整理・統合する必要性があるのと、その策・方法を口にすると、「今」という現状では誤解を生じる可能性もあるかもしれません。
しかし、その策・方法とは「手段」ともなり得るもので、実現出来た時の「風景」と呼べるようなものでもあります。
よろしければ、これも併せて考えてみて下さい(笑)
そして、今回は「思い出」「思い出して」ではなく、「想い出」「想い出して」という言葉を活用している点も、よろしければ深読みしてみて下さい(笑)

 

そして、ここから先は余談ですが、今回のケ-スにおいては防災無線が機能しなかった自治体が多数あったとの事でした。
防災無線にはそこにお住まいの方々の税金も活用されている事でしょうし、地震や津波や洪水などから身を守るためにも大切な手段ともなっています。
このような、当たり前の事が当たり前に出来ていない、そして、東日本大震災から僅か6年程しか経っておりません。
様々な理由や原因、また、予算の面などの課題もあるのかもしれませんが、

 

大切な教訓を、もう「忘れて」しまったのでしょうか・・・

そして、「忘れる」とは、

「心」を「亡(くす)」という字

 

です・・・
誤解があると大変失礼になりますのでお断り致しますが、例えば認知症などの症状において「物忘れ」と表現される事もありますが、これは、認知症の方は「心が亡い」という意味では決してありません。
逆に、私には「より自分の心に忠実になっている」と思われるようなケ-スを感じる事もあります。

 

そして、これこそどうでもいい余談で、オカシイのでは?と思われるかもしれませんが、一つだけお話し致します(笑)
ここ数年位ですが、北朝鮮のミサイル発射のニュ-スを聞くにつけて、私の中に、いつも同じヴィジョン・イメ-ジが思い起こされています。
詳細は省きますが、それは、

 

とても無機質で、移動している(動いている)のに・・・景色が全く変わらない・・・という、果てしないジレンマ?・・・

 

のようなヴィジョン・イメ-ジです。
私自身にとっては、音も感じるし、肌感覚でも感じる、結構リアルなヴィジョン・イメ-ジです(笑)

2017年9月2日 01:09

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